リングにかけるオヤジ・バトルな男たち


著者:
森哲志

■978-4-08-781382-1
■四六判セミハード/224P
■2007年8月24日発売

まえがき

 格闘技の殿堂、後楽園ホール(東京都文京区)は、異様な雰囲気に包まれていた。青いビルの五階にある同ホールにつながる階段に、朝から長い列ができた。
 三、四十代の男たちが目立った。好奇心に目を輝かせ、仲間と笑いながら語り合う者にまじって、まなじりをけっし、緊張した面もちで待つ者や貧乏ゆすりする者、天井の一点を見つめて思いにふける男もいる。なかには、子供の手を引いた母親の姿も見られた。隣接する東京ドームならともかく、ここでこんな時間に女子供の姿は珍しい。
 オヤジ格闘技のゴングを待つ列である。三十五歳以上の普通のサラリーマンらを「オヤジ」に見立て、総合格闘技やキックボクシングを闘わせようというものだ。翌日の仕事へ配慮して、ダメージが少ない特注グローブを使い、オヤジによるオヤジたちのための家族共感型格闘技大会と銘打つ。
 プロの闘いは含まれていない。純粋にごく並みの男たちの試合でしかないのに、プロ格闘家もあこがれる檜舞台を超満員にする魅力は、どこにあるのか。
 二〇〇七年六月十六日、東京・新宿の歓楽街歌舞伎町、コマ劇場の向かいにある「新宿FACE」。ボウリング場やゲームセンターが入居する雑居ビルの七階に、アマチュアのオヤジ格闘家三十人が勢揃いした。「オヤジDEEP」という名のバトルである。
 場内は数百人の観客で満員、週末の夜を熱気で染めた。ここは、元はといえば、ディスコクラブのフロアだった。それが今、リングと化し、オヤジたちが熱く闘う舞台と化したのだ。

 このオヤジ格闘技の発想、実は、信州・飯田に近い小さな山村から、若い武道具店店主が数年前、インターネットを通じて呼びかけたのが走りだが、草の根的にその輪を広げ、いま、それは、静かなるブームと呼んでいいほど社会現象化している。
 勝ち組・負け組の言葉に象徴される現代ニッポンの競争社会を映しだしてのことだろうか。個人主義、市場経済優先主義の広がりは、たしかに白黒決着を求める風潮につながっている。時代の色を微妙に投影しているようにも思えるのである。
 こんな動きにプロ格闘技団体も目をつけて相乗りし、財団法人日本ボクシングコミッションは、中年・熟年男性を対象にした「ザ・おやじファイト」を立ち上げた。
 「オヤジDEEP」も、総合格闘技団体「PRIDE」と空手道団体「禅道会」などが共催して旗揚げしたもので、茨城、長野、富山などでも開催。ほかにも、大阪、名古屋などで様々な団体が旗揚げし、もはや乱立の気配さえある。オヤジ格闘技網は全国に広がろうとしている。
 町の食堂のオヤジと化したロッキーが、中年男の闘魂を奮い立たせ、人生の再生を賭けて世界チャンピオンに挑んだヒット映画「ロッキー・ザ・ファイナル」(○六年、米、シルベスター・スタローン主演)を地で行くファイトを繰り広げているのだ。
 そんな隠れた人気にメディアも着目、TBS「ブロードキャスター」、日本テレビ「真相報道バンキシャ!」などの人気番組はじめ、NHKやフジテレビなどのテレビメディアが全国ネットで、闘う父親の姿を密着ドキュメントとして追い、静かな反響を呼び起こしている。
 リングに上がる男たちの顔ぶれは、多士済々である。サラリーマンが多い。先端技術の研究者や設計技師、ビジネスコンサルタント、銀行・証券マンなど知的な労働に携わる男たちも目立つ。三十代後半の管理職予備軍層に圧倒的な支持がある。
「妻よ、子よ、男として闘う俺の姿を見よ! 今、ここに、日本経済を支えた者達の『プロジェクトT』が始まる」というキャッチコピーが電撃的に受けるというから面白い。
 リングアナウンサーもレフェリーも、洗練された声と裁きを振るうれっきとしたプロである。スポットライトを浴び、テーマソングに合わせて、勇躍、リングに登場した。ガウンを脱ぎ捨てる。表情は硬く、動作もぎこちない。そこがいい。プロのように自信満々な表情の選手やおたけびをあげる者はいない。それどころか、顔面蒼白、ほおを引きつらせている者もいる。
 ゴングが嗚った。いきなりパンチを繰り出し、激しく取っ組み合ってマットに横転し、息を荒らげて、バトルを展開する。リングサイドでは、妻や子供が熱烈応援し、会社の同僚たちが歓声をあげ、やじを飛ばす。会場は熱気と興奮がみなぎっている。
 男たちが青春に燃えたぎる瞬間沸騰時間三百六十秒。肉体と肉体がぶつかりあい、魂が衝突する。自らのエネルギーを、相手側と同じ条件下で燃焼させることに、やりがいを感じているのか。ほおを腫らし、関節を痛め、時に、額を割り、歯を折っても、なお闘う。
 闘い終え、今にも崩れ落ちそうにリングに立っているのに、そのまなこは輝き、満ち足りた表情である。涙を流している男もいる。リングから降り、家族と抱き合う光景も見られる。
 荒っぽく、とがった雰囲気がない。格闘技スポーツらしからぬほほ笑ましさと温かみが会場を覆っている。
 一体、これは、どうしたというのだろう。
 格闘技ブームの余波なのか。K-1やPRIDEなどプロ格闘技が、軒並みテレビで高視聴率をあげ、大みそかの主役紅白歌合戦さえもおびやかすほどの国民的人気を博している。リングサイドに若い女性たちが群がり、熱い声援を送っている。
 街には、格闘技のジムや空手道場が増え続けている。フィットネスジムには、ボディコンバットという名のカリキユラムも登場し、アフターファイブ、女性も含めて練習に汗を流す光景が見られる。長い間、低迷していたボクシング人気も、亀田三兄弟の人気にもあおられて、復活のきざしを見せており、格闘技全体が高い関心を集めている。
 ボクシングのファイティング原田、輪島功ス具志堅用高、プロレスの力遊山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、そして武蔵……それぞれの時代に輝ける闘魂のヒーローがいた。少年時代、梶原一騎の「タイガーマスク」やちばてつやの「あしたのジョー」に、その小さな胸を焦がした人も多い。
 彼らは、その幻影が忘れられず、自分がその化身となって闘おうとしているのか。いや、それだけではなさそうなのである。むしろ、リングに上がった男たちの動機を探ると、真摯で一途な思いを胸に、闘っているように思えるのだ。
 プロのような華々しさはない。魅せるほど技が鮮やかでもない。リングネームで客を引き寄せるわけでもない。しかし、見る者を惹きつける何かがある。それは、なんなのか。
 選手のすそ野が、限りなく広い。全国で様々な職に就き、日々、汗にまみれ、上司にしかられ、子の将来を思う男たちが、闘いの場を求めてやってくる。
 実力が見合えば、どんな対戦も可能だ。ラーメン屋VSコンピューター・プログラマー、農協職員VS メディア媒体広報課長、消防署員VSホテルマン……様々な対戦が実現した。
 組み合わせの妙味、それは、まさに「人生対決」である。
 おのおの、別々の人生を歩んできた男たちが、長き道程のどこかで格闘技を覚え、練習に燃え、人生への思いを賭けて、リングで激突する。闘い終わって、讃えあい、互いの人生を知る、そんな醍醐味がある。
 男たちは、どんな思いを胸にグローブを手にしているのか。
(…この続きは本書にてどうぞ)

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