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時間はどこで生まれるのか
ジカンハドコデウマレルノカ

著者:橋元 淳一郎
■ISBNコード: 4-08-720373-5
■判型/総ページ数: 新書判/192ページ
■発売年月日: 2006年12月14日
第一章 なぜ今、時間論なのか

◇哲学と科学の乖離
 今さら時間論でもないと思われるかもしれない。
 古今の吊著を辿れば、アリストテレスの『自然学』にも、アウグスティヌスの『告白』にも、カントの『純粋理性批判』 にも、時間への深い考察がある。二〇世紀には、マクタガートという哲学者が、「時間は実在しない《という「証明《 をした。ハイデガーの『存在と時間』では、時間性が人間(現存在)の存在論的意味だと結論付けられる。
 さらに、この半世紀の間に書かれて、現在でも日本語で読める時間論の本は、たぶん何十冊もあるであろう (巻末の参考文献解説参照)。
 時間は、研究し尽くされた感がある。
 しかし、それにもかかわらず、なるほどそういうことなのかと、目からウロコの落ちるような時間論に出会わない のである。
 その最大の理由は、近代以降の哲学と科学の乖離にあるのだと思う。
 おこがましいことと叱責を受けるのを覚悟でいえば、現代の哲学者が説く時間論は、現代物理学(おもに 相対論と量子論)が明らかにした時間の本性をほとんど無視している。すなわち、ニュートン流の絶対空間・ 絶対時間の考え方に未だに囚われている。
 一方、科学者による時間論は、科学の枠から出ることがない。けっして人間的時間に立ち入ろうとしない。 要するに、時間はどうして過去から未来へと流れているのだろうか、というような素朴な疑問に答えてくれず、 面白くない。
 古代ギリシアでは哲学と科学の区別などなかったから、アリストテレスの時間論は、哲学であると同時に、 当時の最新科学であったはずである。
 カントは、デカルトとニュートンが確立した絶対空間・絶対時間という概念をふまえたうえで、「時間表象は ア・プリオリ(先験的)な直観である《という時間論を展開した(余談ながら、カントは独自の宇宙論を唱えた 科学者でもある)。
 しかし、二〇世紀になって、相対論と量子論という、二つの革命的な物理学が誕生した。
 相対論と量子論が、それぞれまったく別のアプローチによって、ニュートンの絶対空間・絶対時間を否定した ことは、それらの誕生から一〇〇年も経過した現在では、ほとんど常識的な事実であるにもかかわらず、未だに 哲学者が説く時間論の中に、こうした事実が盛り込まれないのは、どうしてなのだろうか。
 たとえば、「時間論《というものが単独で取り上げられるのはおかしいのである。たしかに、時間は空間と比べて とても奇妙に見える。「空間論《という哲学をあまり聞いたことがないのは、時間に比べて空間が自明のもののように 見えるからであろう。
 しかし、相対論が明らかにした「事実《は、空間と時間は互いに変換可能だというものである。つまり、空間もまた 時間と同様、奇妙なものであって、それらはまとめて「時空論《として論じられなければならないはずのものなの である。
 これは一例にすぎない。
 ぼくが渇望していることは、こうした現代物理学をふまえたうえでの、斬新な哲学的時間論の登場である。 本書は、そのような著作が現れてくれることを期待し、そのささやかな呼び水にでもなればと意図したものである。
 だから、今さら時間論ではなく、今こそ時間論(正確には時空論)なのである。

◇紫外線は何色?
 始まりから、時間とは関係のない話で、じれったく思われるかもしれないが、時間の本性を理解するための格好の 喩えとして、まずは色と温度の話をしておきたい。
 色、温度、時間――この三つの概念に共通なことは、どれもわれわれの生活に身近な概念であると同時に、 物理学で扱われるれっきとした物理量(すなわち数値的な測定が可能)だという点である。
 かつては、色も温度も、時間と同様に、その本性は何かと問われた時代があった。しかし、それらの物理的 正体は、一九世紀末にはほとんど解明されてしまった。
 それは、原子というものが実在すると証明されたことと密接な関係がある。古代ギリシアのデモクリトスの原子論 は観念的なものでしかなかったが、一九世紀初めにイギリスの物理学者ドルトンによって仮設的に提唱された 原子は、数々の実験を経て、実在のものと証明されたのである(哲学的にいえば、むろん、実在といえないかも しれない。しかし、その点についても、現代物理学は哲学顔負けの鋭い考察を加えている)。
 さて、面白いことには、こうして存在が実証された原子のレベルまでいくと、色と温度という概念は消滅してしまう のである。一個の原子は何色かとか、その原子は熱いか冷たいか、などと問うことは無意味なのである。
 温度については、後述しよう。とりあえず色である。
 モンシロチョウには、紫外線(の一部)が見える。
 モンシロチョウの羽は、われわれが見るとただの白であるが、雌のモンシロチョウは雄の羽に色模様を見る。 なぜなら、モンシロチョウは(人間と違って)紫外線を見ることができ、その目で見た羽の色はのっぺりした 白ではないのである。
 それでは、モンシロチョウが見る紫外線の色は、何色なのだろう?
 もちろん、われわれはそれに答えることができない。人間にとって本来、そんな色は存在しないからである。
 われわれが色として感じることができる電磁波の範囲は、きわめて限られたもので、それゆえ、色として認識 できない電磁波を、赤外線とか紫外線とか呼ぶわけである。
 これは、色というものが、人間の感覚器官と脳で創られた概念であって、物理的実在ではないことを意味する。 それゆえ、色について研究しようと思えば、生物としての人間、神経細胞としての脳、個人や社会集団と色との 関わりなど、物理学では覆い切れない事柄を考察の対象にしなければならない。
 赤という色は、波長がおよそ七〇〇ナノメートル(ナノ=一〇億分の一)の電磁波が、人間の網膜中の視細胞を 刺激し、それを脳が感じ取る「現象《である。これが、赤という色についての物理学的説明である。
 それに対して、人間が赤という色を見て何を感じるかということは、血の色、夕陽の色、燃える炎などの経験 抜きに語ることはできない。これは赤という色についての生物学的・心理学的・社会学的――ひと言でいえば 人間的考察である。
 色の哲学が流行らないのは、色についての右のような物理学的説明と人間的考察に、何の矛盾もなく、明快な 答が用意されているからである。いねば解決済みの哲学的課題といっていいだろう。  時間という概念も本来、色と同じようなものなのである。すなわち、物理学的時間と人間的時間が存在する。  ところが、この二つの時間の境界が、きわめて複雑なことになっているため、さまざまな誤解が生じているのである。
 たとえば、われわれは「今《という瞬間を生きているが、この「今《という瞬間は、自分の心の中にあると同時に、 この宇宙全体が「今《という瞬間にあるのだと何となく信じている。
 しかし、これは明らかに間違いである。自分が感じている「今《という瞬間は、人間的時間である。それに対して、 この宇宙全体に「今《という物理的時間など存在しない(ニュートンの絶対時間はそう主張するのだが、相対論は それを明快に否定する。これについては、第二章で説明する)。


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