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分身
ブンシン

著者:東野 圭吾
■ISBNコード: 978-4-08-748519-6
■判型/総ページ数: 文庫判/472ページ
■発売年月日: 1996年9月20日
   鞠子の章 その一

 もしかしたら私は母に嫌われているんじゃないか――。
 そんな思いを抱くようになったのは、私が小学校の高学年になった頃だった。
 といっても、シンデレラが継母から受けたような仕打ちを経験したわけでも、冷たく扱われたというわけでもない。むしろ私の記憶の中では、母に愛された思い出のほうが多くを占めている。
 我が家には三冊のアルバムがあったが、その中の殆どが私の写真といってよかった。学校で撮ったものや、友人たちが写してくれたものもあったが、九割がたは両親の手によるものだった。
 二冊目のアルバムの前から三頁目に、家族三人で函館山に行った時の写真が貼ってあった。写っていたのは私と母だけだから、カメラのシャッターを押したのは当然父ということになる。場所は展望台のようだった。背景の見事な紅葉から、時期は大体十月半ばらしいと見当がついた。
 写真の中の私は、四歳か五歳というところだった。フード付きの上着を着て、少し寒そうな顔で立っていた。母はやや半身の構えで、両手で私を包むような恰好をしていた。不思議なのは、母の視線がカメラのほうではなく、若干右側にそれていることだった。どこを見ていたのと私が後で訊いた時、彼女は少し恥ずかしそうにしながら答えた。
「それがねえ、ちょっと離れたところで蜂が飛んでいるのが見えたの。その蜂がこっちに来るんじゃないかと思って、全然写真どころじゃなかったのよ」
 そんな蜂なんかいたかなと父はいったが、たしかにいたのだと彼女は主張した。私は全然覚えていなかったけれど、たぶんいたのだろうなと思った。写真の中の母が、私を庇うようにしているのがその証拠だ。彼女の不安そうな表情は明らかに、蜂が自分ではなく幼い娘を襲うのを恐れていることを物語っていた。私が数多くの写真の中でも、これを最も気に入っていたのは、こういうエピソードが思い出されたからだ。もっともこのアルバムも、今はもうない。
 母の私に対する愛は、常に細かく、さりげなく、しかも適切だった。彼女のそばにいれば、私は何の心配もする必要がなかった。そしてそれは永遠に続くものと、私は信じて疑わなかった。
 そんな不滅であるはずの愛情に、いつから暗い影が忍び寄ったのか、私には正確に述べることができない。日常に何らかの変化があったわけではないのだ。
 ただ遠い記憶を探ってみれば、子供心に、おかあさんどうしたのかな、と感じたことがいくつかあったように思う。食事をしている時、ふと顔を上げると母が私を見て思い詰めたような表情をしていたとか、鏡台の前に座って長い間動かなかったりとかだ。もっともこんな時でも、私が見ていることに気づくと、彼女はいつもの温かい目で微笑んでくれたのだったが。
 いずれも大したことではない。しかし私は子供の直感で、母の態度に何か不吉なものを感じ始めていた。さらにその頻度は、私の成長と共に着実に増えていくようだった。
 大学の教授をしていた父は研究熱心な人で、家にいる時でも書斎にこもって仕事をしていることのほうが多かった。それだけに私としては何となく近寄り難く、父親というよりも、管理者という目で彼を見ていたような気がする。彼が私を溺愛してくれていることは自覚していたが、だからといって母に対する私の不安を忘れさせるものではなかった。
 五年生になると、私はもう少し具体的な印象を抱くようになっていた。母は私を避けているのではないか、というものだった。私はよく台所へ行って、母が食事の支度をするのを眺めながら学校でのことをおしゃべりしたものだが、いつからか、私の話を聞いている母の顔が以前よりも楽しそうでなくなっていた。そればかりか、食事の支度の邪魔になるからあっちへ行きなさい、というようなことを口にするようになった。また日曜日の買い物に私も付いていくというと、今日はお父さんの用ばかりでつまらないからやめておきなさいというのだった。これもまた以前にはなかったことだ。
 そして一番気になること、それは、母が私の顔を見て話さなくなったということだった。顔はこちらを向いていても、目はいつも私以外のどこかを見ていた。
 なぜなんだろうと私は思った。あんなに優しかった母が、なぜ急にこれほど遠くに行ってしまったのか、全く見当がつかなかった。
 突然思いついたのは、五年生の終わり頃だった。私たちの小学校では、学期末ごとに親子懇談というのがあって、担任教師と親子で面談する習慣がある。その親子懇談の後、同級生のナッチャン母子と四人で喫茶店に入った。二人の母親はしばらく世間話をしていたが、どういう話の流れからか、ナッチャンのおかあさんがこんなことをいいだした。
「鞠子ちゃんはどちら似なのかしら? おかあさんよりは、やっぱりお父さんに似てるのかしらね」
「おばさんには似てないよね」ナッチャンも横からいい、私と母の顔を見比べた。「目だって違うし、鼻だって全然違う」
 そうかな、と私はいった。
「おかあさんなんかに似ないで、よかったのよねえ」母は笑いながらそういったが、その後で奇妙にロを歪め、私をしげしげ眺めながらぽつりと漏らしたのだった。「本当に、全然違う顔をしているんだもの……」
 私が母の心に潜むものに気づいたのは、まさにこの瞬間だった。その時の母の目の奥に笑いはなかった。まるで不気味な生き物を見るような視線を、私に向けているのだった。
 おかあさんが優しくなくなったのは、私が全然おかあさんに似ていないからだ――この時に私が得た答えだった。似ていないとなぜだめなのか、ということは全く考えなかった。誰でも自分に似たもののほうが愛しいという自然法則を、漠然と理解していたのかもしれない。
 たしかに私たち母子は、誰からも似てるといわれたことがなかった。しかしそのことを深刻に考えてみたことなど一度もない。母の実家へ遊びに行った時など、祖母は私を見てよくいったものだ。
「まあまあこの子は、見るたびに奇麗になっていくじゃないか。一体誰に似たのかねえ。静恵からこんな子が生まれるなんて、こういうのをトンピがタカを産んだっていうんだろうね」
 こんな祖母の言葉に、母も楽しそうに笑っていたのだ。そう、私がまだ幼児と呼べるほどの年齢の頃は。
 あの日以来、私は部屋にこもって鏡を見つめることが多くなった。何とか、母と共通した部分を探し出したかったからだ。しかし見れば見るほど、そして日が経てば経つほどに、私の顔は母のものとはかけ離れていくのだった。さらに私は気づいた。じつは自分が、父親にも全く似ていないということに――。
 次第に忌まわしい考えが、私の心を占めるようになった。もしかしたら私は本当の子供ではないんじゃないか、という考えだった。両親の年齢は、私を長女だとするには高齢だ。子供の出来ない夫婦が、どこからか女の子を連れてきて養女にしたということは、充分に考えられることだった。
 自分一人では解決のつかぬ悩みであり、かといって誰かに相談できることでもなく、私は自己の殼を形成し、その中で悶々としていた。
 ちょうどその頃、学校で戸籍のことを習った。担任だった若い男の先生は、私が手を挙げて発した質問に、自信たっぷりにこう答えた。
「戸籍に嘘は載らないよ。養子なら養子と、はっきり書かれるんだ」
 私はその二日後に、意を決して市役所に行った。受付の女性は、小学生らしき女の子が一人で戸籍謄本を取りに来たことに少し怪訝そうな顔を見せたが、理由を尋ねてきたりはしなかった。訊かれたら、中学を受験するのに必要なのだと答えるつもりだった。
 数分後、私の手に戸籍謄本のコピーが手渡された。私はそれを家に帰るまで見ないつもりだったが、我慢できず、結局その場で内容を確かめた。
 父母の欄には、氏家清、静恵と書かれていた。そしてその下に、説得力ある明朝体で記されていた。長女――と。
 それを見た途端、胸の奥から私を圧迫し続けていた何かが、すっと消えたようだった。長女という言葉を、これほど温かく感じたことはかつてなかった。安堵感が広がり、私は何度も何度も謄本を見直した。同時に、なあんだ、という気持ちも湧いていた。簡単だったんだ。こんなに簡単に確かめられることだったんだ。
 いつだったか、祖母が話してくれたことがある。
「あんたが生まれる時はねえ、すごい難産で、そりゃあ大層心配したものだよ。身内の者が病院に集まってたんだけど、八時間ぐらいは待たされたんじゃなかったかね。で、夜中の一時頃、急に外の雪の降りが激しくなってね、こりゃあ明日は雪降ろしだなあなんていってる時に、泣き声が聞こえたんだよ」
 戸籍謄本を確かめた時、この話を思い出した。あれはやっぱり本当の話だったのだ。私をだますための作り話ではなかった。
 ではなぜ、と私の疑問は逆戻りする。なぜ私の顔は父母とこれほど違うのか。鏡を見るたびに考えこんだ。 (…この続きは本書にてどうぞ)

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