序文
挑戦する者の責任感 会津泰成
球場ではなく、ジョーとプライべートな場所で初めて顔を合わせたのは1年前、05年10月5日の事だった。場所は
長崎県佐世保市にあるジョーの実家。ジョーが信頼を寄せるフォトグラファー、繁昌良司氏の紹介がキッカケだった。
「動けないから暇で暇で、することないもん!《
さかのぼること2週間前の9月22日。ソフトバンク対ロッテの試合中に自打球を左足脛に当てて骨折、全治2ヵ月と
診断されたジョーは、自宅で療養生活を送っていた。
「まあ、でも、ゆっくりした時間の中で過ごせてるんで。体がナメクジみたいにダラーッとしてますよ(笑)《
当時ジョーはFA権行使は宣言していたものの、進路の最終決定はしていなかった。しかし新聞紙上では連日、
「メジャー挑戦は確実《という見出しが並び、注目はすでにその先、「日本人キャッチャーはメジャーで通用するの
か《に集まっていた。
「接触プレーが日常茶飯事の過酷なポジションだけに、身体の小さい日本人では太刀打ちできない《
「キャッチャーはピッチャーとのコミュニケーションが必要上可欠。英語能力の乏しい日本人では厳しい《
など、日米問わず、メディアのジョーに対する期待値は低く、キャッチャーとしてはどちらかといえば上安視する
意見のほうが多かったと記憶している。
僕白身もまた、最初は通用するか否かに興味を持っていた。しかしある日の会話をきっかけに、興味のほこ先は
変わっていった。ギプスの上から重りを巻いてリハビリトレーニングを開始した頃、ジョーはこんな話をしてくれたのだ。
「怪我もたくさんしたし、今も骨折していますけど、ここ数年でキャッチャーで一番試合に出ているのは、12球団で
僕じゃないかな? 自慢といえばそれくらい。解説者でいろいろ言う人もおるけど、『だったらお前、出てみろ』と(笑)。
ただ、今は怪我をしている身だから何も言えない。批判されたり、どんなに厳しい意見があったとしても、僕自身は、
来年グラウンドで反論するしかない。悪い時は悪い時なりに意見を言われるのは当然。その代わり、活躍すれば
それなりの評価が得られ、吊声も得られる。それがこの世界の掟ですから《
ジョーが強烈なプロ意識と自分自身の技術に対する揺るぎない自信の持ち主だと知った時、彼は間違いなく、
キャッチャーという最も難しいポジションで、メジャーリーグで初めて成功する日本人になるはずだ、と確信した。
僕自身は、野球に対する知識も経験も専門記者の方々には到底及ばないレベルだ。ただこれまで何人か、
世界の頂点を極めたアスリートを密着取材してきた。そしてその際に感じた雰囲気、というか共通する独特のオーラを、
ジョーに対しても感じたのである。そしてその瞬間から、僕のジョーに対する興味は、「メジャーで通用するか否か《
を飛び越え、「『城島健司』という日本人キャッチャーは、この先アメリカの野球に何をもたらすか《になったのだった。
同時に、その記念すべき1年目を見届けたいと強く思ったのである。こうして僕のジョー・ウオッチングの日々は始まった。
その後、ジョーは11月にシアトル・マリナーズヘの入団が正式決定。例年よりも少し早い今年1月上旬、佐世保での
自主トレをスタートした。
自主トレ期間中のある日、ジョーはこんな話をした。
「日本の野球がメジャーでどれほど通用するものか。そのなかでまだ誰も挑戦していないキャッチャーという
ポジションで、一体どれだけ通用するものなのか。僕は日本プロ野球界の、キャッチャーの代表という看板を
背負って挑戦するつもりです。
野茂さんがいたから次のピッチャーが挑戦できて、イチローさんがいたから次の野手が挑戦できた。それと一緒で、
キャッチャーでは、自分がその基準を作る役目を担っていると思っています。チャンスをいただけた自分か怖がって
諦めてしまったら、このさき日本人キャッチャーでメジャーに挑戦する人が出てくるまで、また時間が空いてしまい
ますからね《
そのセリフを聞いた時、「この男、やはりただものではないな《と、僕は改めて感じたことを今もよく思い出す。
新しい世界で野球をする事への、上安と期待。
日本人キャッチャーのパイオニアとしての責任感。
様々な思いが複雑に入り交じるなか、1月22日、ジョーはアメリカヘ向けて旅立っていった。
野球大国アメリカで、日出る国のナンバーワンキャッチャーは、マスクごしにどんな景色を眺めたのか。本書は
それを綴った戦いの記録である。
2006 春 spring
scene #01 アリゾナキャンプ
メジャー式キャンプでプロの姿勢を見つめ直す
2月下旬、灼熱の太陽が照りつけるアリゾナ州フェニックス。マリナーズはここで、連日トレーニングに励んでいた。
「アリゾナ? 朝晩は結構冷えるけど、野球をするにはホント、いいところだよ。でも、こっちに来て1週間も経つとさ、
日本食のありがたみがわかり始めるんだよね。最初の2~3日くらいはアメリカンフードを満喫しなさいよ、って感じ
だったけど、1週間も経つと急にくるね(笑)《
キャンプ地はどうですか? という質問に対して、ジョーは真っ黒に日焼けした顔で答えた。ここで、故郷・九州の
逸品をプレゼント!
「おーっ、芋焼酎じゃないですか。ありがとうございます!! 見られなくても借りておきたいビデオテープみたいに、
部屋に置いておくだけで安心するんだよね、これって。でも、減っていけば、だんだん上安になっていくかも(笑)《
さて本題。メジャー式のキャンプについて聞いてみた。
「メジャーのキャンプって、『練習時間が短いから日本よりラク』って思っている人もいるでしょ。けど、そんなこと
全然ないよ。全体練習は2時間でも、個人練習を含めたら長さは日本と変わらない。すごいところはさ、ミーティング
もウエイトトレーニングも全部先に済ませてしまうこと。これは驚きだった《
全体練習は午前9時半から始まり、11時半までだ。しかしどの選手も朝6時頃から集まりはじめ、ウエイトやキャッチ
ボール、スライディング練習などをして汗を流していた。個人練習は先に済ませてしまう、それがメジャー流だった。
「意外だったのはね、個人練習も割と管理された環境でやっていること。例えば早朝練習に遅れたり、少しでも
気を抜くと、すぐコーチに怒られる。『アメリカの野球は個人主義で自由気まま』と思っていたけど、とんでもない!《
自分の練習道具はすべて自分で持ち運ぶ。移動は駆け足ダッシユ。球拾いも自分たちでする。帽子を後ろ向き
に被っては駄目。すべてはビッグリーガーの誇りを忘れず、ファンに尊敬される存在であることを目指す当然の
振る舞いとして、みな受け止めていた。このような姿勢は、ジョーにとっても改めて、「プロとは何たるか《を思い
返す良い機会になったようだ。
連日、ソファで爆睡
アリゾナキャンプ取材5日目の2月27日。食事に招待され、ジョーが泊まるコンドミニアムを訪ねた。ジョーはここで、
藤田一郎専属トレーナー、そして英会話教師兼トレーニングパートナーの坂本充氏と、男3人暮らしをしていた。
関西出身、藤田先生特製の大阪風お好み焼きをほおばりながら、ジョーはお土産に渡した芋焼酎のロックをグイッ
と一気に飲み干した。
「せっかく来たんやけん、ゆっくりしていってよ!《
『あっぱれさんま大先生』のビデオを見ながら、ジョーは言った。しかし、ものの5分もしないうち、ジョーはソファに
横になると、夢の世界へと旅立って行ってしまった。
「ジョー、よっぽど疲れてるのやな《
藤田先生が呟いた。坂本氏は寝室から毛布を持ってくると、寝息を立てるジョーに優しく掛けてあげた。
ジョーの1日のスケジュールはこうだ。朝は5時半起床。毎回、ほぼ一番乗りでグラウンドに到着すると、7時半には
練習スタート。午後3時すぎ、仕上げのウエイトトレーニングを終える頃は、クラブハウスに選手はもう誰もいない。
さらにその後、夕方からは英会話レッスン……。クラブハウスを出るのは、いつもアリゾナの夕日が沈んでからだった。
「俺はルーキーやけん、みんなより一生懸命やるのは当たり前だよ。でも周りは、俺をルーキーとは思ってくれん
けどね。キャッチャーとしてもバッターとしても、オープン戦から結果を出していかないと……。ピッチャーだって
信頼してくれんからね《
佐世保での自主トレ最終日以来、3週間ぶりに再会したジョーの頬は明らかにこけていた。キャンプ前、90キロ
あった体重は85キロまで落ちたそうだ。
「僕はたぶん、人より臆病な性格。だからもしかしたら、開幕戦は自分でも何をしていいかわからない状態で
臨むかもしれん。今は『よしっ、これでいける!』って感覚が早く欲しい。早く自分のものにしたい。そのためには
練習をして、結果を出すしかないけん《
ジョーの数少ないキャンプ中の楽しみは、日本から持ってきた『博多うまかっちゃん』(とんこつ昧のインスタントラーメン)
をおやつ代わりに食べること。そして故郷・佐世保で待つ両親や家族とパソコンのテレビ電話を通して会話を
することだった。
総額1650万ドルの3年契約を交わしたスーパールーキーも、家に戻れば異国での生活に戸惑いながら悪戦苦闘する、
どこにでもいそうな単身赴任のお父さんだった。
ジョーは今日もこのまま、ソファの上で一夜を明かすことになりそうだ。
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