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伯爵と妖精
すてきな結婚式のための魔法
ハクシャクトヨウセイ

著者:谷 瑞恵
イラスト:高星 麻子
■ISBNコード: 978-4-08-601254-6
■判型/総ページ数: 文庫判/288ページ
■発売年月日: 2009年1月30日
     結婚式をひかえた伯爵家の諸問題

 秋の訪れを告げる、聖人の祝日。その日から二週間は続くお祭りのために、ロンドンはいつにも増して人でごった返していた。
 街の一画にある、バーンズフィールドには市が立ち、並ぶ屋台で様々なものが売られている。
 クレアは、屋台と人混みを縫って歩きながら、エナメル細工のブローチについ目を奪われ、はっと我に返ってあたりを見まわした。
 空色の縁なし帽と、背中にたらした赤茶の髪をさがす。屋台の向こうに見つけ、あわてて追う。
 クレアが後をつけているのは、リディア・カールトンという名の娘だった。友人らしい女性と連れ立って、市を眺め歩いている。
 ときおりリディアは、妙な方向に視線を動かす。人の足元や、屋台のテントの上。そうして誰もいない方向に微笑みを向けさえする。
 彼女たちが立ち止まったとき、チャンスとばかりに近づいていったクレアは、自分も商品を選ぶふりをしながら、そっとリディアを観察した。
 はじめて間近で眺めれば、想像していたような完璧な美女、というわけではなかった。かといって、どこにでもいそうな少女というわけでもない。
 とにかく不思議な感じがする。たぶん瞳の色のせいだろう。
 金緑の瞳が強く印象に残るせいか、かわいらしく魅力的な女の子といっていいはずなのに、近寄りにくい気がしてしまう。
 視線を感じたのか、彼女がこちらを見た。クレアはあわてて目をそらした。
 リディアたちは屋台を離れてまた歩き出す。クレアもまたついていく。
 しばらくするとふたりは、屋台の隙間を抜け、奥へ続く細い道へと入っていった。
 どこへ行くのだろう。不審に思いながらも、クレアも路地へ足を向ける。角を曲がると、狭い通路の向こうに広場がある。
 こんな建物の裏手に広場があったなんて知らなかった。クレアは驚きながらも、にぎやかな広場へと進み出た。
 建物に囲まれた空間の中央には、大きな木が生えている。敷物を広げただけの露店が、所狭しと並んでいる。楽器を奏でる一団がいて、あたりで好き勝手に人々が踊っている。
 さっきまでの市の人混みと、似ているようで何かが違う。
 けれど戸惑いを感じたのはわずかな間で、すぐに何も気にならなくなる。
 それだけでなく、あらゆる気がかりが消えてなくなってしまったかのようで、クレアは急に楽しくなってきていた。
「お嬢さん、ひとつどうかね」
 露店の店主が、よく熟れたプラムを差し出す。なんていい匂いがするのだろう。
「お嬢さん、こっちはどうだい? あんたによく似合いそうだ」
 別の露店から声がかかれば、吸い寄せられるように彼女は近づいていった。白蝶貝の髪飾りは、見たこともない紅色の光沢を放っている。
 クレアは、何のためにここに来たのかも忘れ、リディアを目で追うことも忘れ、この路地裏のフェアに目を奪われていた。
 彼女は知らなかったのだ。
 ここは妖精の市。ときおり間違って迷い込んだ人間は、人の世を忘れ、帰ることができなくなってしまうこともあるということを。

            *

「リディア、すごいなあれ、ハープが勝手に鳴ってる」
 妖精の市をはじめて見るロタは、めずらしそうにあちこちに目を奪われていた。
 リディアにしても、久しぶりの妖精市場だ。
 ロンドンの妖精は、田舎ほど人と接点を持とうとしない。そのせいか、市場の噂を聞くことも、目にすることもなかったが、先日、家付き妖精から市が開かれると耳にしたリディアは、興味を感じ、親友のロタとともに来てみたところだった。
「妖精のフェアも、人間たちのフェアに負けないくらい立派なもんだな」
 ロタは、リディアが妖精と親しくしている変わった少女だと知っていても、変な目で見たりしない。彼女自身、亡国の大公女でありながら海賊に育てられた特異な女の子だが、お互い気が合っている。
「ロンドンじゃそれほど妖精を見かけないと思ってたけど、案外たくさんいるのね」
(そりゃあ違うぜ、青騎士伯爵のフェアリードクター。郊外や別の土地からもいっぱい集まってきてるんだ)
 近くで薬草を売っていた妖精が口をはさんだ。
 人と同じ大きさに見えるよう魔法を使っているが、目深にかぶった帽子から、とがった耳が飛び出している。そして彼は、リディアのことを青騎士伯爵のフェアリードクターだと知っている様子だった。
(結婚式があるからさ)
(式が終わるまでは市を開く。遠方から来た妖精たちが、ロンドンで途方に暮れないようにな)
「結婚式? 妖精の?」
(いいや、あんたのさ)
「へえ、リディア、有名人だな」
 驚くリディアに、ロタは茶化したように言った。
(青騎士伯爵の結婚なんて何百年ぶりだろう。こりゃ浮かれるしかないぜ)
「……そうなの。みんなで祝ってくれてるのね」
 妖精国に領地を持つという伝説の人物、青騎士伯爵は、正式には妖精国伯爵。今その位を継ぐエドガー・アシェンバートが、リディアの婚約者であり、近々式を挙げる相手でもある。
 どうやらそのことが、妖精たちの世界をにぎやかしているようだった。
(先祖が妖精国からやってきたって妖精族は少なくない。青騎士伯爵はイングランドの妖精にとっちゃとくべつな主人さ)
(結婚式はみんなで祝福するぜ)
 いつのまにか周囲に集まってきていた妖精が口々に言い、リディアの帽子に花を挿した。
 「あの、ありがと。でもみんな、羽目を外しすぎないでね」
 好意的なのはありがたいが、妖精は人の常識では計り知れないところがある。
 とはいえ、たいていの人間は妖精を見ることができないのだから、彼らが大騒ぎしてもいたずらをやらかしても、さほど問題にはならないのだろう。
「じゃあロタ、そろそろ帰りましょうか」
「なんだ、"青いもの"を買わないのか?」
「妖精の市で買い物はしないほうがいいわ。やっぱり、さっきの屋台で見かけたシルクのリボンにしようかしら」
 頷いたロタと歩きかけたとき、リディアを呼び止める声がした。
「おーいリディア、シリング銀貨を貨してくれ」
 いきなりずうずうしいことを言うのは決まっている。リディアの相棒の妖精だ。
「ニコ、あなたも来てたの」
 振り返ると、やはりニコがそこにいた。灰色の猫の姿をした妖精が二本足で立っている。
「ああ、これだけの市はめったにないからな。でさ、すてきなネクタイを見つけたんだ。銀貨一枚で買えるってさ」
 紳士ぶってネクタイを欠かさない妖精猫は、小さな手をリディアの前に突き出す。
「ネクタイ、たくさん持ってるじゃないの」
「あんたの結婚式に新品をあつらえたいんだ。身内が普段着じゃいけないだろ」
 猫にしか見えない姿なのに、身内として式に出るらしい。苦笑しながらも、リディアが銀貨を手のひらに載せてやると、うれしそうに彼は耳をぴんとさせて目を細めた。 (…この続きは本書にてどうぞ)

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