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言ノ葉は呪縛する
破妖の剣 外伝
ハヨウノツルギ ガイデン

著者:前田 珠子
イラスト:小島 榊
■ISBNコード: 978-4-08-601285-0
■判型/総ページ数: 文庫判/244ページ+口絵4ページ
■発売年月日: 2009年4月28日
   プロローグ

 マヤフの王都の守護に綻びが生じたのは、たった一枚の守護符の欠損がきっかけだった。
 マヤフを守護する強大な言霊の力を行使する『言の葉姫』―― 彼女の手による護りの言の葉を正確に再現印刷した守護符は、マヤフのほとんどの家の戸口に貼られていた。
 だから、普通に破れたり汚れたりしたぐらいでは守護が崩れることはない。
 しかし、彼女の力を正確に理解した何者かの関与が……それを可能とした。
 ただの破損や欠損では綻ぶはずのない守護の隙を突く形で最初の楔は打ち込まれたのだ。
 それが『言の葉姫』自身の手蹟に因るものであったなら、即座にマヤフの守護者は気づいたことだろう―― 国の中枢を担う者たちのために彼女自ら書いた守護符は、彼女自身と深く繋がっているのだから。
 しかし、損なわれたのは彼女の手蹟を再現したモノ―― 量が膨大である上に繋がりは薄く、しかも珍しいことではなかった。
 だから彼女は気づかなかった。
 気づけなかった。
 それがマヤフを……否、自分を狙う何者かの最初の布石であったことに。
 まさか、上級魔性たる妖貴が、自分を滅ぼすためだけに自ら乗り出してくることがあろうとは想像もしていなかったのだ。
 迂闊だった、と今更悔いても意味はない。わかっていても、言の葉姫は思わずにはいられなかった。
 もっと早く気づけていたなら――。
 視界の隅に、炎に包まれた王都が映る。
 ずっと自分が守護してきた街―― 代々の言の葉姫が護り続けてきたひとびとの暮らしが、命が……燃えている。否、灼かれているのだ。
 今、目前にある黒髪黒瞳の―― 人間には持ち得ない漆黒の色彩を纏う青年の操る炎によって!
「ここまでだ、言の葉姫」
 勝利を確信した口調で、漆黒の魔性が嗤う。
「王都は陥落した。お前が守るべき民も、お前を守るべき者たちもすでにここにはいない。いかに強大な言霊の力を駆使しようと、今のお前は自分自身すら守れない」
 広がる―― 焔。
 命が焼き尽くされていく。
 ぎり、と『言の葉姫』は唇を噛みしめる。
 護るべき民を護れなかった自分を嘲るように見つめる魔性を睨みつける。
 彼の勝利であることを否定はしない。できようはずがない。ここまで完璧にしてやられた上で、負け惜しみの言葉など、それこそ矜持にかけて口にできるはずがない。
 けれど―― 相手は魔性だ。
 圧倒的な力を有するがために、人間の力を過小評価しがちな傾向にある彼らだからこそ、つけ込む隙は……ある。
 マヤフを守護するためではない。
 どうせすぐに生まれ変わるのだから―― という理由で、自分を置いて安全な地に逃げ延びたマヤフの中枢を担う者たちに、今更どんな義理があるというのか。
 護るべき民も……灼き尽くされつつある。
 ただの水では消すことさえできない炎に襲われて、絶望の中で命を摘み取られていく王都の使人たち。
 護りきれなかった自らの不甲斐なさに歯噛みする思いはある。
 見捨てられた我が身を嘆く思いもある。
 だが、死を確信したこの今、最も強く心を占める思いは――。
 あの子のこと。
 年の離れた妹―― たった数日しか一緒にいられなかった、けれどその間に自分にかけがえのない奇跡を惜しみなく与えてくれた大切なあの子。
 あなただけは、絶対に護る……たとえ、そのために誰を……何を利用しようとも!
 そうして、そのための絶好の存在は目の前にいるのだ。
 漆黒の髪と瞳を併せ持つ上級魔性たる妖貴―― 世界に五十人ほどしかいないとされる、最強の力を持つ者が。
 くすり、と笑みを零し『言の葉姫』は最期に最大の力をこめた『呪』を発動した。
「お前が滅ぼした全ての人間の魂は、お前の中で解放されるそのときまで苦しみを訴えかけるだろう……そしてわたしはお前の魂そのものに重なり、人間がなにをどう感じるのかをお前に感じさせ続けよう」
 言の葉の力が発動し、それを察知した魔性が狼狽するのをしてやったりと小気味よく感じながら、言の葉姫は自ら男の生み出した炎に身を投じた。
 果てのない呪いとも、救済の扉とも受け止められる『言の葉』とともに。
 その日、マヤフの首都クタハは滅びた―― 炎の魔性によって。
 そして、マヤフの守護者たる『言の葉姫』が生まれ変わることはなかった――。


   1

 その日のことは忘れられない。
 リエンカが生まれてからずっと包まれてきた幸福で優しい時間が突然断ち切られるように終わりを告げた、あの日。
 冬の風の強い夜だった。
 息苦しさと異様な熱さに目覚めたリエンカが目にしたのは、一面の火の海だった。
 遠い王都を襲った大火事のことは聞いていた。
 冬は特に火事が出やすい季節だからと、街の皆も気をつけていたはず……なのに、これはいったいなんという悪夢だろう。
「父さん……母さん……?」
 呼びかけても燃えさかる炎の向こうから答える声は聞こえない。
「父さん! 母さん!」
 寝台から飛び起きて、両親の寝室へ向かおうとしたものの、それは果たせなかった。
 床にまで広がった炎の舌が、ちろちろとリエンカの進路を遮ったのだ。
 綿入れの上着にはすぐに着火しにくいということを彼女は知っていた。けれど足は……むき出しの素足は、靴がある部屋の隅までもつだろうか……いや、そもそも靴が無事に残っているかも疑問だ。
 リエンカの部屋は二階だった。扉がすでに炎に包まれている以上、残る出口は窓しかない―― しかし、炎は貪欲に窓掛けの布にまで舌をのばしており、窓のあたりも炎が支配している。
 どうしよう、とリエンカは途方に暮れた。
 こんなことが自分の身に降りかかるだなんて、想像したこともなかったのだ。
 勢いを増すばかりの炎を見つめながら、ぽつりと洩れたのは「わたし、ここで死んじゃうのかな……?」という呟き。
 即座に否定の答えが返ってきたことが、信じられなかった。
(…この続きは本書にてどうぞ)
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