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姫様とオレ様と
カゲトリバコをめぐる覚え書き
ヒメサマトオレサマトカゲトリバコヲメグルオボエガキ

著者:神代 明
イラスト:シンゴ
■ISBNコード: 978-4-08-630366-8
■判型/総ページ数: 文庫判/272ページ+口絵4ページ
■発売年月日: 2007年6月22日
   はじめに

『ねぇねぇ、聞いた? ブラスリィ伯爵の影が盗まれたんだって!』
『この間はモンテーニュ公爵夫人の影が盗まれたのでしょう?』
『公爵夫人は若い男と浮気してたってもっぱらの噂だ。公爵が影使いに依頼したんじゃねぇか?』
『影使いに影を奪われたら、あとは死ぬのを待つだけ、か。人の恨みは買いたくないねぇ』
 人々の噂話を頼りに、少年レックスは影使いを探し続けていた。
 両親がこの世を去って三年。遺産を全て金に換え、この北大陸サンド中を探し回った。ようやくその足取りがつかめた。
 影使い。人の影を奪うだけでなく、支配し、操ることも出来るという、影を扱うことに長けた特殊な魔法使い。
 影、というものは魔術的解釈によれば【精神】を表す。
 だから影を支配されれば肉体を支配され、影を奪われれば徐々に意識が薄れ、最後には消えてしまう。肉体もそれに呼応し、一切の苦痛もなく、 ゆっくりと死に至る。
「やっと、父さんと母さんの願いを叶えられるんだ……!」
 息を切らせながらレックスは情報屋から聞いた場所にたどりつく。
 朝のすがすがしい日射しが木々や花々を輝かせ、「世界は夢と希望にあふれている」……そんな錯覚を起こさせるような爽やかさに満ちた見晴らしの いい高台。
 レックスは息を整え、柵に一人手をかけ佇む長髪の青年を見上げた。そんなレックスの肩をどやすようにして、武装した五人の男達が青年目がけて 駆け上がっていく。
「貴殿が奪った伯爵様の影を返していただこう。無論、タダ、とは言わない」
 隊長らしき口ひげの男が剣を青年に突きつける。同様に他の男達も剣を抜き放ち、構える。伯爵の子飼いのようだ。荒事専門の。
 青年は小箱を手に、ゆったりとした動きで振り返った。黄金色の真っ直ぐな長い髪、色白で少し面長の顔、翡翠色の切れ長の目。彩りは暖かいのに それらをすべて凍らせるような伶俐な美貌。
「……残念ながら、依頼は完遂すべきものであって、譲歩も妥協も、懐柔もされてはならない。特に、貴族や王族相手では」
 外見の印象とは裏腹に、声は穏やかで妙に心地よい。口ひげの男は青年との距離を確認しつつ仲間達に目配せする。
 魔法というものは発動するために詠唱が必要だ。どんなに簡単な魔法でも、四節の言葉を唱えねばならない。この距離ならば、青年が何かを唱え終わる 前に切り伏せられる。こんな遮蔽物が何もない場所で堂々と立っているとは。しかも背後は柵で、そのむこうは人が下りられそうにない傾斜のきつい坂だ。 愚かとしか言いようがない。
 男の思考を読んだように青年が薄く笑った。手にした小箱も、朝日を浴びて螺鈿細工のような輝きを放つ。
 まるで、守護竜と宝珠のようだ。口ひげの男は頭の端で伝承の一部を思い出しながら、かけ声もなく青年に飛びかかった……はずだった。
「な、か、身体が……」
 口ひげの男は驚愕に顔を強張らせ、よろよろと歩き出す。青年の横を通り過ぎ、柵に足をかけ、頭から転げ落ちる。残りの男達も恐慌に駆られながらも それに続いた。
 重いものが落ちる鈍い音、骨が折れる乾いた音、輪唱のように続く悲鳴を聞きながら、レックスは青年に向かって歩いた。前に伸びる自分の影を 見つめながら。
 あの男達は、影使いがどうしてこんな拓けた場所で待っていたのか、気づかなかったのだろうか。こんなに濃く、くっきりと長い影が出来ている。そして この影を彼から隠せるものは何もない。
 つ、と、青年の影が一部伸び、自分の影に入り込んだ。あの男達の影に潜り込んだように。まだ身体の自由はきく。
 レックスは数歩進んでから歩みを止めた。そして自分に向けられるなんの感情も浮かんでいない冷たい眼差しを真っ直ぐに見つめ返し、腹の底から 声を出す。
「依頼をしたい! 影を、皇太子の影を奪ってくれ!」
 叫びながら懐から金が入った麻袋を取り出し、突きつける。全財産だ。青年の目元にうっすらと微笑みのようなものが浮かんだ。


その1 影というものは意外と大切なものらしい

 初秋、城内にある畑の端で、二人の少女が向かい合っていた。
 踊るような軽やかさで枯葉の山を作っている少女がサラ。この間十五になったばかりだ。動くたびに枯葉と同じ秋色の髪も、ふんわりと風に舞う。
 大輪の華にある派手な美しさはなかったが、春先に咲く小花たちのように可憐で伸びやかな輝きがあり、微笑まれると、つい微笑み返したくなる。 そんな愛らしさの持ち主だ。
「ルチルさん、用意出来たよ!」
 サラが頬を上気させながら手を叩き、紫色の眼をきらめかせると、もう一人の少女、ルチルは鷹揚に頷いた。
「了解ですぅ。ではではぁ、参ります〜!」
 ルチルは指先でメガネを持ち上げ、がば! と、両手を天に突き上げた。その動きに合わせて肩につけた濃紺のショートマントと大きな胸が揺れ、 光の加減で緑にも見える太いお下げが跳ねた。
 ひんやりとした朝の風を全身に感じながら、ルチルは一定の法則に従い両腕を複雑に動かし、呪文を唱え、
「……において、形を成せ。ヤシュキン!」
 カッと、金色の目を見開く。
 ルチルの指先から小石ほどの炎が迸った。その炎は綿埃のようにたゆたい、積み上げられた落ち葉にゆったりと着地し、枯葉をちりちりと燃え上がらせ 始める。
 ふはぁ。と満足げな溜息をついて、ルチルは額の汗を袖口で拭う。
「あとはぁ、焼き上がるのを待つだけですねぇ〜」
 パチパチとサラは拍手し、魔法を褒め称えた。
「いつ見ても魔法ってスゴイね! 便利だね! ルチルさんの新作お芋、楽しみ!」
 ルチルは人差し指を振りながら、にやりと笑ってみせる。
「今回のはぁ、甘みに重点を置いて品種改良したんですよぉ。サラ様にも手伝っていただきましたからぁ、きっとぉ、ぜーったい美味しいです!」
 枯葉の焼ける匂いと共に、煙が澄み切った青空に上っていく。サラとルチルが丹誠こめて育てた芋はどんな味になったのだろう。
 二人はそわそわと芋が焼き上がるのを待つ。焼けすぎても足りなくても美味しくない。たき火のまわりをくるくる回り続けるのも飽き、そろってしゃがみ 込んだ。
「そういえばぁ、今日、でしたっけぇ? アルーツ皇太子ご夫妻の子宝祈願は〜」
 つんつんとルチルが枝でたき火をつつくと、サラも同じようにたき火をつつき、頷く。 (…この続きは本書にてどうぞ)

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