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おいしいコーヒーのいれ方 2nd Season1
蜂蜜色の瞳
ハチミツイロノヒトミ

著者:村山 由佳
イラスト:志田 光郷
■ISBNコード: 978-4-08-703179-9
■判型/総ページ数: B6判変型 /212P
■発売年月日: 2007年5月25日
Open Arms


   1

 学食のコーヒーというやつは、どうしてこうもまずいんだろう。どう考えても、いっぺん淹れたあとの出がらしを使い回しているとしか思えない。
 そう言ってみたら、向かいに座ったネアンデルタール原田と星野りつ子は、そろってイヤそうな顔をした。
 原田先輩は、一日限定四十食のスペシャル定食が直前で終わってしまったのを、在学五年目のカオで(あるいはカオの怖さで?)おばちゃん から特別にもう一食、しかもたっぶりと大盛りで作ってもらったばかりだった。星野のほうはといえば、例によって、うどんとおしるこを交互に食い 終わったところだ。
「そりゃ、お世辞にもおいしいコーヒーとはいえないけど、」と星野は言った。「学食で『風見鶏』ばりの味を求めようとするほうが間違ってるよ。 和泉くん、足るを知るって言葉、知らないの?」
「知ってるさ」と僕は言った。「知ってはいるけど、ここまでひどい泥水にその言葉は使いたくないな」
 すると先輩が、
「いちいちうるせえぞ、お前」じろりとこっちを見て宣った。「文句言うなら飲むな。飲むなら黙って飲め」
「……ハイ」
 すいません、と僕は言った。まあ、ここは先輩が正しい。
 文句は多々あれど、とにかく熱いことは熟いから、飲めば体を温めるくらいの役には立 つ。季節はめぐり、部活で流した汗が、服に着替えて いる間にもう冷えるようになってきた。
 いつのまにか十月が終わろうとしている。かれんと鴨川で、つまりその、何というかあの、要するに、ああいうふうになってから、二か月ほどが、 過ぎたことになる。
 時間というものが、そのときの気分次第で伸ぴたり縮んだりすることはよく知っているつもりでいたが――この二か月くらい激しく伸び縮み する日々を、僕はこれまで経験したことがなかった。

   *

 いとこ同士として育ってきた僕ら――僕と、かれんと、その弟の丈――が、久しぶりに再会したばかりか、いきなり三人だけで一緒に暮らす ことになったのは、今からもう三年以上前。僕が高三になるまぎわの、春休みのことだ。
 きっかけは、僕らの親たちそれぞれの転勤だった。
 かれんと丈の両親であり、僕の死んだおふくろの妹夫婦である花村夫妻が、イギリスへ。そして僕の親父が福岡へ。
 その際、親父は、勝手にさっさと決めてしまったのだった。僕を花村家で生活させることと、さらには留守宅を人に貸すことまでも。
 目に入れても痛くない、可愛い一人息子を残していくのがいくら心配だったとはいえ、そんな大事な話をよくもまあこっちに相談もなく決めて くれたものだと思う。
 もちろん僕は、さっぱり気乗りがしなかった。
 何しろおふくろを亡くしたのが小学二年生のときで、それ以来、ずっと親父と二人きりで暮らしてきたのだ。自分のことくらい自分で出来るし、 炊事も洗濯も掃除も、人並み以上にうまくこなせる。いつどこヘヨメにいっても恥ずかしくないほどだ。
 でも、だからこそ一度くらいは一人になってのびのび暮らしてみたかった。せっかく手のかかる親父から解放されるかと思ったのに、ろくに 行き来もなかったいとこたちといきなり一つ屋根の下で暮らせだなんて、考えただけで気が重いじゃないか。
 けれど、そのことで相談を待ちかけた僕に、行きつけの喫茶店『風見鶏』のマスターは、ヒゲの奥で苦笑いしながら言った。

〈まあ、そう悲観したものでもないさ。じっくりつき合ってみれば、なかなか味のある連中だぞ〉

 偶然ながら、かれんと丈の姉弟をマスターもよく知っていたのだ。
 もちろん後からふり返れば、マスターがあの二人を知っているのは偶然どころかむしろ必然だったわけだが、この時の僕にはまだ何もわかって いなくて――マスターが監督を務める少年野球チームの四番が丈で、その縁で知りあったかれんもやがて常連になったのだ、といった程度の 話をそのまま鵜呑みにしていたのだった。

〈いいもんだぞ、家族がいるってのは。とくにお前みたいなのにとっては、何かとプラスになると思うがな〉

 マスターがやけにしみじみと言うのを、ほんの少し不思議に思ったことは覚えている。
 それに対して僕が、家族なんて面倒がかかるし、いればいるだけわずらわしいだけじゃないかと言ってみると、マスターは、それはお前が 親父さんの世話までしてたからだろ、と笑った。

〈だがなあ、勝利。お前はもう少し、人に甘えることを覚えたほうがいい。はたから見ててもわかるが、お前は何かと人から頼られるタイプだろ。 誰もがお前には悩みを打ち明けやすい。親身になって聞いてくれて、あとあとよけいな干渉はせず、しかも口が堅いとくれば、こんな理想的な 相談相手はいないわな。――もちろん、それもお前のいいところのひとつだし、俺だってお前のそんなとこを気にいってる。だが、お前自身は どうだ? 誰にも……たぶん親父さんにさえ、本気で甘えたことがない。違うか?〉

 あまりにも見事に核心を言い当てられて、あのとき僕は、ただうつむくしかなかった。グラスを磨き終わったマスターは、煙草に火をつけて 言った。

〈あいつらと一緒に暮らしてみたらどうだ、勝利。そうやって、守ったり守られたりする生活を、いっぺん味わってみるといい〉


 ところが。
 いざ一緒に暮らし始めてみると、「守ったり」のほうはともかく、「守られたり」するなんてことはまったく、全然、少しもなかった。親父と暮らして いた頃のほうがよっぽど楽なくらいだった。少なくとも、面倒を見る相手が一人だけで済んでいたからだ。 (…この続きは本書にてどうぞ)

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