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小説 初恋限定
ショウセツ ハツコイリミテッド

原作・イラスト:河下 水希
イラスト:平林 佐和子
■ISBNコード: 978-4-08-703200-0
■判型/総ページ数: 新書判ソフト/240ページ
■発売年月日: 2008年3月23日
   第1話 オレンジのメッセージ



 思春期の女の子はみんないろいろと悩むようです。






 真冬の空は澄んでいた。
 特に昼間の空の色は優しく、見上げる者の気持ちを清々しくさせる。
 しかしここにそんな空を見上げて、かえって闘志を燃やす少女がひとり。
 少女は空から視線を外し、目の前にそびえるビルを見つめた。
 三階建てのビルの一階はガラス張りの外壁のため、中の様子がよく見える。
 屋内に見えるのは清潔さにあふれた白い床。同色の壁には曇りひとつない大きな鏡がいくつも置かれ、鏡の前には自由に高さを調節できる椅子。
 そしてその椅子に座り、数人の女性が美容師に髪をカットされたり、カーラーを巻かれたりしている。
 そう、少女がまるで、赤い布をひらめかせて、突進してくる牛をにらむマタドールのような眼差しで見つめているのは、いわゆる美容院であった。
 それもごくごくありふれた普通の美容院である。闘志を燃やすこととはかけ離れた場所であった。
 しかし美容院を見つめる少女――本郷ゆかりにとって、これから踏み出す一歩は何度となく敗れてきた『自分との勝負』の第一歩であるため、気合が入るのも無理はない。 彼女はこれから美容院に入り、念願のあの言葉を言おうとしていた。
 美容院を利用するようになって約三年。その間、いつもいつも言いたくて、でも言えなかった、あの一言――。

「髪を伸ばしたいので、今日はそろえるだけのカットでお願いします」

 ゆかりは心の中でもう一度そのフレーズを繰り返す。実に何気ないこの一言。しかしこの一言がいつも言えないのだ。
(ううん、大丈夫。昨日寝る前にあれだけ練習したんだもん。今日こそは言える!)
 三か月前にショートカットに切り、それから少しだけ伸びた後ろ髪をそっと撫でて、ゆかりは美容院のドアを押し開けた。
「いらっしゃいませー」
 カウンターにいた店員が慣れた様子でゆかりを迎える。
「四時に予約をした本郷です」
「はい、お待ちしておりました。上着をお預かりしますね」
 店員の営業用スマイルにつられてゆかりも思わずにっこりと笑顔を返したが、次の瞬間はっとする。
(だめだめ! 相手のペースに乗せられたら最後だよ!)
 前々回この店に来たときは、ちょうどこのタイミングで自分も『営業用スマイル』になってしまい、あの一言を口にするタイミングを逃してズルズルと流されてしまったのだ。同じ失敗を繰り返してはいけない。
(今日こそは負けないんだから!)
 ゆかりが再度気合を入れ直していると、
「あの〜、お客様?」
「え?」
「どうかされました?」
 店員が不思議そうな顔で自分を見つめている。
 ゆかりは無意識のうちに拳を握りしめ、仁王立ちになって斜め上の天井をにらんでいた。
「え、あ、はははははは、いやー、ここの天井があまりにもきれいだから見惚れちゃって! 天井掃除って大変ですよね!」
「え? ええ、そうですね」
「こうモップとかを伸ばして掃除すると、天井のゴミが取れると同時に落ちてきちゃったりして『うわっ目、痛いー』みたいな!」
「…………」
「つか、この空気どうしたらいいのかなーみたいな……………えーっと、コートをお願いします……」
誤魔化すどころか思いっきりスベってしまったことに自己嫌悪を覚えながら、コートを店員に渡すと、ゆかりは空いていた椅子へ通された。
 椅子に座ると自然と鏡の中にゆかりの姿が映る。
 色白だが健康的な肌。薄い唇。伸びた前髪からのぞくのは黒目がちの大きな瞳。勝気な印象を与えるその瞳と、どことなく少年っぽさを持つ雰囲気が彼女を個性的な少女にしたてていた。
 ゆかりはじっと自分の顔を見つめ、そして小さく溜息をついた。
 どう見ても自分の顔は自分の理想とするところとかけ離れているように思えてならない。
 ゆかりの理想。
 たとえばそれは白いパラソルをさして、レースのワンピースを着て避暑地の湖畔を歩き、肩よりも長い髪がさらさら〜と揺れるような、そんな女の子らしい姿。
 そして長い髪にはワンピースとおそろいのリボンが結ばれていればなおのことよい。
(いい、絶対それいいよ! それこそ女の子! 本気是理想型!)
 ゆかりは自分の想像に思わず顔を緩ませた。
 想像はさらに膨らみ、湖畔には丸太で造られたバンガローが見えてくる。そちらに向かって歩く白いワンピースを着た理想的なゆかりが、長い髪の毛をさらりと揺らして、まるでシャンプーのCMのように振りかえる――。
 と、その顔はゆかりではなく、同じ手芸部で同学年の江ノ本慧であった。
 いくら想像したところでゆかり自身がレースふりふりのワンピースを着た姿は見えてこない。理由は簡単、似合わないと自分でもわかっているからだ。
「……だよねー、やっぱそういうのは慧ちゃんだったら似合いそうだけど、あたしのキャラじゃないし……」
 現実に引き戻されたゆかりは鏡の中の自分に向かって思わずぽつりと漏らす。
 鏡の中に映る自分はどう見ても白いパラソルよりも番傘を選んでウケを狙ってしまう、それがゆかりだった。
 しかしだからといって諦めるほど、ゆかりの理想型への思い入れは浅くはない。 (…この続きは本書にてどうぞ)

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