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ロケットスカイ
インディゴの夜
加藤実秋

スウィートトリック

     1

 公園通りの緩やかな坂道を下っていると、前方から抑揚のない声が聞こえてきた。メガネ店の名前入りジャンパーを着た若い女が、ポケットティッシュを配っている。
「お願いしま〜す」
 貼り付けたような笑みを浮かべ、女は私の前を歩く大学生風のカップルにティッシュを差し出した。手前の女が一つ取り、奥の男もわざわざ手を伸ばして受け取った。
 続いて、私が女の脇にさしかかった。差し出されるであろうティッシュをつかむために、片手を軽く上げる。しかし女は体を横にずらし、私の後ろに腕を伸ばした。
「お願いしま〜す」
 驚いて足を止めたが、女は知らん顔でティッシュを受け取った女子高生に礼を言っている。
 最近こういうことが増えた。新宿や銀座ではまずないが、渋谷では度々だ。配られているのはカラーコンタクトやネイルサロン、カラオケボックスの割引券つきのティッシュかチラシ。「年齢的に配布対象ではない」ということか。
「晶さん」
 名前を呼ばれ、振り向いた。路肩にダークグリーンの小型車が停まっていた。名前はわからないが、左ハンドル。男が四人乗っている。
「どうしたの?」
「こいつが車を買い換えたんで、慣らし運転に付き合ってやってるんすよ」
 歩み寄る私に、後部座席の男が答える。歳は三十手前。細身で、パーカにジーンズと服装はシンプルだが、ヘアスタイルは巨大アフロだ。奇抜なスタイルは見慣れているはずの渋谷の若者も、振り返って眺めていく。
「付き合ってるのは、僕らですけどね。慣らしもなにも、これ中古車だし」
 ため息交じりに、助手席の男が反論する。歳は二十代前半。華奢な体をシンプルだが仕立てのいいチェックのシャツと細身のブラックジーンズに包み、黒いプラスチックフレームのメガネをかけている。
「かわいいじゃない。あんまり見かけない車種ね」
 身を乗り出し、私は運転席に語りかけた。助手席の男と似たような年格好で、銀色のメタルフレームのメガネをかけている。
「よく気づきましたね。二十世紀末のプレミアムコンパクトカーで、諸事情から日本では発売されませんでした。マニアが並行輸入しましたが、全国で数十台。つまり、レアもの中のレア。ちなみに車名は──言うだけムダか。晶さん、前に同じメーカーの車を『マークがオリンピックみたいなやつ』って言ってたし。正しくは『マーク』ではなく、『エンブレム』ですけどね。念のため」
 答えたのは助手席の男。淡々と、しかしどこか偉そうに解説し、中指でメガネのブリッジを押し上げる。運転席の男も、「その通り」とでも言うようにメガネを押し上げて頷く。
 たちまち、巨大アフロが顔を険しくした。
「出たよ、なにげに上から目線。そりゃ晶さんは、テイッシュ配りにスルーされるほど浮いてるかもだけど、大先輩だぞ。お前らのお袋さんって言っても、通じる歳なんだからな」
「見てたの!? にしても、『お袋さん』はあんまり。ギリギリとはいえ、三十代だし」
「どうでもいいから、次のスポットに移動しようぜ。晶さんも一緒に行きます?」
 後部座席のもう一人の男が言い、私の眼前にスマホを突き出した。画面には、なぜかダッシュのポーズで立っている少年のブロンズ像や、太鼓橋があるトイレなどの写真が並んでいる。
「なにこれ」
「慣らしついでに、面白スポットを回ってるんです。題して『東京小ネタドライブ』」
 言いたいことだけ言い、スマホを引っ込めて膝に載せたノートパソコンを弄りだす。こちらは金髪のマッシュルームヘアで、一目で伊達とわかるフレームが桜の花の形をしたメガネをかけ、浴衣の生地でつくったと思しき鯉の滝登り柄のオールインワンを着ている。
 薄い唇をとがらせ、巨大アフロが黒メガネを指した。
「同伴出勤でドライブ、とかいう時に役立つでしょ? でもこいつ、文句ばっかりで」
「同伴で面白スポットに行きますか? ありかなしかと言えば……なしですね」
「はいはい、わかった。取りあえず店に行きましょう」
 ジェスチャーを交えて言い含め、私は勝手に後部座席のドアを開けて車に乗り込んだ。
 俄には信じられないが、彼らはホストだ。巨大アフロはジョン太といい、金髪マッシュルームヘアはDJ本気。もちろん源氏名だ。黒メガネは手塚くん、銀色メガネは酒井くんで、本名に「くん」を付けたものを源氏名としている。全員、所属は渋谷のclub indigoだ。雇い主は私と相棒で、フリーライターと担当編集者として出会い、ひょんなきっかけで一風変わったホストクラブの経営という「裏の仕事」を始めた。しかしこの店、なぜかやたらとトラブルに巻き込まれる。その度に私と相棒、店の仲間たちは走り回らされ、なんだかんだで間もなく十年になる。手塚くんと酒井くんはもう一人の川谷くんというホストも加え、二部こと昼営業の人気者だ。一方ジョン太とDJ本気は午後七時から始まる一部の古参ホストで、とくにジョン太はナンバーワン。いわば店の顔だ。
 駅前のスクランブル交差点を抜け、エクセル東急ホテルの脇にさしかかったところで、向かいからサイレンが聞こえてきた。駅の南口前を抜け、パトカーが数台走って来る。
 そのまま通り過ぎるかと思いきや、パトカーは私たちの手前で脇道に入っていった。道の先には、飲食店やオフィスの入った大小のビルが並んでいる。
「なにごとすか?」
「さあ」
 ジョン太が訊ね、私は首を傾げた。
「あれ? 久志さん」
 手塚くんの声に、ジョン太とともに振り向く。
 歩道をこちらに向かい、男が歩いて来る。歳は二十代後半。小柄骨太でややガニ股の体を白いシェフコートに包み、クロックスサンダルを履いている。酒井くんは、車を路肩に寄せた。
「ああ。どうも」
 こちらに気づき、久志はホストたちに手を上げ、私には会釈をした。しかし立ち止まる様子はない。心なしか、ごつい顔は青ざめ強ばっていた。
 気配を察知したらしく、ジョン太が車を降りた。
「どうかしたのか」
「俺、行かないと」
 切羽詰まった声で返し、さらに足を速めた。黒々とした太い眉の下の目は、パトカーが入った脇道のあたりに向けられている。私も車を降りた。
「でも店は? 確か今日は、新作のお披露目のはずよね」
 はっとして足を止め、久志がこちらを見た。
 午後三時から六時までの二部は客にカフェ感覚で楽しんでもらおうと、フードメニューを充実させている。主戦力は神楽坂のビストロから引き抜いた、パティシェ・久志。真面目で仕事熱心だが、見た目のごつさから店の仲間たちには「板前顔」「シェフコートより、ワイシャツとネクタイに開襟の白衣の方が似合う」とからかわれている。
「なにかあったんですか?」
 手塚くんたちも追いかけて来た。久志は戸惑ったようにみんなの顔を見回し、硬い声で答えた。
「知り合いが殺されたんだ」

 車は定員オーバーなので、私はタクシーを拾って久志と乗った。
 南口から玉川通りに出てガード下のトンネルを抜け、明治通りを恵比寿方面に向かう。狭い歩道沿いに並ぶのはチェーンのカレーや牛丼、ラーメン店で、格安の理髪店も多い。公園通りや井ノ頭通りとのギャップがすごいが、ここも渋谷だ。遅めの昼休みなのか、首からIDカードをぶら下げた、スーツ姿のサラリーマンと学生の姿が目立つ。
 少し行ってタクシーを降り、脇道に入って狭く短い橋を渡った。コンクリート護岸の底を流れるのは渋谷川。水たまり程度の水量しかないのに、ドブの臭いが漂う。
 橋を渡りきると、突き当たりはトンネルだ。上は以前は東急東横線の線路で、銀色の電車が川と並行して走っていた。地下化されて静かになったのはいいが、少し寂しい。
 トンネルの手前に建つ小さなビルに入り、エレベーターで二階に上がった。開いたドアからホールに出ると、先に到着したジョン太とDJ本気、手塚くんがいた。酒井くんは車を停めているのだろう。
 ジョン太が鉄製の大きなドアを開け、私とDJ本気、手塚くんと久志も店内に進んだ。向かいのキャッシャーの前に、てるてる坊主が二体立っていた。
「どうも」
「ちぃーす」
 よく見れば頭に白いタオルを巻いて白いポンチョを着た男で、どちらも二部のホストだ。
 また、ジョン太の顔が険しくなった。
「挨拶は『おはようございます』。何度言わせるんだよ」
「あ、すみません」
「や、わかってるんですけど」
 へらへらと笑い、お愛想程度に頭を下げる。
「その格好はなに?」
 進み出て、私は二人を眺めた。ポンチョはたっぷりしたつくりで、素材はナイロンだ。
「ショータイムに、女の子を何人かステージに上げて鈴木プリンスがヘアカットをすることになったんです。題して『お客さん改造計画』」
「ついでに俺らもカットしてもらおうと思って、待ってるんです」
「はあ」
 言葉を交わしながら、二人に続いて薄暗い通路を進む。ホストたちによる歌やバンド、ダンスなどのショーも二部の売りだ。
 吹き抜けのフロアに出た。コーナーごとにテイストの違うインテリアを配した客席が並び、中央には店の象徴ともいえる、インディゴブルーのデニム素材のソファが置かれている。渋谷川に面した大きな窓は、一部では引かれているベルベットのカーテンが開け放たれ、日差しが眩しい。窓の前には折りたたみ式のステージが設えられ、中央に置かれた椅子に白ポンチョ姿のホストが座っていた。傍らに立つのはハサミを手にした鈴木プリンスで、ハサミを動かしホストの髪をカットしている。
「おはようございます」
 私たちに気づき、手を止めて笑う。椅子のホストは、ポンチョの裾から出した手をひらひらと振って見せた。
 鈴木プリンスは元は青山の有名ヘアサロンの人気美容師で、体育会系のノリが合わずに辞めたと、入店時の面接で聞いている。ふざけた源氏名のせいで半信半疑だったが、ハサミさばきの鮮やかさからして本当のようだ。
 ちなみに椅子のホストはMcDonald(エムシードナルド)といい、てるてる坊主の二人は犬田ワンと猫山ニャン。その他にも、ここには「売れる気ないだろ?」と突っ込みたくなるような源氏名が溢れている。当然スタッフ一同に体育会系のノリは皆無で、たとえるなら「ゆるゆるの文化系」。その証拠に、開店準備をしている他のホストたちが私とジョン太に送ってくる挨拶も、明るく元気はいいが、ピースサインや変顔つきだ。
 手塚くんと久志は仕事に取りかかり、私とジョン太、DJ本気はフロア中央の螺旋階段を上がった。DJブースを備えたダンスフロアを横切り、カウンターバーの脇からバックヤードに入る。廊下の突き当たりが、事務所兼オーナールームだ。
「おはようございます。お待ちしておりました」

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