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吸血鬼と怪猫殿
赤川次郎

   スター誕生

「あ、狼男だ」
 と、誰かが言うのを聞いて、神代エリカがついそっちへ注意を引かれたとしても仕方ないことだろう。
 もちろん、エリカだって本物の狼男がいると思ったわけではない。大体、満月の夜でもない、真っ昼間の都会のど真ん中に、狼男が現れるというのが妙である。
「──どうしたの、エリカ?」
 一緒に歩いていたN大学の女子大生仲間、橋口みどりと大月千代子の二人、エリカが足を止めてしまったので、振り返って訊いた。
「あ、ごめん」
 と、エリカは言った。
「誰かが『狼男』って言ったのよ」
「狼男?」
 みどりがキョロキョロと周りを見回して、
「どこに? 見えないわよ」
「みどりなら、おいしそうだから、向こうの方から寄ってくるよ」
 と、千代子がからかう。
 太めのみどりは、ヒョロリとノッポの千代子をジロッとにらんだ。
「何だ、TVの撮影だ」
 エリカは、人だかりを見て言った。
 神代エリカは、本物の吸血鬼、フォン・クロロックと日本人の母の間に生まれたハーフ。吸血鬼の能力も(父ほどではないが)持っているので、聴覚が鋭く、「狼男だ」という声も他の二人には聞こえないのを拾ってしまったのである。
「あ、見に行こう!」
 大学生になっても、一向にミーハー気分の抜けないみどりは、早速その人だかりへと駆け出していた。
「みどり! ──ちょっと、みどり!」
 エリカが呼び止めてもむだ。苦笑いして、エリカと千代子もついていった。
「──今、人気のあるTVドラマの収録でしょ」
 と、千代子が言う。
「へえ。そんなの、あるの?」
「『月に吠える男』っていうのよ。狼男役の役者が上手でさ。迫力あるの。今、凄い人気なのよ」
 エリカは、ロケの周囲に群がっている中高生の女の子たちの隙間から、TVカメラと、その前に立つ男を見ることができた。
 決して二枚目という顔ではないが、渋くて味わいのある顔をしている。
「何ていう俳優、あの人?」
「狼男? 立花竜一。劇団〈K〉っていう、マイナーなお芝居、よくやってる人なの」
「へえ。じゃ、上手なんだ」
「うん。それにね、特殊撮影かもしれないけど、ピョンって机の上とかに飛びのったりするのが凄く身軽でね。びっくりするの」
 勉強一筋のような千代子も意外とTVの中身に詳しいことが分かった。
「女優さんもいる。──きれいな人だね」
「琴平めぐみだ」
「詳しいのね、千代子」
「エリカが、そういうことを知らな過ぎるのよ」
 こう言われてしまっては、エリカは一言もない。
「はい、じゃ、立花さん、向こうから走ってきて」
 と、ディレクターが指示を出している。
「琴平さん、休んでてください。呼びますから」
 しかし、そう言われた主演女優は、
「いいわ。この辺で見てる」
 と、傍の路上のベンチに腰をおろした。
 エリカは、みんなが狼男──といっても、今は普通のビジネススーツにネクタイという「人間」の姿である──の方を見ているのと逆に、女優の琴平めぐみの方に興味を引かれた。
「じゃ、そこ、人をどかして!」
 と、スタッフが大声を出す。
 しかし、何しろ人通りの多い道で、なかなかみんな動かない。
 すると、立花竜一がスタスタとそっちへ歩いていき、
「すみませんが、撮影ができませんから、少し退がってください。──はい、転ばないようにね! ──そう、もう少し」
 さすが、スターの言うことはみんなよく聞く。
 エリカは、立花が少しも偉そうにしないでファンに接しているのを見て感心した。そして目を琴平めぐみに戻すと──。
 今、二十七、八で、若々しさと女らしさが輝くようなその女優が、目をキラキラ輝かせながら、立花竜一の方をじっと見つめているのに気づいた。
 この人、あの男性に恋してる!
 エリカは別に恋愛のベテランというわけではないが、それでも一目で分かるほど、彼女の気持ちははっきりしていた。
「──千代子」
 と、エリカはつついた。
「何?」
「立花竜一って、独身?」
「違うよ。同じ大学で知り合った奥さんと、娘がもう十歳くらいになってるんじゃない? どうして?」
「別に……」
 こりゃ、もめるかな。──エリカは、遠からず立花と琴平めぐみの仲が、週刊誌をにぎわすだろうという気がした。

 何て美しい人だろう。
 ──琴平めぐみは、自分がそんなふうに考えていることに、初めはひどくびっくりしたものだ。
 これまでにも、いろいろな男を見て、「可愛い」とか「すてき」、「ハンサム」だと思ったことはある。何といっても芸能界にいるのだ。「いい男」には事欠かない。
 けれども、「美しい」と思ったのは、初めてのことだ。
「はい、それじゃ行きます。立花さん、いいですか? ──じゃ、スタート!」
 ディレクターの声が飛ぶ。
 ずっと先の角から、立花竜一が現れる。もう走っていた。
 そしてこっちへ走ってくる。──琴平めぐみは改めて思った。
 何て美しい人だろう……。
 ──めぐみも、初めて会ったときから、立花を「美しい」と思ったわけではない。
 むしろ、立花の役をやることになっていた、元ロックシンガーのファンだったので、共演できなくなって残念だった。そのせいで、「代役」の立花に好感を持っていなかった、というのが本当のところだ。
 それに、いくら他の役者が見つからなかったといっても、立花はほとんど無名で(実際、めぐみは全く知らなかった)、その点でも相手役として苦情を言うこともできたのだ。
 しかし、時間がないということも分かっていたし、めぐみは仕方なく立花を相手に、収録に入ったのである。
「あんなパッとしない男と、どうやってラブシーンやるの?」
 と、聞こえよがしにマネージャーに嘆いてみせたりもした。
 けれど、収録が始まると、立花はセリフもきちんと入っているし、ディレクターの指示に応じて、的確に演技を変えることができる。
 プロの役者なのだ、と認めながら、そう口にするのは悔しかった。
 ところが、初回の最後のシーンで、父の後を継いだ女社長であるめぐみが、社長の椅子に座って、大きな机越しに立花と対決するところ。
 立花をさんざん侮辱し、ののしると、じっとこらえていた立花がやがて体を震わせ始め、狼男としての顔を垣間見せる、という場面だった。
 ディレクターが立花に何か耳打ちしているのに、めぐみは気づいていた。
 そして、
「時間がないから、いきなり本番」
 と言われてびっくりする。
 それでも、立花に負けてはいられない、と必死で長ゼリフを頭へ叩き込んでおいたので、立花を怒鳴りつけるところは上手くやれた。
 立花が怒りに顔を真っ赤にし、握りしめた拳が震える。──それは、演技と分かっていても、めぐみが「怖い」と感じるほど、真に迫ったものだった。
 その怒りが頂点に達したときシナリオでは、立花はカッと目を見開いて、めぐみをにらむだけだった。
 ところが、突然、立花は二人の間の大きな机の上に、パッと飛び上がったのだ。そして両足を踏ん張って、めぐみを上からにらみつけたのである。
 立花は、飛び上がるのに、ほとんど腰を落としも、膝を曲げもしなかった。ただ、パッと宙を飛んで、机の上に立ったのだ。
 これにはめぐみもびっくりした。一瞬、思わず椅子の中で身を引いた。
「──OK!」
 ディレクターのご機嫌な声が飛んだ。
「めぐみさん、今の表情、リアルで良かったよ!」
 リアルも何も、めぐみは本当にびっくりしたのだ。
 それがディレクターの狙いだったということも分かったが、めぐみは、立花の体の凄いバネにただ圧倒されていた。
 それが、めぐみの立花に対する印象を一変させ、ドラマの収録が進むにつれ、ますます立花の「動き」は凄さを増した。
 二回目、三回目と進むうちに、視聴者の反応もふえ、しかもほとんどは「狼男役の役者は体を張っていて、凄い」というものだった。
 狼男に変身すると、立花は顔やら手の甲やらに毛をいっぱいつけて駆け回るのだが、二階のベランダから飛び下りたり、ロープにぶら下がって、道の向かい側のビルヘ飛び移ったり、という危険なことを全部自分でやっていた。
 めぐみは、その「動き」の美しさに、すっかりひかれていたのである。
 そして──今、立花は駆けてくる。真っ直ぐに、走る姿も美しかった。
 めぐみは見とれていた。
 立花がカメラに向かって全力で駆けてくる。
 だが、そのとき、
「キャーッ!」
 という叫び声が上がった。
 突然のことで、めぐみも思わず立ち上がっていた。
 立花も声のした方を振り向いたが、駆け続けていた。そう急に止まれるものではない。
 叫んだのは若い母親だった。
 二歳くらいの子供が、何を追いかけていたのか、車道へ駆け出してしまったのである。
 止めるタイミングを失ったのだろう、母親は後を追いかけようとしたが、車が次々に駆け抜けるので、車道へ出られないのだ。
 子供の方は、車が来ることなど全く気にしていない様子で、タッタッと駆けていく。そして、奇跡的に車の間をすり抜けて、ほとんど車道の中央まで行ってしまった。
 危ない! ──見ていた人々は、次の瞬間には子供が車にはね飛ばされるか、急ブレーキをかけた車が次々に追突するか、どっちにせよ惨事となるのを予想していた。
 そのとき、立花が車道へ飛び出したのである。
 めぐみは息を呑んだ。
 立花が、巧みに車の合間を縫って子供に追いつくと、パッと抱き上げた。
 そして、車の流れが信号で止まるのを待って、子供を抱いて戻ってきたのだ。
 一斉に拍手が起こった。立花は笑顔を見せていた。
 そこへ、オートバイが二台、猛スピードで突っ走ってきたのである。競走でもしていたのか、信号を無視して突っ込んできた。
 歩道へ上がろうとしていた立花を、そのうちの一台が引っかけた。子供は、危険を知った瞬間、立花が母親に向かって放り投げていた。
 めぐみが悲鳴を上げる。
 立花は、バイクに引っかけられると、コンクリートの路面に叩きつけられた。そしてバイクの方も横転し、火花を飛ばしながら滑っていった。
「──立花さん!」
 めぐみが誰よりも早く駆け出していた。
 そして、それに続いたのはエリカだったのである。

 
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