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眠る魚
坂東眞砂子

   II 0番線から

 成田空港に降りたった朝、私は萱に覆われた土手が背後に横たわるホームで、流海線の電車の来るのを待っていた。一時間に一本しかない赤字路線だけに、人影はまばらだ。過疎化のせいか、老人が多い。色褪せたオレンジ色のプラスティックの椅子に座り、ふと見上げれば、ホームの番号を示す黒い板に、「〇」という数字が白く浮きあがっている。
 〇番線。たぶん、流海線ができた時には、すでに成田線の上下ホームは造られており、2番線の隣に、3番線の場所はなかった。1番線の向こうに、〇番線を設けるしかなかったというところだろうが、これを目にするたびに、いつも落ちつかない気分になる。
 ゼロとは無だ。スーツケースを脇に置き、夏の強烈な陽射しに白く見える線路を眺めていると、存在しないホームで、存在しない路線を走る列車を待っているような感覚に襲われる。
 海外から帰省するたびに感じることだった。生まれた土地に戻れば、すべては無となる。異国で積み重ねてきた年月や経験など、無意味だと思える。それはこの国の醸しだす空気の強さのせいかもしれない。
 中国という長い歴史を誇る巨大国の横にへばりつくように浮かぶ小さな列島に住まい、日本語しか通用させず、単一民族であるという幻想を共有する、排他的な人々のもたらす空気は、日本以外の国で過ごした年月も経験も無に等しいと宣言する。うわべでは外国の意向を気にしているように見えても、底の底では、ダイヤモンドの如き強さでもって、異国というものを撥ねつけている。
 物思いに耽っていたので、アナウンスを聞きそびれたらしい。気がついた時には、ホームにクリーム色の列車が入ってきていた。
 スーツケースを引きずり、急いで列車に乗りこむ。冷房の利いた車内はがらがらだ。自動扉のそばのボックス席の窓側に腰かけた。
 駅前の町家の並びはすぐに消えて、列車は大竜川を渡りはじめた。この大河の流域は、県内でも有数の米所だ。瑞々しい緑色の稲穂の波が広がっている。
 私が高校に入るまで、家は専業農家だったから、子供の頃は、よく両親にくっついて田に出ていった。気持ちいいのか悪いのかわからない、ぬるぬるした泥の感触。水の張られた田の中を泳ぎまわるミズスマシ。タニシ取りもした。緑の苗のそよぐ初夏、黄金色に染まる秋、刈り入れが終わった後の茫漠とした晩秋の乾田。私の記憶の中の四季は、田と共にある。
 車窓から見える懐かしい光景に、ここもまた放射能に汚染されているのだろうかという想いが頭を過る。
 関東平野の片隅に位置するこのあたりは、事故十ヶ月余り過ぎてからネットで発見した地表の放射性セシウム沈着量マップでは、青や青緑色で示される地域に属していた。赤や黄色で色付けされた福島原発近辺の高沈着量地域ではないにしろ、土色系統の他地域より沈着量は高い。
 しかし、車窓から眺める田圃は何事もなかったかのように穏やかだ。緑の水田には夏の朝の陽射しが照りつけ、軽トラックが農道をがたがたと走っている。
 何事も起きなかったのだと、目に映るものすべてが力強い輝きでもって主張している。強力に、日本のゼロ地点に引き戻されていく。
 大竜川を過ぎたところにある常世原が、私の生家の最寄り駅だった。木造の駅舎も、寂れた駅前商店街も昔のままだ。かつて私はこの常世原駅の近くにある中学校に通っていた。ヘルメットを被り、駅前の通りを自転車でしょっちゅう走っていた。あの頃と何ひとつ変わっていない。変わったといえば、何もかもが古びて、くすんで見えるところだろうか。新築や改築された家や店が、そのセピア色の風景に新しい色彩を加えてはいるが、全体的な印象は同じ。ここもまた、何事も起きなかったのだ、すべてはこれまで通り、時の経過とともにゆっくりと古びていくだけなのだと執拗に主張している。
 風景ばかりではない。ぼんやりとした様子でバスを待つ母子連れ、自転車に前屈みになって、ゆらゆらとペダルを漕ぐ老人、迎えの車を待つ人々も、日常に倦んだような気怠い表情をしていて、とうてい危機的な放射能汚染に曝されているとは思えない。
 私は、ロータリーに停まっている『常世原タクシー』に近づいていった。スーツケースをトランクに入れるために出てきた白髪頭の運転手は、「あれっ、彩実ちゃんかぁ」と声を上げた。中学校の同級生、かおりの父親だった。
「ああ、お久しぶりです」
「なんやら外国に住んでると聞いたが、帰ってきたのか」
「ええ、ちょっと。父の葬式で……」
 かおりの父親は、空港の洗面所で黒いワンピースに着替えていた私の全身を今更のようにまじまじと見た。
「お父さん、亡くなられたのか」
「はい。数日前に」
「そりゃそりゃ……ご愁傷さまでした」
 私は黙って頭を下げただけだった。
 父の死に悲しむことのない自分に、我ながら驚いていた。長い年月の軋轢の間に、私の中で父は少しずつ死んでいったのだ。父の現実の死を知らされても、さほど衝撃ではなかったというところだろう。
 車に乗って、来迎ホールに行ってくれと頼むと、かおりの父親はエンジンをかけた。タクシーは駅前の通りに滑りでていった。
「だけど、わしと同じくらいの歳だろ。なんで亡くなったのかな」
 かおりの父親はしばらくハンドルを操った後に訊いてきた。
「急性心筋梗塞と聞いています」
 白髪頭が何度も浮き沈みした。自分も気をつけなくてはいけないと考えているのだろう。
「この夏は葬式が多いな。あっちこっちで、ぽこぽこ死人が出てるんだから。貴勝寺の坊さんも大忙しが祟って、倒れたらしいよ」
 貴勝寺は町でも由緒の古さを誇る寺だ。葬儀はその寺の住職に頼む家が多い。
「倒れた……」
「うん。今、療養中で、バイトのお坊さんが来て代わりを務めているって話。彩実ちゃんのお父さんのお葬式も、そのバイトのお坊さんじゃないかな」
 来迎ホールは、町の中心部から少し離れたところにある近代的な建物だ。ちょっと見にはパチンコセンターのようでもある。タクシーを降りて、スーツケースを引きずりながらエントランスロビーに入ると、喪服の人々でいっぱいだった。
 葬儀はもう終わったのかと思って、荷物を持ったままきょろきょろしていると、「彩ちゃん、彩ちゃん」と声がして、喪服姿の恭子叔母が出てきた。死んだ母の妹で、東京に住んでいる。
「よかった、間に合って。これから最後のお別れなのよ。今、葬儀屋さんがその支度をしているところ」
 恭子叔母は、相変わらずの人を小突きまわすような早口で告げた。会場のほうを覗くと、確かに黒服を着た男たちがてきぱきと動いている。
「その荷物、控え室に置いておくといいわ。聡美ちゃんがいるから。お坊さんにお布施を渡しに行ったのよ」
 すぐ横から「いや、荷物は俺の車に入れといた方がいい。火葬場に行って、そこで待つことになるんだから」という声がした。
 父の義弟、順助叔父の長男の広明だった。歳も近い従兄弟なので、子供の頃はよく一緒に遊んだ。遊ぶといっても、私を苛めて泣かせていた。今では子供時代なぞ存在しなかったかのように、小さいながらも工務店の部長になって、分別くさい顔で部下にあれこれ訓戒を垂れているらしい。
「じゃあ、そうさせてもらうわ。広明くんの車、どこなの」
「いいよ、俺が運んでおいてやるから」
 広明は私のスーツケースを持つと、てきぱきとホールの外に出ていった。
 とにかく姉に挨拶しておこうかと、恭子叔母に控え室の場所を訊こうとしていると、「みなさま、会場にお入りください」という葬儀社の社員の声がした。
「ああ、行かなきゃ。ほら、彩ちゃん」
 恭子叔母が私を促した。列席者たちもぞろぞろと会場に戻っている。
 私は恭子叔母に押しだされるようにして、棺桶の近くへと進み出た。すでに献花を置いた台のところに立っていた姉の聡美が、泣き腫らした目で咎めるように私を見た。遅れてきたことを暗に非難しているのだろうが、その底にはさまざまな恨みがこめられているように思えた。母の死の時にもそばにはいなかったこと、一人暮らしとなった父を訪ねるために、一度も帰省しなかったこと……。
「今、空港から着いたところなの」
 私は弁解のように姉に囁いた。姉は僅かに頷いただけだった。
 葬儀社の社員が、一人ずつ花を持って、最後のお別れをしてくださいといっている。喪主の姉から棺桶に近づいていく。私はその後ろについて、姉の肩越しに中を覗きこんだ。
 花に埋もれた父の顔は、安らかでも苦悶に満ちてもなく、ただ無表情だった。葬儀屋が死に化粧でも施したのか、顔色は白い。
 その死に顔を見ても、私の中には何の感慨も浮かばなかった。ああ、やっと死んだのか。薄情なようだが、それが素直な感想だった。
 ほんとうに、私の中ですでに父は死んでいたのだ。
 私は姉に続いて手にした白い菊の花を置いて棺桶から離れた。
 席に戻ると、姉はぼたぼたと涙を流していた。最後の別れを告げた親族はまるで感染症が伝染ったかのように泣きだしている。その中で私は涙ひとつ出てこないまま、ただ葬式が終わるのを待っていた。
 列席者がすべて最後の別れをすますと、棺桶の蓋が閉ざされた。釘を石で打ち、四隅を留める。ビニール袋に入れた、生前使っていた茶碗が割られた。それから葬儀社の社員が、五色の小さな幟や花などを渡しはじめた。姉は白い晒し布を肩にかけて、お盆を手にした。すでに誰が何を持つかは、近親者の間で決められていたらしく、恭子叔母が私に花束を渡してよこした。女たちは白手拭いを被れとも指示された。そして葬儀社の社員にいわれるまま、姉を先頭にして、狭いホールの中で左回りに巡りはじめた。
 数年前の母の葬儀で、葬儀社に頼んだ時にはこんな儀式はやらなかった。しかし、自宅で行った祖母の葬儀の時には、出棺前にやはり茶碗を割り、親族一同、幟や花を手にして庭先を三回巡ったものだった。子供心に、妙なことをするものだと思って、印象に残っていた。この葬儀社は、そんな地域の風習を取り入れた儀式を始めたのだろう。
 それにしても、まばゆい照明に満ちた四角形の近代的なホールで、昔の葬送儀式さながらに、白手拭いで頭を覆い、花や幟を手にしてぐるぐる回っていることに、私は滑稽感を味わった。
 鉄筋コンクリートの近代的なビルを建てても、相変わらず葬列の古風な儀式をその中で真面目な顔で行っている。
 これが日本であり、日本人なのだ。

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