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沖縄コンフィデンシャル
ブルードラゴン
高嶋哲夫

 第一章 秘 密

     1

 声が上がったのは、店の奥からだった。女性の悲鳴だ。
 反町雄太は反射的に立ち上がり、持っていたビールジョッキをテーブルに置くと奥に走った。その後に天久ノエルと赤堀寛徳が続く。
 ケネス・イームスが食べかけたハンバーガーを皿に戻すと、三人の後を追った。
 トイレに通じる通路は悲鳴を聞き、かけつけた客で溢れている。
 午後八時すぎ、那覇市、泊港近くにあるレストラン〈ウェイブ〉は、百名近く入る客席がほぼ満席だった。キャンプ・キンザーも近く、地元の若者に人気のある店で若いアメリカ人も多い。普段は陽気な英語の会話がいたるところから聞こえる。
 反町は人混みをかき分けて、最前列に出た。
 トイレのドアが開き、床に男があおむけに倒れている。女が男の上にしゃがみ込んでいるが様子がおかしい。男の胸に両手を当てて身体を揺すっているだけだ。目も視点が定まらず、泳いでいる。
 女は金髪だが日本人だ。まだ十代くらいに見える幼い顔をしている。倒れているのは白人の若者。GIカットで細身、二十歳を少しすぎたくらいだ。口元と床が嘔吐物で汚れている。
 反町は女を男から引き離して、男の脈と瞳孔を調べた。脈は弱く、瞳孔の反応は鈍い。頭を見たが打ったわけではなさそうだ。
「救急車を呼んでくれ。急げ」
 背後の人垣に向かって怒鳴った。
 反町の横に立つノエルがスマホを出して画面をタップしている。
 男を見つめていた赤堀が反町の前にしゃがんで顔をしかめた。
「酔っ払って倒れて頭でも打ったか」
「薬物をやったんだろ。それも、やりすぎたようだ」
 反町は床に座り込んでいる女を目で指した。
 集まっている人をかき分けて中年の男が入ってきた。黒服に蝶ネクタイ姿は店長か。
「あんたら、誰だ。ここでおかしなことをされちゃ困る。警察を呼ぶぞ」
「俺たちがその警察だ。ちょうど店に居合わせた」
「なんか証拠はあるのか」
 一瞬驚いた顔をした黒服が、よけい不審そうな眼を向ける。
 反町は赤いハイビスカス柄のアロハにジーンズ、スニーカーを履いている。いくらかりゆしウェアが公式の場でも認められる沖縄でも、反町の格好は浮いていた。おまけにサーフィン焼けで異常に黒い。
「非番なんで何も持っていない」
 反町を押しのけて赤堀が警察手帳を見せると、黒服と周りの者たちの表情が変わった。
「私たちは警察よ。すぐに救急車が来る。みんな、下がって。これじゃ運べない」
 ノエルがトイレをのぞき込んでいる若者たちに向かって言う。
「酔っ払って倒れただけです。搬送するので道を空けてください」
 黒服が若者たちにテーブルに戻るように言っている。
 ケネスが遠慮がちに倒れている白人男性に近づいて顔をのぞき込んだ。
「知ってるのか」
「知らない。この男、どうするんだ」
「意識がない。呼吸が浅く脈も弱い。病院に搬送する」
 反町は男が嘔吐物で窒息しないように身体を横にさせながら言う。
 救急車のサイレンが聞こえてきた。
「救急車が来ました」
 黒服が来て反町に告げると同時に、救急隊員がストレッチャーを持ってきた。
 ノエルが金髪の女性を立たせて救急隊員についていく。
 反町は赤堀と一緒に店の外に出た。
 救急車が店の前に赤色灯を回して停まっている。通りを行き交う人々が何事だという顔で立ち止まって見ていく。
 男が救急車に運び込まれるのを目で追いながら、ケネスがスマホで話している。
 ケネス・イームスはアメリカ海兵隊のMP、ミリタリー・ポリスだ。階級は三等軍曹で、下から数えて五番目にあたる。基地内では迷彩服に拳銃、警棒を下げているが、今はかりゆしウェアを着て短パン姿だ。素足に履いているのは赤いスニーカー。端整で高校生のような幼さを感じさせる童顔に赤みがさしている。元々はノエルの友人だが、最近は反町の貴重な情報源になっている。アメリカの機関が調査する沖縄情報のほうが、日本の警察より幅広く詳細なのだ。
 反町は男と一緒に救急車に乗り込もうとする女の腕をつかんだ。
「彼女には聞きたいことがある。赤堀、おまえが救急車に乗ってくれ。おまえは英語が喋れるだろう。男が気がついたときに、日本語が話せないと困る」
「なんで僕が行くんだ」
「こいつら、クスリをやってる。俺はノエルと女を県警に連れていく。すぐに応援を送る。それまで、男を見張っていてくれ」
 反町は赤堀の耳元で小声で言う。赤堀が口を開きかけたが、諦めたように救急車に乗り込んだ。
 救急車はサイレンを鳴らして、車をぬって走り去っていく。
 女の腕をつかんでパトカーを待っている反町とノエルのところに、ケネスがきた。
「彼はどこに運ばれたの」
「那覇の中央病院だ」
 ノエルが何か言いたそうな素振りを見せたが何も言わなかった。
「俺たちは県警本部に戻る。おまえはどうする」
「僕は家に帰る。とんだディナーだったね。今度、またね」
 二人に軽く手を上げ、ケネスが急ぎ足で通りを渡って行った。
 ケネスが住んでいるのはキャンプ・キンザー内の宿舎だ。
「あんた、なんでケネスに嘘をついたの。男が運ばれてったのは中央病院じゃないでしょ。私は聞いてない」
 ノエルが反町を睨んだ。
「倒れてたのは若い米兵だぜ。おそらく薬物でぶっ倒れた。命に別状はないと思うが、これから大変だ。日米地位協定が絡んでくる」
 正式には「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」という長い名だ。在日米軍と日本政府との取り決めで、米軍基地内での管理権や基地外での警察権をアメリカ側に認めるものだ。在日米軍には外交官並みの権利が与えられている。
「だったら、赤堀より私がついてったほうがよかった」
「米軍はすぐに動き出す。その辺はおまえのほうがよく知ってるだろ。中央病院にいなければ、ケネスはおまえに電話する。おまえはケネスに場所を言うだろ」
 ノエルは何も言わない。ノエルとケネスは古い友人なのだ。
 パトカーのサイレンが聞こえ、手を上げた反町の前にすべり込んできた。
 反町雄太、二十八歳、巡査部長。沖縄県警刑事部捜査一課の刑事だ。生まれと育ちは東京。都内の私立大学法学部を卒業後、学生時代から憧れていた沖縄に移り住んだ。一年の就職浪人の後、沖縄県警に就職した。
 女とノエルと共にパトカーに乗り込むと、反町は県警本部に行くように告げた。

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