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明智小五郎事件簿 Ⅺ
「妖怪博士」「暗黒星」
江戸川乱歩

 妖怪博士

     奇怪な老人

 空いちめん、白い雲におおわれた、どんよりとむしあつい、春の日曜日の夕方のことでした。十二、三歳のかわいらしい小学生が、麻布の六本木に近い、さびしい屋敷町を、ただひとり、口笛を吹きながら歩いていました。
 この少年は、相川泰二君といって、小学校の六年生なのですが、きょうは近くのお友だちのところへ遊びに行って、同じ麻布の笄町にあるおうちへ帰る途中なのです。
 道の両がわは大きなやしきの塀がつづいていたり、神社の林があったりして、いつも人通りのすくない場所ですが、それが、きょうはどうしたことか、ことにさびしくて、長い町の向こうのはしまで、アスファルトの道路が、しろじろとつづいているばかりで、人の影も見えないのです。
 空はくもっていますし、それにもう日暮れに近いので、泰二君は、なんだかみょうに心ぼそくなってきました。口笛を吹きつづけているのも、その心ぼそさをまぎらすためかもしれません。
 ところが、足早に歩いていた泰二君は、とある町かどをまがったかと思うと、ハッとしたように、口笛をやめて立ちどまってしまいました。
 みょうなものを見たようです。二十メートルほど向こうの道のまんなかに、ひとりのぶきみな老人がうずくまって、みょうなことをしているのです。
 老人は映画に出てくる西洋の乞食みたいなふうをしていました。長いあいだ床屋に行ったこともないような、モジャモジャのしらが頭、顔中をうずめた白いほおひげ、あごひげ、身には、くず屋のかごの中からでも拾いだしたようなボロボロの古洋服を着て、靴下もない足に、やぶれ靴をはいています。
 その乞食のような老人が、道路のまん中にうずくまって、はくぼくで地面に何か書いているのです。
 泰二君は、「おかしいな」と思ったものですから、町かどに身をかくすようにして、ソッと見ていますと、老人は地面に何か書きおわると、立ちあがって、うさんらしくキョロキョロとあたりを見まわし、そのまま向こうへ歩いていきます。
 泰二君は老人の立ちさるのを待って、その場所へいき、何を書いたのかと、地面のアスファルトの上をながめましたが、そこには直径八センチほどの丸の中に、十字が書いてあって、その十字の一本の棒のはしに矢のしるしがついているのです。
 年よりのくせに、こんなみょうないたずら書きをするなんて、あのおじいさん、気でもちがっているのかしらと、向こうへ遠ざかっていく、そのうしろ姿を見ますと、どうしたというのでしょう、向こうのまがりかどで、老人がまたうずくまっているではありませんか。そして、まえと同じように、地面へ何か書いているのです。
 相手がそこを立ちさるのを待って、いってみますと、やっぱり同じ丸の中に十の字です。そして、一本の棒のはしに、方角を示すような矢のしるしがついています。
「へんだぞ。ひょっとしたら、あのじいさん、何か悪だくみをしているんじゃないかしら。仲間に何かあいずをするために、こんな暗号みたいなものを書いて歩いているのかもしれない」
 泰二少年は、ふと、そんなふうに、うたがってみないではいられませんでした。
「よしッ、ひとつ、あのじいさんのあとをつけてみてやろう」
 そう心につぶやいて、少年は相手にさとられぬように注意しながら、ソッと尾行をはじめました。
 読者諸君は、小学生の泰二君が、こんな探偵みたいなまねをするのはへんだとお考えでしょうね。しかし、これにはわけがあるのです。
「怪人二十面相」や「少年探偵団」をお読みになった諸君は、よくごぞんじでしょうが、名探偵明智小五郎の少年助手小林芳雄君が団長となって、小学生十人ほどで組織している、少年探偵団という団体があるのです。そして、相川泰二君も、じつは、その少年探偵団員のひとりなのです。
 そういうわけですから、何か犯罪に関係のありそうなものに出あいますと、ついその秘密をさぐってみたくなるのも、むりのないことだったのです。
 さて、見えがくれに尾行をつづけていきますと、怪老人はそれとも知らず、ますますさびしい屋敷町へと、テクテク歩いていきましたが、みょうなことに、町かどへ来るたびに、かならず地面にしゃがむのです。そして、前後を見まわしながら、はくぼくで、例の丸に十字の符号みたいなものを書くのです。
「やっぱり、あいつあやしいやつだ。町のまがりかどに来るたびに、あの符号を書くのをみると、きっと仲間の悪者に、どこかへの道順を知らせるためにちがいない」
 泰二君は心の中でつぶやきながら、いよいよねっしんに尾行をつづけました。
 老人と泰二君とは、それから五つの町かどをまがりました。つまり丸に十字の符号が五つ書かれたわけです。ところが六つめの符号は、町かどではなくて、一軒の洋館の門の前の地面にしるされました。
 泰二君は、その町は今まで通ったことがなく、その洋館もはじめて見たのですが、これが今の東京にある建物かしらと思われるような、ひどく古めかしい、なんだか一世紀もむかしの西洋の物語にでも出てくるような洋館でした。
 ずっと赤いれんが塀がつづき、その中ほどのこけのはえた石の門に、唐草もようになった鉄のとびらがしまっています。その中にある建物は、同じ赤れんがの二階建てで、三角形にとんがった屋根には、むかしふうな四角い暖炉のえんとつがニューッとつきだしています。窓は小さくて数もすくなく、家の中はさぞうす暗いだろうと思われるような、陰気なうすきみの悪い建築です。
 そのれんが塀のかどに身をかくして、じっとようすをうかがっていますと、怪老人は、その石門の前の地面にうずくまって、ねっしんに例の符号を書いていましたが、それを書きおわって立ちあがると、またあたりをジロジロと見まわしてから、唐草もようの鉄のとびらに近づき、それを細めにひらいて、洋館の門の中へ、しのびこむように消えていきました。
「いよいよへんだぞ。あんなきたない乞食じいさんが、このりっぱな洋館に住んでいるはずはない。しのびこんで何かぬすむつもりじゃないかしら。それとも、もっとおそろしいことをたくらんでいるのかもしれないぞ」
 泰二君はそう考えますと、もう心配でたまらなくなりましたので、急いで門の前に近づき、とびらの唐草もようのすきまから、中をのぞきこんでみました。
 すると、ああ、どうでしょう。案のじょう老人は悪者でした。洋館の外を右がわへまわって、そこの窓をよじのぼっているではありませんか。家人にさとられぬよう、部屋の中へしのびこもうとしているのです。
「ああ、たいへんだ。どうしようかしら」
 と泰二君がまよっているうちに、怪老人の姿は窓の中へ消えてしまいました。中で何をしているのかと思うと、もう気が気ではありません。
 おまわりさんに知らせるのがいちばんいいことはわかっていました。でも、遠くの交番までかけだしているうちに、老人は目的をはたして逃げだしてしまうかもしれません。
「そうだ。玄関のベルをおして、ここの家の人に知らせてあげよう」
 泰二君はとっさに心をきめて、ソッと門のとびらをひらくと、足音をたてぬように気をつけながら、正面の玄関へかけあがっていきました。
 呼びりんのボタンをさがしますと、入り口の柱の上のほうについていることがわかりましたので、背のびをして、いっしょうけんめいそれをおしつづけました。
 ところが、いつまでおしていても、だれも玄関へ出てくるようすがありません。ひょっとしたら呼びりんの電線が切れているのかもしれないと思って、こんどは、玄関のドアをおしたり引いたりしてみましたが、かぎがかけてあるらしく、ビクとも動かないのです。家の人はるすなのかもしれません。
 門の外をふりかえって助けを求めようとしても、人通りはまったくありませんし、泰二君はこまってしまいました。といって、このまま賊を見のがして立ちさる気にはどうしてもなれません。名誉ある少年探偵団の名折れのようにさえ考えられるのです。
 しかたがないので、少しうすきみ悪くは思いましたけれど、思いきって怪老人のしのびこんだ窓の外へまわってみることにしました。
 相手にさとられてはたいへんですから、背をかがめ、足音をしのばせて、まるで、はうようにして、その窓の外まで、やっとたどりつきました。
 しかし、立ちあがって窓の中をのぞくのは、なかなか勇気のいる仕事です。もし窓の中の怪老人がこちらを見ていたら、たちまちとびだしてきて、泰二君をとらえてしまうかもしれません。いや、とらえるばかりならいいのですが、ピストルか短刀でも持っていたら、それこそたいへんなことになります。それを考えますと、窓をのぞくというだけのことが、命がけの冒険なのです。
 泰二君は、胸をドキドキさせながら、一ミリずつ一ミリずつ、まるでなめくじのはうような速度で、用心にも用心をして、窓のところへ顔をあげていきました。そして、長いあいだかかって、やっと部屋の中を、チラッとのぞくことができました。
 のぞいたかと思うと、泰二少年の顔色がサッとかわりました。黒目がちのかわいらしい両眼が、とびだすのではないかと思うばかり、見ひらかれました。何かしら、よほどおそろしいものを見たのにちがいありません。
 ああ、部屋の中にいったい何があったのでしょう。もしやそこには、あのぶきみな怪老人が、「おまえの来るのを待っていたぞ」といわぬばかりに、おそろしい顔で、こちらをにらみつけていたのではないでしょうか。

     美 少 女

 その部屋は客間らしく、まんなかにテーブルがあって、そのまわりに、みょうなかっこうのイスがならんでいました。なんとなくうす暗い陰気な部屋でしたが、すみずみが見わけられぬほどではありません。
 泰二君は、忙しく、そこを見まわしましたが、予期に反して、さいぜんの老人の姿はどこにもありませんでした。そのかわりに、テーブルの足のところに、老人などよりは、もっともっとびっくりするようなものがころがっていたのです。
 それはうす暗い部屋の中に、パッと一輪のバラの花が咲いたように、美しい色彩のものでした。ひとりの美しい少女なのです。目もさめるばかり、はでやかな洋装をした、十六、七歳の絵のように美しい少女なのです。
 しかし泰二君は、そのおねえさまの美しさにおどろいたのではありません。少女のむごたらしいありさまにギョッとしたのです。少女は洋服の上から、太いなわで、手足をグルグル巻きにしばられていました。口には白い布で、さるぐつわさえはめてあるのです。
「あの悪者の老人が、おねえさまを、こんなひどいめにあわせたんだな」
 泰二君はそう思うと、もうじっとしてはいられませんでした。美しい少女がかわいそうでしかたがないのです。あのおいぼれじじいと一騎うちの勝負をしても、このおねえさまを救わないでおくものかと、少年の胸には、勇ましいいきどおりがこみあげてきました。
 正面のドアはひらいたままになって、その向こうにズッと廊下がつづいているのですが、そこにも怪老人の姿は見えません。きっと、たったひとりでおるす番をしていた、この少女をしばっておいて、何かをぬすむために、奥のほうへはいっていったのにちがいありません。
「よしッ、このまにおねえさまを助けてあげよう。そして、おねえさまにかぎをかりて、老人を家の中へしめこんでしまって、おまわりさんを呼びに行くことにしよう」
 泰二君はとっさに決心しますと、窓のふちに両手をかけ、学校で習った器械体操の腕まえで、パッと身をおどらせ、みごとに部屋の中へとびこんでしまいました。それから、急いで少女のそばへかけより、ポケットからナイフを出して、なわを切り、
「しっかりしてください。ぼく助けに来たんです」
 と、少女の安心するようにささやきながら、だんだん手足のなわをといていきました。
 ところがみょうなことには、なわがおおかたとけてしまっても、少女は石のように身動きさえしないのです。
 気をうしなっているのかしらと、肩へ手をあてて、ソッとゆすり動かしてみました。
「しっかりしてください。きみ、しっかりしてください」
 でも、少女は少しも動きません。いや、そればかりか、なんだか手ざわりがへんなのです。やわらかいはずの肩の肉が、コチコチとかたくてぶきみにつめたいのです。
 泰二君は、それに気がつくと、思わずゾッとしました。このおねえさまは死んでいるのかもしれない。そして本で読んだ死後の硬直状態になっているのかもしれない、と思ったからです。
 泰二君は、どうしていいのかわからなくなりましたが、なわをといたのですから、さるぐつわもはずしてあげようと、顔の前にまわって、その白い布をとりさろうとしました。
 そして、少女の顔をつくづく見ますと、泰二君はまたしても仰天してしまいました。ああ、なんということでしょう。あんなにも胸をドキドキさせて、助けてあげようと骨折ったこの少女が、人間ではないことがわかったからです。それは、まるで生きているようによくできた、ろう細工の人形がしばられて、さるぐつわをはめられて、そこにころがっていたのです。
 いったいだれが、なんのために、こんなみょうなことをしておいたのでしょう。さいぜんの怪老人が、わざわざ人形をしばったりなんかするはずはありません。老人がここへしのびこむ以前から、この人形はしばられていたのにちがいないのです。
 ろう人形は、そこによこたわったまま、かわいらしいガラスの目で、じっと、泰二君を見あげていました。ほんとうに生きているように美しい顔です。お友だちの桜井君のおねえさまにそっくりです。
 泰二君は、なんだかこわくなってきました。魔法にでもかけられているような、おそろしい夢でもみているような、なんともいえないへんてこな気持ちです。
 あの怪老人はどこへかくれてしまったのか、さっきから、もう十分ほどもたっているのに、もどってくるようすもありません。この古めかしいうす暗い洋館の中に、たったひとりとりのこされたような、うすきみの悪いさびしさです。
 泰二君はしばらく、ものを考える力がなくなってしまったように、ぼんやりとそこにたたずんでいましたが、ふと気がつくと、いつのまにか、部屋の中がまっくらになっているではありませんか。
「おやッ」と思って、ふりむいてみますと、今しがたまでひらいたままになっていた、ただ一つの窓がいつのまに、だれがしたのか、がんじょうな鉄のよろい戸で、ぴったりとふさがれていることがわかりました。そのよろい戸が外からの光線をさえぎって、こんなに暗くなったのです。泰二君はびっくりして、そこにかけより、両手で力いっぱいよろい戸をひらこうとしましたが、おしても引いてもビクとも動きはしないのです。
 ああ、なんというへんてこな建物でしょう。外から見ただけでも、なんとなくうすきみが悪かったのですが、その部屋の中には、美しい少女の人形が、さも生きた人間のようなかっこうでしばられていたり、人もいないのに、ひとりでに窓のよろい戸がしまったり、まるで化け物屋敷ではありませんか。
 泰二君は、とうとう、まっくらな部屋の中に、とじこめられてしまったのです。出口をさがそうとすれば、奥の廊下のほうへ出てみるほかはありませんが、しかし、そちらには、あのきみの悪い老人が、ニヤニヤ笑いながら待ちかまえているかもしれないのです。
 泰二君はとほうにくれてしまいました。といって、いつまでもこの暗い部屋に、人形とふたりきりでいるわけにはいきません。だいいち、こわくてたまらないのです。少女の人形が、あまりよくできているものですから、暗やみの中で、ヒョッコリ立ちあがりそうな気がして、もういたたまれないほどおそろしいのです。
 そこで、怪老人に出あうのはかくごして、とうとうその部屋から、廊下へ逃げだしてしまいました。
 ビクビクしながら、廊下を見回しましたが、そのへんに、あの老人がかくれているようすもありません。家中がしいんと静まりかえって、ほんとうにあき家のような感じです。
 廊下はかぎの手にまがっていて、そのところどころにドアがついているのですが、どのドアも中からかぎがかかっているとみえ、とっ手をまわしてみてもあくようすもありません。みんなきみの悪い「あかずの部屋」ばかりです。泰二君は今にも泣きだしそうになるのを、やっとの思いでこらえながら、とうとう、廊下のいちばん奥にある部屋の前までたどりつきました。
 見ると、そのいちばん奥の部屋だけは、ドアが半分ほどあいているのです。「この中にだれかいるのかしら」と思うと、また、みょうにこわくなってきます。ドアがしまっていればしまっているで、うすきみが悪いし、あいていればあいているで、やっぱりこわいのです。
 でも、いまさらためらっているばあいではありません。泰二君は下腹にグッと力を入れて、勇気をふるいおこしました。そして、そのあいたドアの中を、ヒョイとのぞきこんだのです。

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