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ヒア・カムズ・ザ・サン
東京バンドワゴン
小路幸也

 梅に鶯、柳に燕、などと言いましたね。
 その他には、波に千鳥や松に鶴、あるいは竹に虎でしょうか。その二つが並んでいればそれはもう一幅の絵になり調和良く、見ているこちらの心持ちも良くなってくるという取り合わせです。
 わたしが住んでおります東京のこの辺りはやたらとお寺が多く、板塀、石塀、土壁の類の向こうの境内には緑豊かな木々や色鮮やかな花々が揃い、それに相和するように苔生した石なども並びます。
 一緒にそこにあるだけで心安らかになるのは、やはり長い年月を一緒に重ねたものですね。それは建物や自然だけではなく、人間同士もそうですよね。お二人並んでそこに立っているだけで、あぁ善き年月を重ねられたのだな、と、こちらにまで伝わってくるご夫婦などがいらっしゃいます。そういう方々が暮らす家もまた、決して派手だったりすることはなく、起きて半畳寝て一畳のことわざのように、慎ましくも穏やかに心地よさが伝わってくるお宅なのです。
 そして、そういう建物がこの辺りにはまだ数多く残っているのですよ。
 雨風に晒されてくすんだ色合いの板塀は枯れた味わいを醸し出し、掛けられた花籠の色鮮やかなお花の賑わいを一層引き立たせます。猫が通って尻尾を振れば両隣の家に触れるような小路に差し込む陽差しの下には、野に咲く花が開きます。角が丸くなり苔生した石段に、脇の木々に咲く花びらが落ちて絨毯を作ります。縁側に、軒先に吊るされた風鈴はあちこちで違う音色を奏で、子供たちの元気な声と混じって路地に響いていきます。
 そういう変わらないものが、変わらずにあってほしいものが、当たり前のようにここにはあり、いつでも胸にほっとする思いを与えてくれるのです。
 そういう下町で、築七十五年にもなる、今にも朽ち果てそうな風情の日本家屋で商いをさせていただいているのが我が堀田家です。
〈東亰バンドワゴン〉というのが屋号の古本屋なんですよ。
 私の義理の祖父である先々代の堀田達吉が、明治十八年にこの場所に家屋や蔵を建てて創業いたしました。今の時代でもどこか妙だと感じるこの屋号は、かの坪内逍遥先生に名付け親になっていただいたそうです。その当時からしてとてつもなく奇妙な名前であり、見た人聞いた人が皆一度は首を傾げたそうですね。
 若い方などは右から左に読む習慣などわかりませんから、看板を見上げて「ンゴワドンバなに東?」などと呪文のように呟いてしまうこともありますね。瓦屋根の庇に今も鎮座まします黒塗り金文字の看板は、すっかり褪せてしまいましたが、昔も今もわたしたち家族を見守ってくれているような気がします。
 明治の世から細々とですが商いを続けてこられて、平成の世もおおよそ四半世紀が過ぎました。隣に造ったカフェには〈かふぇ あさん〉という名前がついていますが、同じ家で呼び名が二つあっても紛らわしかろうと、普段はどちらも〈東亰バンドワゴン〉で通しています。

 あぁ、いけません。
 ご挨拶も済まさないうちに、長々と話をしてしまうのが癖になってしまいました。
 どなたの目にも触れないこの姿になって随分と長い時が経っていますので、お行儀も悪くなっていますね。相済みません。
 お初にお目に掛かる方もいらっしゃいますでしょうか。すっかりお馴染みの方も、皆さん大変失礼いたしました。
 わたしは堀田サチと申します。
 この堀田家に嫁いできたのは七十年近くも前の昭和二十年、終戦の年のことです。わたしにとっては青天の霹靂のような騒ぎの後での嫁入りだったことは、以前にも詳しくお話しさせていただきましたよね。それから長い年月、堀田家の嫁として、毎日騒がしくも笑いが絶えない日々を過ごさせてもらいました。

 大小合わせて何故か我が家に巻き起こる、少々お恥ずかしい騒動の顛末をお話しさせていただくようになって、どれぐらい経ちましたでしょうか。その度にどんどん我が家には人が増えていくような気もしますが、改めて、わたしの家族を順にご紹介させていただきますね。
〈東亰バンドワゴン〉の正面に立ちますと三つ入口があります。初めての方はちょっと迷ってしまうでしょうが、真ん中の扉はあまり使われることはありません。ですので、まずは左側のガラス戸から中へどうぞ。金文字で〈東亰バンドワゴン〉と書かれているそこが、創業当時から変わらない古本屋の入口になっています。
 戸を開けますと、これも創業時から並ぶ特別製の本棚の奥、三畳分の畳が敷かれた帳場に座り、文机に頬杖して煙草を吹かしていますのがわたしの夫であり、〈東亰バンドワゴン〉三代目店主の堀田勘一です。
 次の誕生日が来れば八十五歳になりますが、ご覧の通りごま塩頭の顰め面、大柄で背筋もしゃんとしています。まだまだ若いですね、と言えば「てやんでぇ、おべんちゃらは結構だ」などと悪態をつきますが、心の中では大いに喜んでいますよ。柔道四段の猛者で若い頃は喧嘩が三度の飯より好きと言われていましたが、こう見えて女性には優しく、そして涙脆いのです。古本の川で産湯を使ったなどと言うぐらいですから、様々なジャンルの文学はもちろん、芸術方面にも明るく、昔はバイオリンやベースなどの楽器も嗜みました。
 四人もいる曾孫が全員結婚するまでは死なないと言っていますから、あと二十年近くは元気でいてくれるのでしょう。
 あぁ勘一の後ろですね? 帳場の壁の墨文字が気になりますか。
 あれは我が堀田家の家訓なのです。
〈文化文明に関する些事諸問題なら、如何なる事でも万事解決〉
 創業者である堀田達吉の息子、つまりわたしの義父である堀田草平は、善き日本の民の羅針盤に成らんと新聞社を興そうとしましたが、生憎と世がそれを許さず志半ばとなり、心機一転家業の古本屋を継ぎました。その際に「世の森羅万象は書物の中にある」という持論からこれを家訓とすると宣言し、そこに書き留めたと聞いています。
 勘一の話では、まだ幼い頃にはこの家訓のお蔭で様々な揉め事や事件がこの店に持ち込まれ、義父は古本屋稼業よりもそちらの解決で忙しかったと聞いています。その数々の事件の顛末は義父が詳細に書き纏めていますので、いつか、皆さんにお話しできれば嬉しいですね。
 その家訓ですが、実は他にもたくさんありまして、璧に貼られた古いポスターやカレンダーを捲りますとそこここに現れます。
 曰く。
〈本は収まるところに収まる〉
〈煙草の火は一時でも目を離すべからず〉
〈食事は家族揃って賑やかに行うべし〉
〈人を立てて戸は開けて万事朗らかに行うべし〉等々。
 トイレの壁には〈急がず騒がず手洗励行〉、台所の壁には〈掌に愛を〉。そして二階の壁には〈女の笑顔は菩薩である〉、という具合です。
 今は家訓などという言葉自体を知らない方も多い時代でしょう。ですが我が家の皆は、老いも若きもできるだけそれを守って日々を暮らしていこうとしているのですよ。
 今、ハンディモップを持って本棚の掃除をしているのは孫の青のお嫁さんで、すずみさんです。とにかく本の虫で、中学生の頃から古本屋さんになるのが夢だったという今どき珍しいお嬢さんですよ。大学で専攻したのも国文学でして、本の知識はもちろん、古本の目利きに関しても勘一に引けを取らないと皆が言うようになりました。我が家に嫁いできて、もう何年になりますかね。一児のお母さんになったというのにその笑顔はまだ少女らしさを残して可愛らしく、当分の間は看板娘の看板は下ろしませんね。
 あぁ、どうぞご遠慮なく奥へ。帳場の横を通り抜けて、そこから居間に上がってくださいな。ええもうそこに寝転んでいる金髪頭の長い足はお気になさらず跨いじゃってください。上がり口に寝転んでいる方が悪いんですから。
 お行儀が悪くてすみません。それはわたしと勘一の一人息子、我南人です。
 あらご存じですか。そうなのです、もう六十半ばになったというのに、金髪長髪は相変わらずで、ロックミュージシャンをやっているんですね。巷では「伝説のロッカー」とか「ゴッド・オブ・ロック」などと呼ばれてもいるようですが、今でもファンの方がたくさんお店にやってきてくれますので、まんざら誇張でもないのでしょう。ツアーに出ていないときでもふらふらしてどこにいるのかわからない男でしたが、最近はこうし
て家にいることも多く、孫の相手をしてくれていますよ。このまま落ち着いてくれればいいのですが、どうなのでしょうね。
 居間の座卓でノートパソコンのキーボードを叩いているのが、我南人の長男でわたしの孫の紺です。
 大学講師を諸事情で辞めた後は、勘一の右腕として古本屋を手伝ってくれていたのですが、今はこうして物書きとして生計を立てています。シリーズになっています下町関連の本や、小説やエッセイなどの依頼もそこそこあるようでして、近頃はいつもこうしてキーボードを叩いていますね。曲者揃いの堀田家の男の中で唯一と言っていい静かなる常識人でして、堀田家の頭脳とも言われてます。地味過ぎるという声もありますが、地味で堅実なのは美徳なのですよね。
 ああ、お買い物に行っていたんですね。騒がしくてすみません。今、縁側を走ってきて滑って遊んでいる二人の小さな女の子と一緒に帰ってきたのは、同じく孫で紺の弟の青です。我南人の次男ですね。
 ご覧の通り、モデルさんも太刀打ちできないほどの美しい顔とスタイルは下町のプレイボーイとのあだ名もありました。ずっと旅行添乗員をしてきたのですが、今は忙しくなった紺に代わって、古本屋をすずみさんと一緒に支えてくれています。とはいえこの美貌を古臭い本屋に閉じこめておくのは勿体ないとカフェの方でも活躍してくれて、一児の父親、そして三十代になった今でも、若い女性のお客様には絶大の人気を誇っているんですよ。
 喉が渇きませんか? どうぞどうぞカフェの方へ。
 そこのテーブルに座ってコーヒーを飲んでいる和装のご婦人二人。美しさが際立つ女性は、日本を代表する女優である池沢百合枝さんで、実は青の産みのお母さんです。以前お話ししましたようにそれはもういろいろとありましたが、今はこうして、池沢さんも青も優しい笑顔でお互いに接することができるようになりました。
 もう一人のご婦人は、わたしと勘一にとっては妹同然の大山かずみちゃんです。終戦当時に戦災孤児となり堀田家に引き取られ、家族の一員として一緒に暮らしていました。亡きお父さんの遺志を継ぎ女医さんになって地域診療に力を注いできましたが、引退して堀田家に帰ってきました。お店に忙しい藍子や亜美さんやすずみさんに代わって子供たちの面倒をみたり、家事をこなしてくれたりと、堀田家の日常を陰で支えてくれています。かずみちゃんも池沢さんも隣の〈藤島ハウス〉というアパートに住んでいるのですよ。
 あぁ来ましたね。池沢さんとかずみちゃんに嬉しそうに飛びついていった二人の女の子は、紺の長女のかんなちゃんと、青の一人娘の鈴花ちゃん。同じ日に生まれて次の誕生日で四歳になるいとこ同士ですね。そうです、鈴花ちゃんのお祖母ちゃんが池沢さんになりますよ。
 こうして生まれたときからいつも一緒にいますから大の仲良しで、お互いに姉妹だとも思っているようです。以前はそれこそ双子のようにそっくりでしたが、今はそれぞれのお母さんに似てきました。いつも元気で活発で瞳がくりんとしているのがかんなちゃんで、目元涼しげで少しおっとりさんですぐにかんなちゃんの後ろにくっつくのが鈴花
ちゃんです。我が家の二人のアイドルも幼稚園に通い出して、たくさんのお友達ができましたよ。
 璧にたくさんの絵が掛かっていますね? あれはカウンターの中で並んで洗い物をしている、孫で我南人の長女の藍子と、その夫となったマードックさんが描いたものです。
 藍子は大学生の頃、教授だったすずみさんの亡きお父さんと恋に落ち、花陽を産んでシングルマザーとして育ててきました。その辺りの事情はずっとずっと自分一人の胸に納めていたのですよ。おっとりしていながらも意志は強く、案外頑固なのは勘一譲りかもしれません。そして芸術家肌というのですかね、どこか浮世離れした感覚の持ち主ですよ。
 そんな藍子に恋をしたイギリス人で日本画家のマードック・グレアム・スミス・モンゴメリーさん。大学時代に日本にやってきて、浮世絵など日本の美術と古いものに魅了されずっとご近所さんとして過ごしてきました。近頃は大学や美術の専門学校での講師のお仕事も増え、今は大学の専任講師をしていますね。
 藍子と結ばれて花陽の継父となりましたが、それはもう紆余曲折の長い長い物語がありました。でも、今では皆が家族として心から仲良くやっています。藍子もマードックさんも〈藤島ハウス〉に住んでいますが、朝から晩までほとんどこちらにいますので生活に変わりはありませんね。
 二人の隣でコーヒーを落としているのが、紺のお嫁さんの亜美さんです。元は国際線のスチュワーデスという才色兼備の娘さんで、どうして地味な紺と恋に落ちたのかは堀田家最大の謎と言われています。その溢れる才能と行動力で、我南人の奥さんだった秋実さん亡き後に、〈かふぇ あさん〉を造って我が家を甦らせてくれた立役者なのですよ。美術品やブランド品にも詳しいのですよね。今は、忙しくなった紺の代わりにお店の経理などを担当して、皆と一緒にカフェを切り盛りしてくれています。
 聞こえましたか? 二階から涼しげな歌声とギターの音色ですね。
 あれは、紺と亜美さんの長男で中学三年生の研人です。かんなちゃんのお兄ちゃんですね。勉強の合間に気分転換をしているのでしょう。幼い頃は元気で優しい男の子だったのですが、血は争えないのですね。祖父である我南人の影響を色濃く受けてしまい、ミュージシャンヘの道を考えているようです。我南人も認めていますし、実は既に研人が作曲に関わったヒット曲もありますので才能はそれなりにあるとは思うのですが、今は、何よりも高校受験の勉強に一生懸命ですよ。
 あぁ、今、塾から帰ってきて、カフェのカウンターに座ってお喋りを始めたのは、藍子の娘で高校二年生の花陽です。こちらはかずみちゃんの影響なのか、医者になりたいと言い出して、猛勉強の日々が続いています。つい最近、少し視力が落ちて眼鏡を作ったのですが中々似合っているのですよ。花陽のお父さんはすずみさんのお父さんで、つまりすずみさんと花陽は腹違いの姉妹という間柄。当初は多少わだかまりもあったようですが、女性陣では年齢がいちばん近いですから二人は大の仲良しです。
 かんなちゃん鈴花ちゃんと同じように、花陽と研人もいとこ同士なのですが、同じ家でずっと一緒に育ってきましたから、もう姉と弟みたいなものですね。
 まぁ本当にややこしくてすみません。毎度のことですが、このように家族を一通り紹介するだけでも一苦労ですね。複雑な関係もありますから頭が混乱するでしょう。
 はい、我南人の奥さんでわたしの大切な義理の娘、我が家の太陽だった秋実さんは、もう十年ほど前に病でこの世を去っています。向こうで会えるかと思っていたのですが、それももう少し先になりそうですね。
 そうそう、忘れてました。我が家の家族の一員の犬と猫たち。
 猫の玉三郎にノラにポコにベンジャミン、そして犬のアキとサチ。
 合計六匹の犬猫たちも変わらずに元気に家の中を歩き回っています。けれども、玉三郎とノラはもう高齢の猫でして、近頃は一日中縁側や居間で寝てばかりいます。尻尾が分かれてもいいですから、そのままずっと我が家にいてほしいとは思うのですがどうでしょうか。

 最後に、わたし堀田サチは、七十六歳で皆さんの世を去りました。
 終戦の年にこの堀田家に嫁いできて、思えば本当に賑やかで楽しい毎日を過ごしてきました。とても幸せで満ち足りた人生でしたと心残りもなく、皆さんに感謝して瞳を閉じたのですが、気がつけば何故かこうしてこの家に留まっています。孫や曾孫の成長を人一倍楽しみにしていたせいでしょうかね。どなたかの粋な計らいなのだろうと手を合わせ感謝して、いずれその日が来るまで、と、家族の皆を見守っております。
 幼い頃から人一倍勘の鋭かった孫の紺は、わたしがまだ家でうろうろしているのを知っています。ほんのひとときなのですが、仏壇の前で話ができることもあるのです。血筋というのですかね、紺の息子の研人もわずかな時間ですが、わたしが見えることがあるようです。そのときにはいつもこっそり、皆に気づかれないように微笑んでくれますよ。そして、研人の妹のかんなちゃんにもその血が受け継がれたようで、先日はわたしを見つめて「おおばあちゃん?」と微笑んでくれました。そのうちにお話もできたら楽しいのですが、どうなるでしょうね。

 またご挨拶が長くなってしまいました。
 こうして、まだしばらくは堀田家の、〈東亰バンドワゴン〉の行く末を見つめていきたいと思います。
 よろしければ、どうぞご一緒に。

 
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