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学園王国(スクールキングダム)
加藤実秋

     1

 頭はどいつだ?
 顎を引いて上目遣いに、沙耶香は左右を眺めた。
 正方形の教室に長方形の机と椅子が等間隔で並び、四十人ほどの生徒がいる。男女半々で、こちらを見て他の子と囁き合っている子、沙耶香と視線がぶつかると慌ててそらす子、知らん顔でスマホの画面や手鏡を眺めている子、様々だ。
「という訳でぇ、今日からこのクラスに仲間が増えました」
 教卓に手をつき、担任教師が告げる。歳は六十手前。バーコード頭に銀縁メガネ、これといった特徴のない顔立ちで着ているスーツも地味だが、ネクタイだけは明るい黄色地に黄緑のペイズリー柄だ。
「じゃ、所信表明を」
 覇気のない顔で振り向いた教師だったが、
「あ?」
 と首を傾け、眉間にシワを寄せた沙耶香に見返され、びくりと体を揺らした。
「挨拶だよ、挨拶ぅ」
「そんならそうと言えよ。てか、なんでいちいち語尾にちっちゃい『え』だの『う』だの付けんの?」という突っ込みを飲み込み、代わりに舌打ちを一つ。この教師、さっき職員室で聞いた名前は村瀬、国語担当だ。
 背筋を伸ばし、沙耶香は前を向いた。足を肩幅に開き、両手を後ろに回して腰の上で組む。いわゆる「応援団立ち」だ。
「大友です。夜露死苦(ヨロシク)」
「露」を巻き舌で言い生徒たちを見回すと、ざわめきが広がった。囁き声と忍び笑いに、椅子が動く音が混じる。
「ざわざわしなぁい……あと大友さん。それ没収ね。学校内には、腕時計以外のアクセサリーの持ち込みは禁止だから」
 村瀬が首を回した。視線は沙耶香が両手にはめた黒革の指なしグローブと、腰に垂らしたシルバーのチェーンに向けられている。
「はあ? アクセサリーじゃねえよ。いざって時に身を守る防犯グッズだ。ほら、小学生のガキがランドセルにブザーをつけてるだろ。あれと同じ」
 前の学校でさんざん繰り返してきた言い訳なので、すらすらと出る。村瀬は呆れて、頭髪とは反対にふさふさな眉を寄せた。
「屁理屈をこねない。校則違反だよ。生徒手帳を渡したでしょうがぁ」
「知らねえよ。校則と記録は同じもんだと思ってるから。その心は、『破るためにある』」
「大喜利? とにかく生徒指導室で預かるからぁ」
「ふざけんな!」
 食ってかかろうとして、沙耶香は教室の生徒たちの変化に気づいた。みんな呆気に取られた様子で、囁き声も消えている。さすがに気まずさを覚え、仕方なくグローブとチェーンを外して村瀬に渡した。
「あなたの席、あそこだから」
 村瀬が真ん中よりやや後ろの空席を指し、沙耶香は足元に置いたスクールバッグをつかんで教壇を降り、机と机の間の通路を歩きだした。傍らの席で、まだ目と口をぽかんと開けたまま見ている男子がいたので、ガンを飛ばしてやった。
「ダサっ」
 笑いを含んだ女の声が耳に届いた。立ち止まり、沙耶香は首を回した。
「んだと、コラ!」
 再び、教室内に静かなざわめきが起きた。
 廊下に面した壁際の一列。後ろから三番目の席の、痩せた背の高い女子だ。顔を背けるようにして後ろの席の女子と話しているが、間違いない。沙耶香が歩み寄ろうとした刹那、黒板の上のスピーカーからチャイムが流れた。
「朝のホームルームは終わり。後はよろしくぅ」
 逃げるように村瀬が出て行き、生徒たちも一斉に立ち上がった。

 授業開始まで少し間があり、校内は騒がしくなった。二年C組も生徒たちがお喋りしたり、歩き回ったりしている。沙耶香は自分の席にふんぞり返り、脚を前に投げ出して座っていた。
 頭はどいつだ?
 さっきと同じ疑問が浮かんだ。胸の前で腕を組み不機嫌そうな顔をつくりながら、横目で教室内を覗う。
 男女それぞれにいくつかのグループがあり、各所に集まっている。茶髪や化粧、ピアスなどハデめな子もいるが、わかりやすくいかつかったり、物騒なオーラを発したりしている子はいない。沙耶香に声をかけてくる子も皆無だが、ちらちらと見られるのを感じた。視線の意味は驚き、嘲笑、怯え、好奇心……。
 濃紺のブレザーに白いワイシャツと臙脂のネクタイ、紺地に緑のタータンチェックのプリーツスカート、濃紺のハイソックス。身につけている制服は他の生徒と同じだ。しかし沙耶香はワイシャツのボタンを外してネクタイをゆるめ、ブレザーの袖は二つ折りにして、紫のヒョウ柄の裏地を覗かせている。スカート丈は他の女子生徒が膝上なのに対し、足首が半分隠れる超ロング。毛先をすいたミディアムショートの髪は金色に近いライトブラウンで、唇には黒い口紅を重ね塗りしていた。
「どヤンキー。あり得なくない?」
 また女の声がした。沙耶香は素早く体を起こし、振り返った。
 教室後方の窓際に、十人ほどの男女が集まっている。みんなハデめで、真ん中にさっきの痩せた女子がいた。毛先を軽く巻いたダークブラウンのロングヘアで色白、はっきりした目鼻立ちの美人。しかし、頬に入れたオレンジのチークは明らかに濃すぎる。
 立ち上がり、沙耶香は女子を見据えた。
「ざけんなよ! 私は」
「大友さん」
 後ろから明るく話しかけられた。振り向くと、男子が一人。すらりと背が高く、手脚も長い。顎の細い顔には、フレームの細いメガネをかけている。
「クラス委員の片岡奏です。ようこそ二年C組へ。一時間目は自習だから、校内を案内するよ」
「いらねえ。面倒臭せえ」
「そう言わずに。村瀬先生の言いつけだし、場所を覚えておいた方がいいと思うよ。トイレに体育館、保健室。それと、生徒指導室」
「生徒指導室!? よし、連れて行け。グローブとチェーンを取り返す」
 胸に闘志が湧くのを感じながら、沙耶香は席を立った。微笑んで頷き、奏は顔を横に向けた。
「水野萌さん」
 呼ばれて振り向いたのは、教室の真ん中に集まっている女子のグループの一人。仲間たちの会話には加わらず、手にした淡いピンクのスマホをいじっている。
「えっ、私!?」
 心底驚いたような顔だったが、奏は続けた。
「大友さんの隣の席だし、ここがどんなところか、きみならよく知ってるでしょ」
 萌は無言。笑顔をキープしたまま、メガネにかかった前髪を払う奏を見返す。
 いつの間にか教室内はしんとして、みんながこちらに注目している。その視線を気にするように、
「行けばいいんでしょ」
 早口で告げ、萌はグループを離れた。沙耶香の方は見向きもしない。
 出入口のドアに向かって腕を伸ばして促す奏に、「王子様かよ」と小声で突っ込みを入れながら、沙耶香は歩きだした。萌もついて来る。
 三人で教室を出て、廊下を進んだ。
 床はビニールタイルではなく毛足の短い灰色のカーペット敷きで、左側三分の一ほどは鮮やかなオレンジだ。片側に並ぶ教室のドアもオレンジで、四角い窓の奥に授業中の生徒の背中が見えた。反対側は窓で、眼下は中庭らしきスペース。ウッドデッキになっていて、教カ所にベンチと色とりどりの花が咲くレンガづくりの花壇、真ん中には小さな噴水もある。
「二階が一年生の教室で、上の四階には三年生がいる。あ、ここは図書室だよ。向こうがパソコンルーム」
 隣を歩く奏が片手でメガネのフレームに落ちた前髪を払いながら、もう片方の手で足元や天井、傍らのドアを指して説明する。
「あっそ。で、生徒指導室は?」
 あくび混じりに指された方をチラ見し、沙耶香は返した。
 つくりと広さは沙耶香が前にいた高校と似ているが、図書室には外国語の本や雑誌が目立ち、パソコンルームに並ぶ液晶モニターとキーボードは教が多く、どれも真新しかった。
 階段で一階に下り、エントランスに出た。広々としていて、スチール製の下駄箱がずらりと並ぶ靴脱ぎ場は吹き抜け。出入口のガラスドアとその上の窓から、日差しがさんさんと射し込んでいる。奥には、ゆるやかなカーブを描く、白くて大きな階段も見えた。
「今朝来た時も思ったけど、ここ、広すぎじゃね? ひょっとして、体育館も兼ねてんの?」
 吹き抜けスペースに出て天井をあおぎ、沙耶香は訊ねた。興味を惹かれ、つい子どものように「あ! あ!」と声を反響させてしまう。
「まさか。体育館は向こうだよ」
 ふっ、と笑い、奏は前進を続けた。沙耶香もエントランスに戻り、歩きだす。萌を探すと、数メートル後ろにいた。さっきから関わり合いたくない、とでも言うように押し黙り、スマホをいじっている。丸い小額で小動物系のかわいらしさがあるが、体つきとショートボブの髪型も相まって小学生に見えなくもない。
 壁がガラス張りの渡り廊下を抜け、体育館に入った。
 ワックスで光るフローリングの床に蛍光灯が並ぶドーム型の高い天井は、沙耶香の前の学校と同じだが、二階部分がフロアを囲むかたちで階段状の客席になっている。どこかのクラスが授業中で、濃紺のジャージ姿の女子が壁に取りつけられたバスケットボールのゴールの前で、シュートの練習をしている。
「奥のドアはトレーニングジムとシャワールーム。ここはメインアリーナで、地下には少し狭いサブアリーナもある。で、隣は講堂」
 奏が言う。ボールの音と生徒たちの声がうるさいので、身をかがめ沙耶香の耳に口を近づける格好になる。戸惑って横にずれ、沙耶香は声を張り上げた。
「ジム!? しかも、体育館と講堂は別なのかよ。すげえな、ここ。なんて学校だっけ?」
「名前も知らないで転校してきたの?」
「文句あるか?」
 斜め下から睨めつけ、「る」を巻き舌にしてすごむと奏は慌てて首を横に振り、前髪を指で押さえた。
「私立代官山学園高等部。大友さんは、公立高校にいたんだっけ。場所はどこ?」
「埼玉」
「なるほど」
「埼玉っつっても、秩父や飯能のド田舎とは違うぞ。うちの地元は、渋谷や横浜の中華街に電車で直に行けるんだ。しかも、平日の昼間だと三十分に一本の間隔で」
「ジュン先生!」
 鼻息も荒く語り始めた矢先、萌に遮られた。フロアに身を乗り出し、笑顔で手を振っている。沙耶香も目を向けると、ゴールの下に立つ体育教師らしい女が手を振り返し、歩いて来た。
「おはよう。転校生の案内? 村瀬先生から聞いてるわよ」
 歳は三十手前だろうか。黒いナイロンジャージ姿で首からホイッスルを下げ、長い髪を無造作に束ねている。
「うん。アヤカちゃんっていうの。もう仲よしになっちゃった」
 満面の笑みで、萌が沙耶香の腕に手を絡ませた。面食らい、沙耶香は振り払う。
「なんだよいきなり。アヤカじゃなく、サヤカだし」
「二年C組の副担任の加藤ジュンです。困ったことがあれば、なんでも言ってね」
 ジュンが沙耶香の肩を叩いた。口調と仕草ははきはきとしているが、笑顔は柔らかく優しげだ。つい沙耶香も、「はい」と返してしまう。
 もと来た道を戻り、隣の建物に入った。着いたのは横長の広い部屋で、床は白黒モザイク模様のビニールタイルで、横長の白いテーブルと白い椅子が並んでいる。片側の突き当たりはステンレスのカウンターを備えた厨房、反対側の壁際には食券や飲み物の自販機があった。
「学食か」
 漂うカレーの香りに鼻をひくつかせながら、沙耶香はテーブルの間の通路を進んだ。

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