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ニッポンぶらり旅
山の宿のひとり酒
太田和彦

 青梅 2014年4月

     早春の御嶽神社詣で

 春が来た。長かった冬は都会の夜の居酒屋にばかりたむろしていた。早春の野山を歩いて心身を清めるときだ。
 新宿から九時四分の電車に乗り、九時四十四分、立川で青梅行きに乗り換え、ここからは各駅停車。十時二十二分、青梅で奥多摩行きに乗り換えた。空いている車内は折り畳みストックを手にした中年山歩き夫婦、ナントカOB会小旗の高年ウオーキンググループ。このあたりの学校らしい学生など。
 風景は町から田園に変わり、土手は黄色の菜の花、白や菫色の草花、群生する水仙、黄色の連翹が滝のようにしなだれる。よく手入れされた家の庭には白い木蓮、紅梅が満開、大きな柑橘も実る。傘をさした子供三人が踏切で通過を待つ。平和な春だなあ。
 山間に入ると、無制限に枝をひろげた桜の大樹が、折り重なるように山肌に咲き誇り圧倒される。のんびりした電車を十時四十分、御嶽駅で降りた。
 東京は西に地理が延び、ここまで来るともう深い山間だ。
 早春の山を歩くと、植物の芽吹きの生命力を全身に浴び、人間の体も若返るという。大菩薩峠に登った年はたしかに一年を快調に過ごした。春の今ごろになるとまた行こうかなあと思う。梅林を歩いて鉱泉に浸かるハイキング。夏は岩壁のクライミング、滝水を浴びる沢登り、鳩ノ巣渓谷のキャンプ。秋は檜原村の日帰りドライブ。私は東京の良さは奥多摩の渓谷にありと何度も来ている。今回は御岳山・御嶽神社参りだ。春先に清浄な山の神社に詣で、今年一年の生きる力をいただこう。
 山頂の御嶽神社へはケーブルカーで上がる。その乗り場まで行くバスが駅前からすぐ出るが、雨がぱらつき始め、ここで傘を買っておかないともう上にはない。バス外で煙草を一服する運転手に、そこのコンビニで傘を買うので少し待ってくれと言うと、どうぞどうぞと店の方へ手を差し伸べた。
 乗ったのは私一人。運転手は雨の日に客があったのがうれしいらしく、ただ一人の乗客のためのアナウンスにはりきる。「お客様にお知らせいたします。次のケーブルカーは十一時十五分、ケーブル御岳山駅までおよそ六分で到着します。料金は片道五九〇円、往復一一一〇円でございます。このバスの次の停車は琴沢橋です。途中カーブの揺れがありますが……」
 初めの一の鳥居も琴沢橋も朱塗りで山頂の神社を予告する。バス終点からケーブルカー乗り場までは案外離れた上り坂で早くも息が上がり、こんなんじゃだめだ。
 両端から上下同時に出発して真ん中ですれ違うケーブルカーは隅に〈ペット連れのお客様はこちら〉と優先席がある。乗客のジャンパー姿の五十代らしき手ぶら男六人組はよくしゃべり、携帯電話の大声は「それは大型(免許?)持ってなきゃダメ、いい、明日やる」。どうやら今日は休みで仲間と神社参拝なら感心なことだ。高低差四百二十三メートルを上って出るとひやりと寒い。
 そこからは山の中腹に沿う水平道が快適だ。透明ビニール傘ごしに見る、雨にかすむ春の木々の若葉が美しい。木立を抜けると講中参りの宿坊がいくつも続く人家になった。〈犬はリードをつけて……〉の注意書きが目立つのは犬連れが多いのか。
 崖の巨木は国指定天然記念物だ。説明の指定書(昭和三年二月)によれば、〈御岳ノ神代欅 周囲二丈八尺 高サ十丈 幹根ハ崖ノ傾斜面ニアリテ、巨大ナル瘤ヲ出シ樹枝多ク分枝シテ古木ノ雄相ヲ示セリ。(中略)日本武尊東征ノ折此山ニ登リテ甲冑ヲ蔵ス。此時已ニ此欅生ヒ茂リテアリ。以テ神代ヨリ存スト云フ……〉
 周囲八・二メートルの欅は存在感たっぷり。東征の日本式尊もこの木肌をなでたか。


   講中碑

 昼どきになり腹がへった。どこかで景色を見ながらと、家からおにぎりを持ってきたが、雨では座る所もなく門前の茶店に入った。
「あとでコーヒーをいただきますが、おにぎりを食べてもよいですか」
「はいどうぞ」
 熱いお茶がありがたい。どうぞと添えた小皿の、梅かつおをからめた〈梅ごぼう〉がうれしい。食後のコーヒーにつく青梅の菓子、クリームサンドウエハース〈山の呼び声〉もとてもおいしい。両方をお土産に買うと、味噌用のミニしゃもじを一個プレゼントしてくれ、ありがとうございました。
 参道の大鳥居石段を上った山門・随身門は、弓矢を背負った公家の彩色像が左右に座る。そのあたりから石の講中碑が林立するようになった。
〈永代参拝記念 川崎市宮前区 犬蔵講〉〈登山百五拾回記念 東京東小松川 大明講〉〈結講百七拾年記念 東京世田谷 櫻講〉〈太々神楽奏上記念 練馬区 下練馬講〉〈埼玉県朝霞市 東御嶽講〉〈小平市大沼田 表講中〉〈横浜市港北区 鳥出御嶽講〉〈飯能市一丁目 永代御嶽講〉〈東京都葛飾區 柴又敬神講〉などなど。講の節目の年に石碑を建てるようで、地域は関東一円にわたる。
 武蔵御嶽神社は第十代崇神天皇七年の創建と伝えられ、天平八(七三六)年、僧行基が東国鎮守に蔵王権現を勧請、山岳信仰、修験道の拠点となった。徳川家康が関東に封ぜられると南向き社殿を江戸城鎮守の東向きに建て替え、江戸の西の守りとし、御嶽講が盛んになった。石碑に刻む年号は平成もたいへん多く、今も信仰深さを感じる。

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