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天に星 地に花 上
帚木蓬生

   宝暦四年(一七五四)霊鷲寺

 高々と伸びる左右の杉並木は、いつ来ても変わらない。庄十郎は参道をひたひたと歩く。突き当たりにそびえる楼門をくぐり、薬師堂の前に出た。扁額に書かれた〈祈祷〉の二文字をしっかりと眼に入れる。
 庄十郎にとっては、それがみそぎのつもりだった。手には水桶や柄杓も持っていない。まして供える花もなかった。着ているものとて、日頃診療をしているときの普段着であり、足につけているのは草履ではなく草鞋だ。
 薬師堂の中にある薬師如来の前で、静かに手を合わせる。まがりなりにも医業をなりわいとする者として、薬師如来は医師の行くべき道を具現していた。
 民の病苦を救い、病を癒やす。そのためにこの二十年余、研鑽を積み、その修業はまだ続いている。道半ばどころか、道のりの三割にも達していない。とはいえ、隣の北野新町に診療所を設けて四年半になる。近在の病人に頼りにされているのは、ありがたかった。
 薬師堂横の方丈でも足をとめ、中を覗く。住職である円信の姿はなかった。
 目ざす墓所は、方丈の後方にあった。左右の石灯籠を従えるようにして、墓碑はすっくと立っている。
 その瀟洒なたたずまいは、亡き人の生前の姿を彷彿させた。
 庄十郎は草鞋を脱ぎ、墓石の前で身をかがめる。胸の内で唱える言葉はいつも決まっていた。
 ──このひと月、無事に立ち働けました。稲次様の遺志に沿う行いをしているかどうか、自らに問いかけながらの日々でございました。またひと月、どうかお見届け下さい。
 もう一度、墓石を見上げたあと、目を閉じて合掌する。
 立ち上がろうとしたとき、背後で声がした。
「凌水殿、見えとりましたか。月命日なので、あるいはと思っとりました」
 円信が笑いかけ、草鞋をはくようにと、手のひらを上に向けた。
「いつ来ても、稲次様の墓前では、初心に立ち返ります」
 庄十郎は立ち上がり、相対する。
「医の道を進もうと心決めしたとが、十三のときです。通常なら、疱瘡で命ば落としとりました。このあばた面は、命と引き替えにもらったと思っとります」
 庄十郎は笑いながら、手で頬を撫でた。
「やっぱりそげんでしたか。ひょっとしたらと思っとりました。昔から、〈疱瘡は器量定め、麻疹は命さだめ〉と言われとりますけん」
「女でなくて幸いでした。ばってんこの齢でひとり身ちいうのも、あばた面ゆえかもしれまっせん」
 庄十郎は乾いた笑い声をたてる。
 十三のとき、父親が三瀦郡の城島町からわざわざ小林鎮水先生を呼び、治療させていなければ、そこで自分の人生は終わっていた。翌年、庄十郎は父親に乞い、その鎮水先生の診療所に住み込んだ。あれから二十三年たつ。
「稲次様の命を奪ったのも疱瘡でした」
 円信はしんみりとした顔になる。
「そげんです。そんとき、師匠の鎮水先生について、城島町から津古村まで行きました。着いたとき、稲次様の容態は子供の眼にも重病に見えました。心配になり、助かるとでしょうかと、鎮水先生に訊いたとです──」
 言いながら庄十郎は胸が詰まり、大銀杏の梢を見上げた。「ここは祈るしかなか。それが鎮水先生の返事でした。あの薬師堂の扁額に書いてあるとおりです。その七日後に亡くなられました」
「享年三十五ちいうのは、いくら何でも早すぎましたな」
 円信が墓石に向かって、静かに手を合わせる。
 そうか、もう稲次様が亡くなった年齢を二つ超えたのだと、庄十郎は実感する。まさに、人生はこれからというときの夭折だった。
「そんとき住んであった家も、質素なもんでした。三千石の家老の職を召し上げられて、たった十人扶持の小身にさせられての蟄居ですけんね。悔しか思いが、病魔の勢いを強くしたとでしょう」
 蟄居などにされず、久留米の城下に留めおかれていれば、そもそも疱瘡などにはかからなかったはずだ。領内の辺鄙な村、最初は横隈村、ついで北のはずれの津古村へと追いやられた心労は、察して余りある。
「三回忌の折、稲次様の御母堂が墓参に見えたときも、人目を忍んでのことだったと、先代の住職からは聞いとります」
 円信は墓石の脇に建つ一字一石塔に眼をやる。生母による寄進の石塔さえも、隠密裡に置かれたという話だった。
 それほどまで領主に疎まれた家老だったのに、百姓や庄屋、大庄屋たちからは追慕された。墓石の前の灯籠も庄屋たちの寄進によっていた。
「五年前に建てられた、城下の五穀神社には行かれたですか」
 円信から訊かれて、庄十郎はかぶりを振る。
「行っとりません。そのうち参らにゃならんと思っとります」
「あれも、表向きは五穀豊穣の神社になっとりますが、実際は、稲次家老を祀ったものと聞いとります」
「そげんです」庄十郎は頷く。「神殿は、久留米惣八郡の百姓たちの合資で、拝殿は大庄屋たちの出資らしかです」
 詳細を教えてくれたのは、診療所に隣接している北野天満宮の神官だった。
「すると、凌水殿の兄の八郎兵衛殿も出資されたとでしょうね」
 円信が問いかける。唐突に兄の名を聞いて、庄十郎はうろたえる。
「いや、しとらんでっしょ」
 父の隠居後に大庄屋の家督を継いだ兄が、稲次様を敬っているとはとても考えられなかった。
「ときどきは、井上村にも行かれますか」
 円信がさり気なく訊く。
「行きまっせん。もう十年以上、兄とは会っとらんです。こちらからは用事はなかし、向こうでも、こっち以上に、会う用件はなかはずですけん」
 淡々と答えた。
「ちょっと方丈に上がっていきなさらんか」
 円信が勧めた。「茶ぐらいしかなかですが」
 折り入って話があるとき、円信はよく庄十郎を方丈に誘った。足を拭いて畳の上に坐る。正面に小さな仏壇があった。真ん中には菊の紋章、右に大御所の紋所である三葉葵の紋、左に久留米領主有馬家の左三つ巴の紋が配されている。
 しばらく奥に引っ込んでいた円信が、茶碗を運んで来る。いつもの接待だった。庄十郎は手を伸ばし、茶碗を口にもっていく。
「実は、かんばしくなか話ば耳にして、胸を痛めとるとです」
 円信がまっすぐ庄十郎を見据えた。
「どげなこつですか」
「大庄屋の八郎兵衛殿が、庄屋や百姓たちに、ことあるごとに夫役を押しつけるという噂です。塀の改修、瓦屋根や藁屋根の葺き替え、溝さらえなど、何かにつけ、五人十人と人夫を要求してくるちゅう話ば、聞いとります。庄屋とて、おいそれとは人夫を出せんので、銀で夫役を立て替えるしかありまっせん。そこが狙いで大庄屋殿が夫役を言いつけとると、庄屋たちは不満たらたらです」
「知りませんでした」
 庄十郎は溜息をつく。
「百姓たちも、大庄屋殿の悪口ば言っとります」
 円信は暗い表情のまま言い継ぐ。「道で会ったとき、百姓たちは道端で腰をかがめて挨拶するでっしょが。ところが大庄屋殿は声をかけるでもなく、眼をやるでもなく、ふんぞり返って行き過ぎるらしかです」
「そげなこつですか」
 頷きながら、兄ならそうしかねないと庄十郎は納得する。昔から、田畑に足を踏み入れるのを嫌い、百姓にも近づこうとしなかった。道に牛馬の糞が落ちていると、道を引き返していたほどだ。
 円信が静かに茶をすする。兄の悪い評判には胸が痛む。とはいえ、二十三年前に家を出、その後も疎遠にしている庄十郎には、打つ手がなかった。
「先代の大庄屋、孫市殿は、人望を集めておられたと聞いとります。落差があまり大きかけん、とやかく言われるのかもしれません」
 確かに父は、人から後ろ指をさされるような人間ではなかった。つきあいは上下へだてなく、郡役所の侍とも年中行き来し、久留米城下にもたびたび出向いていた。道端で腰をかがめる百姓を立たせ、長い間話し込んでいる父の姿も記憶している。作物の出来具合いを尋ね、臥している年寄りを気遣っていた。
 幼い頃から知っている兄の八郎兵衛に、そうした振る舞いは期待できない。
 円信が兄の不評を口にするのは、忠告を望んでいるからだろう。自分にそんな力はない。助言しても逆恨みされるのがおちだ。
「領内の他の郡に長くおったから分かるとですが、松崎近辺の百姓は、他の郡の百姓と違っとります」
 円信が言う。庄十郎は意外に思って問い返す。
「どげな風に違っとるとですか」
「ひと言でいえば、気位が高いとです。独立独歩の気風ちいうか」
「気がつかんじゃったです」
 父からも、そんな話は聞いていない。
「凌水殿が住んである北野新町は、隣の御井郡ですけん、他と同じでっしょ。この松崎宿のある御原郡は、昔、大公儀の御公領だったでしょう。久留米領から分かれて、松崎領一万石になったとが、九十年前です。この霊鷲寺も、領主の有馬豊範様が、もともと三瀦郡の西牟田村にあったのを、延宝八年(一六八〇)に移建して、菩提寺にされたとです」
 円信は仏壇の紋所を見やってから続けた。
「ところがその四年後の貞享元年(一六八四)、豊範様の遠戚である武蔵国岩槻の領主、土方家中のお家騒動の余波で、大公儀から領地没収を申し渡されました。豊範様と子息の豊胤様は、有馬本家に預かりの身となったとです。
 ですけん、久留米領から松崎領が分かれとったのは、たった十六年間です。没収後は大公儀の御料となり、代官が置かれ、貞享二年、松崎の城館は代官様によって取り壊されました。その後、配流中の豊範様父子に、大公儀からの赦免が届き、元禄十年(一六九七)、天領だった松崎領一万石は、有馬本家に返還されとります。
 天領だったのは、たった十三年ですばってん、これが、旧松崎領の百姓たちの気風ば変えたと、私は思っとります。ただの百姓じゃなく、大公儀の息のかかっとる百姓だという気概です」
「そげんでしたか」
 庄十郎は嘆息する。父からも聞かされず、自分でも感じなかった事柄だ。無理はない。自分が井上村を出たのは十四歳のときだ。もちろん、他郡の百姓の気質など知るよしもない。父も、子供にそうした話をするはずがなかった。
「ですけん、大庄屋の八郎兵衛殿が、百姓や庄屋を統べるのがむつかしかこつは、よう分かります。ばってん、ひとつ間違えば、反発をくらうのも、こりゃ確かです。今のうちに諌めとかんと、百姓や庄屋たちの訴状が、公儀に出されんとも限りまっせん。いや、もう出されとるかもしれません」
「そこまで、事はせっぱ詰まっとるのですか」
 庄十郎は肩を落とす。大庄屋の下には二十人近い庄屋がいる。そのうち、兄に進言ができるのは、年配の庄屋に違いない。
 庄十郎は、干潟村の庄屋三郎右衛門を思い起こす。あの頃は、若く頼もしい庄屋だった。今ではもう五十近くのはずで、他の庄屋からも頼りにされているに違いない。
 しかしその三郎右衛門も、あるいは兄に反感を覚える庄屋たちの先頭に立っているのかもしれなかった。
 庄十郎の困惑を察してか、円信が話題を変えた。
「先日、城下の梅林寺に行きました。豊範様の墓はこの霊鷲寺ではなく、梅林寺にあるとです。そこで、家中の容易ならざる事情ば耳にしました」
 梅林寺は有馬家の菩提寺であり、円信が若い頃修行をした寺でもある。家中の重臣たちが出入りし、公儀の事情も耳にはいるのに違いない。
「容易ならん事情ちいうと、台所事情のこつですか」
「借銀です。御家はこのところ、ずっと物入り続きのごたるです。五年前に福聚寺ば創建されとるし、そん前の元文四年(一七三九)には、花畑御殿の建設もあっとります。加えて、先代からの借銀も相当なもんですけん。
 昨年、銀札が発行されたのも、御家の事情ば少しでも良くしようという考えから出とります。凌水殿も知っとられるとおり、評判はばさらか(とても)悪かです。出された当初は、誰も分からんじゃったとですが、月日がたつにつれて、そのからくりば、在所の百姓も城下の商人たちも、知りはじめとります。
 これまでの銀札を買い札として例えば百目分出すと、新しか銀札が百匁五分貰えます。そうすると誰でも、得したような気分になって、どんどん替えます。ところが、この新しか銀札ば正銀に替える揚げ札の際には、銀札百二匁五分出して、貰える正銀は百目きっかりです。つまり、お上は、この打歩、つまり差額で、差し引き二匁の得ばするこつになります。その上、旧札から新札、新札から正銀へと替えるたび、札元からは手数料ばとられます。踏んだり蹴ったりです。
 このからくりば知ると、誰でも新しか銀札など買いたくなくなります。ところが、お上はよう考えたもので、運上銀などの諸々の上納は、新しい銀札でしか受けつけんのです」
 この銀札に対する不満は、庄十郎も耳にしていた。しかもその不評ぶりは、日を追うごとに強くなっている。円信が続けた。
「私が恐れとるのは、お上がこれに味をしめて、際限なく銀札を発行せんかちいうこつです。
 銀札が多く出回ると、誰も信用せんごつなって、銀札そんものの価値が下がるでっしょ。早晩うまくいかんようになるのは目に見えとります」
 沈痛な表情のまま円信は黙った。
 どこからか鶯の声が甲高く響いてきた。本来ならのどかな気分になるはずなのに、気持は重く澱んでいく。
「もうひとつ、御家では民全体への賦課ば考えとるごたるです」
「賦課ですか」
 庄十郎は驚く。この数年、米は不作続きだった。庄十郎の治療を受けに来る百姓たちの大半は、食の貧しさからくる病苦に悩んでいた。風気や眼疾、瘡が多く、いずれも、たらふく好きな物を食べれば、快癒が見込める病気だった。
 食の貧しさゆえの病が最も如実に現れるのは妊婦と赤ん坊で、死産の挙句、妊婦も死に絶えたり、赤ん坊が生き延びても、若い母親は死ぬといった例があとを絶たない。そんな折、さらなる賦課など信じ難い。
「今お上が考えとるのは、人別銀です」
「人別銀」
 庄十郎はのけぞる。
「間違いなかでっしょ。家中の侍から百姓、町人、果ては神官や僧侶まで、領内の民ひとりひとりに賦課する人別銀の達示が、ひと月かふた月以内に出されるはずです。おそらく、えらい騒ぎになるでっしょ」
「僧侶や神官からも取るとですか」
「人別銀ですから、例外はなかです。もちろん、凌水殿のような医師にも賦課されるはずです」
「しかしそげんなると、誰も黙っとらんでしょう」
「黙っとらんと思います」
 円信が顎を引く。「百姓たちはなおさら黙っとらんはずです。私は二十六、七年前の享保の打ち壊しのようなこつが起こらにゃよかがと、思っとります」
「一揆ですか」
 庄十郎は暗然として円信を見返す。
「これが杞憂で、騒動が起こらんように願っとりますが」
 円信は悲痛な顔で頷く。またどこからか、鶯の声が届いた。
「凌水殿、せっかくの墓参りを、こげな無粋な話で汚してしもうて、相済みません。凌水殿しか話せませんから」
 立ち上がった円信に従って、庄十郎は方丈を出た。
 楼門の前で別れ、参道を歩く。途中で振り返ると、まだ円信が立っていた。
 石段を下りたところで、庄十郎は大きく息を吸う。円信が口にした杞憂という言葉を信じようとしても、逆に憂慮が深まるばかりだった。
 松崎宿は相変わらず人で賑わっていた。人別銀が課されれば、この賑わいも下火になるのではと、庄十郎は案じる。
 松崎街道沿いにある田では、田植えに備えての春田ごしらえの最中だった。溝をさらい、柴草を田に入れ込む百姓もいれば、水口を整えたり、畦塗りに余念がない者もいる。
 畑では瓜や南瓜、胡瓜の種まきが終わり、一部ではもう芽が出ていた。
 柴草刈りをしていた百姓がこちらを見て、頬かぶりの手拭いを取った。笑って、ちょこんと頭を下げた。
「凌水先生ではなかですか」
 庄十郎は、相手の顔に見覚えがあるのみで、名前が出て来ない。
「下岩田村の伊作です」
 言われて思い出す。昨年の秋、庄十郎の診療所に駆け込んで来た男がいて、家まで来てくれと懇願した。臨月に近い女房が苦しみ出したと言う。手馴れた産婆も近在にはおらず、庄十郎の評判を聞いて藁にもすがる気持で来たらしかった。
 行ったところで、手の施しようがない予感はした。しかし妊婦を診ないで断るのは、必死の形相をしている亭主の手前できない。診療所で待っている患者には明日来るように言い、村まで急いだ。
 妊婦は、文字通りの青息吐息だった。額に脂汗を浮かべ、始まった陣痛に苦しんでいる。
 肩で息をする女房を仰臥させて、腹を触診した。どうやら横産のようだった。
 胎児が横になったままでは、産道を通らない。このままでは、妊婦も胎児もまず助かる見込みはなかった。
 庄十郎は、妊婦を左側臥位にさせ、下腹を揉み上げるようにして圧迫する。張っていた腹がかすかに動いた。痛がる妊婦を励まして、もう一度、下腹を押し上げた。そしてすかさず逆の右側臥位にし、今度は、亭主の力を借りて、両方の脚を思い切り持ち上げた。
 あられもない恰好のまま、妊婦にひと呼吸ふた呼吸させると、荒い息づかいが、にわかに止んだ。胎児の位置が変わったのだ。
 庄十郎は、へたり込んでいる亭主に湯を沸かすように命じた。
 妊婦を起こして、棟木から吊るした綱にすがりつかせた。陣痛が来るたびに息ませる。初産にもかかわらず、胎児はすぐに頭を出し、三、四回の息みのあと、あっけなく娩出した。
 赤ん坊の泣き声を聞いて、男泣きを始めたのは亭主のほうだった。つられて女房も泣く。気がつくと、家の外には、村の女たちが十人ばかり駆けつけていた。
 あとの産湯などの処置は、その女たちに任せればよかった。
 翌日、伊作は背負子一杯の大根を診療所まで持参した。ひとりで一度に食べられる量ではなく、その後十日ほどは、診療のあと、切り干し大根作りに追われたのだ。
「ときさんは元気にしとるかの」
 庄十郎は女房の名前を思い出して訊く。
「おかげさんで、また二番目をはらんどります」
 伊作は笑いながら、自分の腹を撫でる。
「もう」庄十郎は驚く。「そりゃめでたか。今度はすんなり生まれるじゃろ」
「難儀なときは、また先生のところに走りますけん」
 伊作は相好をくずす。「長男坊も家の中を這いずり回って、眼を離せまっせん。ところで、今日はどこかに往診で?」
「いや、ちょっと霊鷲寺に行った帰り」
「呼びとめて、すんまっせん」
 頭を下げ、伊作はまた溝の方に戻った。
 麦の育ちぶりも、今のところは上々のようだ。宝暦の代になって、春物成も秋物成も不作が続いている。百姓たちは今年こそ平年作を願っていた。
 歩きながら、庄十郎は、円信が言った人別銀を思い起こす。お上は、生まれたばかりの赤ん坊にも人別銀を課すのだろうか。
 子供を育てるのにも親は苦労するのに、子供ひとりあて人別銀を徴収するとすれば、間引きが横行しはじめるに違いない。
 生まれたばかりの乳児を山に捨てたり、川に流したり、口を塞いで死なせたり、人べらしのやり方にはこと欠かない。
 医師として、間引きほど情ない行為はない。しかしとめようがないのだ。
 去年の銀札といい、噂される人別銀といい、お上のなりふり構わない姿勢が見える。百姓町人からしぼりとる前に、江戸屋敷や家中の倹約を先にすべきではないのか。
 もし、ここで稲次因幡様が生きておられたらどうか。庄十郎はつい考えてしまう。
 おそらく、諌言をためらわれないだろう。もちろん切腹は覚悟の上だ。
 二十六年前の大騒動をおさめたのは、他ならぬ稲次様と言ってよかった。
 あの天地を揺るがすような光景は、子供心にも忘れようにも、忘れられない。
 あのとき、父親に連れられて筑後川まで歩き、神代の渡しで舟に乗った。心地好い風が吹く土手を上がり、眼にしたのは、田畑の間をぬう道という道に集まった百姓たちの姿だった。
 菅笠をかぶり、手には鎌や鍬を持ち、ある者は丸太を担いでいる。
「甚八に庄十、この有様をようく目に焼きつけとけ。これが百姓の力ぞ。百姓が集まれば、山も動かすし、筑後川だって堰き止めらるる」
 父の孫市が言った。
「あん人たちは、どこに行きよるとね」
 訊いたのは、兄の甚八だった。
「あそこに森があるじゃろ。善導寺ちいう大きか寺がある。そこに集まって、それから先は、城下に向かうはず」
「そして、何ばするとですか」
 庄十郎もたまらず訊いていた。
「お上に年貢の減免を申し込むったい。その他にも、いろいろな要求がある。お前たちには、あとで聞かしてやろう。知っとって損はなか。特に、甚八は将来、高松家の大庄屋を継がにゃいかん。百姓の言いたかこつが何か、ようく知っとかにゃ、役目は務まらん」
 父は言った。父の跡を継ぐのが兄なら、自分はいったい何になるのか、父が兄に跡継ぎの話をするたび、庄十郎は自問した。
 あるとき、それを父に質問したことがある。
「甚八の下で働くか、他の大庄屋か庄屋に婿入りするかじゃろ。甚八に、もしものこつがあったら、お前が助けなきゃならん。よかな」
 小さい頃から兄のそばに坐らせられ、読み書き、算術を習っているのも、そのためだった。
「今日は、ちょうど善導寺に用事があるけ、来てみた。ここまで来て、引き返す手はなか」
 父は言い、二人の手を取り、土手を下ったのだ。

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