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暗夜鬼譚 遊行天女
瀬川貴次

    序章

 黄昏時にも似た淡い輝きの中を、大きな河が静かに流れている。その両側に広がる河原には、子供たちの楽しげな笑い声が響いていた。
 二つか、三つぐらいの小さな子供たちは、みな、一糸まとわぬ生まれたままの姿だった。それでも、寒さなどまったく感じていないかのように、元気に駆けまわり、跳ねまわっている。
 ここは冥府への入り口、賽の河原。この河原で遊ぶのは、すべて、親より先に死んでしまった水子たちだった。
 親を悲しませた罪ゆえに彼らは浄土へも行けず、このような地に留めおかれているのだが、とうの彼らからはそんな悲愴感はうかがえなかった。普通の童と変わらず、それぞれの遊びに熱中している。
 やがて、そのうちの何人かが、河原の小石を拾って積みあげ始めた。小声でなにやら唄を口ずさみながら、慎重にひとつひとつ重ねていく。
 そんな地味な遊びのどこが気をひいたのか、まわりで飛び跳ねていた子供たちも、次第に小石積みに加わり始めた。
 口ずさむのは同じ唄。小さな手が小石を拾いあげ、置き、また拾いあげる。
 水子たちの単調な唄と単調な動作は、儀式めいた雰囲気を漂わせた。それが彼ら自身をも酔わせたのかもしれない。いつしか全員が参加して、石でできた塔をより高くすることだけに没頭する。
 だから、誰ひとりとして気がつかなかった。岩陰から、異形の者が覗いているのを。
 最後の一石が積み上げられ、石の塔が完成するまさにその瞬間、異形の者は岩陰から飛び出した。
 現れたのは、身の丈、六尺半(二メートル弱)はあろうかという大男だった。腰布と、腕輪や首飾りなどの装身具だけを身に着けているため、隆々とした筋肉がことさら強調されている。
 しかし、なにより恐ろしいのはその頭だ。首から下は人間でありながら、頭部は荒々しい野生馬のそれであったのだ。
 馬の頭をした鬼──馬頭鬼。地獄に堕ちた罪人を責める獄卒である。
 馬頭鬼の突然の乱入に水子たちは驚き、キャーと悲鳴をあげて散り散りになった。
 その隙に、馬頭鬼は完成直前の石の塔を蹴倒す。石の塔は、馬頭鬼の一撃であっけなく崩れてしまう。
 再び、水子たちが悲鳴を放つ。おびえてではなく、とても楽しそうに。
 馬頭鬼は塔の残骸をさらに踏みつけ、太い腕を振りまわし、身の毛のよだつような咆吼を発した。青みがかった黒い目は血走り、火を噴かんばかりだ。
 しかし、馬頭鬼が猛り狂うほど、水子たちは嬉しそうに甲高い笑い声をあげる。諸手を上げて、毬のようにはずんでいる者も少なくない。
 馬頭鬼の登場も、石の塔の破壊も、すべては想定されていたこと。賽の河原の水子たちの遊びだった。なぜだかわからないが、彼らはこの遊びがたいそうお気に入りなのだ。馬頭鬼もそれを知っているからこそ、わざと恐ろしげに吠えまくる。
 馬頭鬼の芝居がかった咆吼と、水子たちの興奮した声で、賽の河原は騒がしいことこの上ない。
 そこへふいに、別の、あきれたような、げんなりしたような声がかかった。
「また水子と遊んでいたのか、あおえ」
 馬頭鬼がぴたりと吠えるのをやめる。子供たちも途端に静かになった。
 彼らの反応に対し、大仰なため息をついたのは、白牛の頭をした牛頭鬼だった。
 牛頭鬼も馬頭鬼同様、地獄の獄卒である。腰布と装身具だけで、たくましい身体つきをしているのも馬頭鬼と同じ。頭部が、馬か牛かの違いしかない。
 なのに、馬頭鬼相手にはしゃいでいた子供たちが一転、牛頭鬼を本気で怖がり始めた。みんな、ひと塊になって、びくびくしながら牛頭鬼の様子をうかがっている。
「しろき」
 馬頭鬼のあおえが、顔に似合わぬ穏やかな声で牛頭鬼に呼びかけた。
「ここには来るなって言ったじゃないか。水子らが怖がるって」
 牛頭鬼のしろきは不機嫌そうに鼻を鳴らした。たったそれだけで、水子たちはびくっと身震いする。なかには、いまにも泣き出しそうに顔を歪めている子もいる。
 あおえは、おびえる水子たちをなだめようと、似合わない笑顔を作ってみせた。しかし、その甲斐なく、ひとりが声をあげて泣き出してしまう。
 涙の発作は他の子にも伝染しそうになった。が、それを寸前で止めたのはしろきのひと声だった。
「泣くな!」
 そう言われて泣き声は呑みこんだものの、水子たちはワッと声をあげて一斉に逃げ出してしまった。
 あとも見ずに駆けていく彼らの背に、しろきはさらにあおるように鼻を鳴らした。それから、あおえにむかって用件を簡潔に告げる。
「閻羅王さまがお呼びだぞ」
 冥府の長官の名を聞いて、あおえの表情が不安そうなものに変わった。耳の後ろをかきむしりながら、
「なんかしたっけかなあ……」
「違う、違う」
 あおえの独り言を、しろきがいらだたしげに否定する。さっきの態度といい、どうやら、この牛頭鬼はかなり気が短いらしい。
 水子たちが彼を怖がるのも、それが理由なのだろう。むしろ、いっしょに遊んでくれるあおえのような存在のほうが、冥府では稀有なのかもしれない。
「仕事だ」
 しろきはそう言ってから、さらに声を落として付け加えた。
「例のやつの、居場所がわかったんだそうだ。どうやら、あの世に逆戻りしていたらしい」
 あおえは露骨に嫌そうな顔をして、同僚を上目遣いに睨んだ。
「なんだ、また、しろきの尻ぬぐいやらされるのかぁ」
「今度はおれがやったわけじゃないぞ!」
 牛頭鬼の怒鳴り声は賽の河原中にこだまして、遠くに逃げていた水子たちにまたキャーと悲鳴をあげさせた。


   第一章 凶 兆

 いくら夏とはいえ、その陽射しは強烈すぎた。
 この季節になると、うっとうしいほど鳴く蝉も、尋常でない暑さにやられたのか、今年はついぞその声を聞かない。
 いつもは多くの往来でにぎわうはずの都の大路も、陽炎がゆらゆらとたちのぼるばかりで、ひと気がない。みな、陽射しがやわらぐのを待って、家の中に閉じこもっているのだ。
 夏樹も当然そのひとり。自邸の廂の間で、狩衣を着くずした姿で寝転がっていた。
 片袖を脱ぎ、指貫袴も膝上までまくりあげて、とても他人には見せられない格好をしている。
「あつ……」
 口に出せばよけいに暑くなりそうだったが、こらえることもできなかった。
 汗ばんだ首すじに紙扇でぱたぱたと風をやる。そうでもしなければ、空気はそよとも動いてくれない。風通しのこよなくよい構造の寝殿造りも、風そのものがまったくないのなら意味がなかった。
 庭の池も、水がすっかり干上がって、ひび割れた底をさらしている。最後に雨が降ったのは、もうずいぶん前だ。
 夏樹は暑さへのささやかな抵抗として、板敷きの床にぴったりと身体をくっつけていた。
 しばらくは板のほうが体温よりも冷たい。そんなわずかな冷たさは、楽しむ間もなくすぐに失われてしまう。そうなればなったで、夏樹はまたごろごろ転がり、別の床板に身体をくっつける。
「まあまあ、またそんな、子供じみたことをなさって」
 頭上から降ってきた声に、夏樹はハッとして身体を起こした。
 声の主は乳母の桂だった。いつのまに現れたのか、部屋の入り口に立っている。
 青鈍(灰色がかった青)の表着をきちんと着て、彼女はこの暑さをものともしていない。汗はわずかに、額のはえぎわのあたりだけ。それ以上は気合でおしとどめているといった感じだ。
 夏樹はあわてて、脱いでいた片袖に腕を通し、前を合わせた。
 桂はかなり目を悪くしているから、養い子のだらしない格好をはっきりと見ているわけではあるまい。しかし、だからといって気は抜けない。夏樹のこととなると、見える者以上の勘を働かせるのだから。
 案の定、桂は近寄ってくるなり、夏樹のむきだしの膝小僧をぴしゃりと叩いた。
「あたっ!」
 思わず声をあげ、夏樹は膝を胸に寄せる。うらめしげに見上げる養い子に、桂は涼しい顔で、
「お父君のいらっしゃらないうちは、夏樹さまがこの邸のあるじ。あるじたるもの、いつ、どなたがお出でになってもよいように、きちんとしているものですよ」
 こんな暑い中、誰も来ないって……と反論したいところを夏樹はぐっとこらえた。へたに言い返すとあとが怖い。
「それに、このようにだらしないお姿を御方さまがご覧になったら、どう思われますことか。御方さまが亡くなられてから、ずっと夏樹さまをお育てした、この桂のせいになりましょう。我慢を知らない幼子ならともかく、元服も済ませられ、御所でお勤めされるようにもなられたのですよ。これくらい、こらえきれずにどうしますのか」
 現にいま、言い返したいのをこらえているというのに、そこは理解してもらえないらしい。
 夏樹は不満げな顔を隠そうと下を向き、指貫の裾を足首まで下ろした。伏せた頭の上で、桂の小言はなおも続く。
 あれこれ言うのは、それだけ期待している証拠。大切に育てた若君を、早く立派な貴公子にしたいと願っているからだ。
 重々、わかっている。けれども、とうの昔に亡くなった母や、遠い周防の国(現在の山口県東部)に国司として赴いている父を引きあいに出されると、夏樹はかえって気が萎えてしまうのだ。
 なにしろ、元服したと言っても、まだほんの十五歳。位は、内裏の殿舎にあがることの許されない六位。右近将監という官職(ポスト)も、父が気前よく払った賄賂で手に入れたにすぎない──
「ああ、そうだ!」
 わざとらしく聞こえるだろうなと思いつつ、夏樹はぽんと手を打った。
「今日は隣に顔を出すよう言われてたんだっけか。おっと、もうそろそろ行かないと……」
 桂は恐ろしくきついまなざしを夏樹に向けたが、すぐに、あきらめたようにため息をついた。
「いったい、まあ、どうして隣にいりびたるようになったのでしょうね」
 なにしろ、隣は物の怪の出る邸と噂されて、長いこと──それこそ、夏樹が子供の頃からずっと空き家のままだったのだ。
 なんでも、夜になると、風もないのに几帳が揺れ、怪しい影がうごめき、奇妙なうめき声が聞こえてくるとか。
 場所はいいし、家屋そのものも、修理さえすればなんとかなりそうな雰囲気で、そんな見た目にだまされ、いままで何人もが隣に越してきた。だが、どんな剛の者も、例外なく数日中に逃げ出してしまう。
 しかし、今回の隣人は、もう三月以上、あの家に居ついている。これは、かつてなかった記録だ。
 なのに桂は、空き家だった頃よりも、かえって隣の家を不気味がっているようだった。
「聞けば、隣には陰陽師が住まうようになったとか。物の怪の出る邸には似合いかもしれませんが、そのような胡散臭いところに足しげく出入りなさるとは……」
 桂がぐちぐちと言っている間に、夏樹は素早く立ちあがって庭へと逃れた。
「夏樹さま!」
 背後で聞こえる桂の制止を無視して、夏樹は庭を駆け抜ける。めざすは、隣との境の築地塀だ。
 築地塀は年代物で、風雨に長くさらされた結果、一か所が大きく崩れていた。早く修理するようにと、桂はうるさく催促するが、こんな便利な通路をつぶす気はさらさらない。
 夏樹はその破れめから、隣の敷地へ楽々と侵入する。
 隣の庭は夏草が茫々に茂っていた。その草を踏みわけていきながら、ふと、夏樹は妙なことに気がついた。
 自分の邸の庭では草木はみなしおれているのに、ここでは雑草まで青々としている。かといって、丹念に水をやっているにしては手入れが雑だ。むしろ、ほったらかしにされていると言ったほうがいい。
(それに、この庭、うちよりも涼しいような気がする……)
 首を傾げつつ、夏樹は邸の簀子縁(外に張り出した廊)まで近づいた。階に足をかけ、そこから中へ向かって声をかける。
 が、返答はない。
 妻戸も蔀格子も開けっ放しで、留守ということはあるまい。夏樹はそう判断し、勝手知ったる他人の家とばかりに、ずかずかと上がりこんだ。
 御簾をまくり上げながら、もう一度、友人の名を呼ぶ。
「一条……?」
 その呼びかけは、途中で疑問符にすりかわってしまった。ひんやりと冷たい風が彼の頬をかすめていったせいだ。

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