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時代小説 ザ・ベスト2017
日本文藝家協会 編

 役 替 え    青山文平

 下谷と浅草を結ぶだけあって、新寺町通はいつも賑わっている。どちらも江戸で一二を争う盛り場ときているから、下谷へ向かう人も、浅草を目指す人も、同じくらいに流れる。
 けれど、文化七年も残りひと月半ばかりになった十一月十六日の今日に限っては、浅草へ出ようとする人波のほうがはるかに多かった。この日、浅草本願寺が再建上棟式を迎えたのである。
 四年前の文化三年三月、浅草本願寺は灰燼に帰した。俗に言う、車町火事である。芝の車町で上がった火の手が、早朝からの西南の風に乗って尾張町から京橋、日本橋へと燃え広がり、神田から下谷、浅草をも嘗め尽くした。焼失した町、およそ五百三十、大名屋敷、社寺、ともに八十余り。その八十余りのなかに、観音堂と並ぶ浅草の顔である浄土真宗の巨刹もあった。門徒にも、門徒でない者にも、浅草本願寺の復活は今年を締めくくるに足る出来事だったのである。
 それが証拠に、というか、朝のうちは、式のもようがちょっとでもよく見える桟敷を確保しようとする門徒衆がもっぱらだったが、午も八つを過ぎたいまは、そろいで新調した御講小袖姿は数えるほどだ。あらかたは信心とは縁のなさそうな衆生で、東西百二間、南北百九間に広がっていた大伽藍がどうなっているかを物見に来ている。
 そういう輩たちが、次から次へと繰り出してくる。顎を上げれば、棟上げを祝うがごとく晴れ上がった冬空は、青を通り越して薄藍に近いほどで、陽気はひんやりとはしているものの、降り注ぐ光は温もりを孕んでいる。出かけるには、うってつけの日和だ。一帯は本願寺の子院がびっしりと通りを挟んでいて、寺町の約束どおり遊び場には不自由しないので、なかには、門跡見物にかこつけて、路地裏に消えようとしている不心得者だっているのかもしれない。
 上棟式に臨んで伽藍の配置等をじっくりと見定めた目付、萩生田貞勝の一行はその人波に逆らうように表門を出た。門跡前を右に折れ、浅草田圃の遊水を抜く新堀川を菊屋橋で越える。案内するのは、下谷から浅草、箕輪の界隈までを縄張りにする町火消十番組でも知られた、を組の組頭の町田甚右衛門で、門前から遠慮なく商う岡場処を先に立って縫っていく。
 堂前、柳下、ドブ店、万福寺前、紅屋横丁、三嶋門前……名を挙げれば、いくらでも出てくる。江戸は至る処に岡場処を呑むが、なかでも、浅草は深川と並んでいっとう数が多い。色の欲とカネの欲を取り替えっこするのが岡場処だから、喧嘩口論は付きもので、おのずと付け火の温床にもなりがちだ。で、上棟式に合わせて、目付を筆頭にそれぞれ、路地内のあれやらこれやらを、己が躰にあらためて覚えこませておこうというわけである。
「かねてから、過去五十年ごとの火災の数を、右筆に調べさせておいたのだが……」
 昨日、貞勝は、片岡直人ら徒目付を前にして説いた。
「報告によれば、宝暦からのここ五十年の火災は三百二十件を越えている。で、その前の五十年はといえば、二百二十件に届いていない。ちなみに、さらにその前の五十年は百六十件足らずだ。つまりは、ずっと増えつづけて、とりわけ、この五十年では五割近くも増えたことになる」
 目付は十名いて、うち幾名かが交代で火口番を兼ねる。火事場の指揮に当たる御役目である。あらゆる幕臣の非違に目を光らせる目付の職掌は幅広く、やることを挙げるよりも、やらぬことを挙げるほうが早いとされるが、幕府における火消しの元締めもまた目付なのである。貞勝はその火口番の一人だ。今回、貞勝率いる一同のなかには、徒目付組頭の内藤雅之の姿も見える。
「むろん、御府内の住人が増えつづけていることもあるが、それだけではない。明らかに付け火が目立つ。喰えずに身を投げる者も、物盗りをしでかす者も、果ては人を殺める者も、そして、火付けに及ぶ者も、その根はいっしょだ。当人にしてからが常にぶすぶすと燻って、いつなんどき炎を噴き上げるか知れない」
 江戸は、生まれ育った土地にいられなくなった者たちを、全国から吸い寄せてきた。町人地に暮らす、六十万とも言われる住人の七割がたは店借だ。四畳半ひと間の九尺二間なら上々、畳二枚の六尺一間半だって当たり前で、さながら薪のような安長屋が、北は千住から南は品川まで延々と軒を接する。
 おまけに、そこで日傭取りなり、棒手振りなりをして暮らす者たちの活計は、けっして暮らしに波風は立たないという、ありえない前提で成り立っている。いつ収まらなくなって、薪の山に火の手が上がってもおかしくはない。

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