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されど、化け猫は踊る
猫の手屋繁盛記
かたやま和華

   犬猫合戦

     一

 今は、むかし。
 あるところに、正直者のおじいさんとおばあさんが暮らしていました。おじいさんとおばあさんは、一匹の白い犬を息子のようにかわいがっていました。
 ある日、犬が庭につくばい、
『ワンワン! おじいさん、ここを掘っておくんなさい!』
 と言うので、その場所を掘り返してみると、大判小判がざくざく出てきました。
「賢い犬でございましょう?」
 これをうらやんだのが、隣家に住む業突く張りのおじいさんとおばあさんです。強引に犬を連れ出して、目ぼしい場所をあっちもこっちも掘り返してみたところ、汚い物がざくざく出てきました。
「ええ、賢い犬でございましょう?」
 ところが、怒った業突く張りのおじいさんが、なんと犬を殺してしまったのです。
 正直者のおじいさんとおばあさんはとても悲しみ、犬を松の木の下に埋めてねんごろに弔いました。
 しばらくして、正直者のおじいさんの夢に犬が現れて、
『ワンワン! おじいさん、松の木で臼を作っておくんなさい!』
 と言うので、朝を待って切り株から臼を作ってみると、麦を搗くたびに底から新たな麦があふれ出して止まらなくなりました。
「ええ、ええ、賢い犬でございましょう?」
 またしても、これをうらやんだのが、隣家に住む業突く張りのおじいさんとおばあさんです。強引に臼を持ち出して麦を搗いてみたところ、底から大きな虫や小さい虫が湧き出て止まらなくなりました。
「ええ、ええ、ええ、賢い犬でございましょう?」
 ところが、怒った業突く張りのおじいさんが、なんと臼を燃やしてしまったのです。
 正直者のおじいさんとおばあさんは犬を偲んで、灰だけでも心をこめて供養しようとしました。
 その夜、正直者のおじいさんの夢に犬が現れて、
『ワンワン! おじいさん、枯れ木に灰を撒いておくんなさい!』
 と言うので、朝を待って庭に灰を撒いてみると、枯れ木がたちまち美しい花を咲かせました。
「ええ、ええ、ええ、ええ、賢い犬でございましょう?」
 この美しい花が貴族の目に留まり、正直者のおじいさんとおばあさんは葛籠いっぱいの褒美をもらって、末永く幸せに暮らしましたとさ。
「めでたし、めでたし」

 

「めでたし、めでたし」
 そう言って、でっぷりと太った二重あごのご隠居が絵双紙を閉じた。
 長かった。一刻は続こうかという絵双紙の読み聞かせの会である。
 会と言っても、日本橋長谷川町にある紅屋政兵衛の隠居部屋に招かれているのは、近山宗太郎ただひとりだ。
「なるほど、これが有名なおとぎ話『花咲翁』というわけですな」
 宗太郎はあくびをかみ殺して、ようよう目を開いた。
 途中、何度も舟を漕ぎかけたが、そのたびにご隠居の二重あごを搗きたての餅だと思うようにして、帰りに屋台で焼き大福餅を買って帰ろうと心に強く念じ、からくして眠気に打ち勝った。
 うかうかすると、猫はすぐに眠気に襲われる。本日は秋晴れ、日当たりのよい一室でくつろぐということは、気づけば背中が丸くなるということ。
 いかん、いかん、と宗太郎は心で喝を入れて猫背を伸ばした。
 それがしは猫ではないのである。
「して、ご隠居。正直者のおじいさんとおばあさんは末永く幸せに暮らしましたが、業突く張りのおじいさんとおばあさんはどうなったのですか?」
「猫太郎さん、よくぞ訊いてくださいました。ええ、業突く張りのおじいさんとおばあさんが枯れ木に灰を撒いても花が咲くことはなく、それどころか、ええ、ええ、撒いた灰が貴族の目に入ってしまって罰せられたそうなんですよ」
「それがしの名は猫太郎ではなく、宗太郎です」
「犬の名は、ええ、この絵双紙には書いてございませんね」
 犬の名はどうでもいい。
 この手の子ども向けのおとぎ話は、ひと昔前までは赤い表紙で売られていたので赤本と呼ばれていたが、今は廃れてなくなった。時代が下るにつれ、大人でも読み応えのある軍記物や霊験記、さらには色恋、滑稽、風刺など、世の中の流行りに合わせて物語も変化していき、赤本ののちは黒本、青本、黄表紙ときて、今は数冊をまとめて一冊にする合巻という体裁の絵双紙が刊行されていた。
「花咲翁とは、つまるところ勧善懲悪の筋立てなのですな。悪いことをすると罰が当たる。それを伝えたいのですな」
「いえいえ、それが違うのでございますよ」
「そうなのですか?」
「犬は賢い、ええ、それを伝えたいのでございますよ」
 いやいや、それこそ違うであろう。
 犬猫にご利益がある三光稲荷を氏神とする長谷川町は、表店も裏店も、どこもかしこも、犬好き猫好きばかりが暮らしている一風変わった土地だ。
 江戸市中にもそうした噂が広まっているためか、三光稲荷には犬や猫を捨てに来る不逞の輩が引きも切らない。また、そうした犬や猫を住人たちが不憫がって大切に世話するものだから、いっそうこの町になら捨てても構わないと思われているようだった。
 それはさておき、そんな長谷川町において、紅屋政兵衛のご隠居は大の犬好きとして知られる老人だ。今も、膝の上には狆を抱いている。
 狆は目が大きくて、毛皮が長い、いわゆる座散犬だ。犬好きを名乗るのであれば、猫のように人の膝の上でごろごろしている座敷犬ではなく、武士のような忠義ものの和犬を飼うべきではないのかと宗太郎は思っているのだが、もちろんそんなことは口に出さない。
「阿国さんも、賢いんでございますよ」
 阿国さん、というのは狆の名だ。
 どういうわけか、大店の旦那衆は飼い犬や飼い猫を『さん』付けで呼びたがる。
「先日もですね、『おじいさん、ここを掘っておくんなさい』と阿国さんが吠えるもんですから、ええ、庭の山茶花の木の下を掘ってみたんでございますよ」
「ほう、何か出ましたか?」
「猫の糞がざくざく出てきたんです。ええ、ええ、賢い犬でございましょう?」
「はぁ、猫の糞ですか」
 それは先ほどのおとぎ話だと、業突く張りのおじいさんが掘り当てた『汚い物』のうちなのではないかと思ったが、これも口には出さなかった。
 本日の猫の手屋宗太郎の仕事は、絵双紙の読み聞かせの会のにぎやかし、という体ではあるが、実際は楽隠居の話し相手になる、というものだからだ。
 それに、ご隠居は業突く張りではない。働き者で、正直者である。
 紅屋というのは紅の卸しや小売りをはじめ、紅入り歯磨き粉や、白粉、洗い粉、蘭麝粉といった化粧のための品々を扱う商いで、奥女中や商家の母娘など、もっぱら裕福な婦女たちを客としている。さらに、少し前までは界隈に芝居町があったことから、紅屋政兵衛では役者や芸者、手習いの師匠といった粋人の顧客も多かった。
 代々の正直な商いと、こうした立地のよさがあいまって、紅政とも呼ばれる紅屋政兵衛は長谷川町いち羽振りのいい表店として知られていた。隠居部屋になにげなく並べてある火鉢や花瓶のひとつをとっても、職人がこだわって作った逸品であることは、ひと目見ればわかった。
「猫太郎さんが賢い猫なのも、よっくわかっておりますよ」
「ご隠居、それがしの名は猫太郎ではなく」
「ええ、あたしの名もご隠居ではないのですよ」
「おおう、政兵衛どの」
「今は信乃ですよ」
「ハッ、これはご無礼を」
 ご隠居がしてやったりな顔になるのを見つめ返し、宗太郎はしっぽりと濡れた鼻を舌先でペロリと舐めた。
 名を取り違えられるのは、どうにも尻の座りが悪いものだ。
 たとえて言うならば、湯屋で着物を取り違えられてしまい、仕方なく赤の他人の着物を羽織って帰るハメになった道中を思い描いてもらいたい。裄も丈も合わず、肌になじまない。歩くたびに他人のにおいに追いかけられている気がするばかりか、人肌が残っていたりすると背中に何か背負っている気にさえなってくる。
「げんなりするであろう」
 おのれの名でない、赤の他人の名を羽織らされている気持ちの悪さ。
 それを身をもって知っているからこそ、宗太郎は日ごろからしつこいぐらいに着物の取り違え、ではなく、名の取り違えを正すようにしているのだが、
「まさか、それがしが他者に対して言い間違えるとは……不覚なり」
 宗太郎は猫背になり、ついでに耳をしゅんと倒した。
 紅屋政兵衛では、代々の当主が『政兵衛』の名を名乗る習わしがあった。
 つい先日、お内儀ともども楽隠居を決めこんだご隠居は、息子夫婦に店と政兵衛の名を譲ったばかりだった。今は、本人の言うように『信乃』と名乗っていた。
 信乃は、本来なら女人の名だ。それなので宗太郎には呼び難く、できるだけ『ご隠居』と声をかけるようにしていた。
 信乃の名は、神犬ゆかりの八犬士が活躍する長編読本から借用しているらしい。ゆえあって女人として育てられるも、実は忠義の士であるという役どころで人気を博している人物なのだそうだ。そういう名を引っ張ってくるあたりが、いかにも犬好きのご隠居っぽくて洒落が利いてはいるのだが、ほかにもっと適当な人物がいなかったのかと思わなくもない。
「信乃……どのは、心から犬が好きなのですな」
「ええ、阿国さんには長生きしてもらいたいですね」
「そのように犬好きでありながら、何ゆえ、猫の手屋をご贔屓にしてくださっているのでしょう?」
 長谷川町は、犬好き猫好きばかりが暮らしている一風変わった土地。
 そうひと括りに言われてはいても、犬好きが猫好きとは限らないし、猫好きが犬好きとも限らない。多くの場合、どちらか一方だけを溺愛するきらいがあった。
 さらには両軍ともに、犬こそ日ノ本いち賢くてかわいい、猫こそ日ノ本いち気まぐれでかわいい、と言い張って譲らないところがあるのもややこしい。
 こうした棲み分けがある中で、ご隠居は犬好きでありながら、猫好き御用達の猫の手屋に何かと声をかけてくれていた。こまごました雑用を頼まれることもあれば、今日のように話し相手になるだけの依頼もある。
 犬好きから頼ってもらえることはありがたいので、猫の手を貸すことにやぶさかではないのだが、やはり謎は謎として残った。
「それがしは、ご隠居にきちんと猫の手を貸せていますか?」
「もちろんですとも」
「それがしは犬ではありませんが、よろしいのですか?」
「ええ、猫太郎さんは猫でございますものね」
「猫でもありませんぞ」
 宗太郎はあずき色の肉球のある手で湯呑みを口もとに運び、熱っ、と小さく悲鳴をあげた。それがしは猫ではないが、猫舌ではある。
 話せば長い大人の事情があって、宗太郎の口もとにはぷっくりしたひげ袋があり、松葉に似たひげが生えていた。頭のてっぺんにほど近いところには三つ鱗の形をした耳があり、尻の上には長くひんなりしたしっぽがうごめく。
 背丈こそ人間のままながら、顔も身体も、全身が泡雪の毛皮に覆われた業の深い風体は、限りなく猫に近かった。
「あたしはね、ただのもふもふ好きなんでございますよ」
「それがしはもふもふではなく、もののふです」
「そうでございましたね、ええ、猫太郎さんはもののけでございましたね」
「もののけでもなく」
「ええ、猫から人へ化けるなんてすごいことでございますよ。ええ、ええ、早く並ひととおりの人の姿に化けきれるとようございますね」
 ご隠居が拝むように両手を合わせると、飼い主を真似して膝の上の阿国まで両手を合わせる仕草をした。
「いや、それがしは猫から人へ化けているのでもなく」
 見た目はもののけ。
 されど、中身はもののふ。
 宗太郎が奇妙奇天烈な白猫姿に身をやつしているのは、もののふのけじめを付けるためなのである。武士の本懐とも言っていい。
「それがしは、もともと人です」
 今は裏店暮らしをしているが、素性を明かせば、れっきとした旗本の惣領息子であるという自負もある。
 決して、猫が人に化けているわけではない。
 百の善行を積んで、人の姿に戻ろうとしているだけなのだ。
「あたしは犬好きですけれども、猫が嫌いなわけではございませんでしてね。ええ、怠け者が嫌いなんでございますよ」
「怠け者……」
 宗太郎は阿国をチラリと見たが、何も言わなかった。千切れんばかりにしっぽを振ることが、座敷犬の仕事なのだ。
「猫は昼間から、暇さえあればごろごろしていますでしょう?」
 宗太郎はまた、阿国を見た。目を潤ませて小刻みに震えながら飼い主を見上げることが、座敷犬の仕事なのだ。
 ひとつだけ、限りなく猫に近い風体から言わせてもらえば、猫は昼間だからこそ眠いのである。夜は割と目が冴える。
「働き者の猫なら、好きでございますよ」
「働き者……」
「ええ、猫太郎さんのように、日々、鼠退治や障子紙の張り替え、井戸さらい、庭木の手入れ、代筆、書画会のにぎやかしなどなど、一生懸命働いている猫は、ええ、ええ、好きでございます」
「それがしは猫太郎でも猫でもありませんが、それが猫の手屋の仕事ゆえ」
「ええ、猫の手屋さん、いい働きっぷりでございますね。あたしの店に猫太郎さんがおりましたら、とっくに番頭さんになっておりますよ。ほっほっ
 ご隠居が阿国の背中を撫でながら、朗らかに笑った。笑い声をあげるたび、おとがいから喉首にかけてのたるみがカエルのようにふくらんで見えた。
 宗太郎もつられて、口もとに笑みを浮かべた。
 ニャーと鳴く猫だけに、ニヤァ、と。
 見ようによっては化け猫が悪さを企んでいるような顔に見えなくもないだろうが、これが猫の笑い顔なのである。
 宗太郎はおのれの手のひらで、握って開いてを繰り返した。あずき色の肉球のある手は、指の一本一本まで自在に動かすことができた。

 
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