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吸血鬼は世紀末に翔ぶ
赤川次郎

   吸血鬼は世紀末に翔ぶ

   招  待

 フォン・クロロックは社長である。
 社長というのは「偉い」のである。従って、時にはこうして黒塗りのハイヤーに乗って外出することがあるのだ。
「いちいち言いわけしなくても」
 と、エリカが言った。
「いや、お前が下手にこのことを涼子にしゃべったりしたら、『もったいない! 電車で行きなさい!』と叱られるからな」
 偉い人でも奥さんは怖いのである。特に、クロロックの如く、娘の神代エリカより一つ若い奥さんなど持っていると、なおさらである……。
「ちゃんと説明してあげるよ。今日は先方のご招待で、ハイヤーも先方持ちだって」
「そうか。頼むぞ」
 とは、正統な吸血鬼一族の本家としては少し情けない。
 しかし、少なくとも、その外見においては、堂々たる(?)黒マントといい、口ひげの合う、彫りの深い顔立ちといい、一流の吸血鬼たる貫禄を示している。
 ハイヤーは黄昏の道を走っていった。
 郊外の林の間を行くころには、すっかり暗くなっている。
「──でも、どうして私とお父さんが夕食に招かれたの?」
 と、エリカが訊く。
「うむ……。ちょっとした美術品の輸入のことで、少々相談にのってやったのだ」
「美術品?」
「東ヨーロッパの美術品を扱うので、ぜひ向こう出身の、この私の教えを仰ぎたい、と言うのでな」
「ふーん。そんな物好きもいるんだ」
「まったくな。──こら」
 ハイヤーが少しスピードを落とした。
「あれらしいですね」
 と、運転手が言った。
 前方にいくつかの灯がチラチラと点滅して見えるのは、窓の明かりが木立の間で見え隠れしているからだろう。
 道はだいぶ上りになって、かなりの高台に屋敷があるらしい。
 そして──グルッと道が曲がると、目の前に、ヨーロッパの古城を模した建物が現れた。
「ほう。ディズニーランドよりは本物らしいな」
「失礼なこと言っちゃだめよ」
 と、エリカは父をつついた。
 ハイヤーが、太い石柱の並ぶ車寄せで停まると、両開きの重々しいドアが開いて、
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
 ロングドレスの背の高い女性が現れ、車を降りた二人を出迎えた。
「お招きにあずかって恐縮」
 と、クロロックは、その女性の手を取ってキスすると、
「これが娘のエリカです」
「お噂はうかがっていますわ。──どうぞ中へ」
 エリカは、父が自分を連れてきたわけが分かったような気がした。
 三十代半ばの、知的な美女。──この人と二人で食事したなんて知れたら、涼子に追っかけ回されるに違いない。
「──よい造りだ」
 と、中へ入って、クロロックは言った。
「昔のヨーロッパの城は、こんな風に飾り気のないものでしたからな」
「そうおっしゃってくださると……」
 その女性は微笑んで、
「私は、東野ひかりと申します」
 と、エリカの方へ話しかけた。
「お父様には色々と教えていただいて」
「はあ……」
 危ない危ない。──こんなセリフも、涼子が聞けば「怒りの素」。
「今夜はどうぞゆっくりなさってくださいね」
 と、東野ひかりは言って、
「こちらへ」
 と、案内に立つ。
 石造りのせいか、少し空気がひやりとする。──エリカは、クロロックが少し変わったのに気付いた。
 何か、緊張させるものがある、この屋敷には。エリカも漠然と感じていたが、それが何なのか、分かっていなかった。
 廊下の突き当たりに、分厚い木のドアがあった。古めかしく、鉄の輪が下がっている。
「──この向こうがダイニングになっております」
 と、東野ひかりは立ち止まって、
「どうぞ。──私は後から参ります」
 と、傍らへ退いた。
 クロロックは、そのドアの前に立つと、少し間を置いて振り返り、
「ぜひ、あなたにドアを開けていただきたい」
「お父さん……」
「エリカ。お前が開けてみろ」
「うん……」
 エリカは、「ドアくらい、どうして開けないんだろ?」と思いつつ、その鉄の輪をつかんで引いた。
 ドアが開くと、重いカーテンが閉じている。
 エリカはカーテンを割り、中へと足を踏み出して──。
「ワッ!」
 突然、足下の床がなくなった。エリカは、空中へと足を踏み出していたのだ。
 クロロックが、エリカのえり首をつかんで持ち上げると、ドアの手前に戻した。
「──びっくりした!」
 エリカも冷汗をかいている。
「何なの、これ?」
 クロロックが、カーテンを左右ヘ一杯に広げると、風が唸りを上げて吹き上げてくる。
 そこは深い闇だった。
「ここは外だ」
「外?」
「高台のこの屋敷から、真っ直ぐに数十メートルは落ち込んでいるだろう。このドアは断崖絶壁の上にあるのだ」
 クロロックは東野ひかりを見て、
「そうですな?」
「──仰せの通りです。申しわけありません」
 と、進み出てドアを重々しい音と共に閉じる。
「クロロックさんにはふしぎな力がおありとうかがって、ぜひお話をと思いました」
「これはテストというわけかな」
「どうぞお怒りにならないでください。──万一のために、すぐ下にネットを張っておきました。安全なように」
「でも、びっくりした!」
 と、エリカは少々むくれている。
「──本当のダイニングヘご案内いたします」
 と、東野ひかりは廊下を少し戻って、別のドアを開け、中へ入っていった。
 シャンデリアの輝く下、食卓には大きなローストビーフが置かれている。
 エリカは少し腹立ちがおさまった……。

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