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怪談
小池真理子

   岬 へ

 秋の午後の光が射しこみ、車内はむんむんとして蒸し暑いほどである。外が涼しいせいか、冷房はつけられていない。
 何か息苦しいような感じになったので、後部座席の窓を細めに開けた。風が、びゅうびゅうと唸り声をあげながら吹きつけてきた。
 バックミラーの中で、タクシーの運転手と目が合った。白い制帽をかぶった初老の運転手だった。ミラーには、黄色く濁った大きな二つの目玉だけが映っていた。
「岬には行かれないんで?」
 岬、と聞いてぎょっとしたが、咄嗟に私は知らないふりをして訊き返した。「岬、って?」
「いやですね、お客さん。S岬ですよ。ほら、あの断崖のある……」
「いえ、私は……」
「そうですか」と運転手は言い、わざとらしく言葉を濁すようにして話題を変えた。
「しかし、今日は風が強いですねえ。今は晴れてても、天気はどんどん下り坂に向かってる、ってね、予報じゃ言ってましたけどもねえ。そのせいですかねえ」
 あのう、と私はおずおずと運転手の背に向かって言った。「そんなにみなさん、行かれるんですか」
「え?」
「いえ、その……岬に」
「ああ、岬ね。いやいや、そんなに、ってわけじゃないけども」
「でも、さっき……」
「いやいや」と運転手は曖昧に繰り返しながら、忙しそうにハンドルを右に切った。
 私はそれ以上何も訊かず、黙っていた。
 狭い車内で客と沈黙し合っているのが気づまりなのか、運転手はとってつけたように、このあたりで採れるというキノコの話や、イノシシの家族が一列に並んで道路を横切っているのを目撃した、という他愛のない話を次から次へと威勢よくしゃべり出した。そして、一通り話して話題がとぎれると、再びバックミラーの中で覗きこむように私を見た。
「そういや、お客さん、犬も猫も連れて来てないみたいだけど」
「はあ、そうですが」
「お客さんがこれから行かれるペンションは、ペットOKでしょ。だから、あそこに行く人はペット連れのお客さんがほとんどでね。なんつうんですか? ほら、あの、プラスチックのケースみたいなもんに犬猫を入れて運んで来たりね。大きな犬と乗り込んで来たお客さんもいたからね」
「いえ、私は今日は、あちらのオーナー夫妻にご挨拶に来ただけなので」
 私がそう言うと、運転手は「あ、そうかね」と笑みをふくませて応じた。安堵の気配が伝わってきた。「島原さんとこのお知り合い?」
「はい、まあ、そんなようなもんです」
「そうかね」と運転手は繰り返した。「お知り合いだったら、犬も猫も連れてくる必要、ないよね」
 ペンションのオーナー夫妻が島原という名であることは知らなかった。だが、事情を説明するのは面倒だった。私は「そうなんです」とだけ応えた。
「そういや、あのペンション、十月末で閉めてしまうらしいねえ。そのこと、ご存じだったですか?」
「はい、知っています」
「あと一か月っきゃないね。古くからあったペンションだったからねえ。ただでさえ、湖畔のあっち側には、他に建物らしい建物はなかったからさ、賑わってたころはなんつうのか、いつもお客さんでいっぱいで、明るい雰囲気になってよかったんだけどねえ。あそこが閉められちゃうとなると、ほんと、さびしくなるよ」
「はあ」
「といったって、島原さん夫婦も、年だからね。いつまでも続けるわけにはいかんだろうから、仕方ないよねえ」
「ですから」と私は言い、「今日はそのご挨拶に伺ったんです」と小声でつけ加えた。気のせいか、声が裏返っているような感じがした。
 運転手は、またしてもミラーの中から私をちらりと見た。訝るような上目づかいだった。私は目をそらした。
 湖畔には数軒のペンションや喫茶店が建ち並んでいたが、いずれも営業している気配はなかった。中には廃屋と化したまま、放置されている建物もあった。隣町に大型リゾート施設とホテルができて以来、多くの客をそちらにとられ、このあたりの民宿やペンションは経営難に陥っている、という記事をどこかで読んだ記憶がある。
 タクシーは人の気配のしない、めったに車とも行き交うことのない、うねうねと曲がりくねった湖畔のさびしい道を進んでいった。
 秋の彼岸も過ぎ、夏の間に獰猛に生い茂った草木は勢いをなくしていた。吹きつけてくる風を受け、四方八方に葉を裏返している木々の木もれ日は、じっと見ていると目がまわりそうになるほどせわしなかった。
 ペンションの看板が現れた。犬と猫の素朴なイラストが描かれた看板だった。「ペン」の文字は消えかかっており、「ション」のあとに「ベン」と黒いスプレーでいたずら書きがされてあった。
 タクシーは看板が立つ岐路を右に折れ、しばらく走って、錆びの浮いたフェンスが長く伸びている一角で静かに停まった。
 想像していたよりもずっと小さなペンションだった。ごくありふれた会社の保養施設、もしくは社員寮のようでもあった。
 左右に細長く伸びた木造二階建て。下見板張りになった外壁は白。窓枠や玄関扉は茶色で、スレート葺きの屋根はレンガ色。ところどころ塗装が剥げ落ち、全体がひどくくすんで見えたが、全盛期のころはそれなりに美しかっただろうということだけは、素人目にもわかった。
 向かって左側にテニスコートが一面。長い間、使われていないようで、どこもかしこも、茫々とした背の高い雑草で被われている。そのテニスコートの前には、オーナー夫妻の車なのか、一台のうす汚れた紺色のワンボックスカーが停められていた。
 私が運転手に料金を支払っていると、ペンションの玄関扉が開かれた。戸口から顔を覗かせたのは、七十代とおぼしき女だった。黄色い花柄のエプロンをつけた女の偏平な胸には、毛むくじゃらの大きな白い犬が抱かれていた。
 私が車から降りるなり、犬が烈しく吠えた。抱かれているのをいやがって暴れるものだから、女はしかめ面をしながら犬を地面におろした。
 そのとたん、犬は勢いこんだように私に向かって来ようとした。女が、「こら!」と叱りながら強く綱を引いた。
 女の後ろから、白髪の背の高い男が出て来た。二人はペンションのオーナー夫妻のようだった。男が犬に向かって低く何か言うと、犬はおとなしくなった。
 タクシーがUターンして走り去った。あたりが静まり返った。風の音しか聞こえなくなった。
 私は夫妻に向かって深々と礼をし、名前を名乗った。
 オーナー夫妻は「島原です」と言い、「遠いところをようこそ」「お待ちしていました」と愛想よく繰り返した。
 並んで立っていると、体型も顔つきもよく似ており、夫妻は老いさらばえた双子のように見えた。白い犬は夫妻の背後で、私をにらみつけるようにしながら、じっと座っていた。
 小さなエントランスホールの両側の壁には、ポラロイドカメラで撮られたスナップ写真が天井までいちめんに貼られていた。犬猫連れで宿泊した客を、島原夫妻が撮影したもののようで、それぞれの写真には客本人のサインと日付が記されてあった。
 真新しいものは一枚もなく、ほとんどが色あせ、埃をかぶっていた。中には、そこに写されているのが何なのか、判別しがたくなってしまっているものすらあった。
 無数に貼られた写真の中に、達彦の顔を探そうとしていることに気づき、私ははっとした。達彦の写真がここに貼られているわけもない。
 二十年前、私が二十八歳の時、一つ年上だった達彦は、愛犬と共にここに泊まり、犬をよろしく、という短い書き置きを遺して、翌朝早く、S岬の断崖から身を投げた。
 達彦は私のよき友人だった。友人……としか言いようがない。達彦は私と恋人同士になりたがっていたが、私が最後までそれを受け入れなかったのだ。
 男と女、という意味では、私は彼のことをさほど愛してはいなかった。何故、愛せなかったのか、今もよくわからない。生理的に嫌いな面があったわけでもない。会えば愉しかったし、話もはずんだ。価値観が私とよく似ていた。何より彼は私に優しかった。好きか、と訊かれれば、好きと答えるしかない相手だった。
 それなのに、私は彼を愛せなかった。彼と会って飲みに行ったり、話し込んだりすることは好きだったが、彼に触れたいとか、彼から触れられたいとは決して思わなかった。まさか彼が死を選ぶとは夢にも思わなかったから、時折、面白半分に邪険にすることもあった。
 愛の言葉を連想させる言い回しをされるたびに、笑ってごまかし、冗談で終わらせた。悲しい表情をされると、むしょうに苛立ちがつのった。誰かつきあっている男がいるの、と訊かれれば、誰もいないのに、いるかもしれない、などと答えた。
 そのたびに彼はさびしそうな顔をした。私は内心、うんざりしたが、それは表情に出さなかった。いつも冗談ばかり言って話をうやむやにした。
 彼はそのうち、私を恋人にしようなどとは考えなくなるだろう、と思っていた。そうなった時初めて、私たちは本当の意味でのよき友人同士になれるのだ、と信じてもいた。私は若く、傲慢で、浅はかだった。
 夫妻に案内されるまま、ペンションのラウンジに入った。無数の犬猫の置物やぬいぐるみ、壁にかけられた動物の絵やポスターが目についた。床には犬猫用の餌入れや玩具などが転がっていた。
 あちこちの糸がほつれている、赤茶けた布張りソファーと木製の長椅子。中央には一枚板の細長いテーブルが一つ。テーブルの上には、籐製の籠に入れられたキャンディだの、犬の写真集だの、猫の専門誌だのが雑然と載せられていた。
 お客様は、夜になるとペットと一緒にここでお茶を飲んだり、お菓子を食べたりして寛いで、互いに親しくなられるんですよ、と島原は説明し、柔和な微笑を浮かべた。「お疲れでしょう。コーヒーと紅茶、日本茶をご用意してあります。何になさいますか」
 島原夫人が夫とよく似た微笑を口もとに湛えながら、「ハーブティーもございますよ」とつけ加えた。
 私がコーヒーを頼むと、夫妻は共に奥に引っ込んで行った。どこかの部屋に閉じ込められているのか、先程の犬が吠えている声が遠くに聞こえた。
 ぼんやりと室内を見渡した。茶色い桟に囲まれた大きな窓ガラスの向こうには、雑木林が拡がっていた。欝蒼とした木立以外、何も見えなかった。吹きつけてくる風が、間断なくガラスを鳴らし続けていて、その音は連鎖しながら建物の隅々にまで拡がっていった。
 夫妻が三人分のコーヒーと、クッキーやチョコレート、葡萄、むいた梨などを盛りつけた大きな皿を運んできた。コーヒーを入れた茶色いマグカップとスプーン、コーヒークリームと砂糖の壷をそれぞれ私の前に置き、夫妻は笑顔のまま、私と対面するように腰をおろした。
「あとでご案内しますけども、一番見晴らしのいいお部屋をご用意してありますから」と夫人がにこやかに言った。
「岬が遠くに見えるんです」と島原が補足した。「霧が出ていなければ、ですけど」
「今日みたいに風が強ければ、間違っても霧は出ませんよ。大丈夫ですよ」
「それにしても、本当に今日はひどい風だ」と島原が言った。
「こんなにお天気がいいのに。ふしぎだわねえ」
「今、晴れていてもアテにならない。くずれるっていう予報が出ていた。夜になったらひと雨くるだろう」
「また気温が下がりますかしらねえ」
「下がるだろうな」
「お彼岸を過ぎると、急にこれですから。夜は薪ストーブなしじゃ、寒くって」
「薪をたっぷり用意しておいてよかった。初めてのお客さんに寒い思いをさせたりしちゃ、申し訳ない」
 いつ、話の本題に移るべきか、夫妻は共に、私の様子を窺っているような感じがした。早く部屋で休みたかった。一人になりたかった。私のために夫妻が用意してくれたという部屋が、かつて、達彦が最後の夜を過ごした部屋である可能性は高かったが、そんなことはもう、どうでもよくなったような気がした。
 私はひどく疲れた気持ちになりながら、「あのう」と切り出した。「それで早速なんですが……」
 双子のような夫妻は、そろって弾かれたように姿勢を正した。四つの年老いた瞳が私を見つめた。
「先日、電話でも申し上げましたが」と私は言った。「私のかつての友人である加川達彦さんが亡くなって、今年で丸二十年たちます。今さらではありますけど、彼が最後に宿泊したこのペンションにどうしても来てみたくなりまして。彼が最後の晩、どんな様子だったかということも知りたいし、彼が可愛がっていた犬がどうなったか、ということもお聞きしたいですし……」
「ほら、おまえ、あれをお持ちしたら」と島原が妻に小声で囁いた。
「そうでした」と夫人は慌てたように立ち上がり、そそくさとラウンジの片隅の古い焦げ茶色のチェストの引き出しを開けて、簡易アルバムを持って来た。アルバムは二冊あった。
 手渡されるままにアルバムを開いてみると、そこには茶色いポメラニアンが写っているカラー写真が並んでいた。
「モコです」と島原が言った。「加川さんから私どもがお預かりする形になりましたが、モコは、それからきっかり、十年生きました。それはそれは丈夫な犬でしてね。病気ひとつしなかった。最期は見事な大往生でした。近くの大きな山桜の木の下に埋めてやりました」
「そこはね、うちで飼った代々の犬が眠ってる場所でもあるんですよ」と夫人がつないだ。「あ、猫も二匹、埋めてありますけど」
「いや、三匹だろう」と島原が訂正を求めると、夫人は笑みを浮かべて「そうそう、三匹でしたね」と言った。「こないだ、ノラちゃんを一匹、埋めましたものね」
 野良猫だったから、ノラ、っていう名にしたんですの、と夫人は言い、何がそんなに可笑しいのか、細かく肩を揺すって笑った。
 ごう、と音をたてて風が吹き荒れた。音楽も何も流されていない部屋で、汚れの目立つ窓ガラスが、廃墟のそれのようにがたがたと気味の悪い音をたてた。
 早朝、S岬から身を投げた達彦は、その日の夕方、付近の海を漂流しているところを遺体で発見された。島原夫妻あてに、犬を残していくことを詫びたメモがあった他に、遺書は何ひとつ発見されなかった。東京の彼の部屋にもそれらしきものはなく、むろん、私にも最後の手紙と称されるようなものは送られてこなかった。
 知らせを聞いて、私は文字通り、気を失うほどのショックを受けた。数日間、食べ物が喉を通らなかった。
 自分のせいだ、と思った。自分が達彦を傷つけ、あげく、死に追いやったのだ、と思いこんだ。取り返しのつかないことになってしまった、と感じた。
 だが、一方で私は冷静さを取り戻す努力もした。仮にそうだったとしても、いったい私に何ができたというのか。彼が死を選んだことの理由のひとつに私のことがあったとしても、それは私が一生、責任を負わねばならないことなのか。彼はそれとは無関係に、自分で死を選んだのではないのか。
 世間には、どうしても愛することのできない男から熱心に求愛されて、その男がかわいそうだからと、仕方なしに受け入れる女もいるのだろうが、私にはできなかった。それだけのことではないのか。
 達彦と出会ったのは、私が自力で小さな編集プロダクションを立ち上げて、なんとか食べていけるようになったころだった。フリーライターでなかなかいい仕事をする男がいる、とある人が間に立って紹介してくれた。それが達彦だった。
 達彦はフットワークが軽く、勘が冴えている上に筆もたった。文句のつけようのない、完璧な原稿を書いてきた。アイデアと知識、教養の宝庫のような人でもあった。彼のような人間が身近にいてくれるのは、本当にありがたかった。私はたびたび彼と一緒に仕事をするようになった。
 もともとウマが合ったのか、軽口を叩き合うほど親しくなるのに時間はかからなかった。仕事仲間も一緒にカラオケに興じたり、休日にスキー旅行を楽しんだりしているうちに、私たちは自然な形で個人的に会うようになっていった。
 鳥取出身の彼は、都内にある小さなマンションの一室で一人住まいをしていた。明朗闊達、豪胆な人間にも見えたが、その実、人づきあいを嫌う繊細な面もあった。
 鳥取の両親は彼が小学生の時に離婚し、母親はすぐに再婚。東京に出て新しく事業を始めたという実の父親は、その後、仕事に失敗し、あげく病を得たことを苦にして首を括った。発見者は大学に入学してまもなく、父の住まいを訪ねて行った達彦自身だった。
 彼が室内で犬を飼い始めたのは、私と親しくなり始めたころである。ポメラニアンの若いメスで、亡き父が死の直前まで通いつめていたというスナックのママが飼っていた犬だった。
 そのママが不治の病に倒れ、入院した。自宅に残すことになる犬の引き取り手を探し、困っていたのを見かねて、彼が引き受けた、という話だった。
 犬はモコという名だった。もともと動物好きだった彼はモコを可愛がり、取材で出張する時も、料金が高いことで知られる高級ペットホテルに預けるなどしていた。
 キャリーケースに入れたモコを連れて、彼が私の部屋に遊びに来たこともある。モコは一切人見知りをしない犬で、私にもよく懐いた。そのやわらかな毛並みと、耳の後ろからほんのかすかに匂ってくる犬臭さは、今も忘れていない。
 一度だけだが、達彦とは、共に深酒をした勢いでホテルになだれこんだことがある。交わした性がどんなものだったか、ひとつベッドで寄り添いながら、何を話したのか、よく覚えていない。凄まじい二日酔いの気分の悪さの中、私は彼に介抱される羽目になったが、そのせいもあってか、彼と深くつながった記憶の輪郭は、じきに曖昧なものになっていった。
 彼と触れ合ったのはそれが最初で最後だった。キスをしたのも、抱き合ったのも、彼の前で肌をさらしたのも、その一度きりであった。
 一方で、私は彼が男として私を求め、真剣な気持ちを抱いてくれていることを知っていた。知っていながら、知らないふりをし続けた。私にとって彼は最高の友達、よき理解者だったが、恋人ではなかったからだ。
 一般的に言えば、私は彼のことを適当に弄んでいた、ということになるのかもしれなかった。彼の死後、まさにその通りのことを女友達から指摘され、私は言葉を失った。反論の余地はなかった。あまりにその通りだ、と私が思ってしまったせいか、彼女とはそれきり、疎遠になった。
 しかし、私は断じて彼を弄んだわけではない。そんな小器用なまねができる女だったら、私はもっと早くから、刺激に満ちた人生の大海原に向かって、意気揚々と船出していたことだろう。未だかつて、男から熱心に言い寄られたことすらない私に、どうしてそんな戯れを楽しむ余裕があっただろうか。
 達彦とは、彼が私に求めるような気持ちではないところで、ずっとかかわり続けていきたいと思っていた。ずっと友達でいたかった。それだけだった。
 彼が死んでから、私にもいろいろなことがあった。三十二歳の時に、仕事を通じて知り合った二つ年上の会社員と結婚。立て続けに二度、流産した。
 夫は外に女を作り、そのうち家に帰ってこなくなった。私たちは話し合いの末、協議離婚した。私は四十歳になっていた。
 その後、両親が相次いで病死した。早すぎる死だった。結婚して三人の子持ちになっていた四つ年上の姉と私が、後始末をすることになった。
 無人になった実家は維持するだけでも金と手間がかかるので、早く処分したほうがいい、と親類筋から熱心にアドバイスされ、姉がそれに従った。実家はただちに解体され、土地も売りに出された。
 だが、やっと買い手がついて売却できた土地の代金もふくめ、父が遺した全財産は、思っていたよりもずっと少なかった。
 そのことで姉は連日のように私に電話をかけてきた。猫撫で声を出しながら、うちも亭主が安月給で、住宅ローンや教育費が大変なのよ、わかるでしょう? と姉は言った。 だから、私への相続を多めにしてもらいたいんだけど、あんたならそうしてくれるわよねえ、と。
 私は底知れぬ虚しさを覚えた。全部あげるわよ、と言ってやりたかったのに、それが言えない自分がみじめだった。
 私と姉はたちまち不仲になった。法律にのっとった形での相続をすませて以来、姉とは一切、連絡を取り合っていない。
 ごく軽い気持ちのまま、会社名義で借り入れた金が返済できなくなって、窮地に立たされたこともある。それを救い出してくれた年上の男がいた。さびしかったのと、感謝の気持ちから、私は彼と何度か関係をもった。
 それが男の妻に知られた。私は妻から脅迫めいたメールや手紙を受け取るようになった。男にそれを訴えると、男は妻が腹いせの自殺を考えているらしい、あいつは何をするかわからない女なんだ、と言い、子供のような顔をして怯えた。
 その種の問題で怯えている男は醜かった。二度と会いたくない、と思った。
 もう会わないようにしよう、と告げると、男はなぜか烈火のごとく怒り出した。そして翌週から私は、ネットであることないこと、誹謗中傷されるようになった。
 そのせいで編集プロダクションの仕事は激減した。優秀だったスタッフの一人が辞めていった。
 男の仕業なのか、男とその妻が共謀してやっているのか、あるいは妻だけがやっていることなのか、わからなかった。ある晩、疲れ果てた私は、常用していた睡眠導入剤をいつもより多く飲み、ベッドにもぐりこんだ。
 翌日、事務所に顔を出さず、連絡がとれなくなった私を案じたスタッフが、自宅を訪ねて来て、意識朦朧のまま眠りこけている私を発見した。生命には別状なかったのだが、回復後、私が自殺未遂をした、という噂が広まり、それはなかなか消えてくれなかった。
 そうこうしている間に、体重がいっぺんに六キロおちた。食べても食べても、体重は元に戻らなかった。
 そんな中、ふと、私は思ったのだ。達彦が死んでから二十年、自分は同じところをぐるぐる回っていただけなのではないか、と。
 彼がこの世の最後に宿泊したというペンションに行ってみたくなった。行くべきだ、と思った。愛犬を連れて泊まり、犬をよろしく、と書き置きを遺し、まだ暗いうちにペンションを出た彼の気持ちに、せめて寄り添ってやりたかった。
 同じ場所から一歩も前に進めずにいた自分は、そうすることによって、達彦の霊を慰め、やっと前に足を踏み出すことができるのではないか。新しい人生を歩き始めることができるのではないか。そんなふうに考えたのである。
 だが、意を決してやって来たというのに、私の気持ちは沈みこむばかりだった。まとまりのつかない気分が押し寄せてきて、どうにもいたたまれない。冷たい砂の中に引きずりこまれていくような、気味の悪い疲労感に苛まれている。
 島原夫妻は私がまったく手をつけずにいたチョコレートや果物を次から次へと食べ、代わる代わる立ち上がってはコーヒーや紅茶をいれてきたり、袋に入った駄菓子を持ってきたりしながら、達彦のことを話し続けた。私はこれといった質問もせずに、二人の話を聞いていた。

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