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佐賀北の夏
中村 計

 プロローグ

 世界中の時間が止まったかに思われた。
 2007年8月22日、午後三時六分──。
 時間を与えられたのは、佐賀県立佐賀北高校の副島浩史(三年)の黒い金属バットから弾かれ、阪神甲子園球場の空に高々と舞い上がった白い小さな点だけ。
「打った瞬間は、ホームランだとは思わなかった。感触がなかったですからね。よくてもレフトを越えるくらいかな、って。だから一塁までは全力疾走でしたよ」
 そんな中、「バット引き係」の新川勝政(二年)は仕事に忠実だった。副島のバットがボールをとらえた瞬間、反射的に佐賀北ベンチを飛び出した。打球の行方を目で追いながらホームベース付近に駆け寄り、副島が投げ捨てたバットを手にしたとき、その「点」が満員のレフトスタンド前段に吸い込まれるのを確認した。
 その間、約五秒。
「ずっと見ていたいような……そんな気分でしたね」
 陶然たる心持ちだった。
 緑と黒、鮮やかなツートンカラーの聖地が地響きを立てる。
 二塁ベースを蹴った副島は、振り返り、バックスクリーンの上にあるスコアボードに目をやった。
「何点け、何点け、って。そうしたら『5』ってなってて、あ、逆転だ! って」
 時計は再び動き始めていた。

 ──「拳つくったら、でかいですもん」
 2008年5月某日。
 福岡大学内のモスバーガーで、ユニフォーム姿の副島は、塩味のややきついポテトフライをつまみながら、そうぶっきらぼうに言って日に焼けた右手を握って見せた。
 副島の手は、180センチ近い身長の割に、指は短く、掌もさほど大きくない。ただ、鍛え上げられた上半身のように分厚く、パンパンに張っている。
 その黒い手は、あのときの感覚をまだはっきりと記憶している。
「ふわっ、という感じ。振り切ったという感じでもなかったですからね。10本(高校通算本塁打数)の中で、そんな感覚だったのはあれだけです。それ以外は、ガツンという手応えがあった。なんでですかね」
 40・9度という史上最高気温が観測され、記録的な酷暑となった2007年夏の日本列島。日本一暑いと言われる大阪との県境に近い兵庫県西宮市にある甲子園は「連日、30度を超える熱波に焼かれていた。
 夏の甲子園の決勝戦は、もっとも暑い季節、もっとも暑い月、もっとも暑い場所で、もっとも暑い時間帯に行われる。
 この夏の決勝、佐賀北対広陵(広島)の一戦は、そんな暑さに冷静な判断力を欠いた野球の神様が思わず過ぎた演出をしてしまったのではないか、そう思えるような試合だった。そう、あたかも、誤って「奇跡」というボタンを押してしまったかのような。

 その三日前、準々決勝で彼らは優勝候補の筆頭に挙げられていた帝京とぶつかっている。片や、春夏合わせて全国制覇三回の実績を持つ東東京代表の全国屈指の強豪私学。片や、九州ではもっとも少ない参加校数41校の佐賀県代表の無名の公立校。両校のデータを突き合わせる限り、佐賀北が勝てる要素は何ひとつないように思われた。
 だが、試合前、監督の百崎敏克はこう話していた。大学で野球をやっていなかったせいもあるのだろう、「体育会臭」のしない百崎は、グラウンドよりは教壇、ユニフォームよりはスーツの方が似合いそうな雰囲気を漂わせている。
「うちが勝つと思っている人は誰もいないでしょう。確かに、練習試合だったら十回中十回負ける。でも本番は違う」
 静かな中にも、戦う意志が確かに感じられた。怯んでいるわけでも、また逆に強がっている様子でもなかった。そこが唯一、期待を抱かせた部分だった。そしていざ試合が始まると、そんな期待感は回を追うごとに大きくなっていった。百崎が振り返る。
「再試合も含めて、ここまでうちはすでに四試合もやっていましたからね。自分の中にあったイメージよりも、遥かに選手たちは成長していました」
 結果、佐賀北は数段格上と思われていた帝京相手に臆するどころか堂々と渡り合い、延長の末、4−3で押し切ってしまったのだ。決勝はともかく、少なくとも帝京戦は野球の神様の演出が行き過ぎていたとは感じなかった。佐賀北が持っている力を出し切り、対照的に帝京は出し切れなかった。その差が番狂わせを起こした。
 佐賀北がメディアで喧伝されたようないわゆる「普通の公立校」だとは思わない。野球部には一学年あたり七人のスポーツ推薦枠が与えられており、レギュラーメンバーのほとんどはスポーツ推薦制度を利用して入学した選手たちだ。県内では、それなりに名の通った選手の集団である。
 報道されたように、メンバー全員が中学までは軟式野球しか経験していない。だが、それはメディアが示唆したように力がなかったからではなく、単に県内に硬式野球チームがほとんどないせいだ。つまり、佐賀では「軟式上がり」=「非エリート」という等式は成り立たない。
 不充分な環境の代名詞として使われた「サッカー部と共用のグラウンド」も、「U字溝のベンチ」も、「信号機をリサイクルしたカウント表示器」も、実際に佐賀北を訪れれば誰もが感じると思うのだが、むしろ充分に思えた。グラウンドは150メートル×93メートルと大きく、二つのクラブが使うのに支障はほとんどない。大きなテントに覆われた二列のU字溝のベンチも、案外、使い勝手がよさそうだ。廃材を利用したカウント表示器にせよ、市販されているものよりも立派に見えた。上等とは呼べないまでも、部室もあり、監督室もあり、ウエイト場もある。ティーネットなどの備品も豊富だった。二十九人乗りの野球部専用の中型バスもある。
 無論、そうは言っても、全国レベルで見れば佐賀北は凡庸なチームだという印象は免れない。そもそも佐賀県自体が、1994年に佐賀商業が県勢として初めて全国制覇を果たすまでは「九州のお荷物」と呼ばれるなど、野球後進県という印象が強い。
 副島が、開幕の四日前に行われた甲子園練習の日のことを回想する。
「球場に着いたら、隣が仙台育英(宮城)のバスで。誰かが『佐藤由規(東京ヤクルトスワローズ)だ!』って叫ぶから、みんなで『どこや!』ってそっちの方を見たら、あいつにジロリってにらまれて。みんな凍り付いてましたね」
 決勝の7回まで、県大会から通じ無失点記録を50回と3分の2続けたエースの久保貴大(三年)も、その日のことを茶目っ気たっぷりに振り返る。
「甲子園練習のときは、完全に舞い上がってました。ぜんぜんストライクが入らないんです。球場に入った瞬間、常総学院(茨城)とか、花巻東(岩手)とか、すっごい強そうに見えた。そういうチームに見られていると思うと、ものすごい緊張しちゃって」
 常総学院ならまだしも、当時、全国的にはまだ無名に等しい岩手県代表の花巻東に対しても気後れしているあたりが実に微笑ましい。
 二週間分しか使い捨てコンタクトを持ってきていなかった5番レフトの大串亮平(二年)は、帝京戦の前にコンタクトを使い切ってしまい、慌てて親に送ってもらっていた。
 ところが、そんな初々しさを見せる一方で、ひとたびプレイボールがかかると、彼らはしたたかなまでに落ち着いていた。帝京戦でも。広陵戦でも。
 明らかに格上と思えるチームに敗れるとき、敗因はだいたい決まっているのだ。怯え、自分を見失い、持っている力を出し切れぬまま散ってしまう。彼らは決して強者ではなかった。だが、どこか悠然としていた。

 この夏の佐賀北と、十三年前、同じく佐賀代表として全国の頂点に立った佐賀商業の足跡は驚くほど多くの点で重なっていた。
 前年夏は県大会の初戦で敗退していること。そして甲子園では、開会式直後の開幕戦のクジを引いたこと。決勝戦で満塁ホームランが出たこと。そして全国制覇を「ミラクル」と称されたことも。
 ただ、その当時、佐賀商業の監督を務めていた田中公士は、自分でもミラクルだと思うかと問うたときだけ、細い体を前に乗り出した。田中は、大学どころか、高校でも野球部に所属していなかった。そのため、グラウンドを離れたときの物腰の柔らかさは百崎と共通している。このあたりも奇妙な符合である。
「どうせ『まぐれだよ』って言われるだけなので普段は言わないですけど、私自身はミラクルでもなんでもないと思ってるんです。甲子園で勝つと、自信が選手を急激に成長させる。ひとつでは難しいですけど、二回勝てばその感覚がわかる。打席に向かう姿が違う。選手が大きく見えましたからね。あの成長の幅は高校生の特権だと思いますよ」
 田中に話を聞いたとき、すでに何人かの佐賀北関係者にも当たっていた。実は、私も同じ感覚を抱き始めていた。佐賀北の優勝は、ミラクルでもなんでもなかったのではないかと。優勝は出来すぎていたとしても、少なくとも、甲子園で何回か勝つだけの力は充分に備えていた。
 たとえばひとつの好プレーを引っ張り出してみると、そこには必ず糸がついていて、その糸をたどっていくと、必ずその要因となる何かが出てくるのだ。それはあの副島の逆転満塁ホームランも例外ではなかった。
 そして、百崎の中にあるこんなイメージが、私の脳裏にもありありと浮かんでいた。
「俺が求めているのは、でっかい象を、ちっちゃいアリで倒すイメージ。一対一なら負けるけど、束になれば倒せないはずはない。相手を見ただけでビビるやつは絶対に許さない。おまえは足をかじれ、おまえは砂をかけて目つぶしをやれ、おまえは後ろに回ってタマを蹴り上げろ、と。言葉は汚いですけどね」
 二回戦で対戦し、再試合の末、苦杯をなめた宇治山田商業(三重)監督の中居誠は佐賀北の印象をこう話していた。
「選手ひとりひとりが自分ができるのはこれだけだからという開き直りを感じた。普通は、こう打ちたい、こう投げたいっていう欲が出てくるもんなんですけど、それを捨てさせている強さを感じましたね。選手たちの腹の据わり方が違った。相手がどうこうよりも自分たちの野球を徹底するんだ、と。正直、こら勝てんわと思いましたね」
 帝京の監督、前田三夫も、奇しくもまったく同じことを感じていた。
「長打の選手は長打、単打の選手は単打と、役割分担がはっきりしていた。それがあの集中力を生んでいたんじゃないかなあ」
 野球とは不思議なスポーツで、団体競技でありながら、個人競技の色合いが強い。全員が個人スポーツとしてとらえてもチームは成り立つ。ただ、近視眼的に見ると個人競技だが、引いて眺めるとやはり団体競技だ。だから、野球ではそれが難しいのだが、プレーヤー全員がそうした意識を持つことに成功すると、個々の能力だけでははかれない強大な力を生むことがある。
 アフリカや南北アメリカ大陸に「陸のピラニア」と恐れられる軍隊アリという種類のアリが生息している。そのアリは数万匹から多いときには数千万匹単位で行動し、ときにはライオンや象なども倒して食べてしまうのだという。
 最強のアリ軍団──。
 佐賀北から浮かび上がってくる像は、まさにそんなイメージだった。

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