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バカになったか、日本人
橋本 治

   I 大震災がやって来た時

 無用な不安はお捨てなさい

 一 半病人の視点
 なんの因果か、三月十一日の大地震が発生する五カ月ほど前から、私は病人になっていた。四カ月近く入院して、大地震の一月前に退院したが、大地震の五日後にはまた短期で入院する手筈になっていた。
 私の病気は、毛細血管が炎症を起こしてただれるという面倒なもので、毛細血管に近接する筋肉がダメージを受け、末梢神経もダメージを受ける。入院したきっかけは脚の痛みだが、退院しても脚の筋肉は劣化しているから、ちょっと歩いただけですぐに歩行困難な痛みがやって来る。手足のしびれが抜けず、足の先なんかは、しびれの靴かブーツを履いているような状態になっている。この病気は免疫系統の病気で、「免疫力が落ちているから感染症に気をつけて、外出の時はマスクを忘れずに」と言われているが、「免疫力の低下」を言われてもよく分からない。それよりも自分の体力が低下していることの方が、ずっとよく分かる。集中力が持続せずに、すぐに眠くなってしまう。一日の半分以上眠っているのは別に珍しくなくて、目を覚まして第一に思うのは、「今の自分はどんな具合なんだ?」で、「だめだ」と思えばまた眠ってしまう。おまけに、心臓の具合もよろしくないと言われている。
 だからなんなのかというと、半病人あるいはただの病人である私は、東京でその大地震の揺れに遭遇し、「こんな揺れ方は初めてだ」と思いはしたものの、ただそれだけで「不安」というものをほとんど感じなかった。感じなかったのは、余分な不安を感じるだけの体力がなかったからである。
 その日の夕方、私は外で人と会う予定があったので、外出の仕度をしていた。そこに突然、激しい揺れがやって来た。「こんなのは初めてだ」と思い、ベッドに腰を下ろし、ガスの火が止めてあることや、電化製品のスイッチが切ってあることを確認した。揺れは長い。いつもなら「ガタガタッ」であるはずの擬音が「ガチガチッ」と言っている。棚の上の物が揺れてぶつかり合っていることは、音で分かった。いろいろな物が揺れ、目の前にある本棚が揺れている。立って、これを押さえにかかったが、無駄だと思ってすぐにやめた。立って、本やらなにやらで満載の棚を押さえ続けている気力が湧かなか
った。
 ベッドに座って見ていると、棚からいろんな物が落ちはするが、棚自体は倒れない。
 別の棚からなにかが落ちて、ガチャンガチャンと割れている音もする。「こわい」というような気にはならず、「ああ、面倒臭い」と思いながらテレビを点けた。「面倒臭い」と思うのは、投げ出されて割れた物を片付けなければならないからだ。大体私は、災害の被災地の映像を見ると、すぐに、「あれをどうやって片付けるんだ?」と思う。それをする体力が低下しているから、「面倒臭い」とだけ思う。
 点けたテレビの向こうも揺れていて、なんだか知らないが、他人と揺れを共有しているそのことで少しホッとした。地震速報によれば、都内は震度4で、それまでに「どんなに揺れても震度3」というような揺れしか知らなかった私は、「なるほど、あれが震度4か」と思った。棚からいろんな物は落ちたが、棚自体が倒れるということはなかった。それで、東京都内にいた私の地震体験は終わりである。
「東北の方ではすごいことになってしまったらしいが、東京は別になんともなかった」というところからしか、私の大震災の認識は始まらない。東京の震度は、後に震度5の強だか弱に修正されたそうだが、東京のことに関心のない私は、それも知らなかった。「震度4で家具が倒れるということはない。だったら、余震で心配する必要もない」と思い、「震度4」だと思っていたのがそれより上の「震度5」だったりしたらなおさらで、なんの心配がいるんだろう。
 やがて「電車が止まっている」というニュースが入る。地震で電車が止まるのは珍しくないから、「あ、そうか」と思う。その日に会う予定の相手からは、「電車が止まっているから止めましょう」の連絡が入る。退院後の私は、一度に二つも三つものことを「しなければ」と思うと、心臓がドキドキして、一休みしなければ先の方針が立たない。とりあえずの予定がキャンセルされて、やるべきことは「部屋の中を片付ける」に絞られた。ノロノロと立って、陶器やガラスの破片を拾い集め、掃除機をかけて、「それほどたいした疲労ではなかったな」と思い、外出のついでに立ち寄るはずだった銀行に行くことにした。
「一日にわずかでも、外へ出て歩く。一日の予定を先に持ち越すと面倒だから、その日の予定はその日の内にこなす」というのがその頃の私の方針だったから、火急の用でもないのに銀行へ行った。そこへ行くまでは、電車の一駅分くらい歩く。その往復が一日の歩行の限度距離だから、リハビリのつもりでもあった。その私の頭の中には、「あの地震で町の中はどうなっているのかな?」と思う気もなかった。
 幹線道路と幹線道路がぶつかる交差点には、交通整理の警官が出ていた。「信号が止まっているのかな?」と思ったが、そんなこともない。歩道を行く人の数が妙に多いので「へんだな」と思ったが、その理由が分からない。私の進む方向とは逆方向──つまり都心から遠ざかる方向へと進んで行く人達の表情は妙に明るくて、時刻はまだ午後の四時にはなっていなかったと思うので、私は「みんなでピクニックに行くのかな?」と思った。下手をすれば、手をつないで歩いて行きかねない様子の人達で、深刻さは微塵も感じられなかった。とぼけた私の頭は、「そう言えば電車は止まってるんだっけ」と思い出し、「もしかしたら、この一方向で進んでいる人達は、歩いて家に帰る訓練をしているのかもしれない」という見当違いの結論を出した。「訓練」ではなくてただ「帰って行く」だったのだが、そう思っても仕方がないだろう。私の歩く町の中に由々しい気配なんかかけらもない。一カ所だけ、二階の窓ガラスが割れて歩道上に落ちているところがあった。「臨時休業」の札を出している飲食店が一つだけあった。やがては故障を起こす銀行のATMも無事だった。用を済ませて帰ろうとすると、歩道を行く人の数だけが増えていた。さすがの私も、「これは訓練なんかではなく、早めの帰宅の人の列だ」と理解をした。車道もいつか、車で埋まっていた。健康な時だったら、相当の距離を歩いて家に帰らなければならない人達に対して「大変だな」と思いもしたろうが、人のことを思う前に自分の脚が痛んでいるから、そこまでの余裕はなかった。「もっと遠い距離を歩く」と考えただけで、思考は停止してしまうのだ。

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