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生協のルイーダさん
あるバイトの物語
百舌涼一

   Aか? Bか?

 ──それが問題だ。
 この春、やっとのことで大学生になれた社本勇は、学食の列に並びながら、ハムレットよろしく、自分の運命というか、自分の弱さを呪っていた。
 ──二者択一は嫌いだ。
「(上底+下底)×高さ÷2」で面積を求める形のお盆を凝視するも、それで「一一二五平方センチメートル」と解がパッと出るわけでも、AかBかの答えがするりと導き出されるわけでもなかった。
 ──いや、嫌いというか、俺にとってもはや無理ゲーだ、これは。
 本日の日替わり定食は二種類。Aがから揚げ定食で、Bが野菜炒め定食だ。肉は食べたい。「だがしかし」と勇は思い直す。実家を出て、一人暮らしをはじめてから、明らかに野菜が不足している。こういうときこそ野菜を選ぶべきか。しかし、から揚げは大好物のひとつ。いやいや、野菜炒めのあの大きめにカットしたきくらげも好きなものランキング上位入賞の実力者だ。
 ──むむむむ、悩む。むむむむ。
「むが多い!」と自分の思考に自分でツッコミを入れる勇。こんなことで脳細胞を浪費している自分が嫌いだ。
「から揚げ党」と「野菜炒め党」が脳内議事堂で論戦を繰り広げている中、勇が並ぶ定食の列は、牛歩よりはるかに早いペースで前に進んでいく。前の方で「A!」「B!」と迷いのない学生たちの声が響き、「はいよ!」と食堂のおばちゃんが威勢よく返事をしている。気持ちのいいやりとり。自分もあんな風に選びたい。しかし、それがかなわないのは勇自身がいちばんよくわかっている。
 ──ああ、いっそのこと両方食いたい。
 しかし、財布には五百円しか入っていない。金はない。選ぶしかない。
「はい、おにいちゃんは?」
 肝っ玉を二、三個持っていそうな恰幅グッドなおばちゃんが勇の方を向いて訊ねた。
「あの、え〜、と」
「A定?」
「いや、あの違くて……」
「はい、Bいっちょ!」
「あ、あ、あ」
「え? 違った?」
「いえ、Bでいいです」
 後半はもはや下を向いて消え入るような声でのやりとりだ。おばちゃんも少し待って勇の動向を見守ってくれたが、それ以上リアクションをとらない勇に軽い苛立ちを覚えたのか、「はい、じゃ、後ろつかえてるから」と、少々乱暴に列の進行を促した。
 提供された野菜炒め定食を受け取り、勇はひとり空いている席につく。
 ──ま、こっちも食べたかったからいいんだけど。
 自分を慰めつつ野菜炒めに箸をのばしてから勇は気づく。
 ──き、きくらげが、ない!?
 勇は熱狂的なきくらげファンではあるが、一般的に野菜炒めにおける「彼」の役どころはそこまで重要ではないらしい。村人役のひとりがいなくなったところで、物語にはさして影響がないだろうと学食のおばちゃんも気を抜いたに違いない。自信を持ってB定食を選べなかった自分への唯一の救済であるきくらげが入ってないことに、勇は落胆の色を隠せなかった。
 ──いつも、こうだ。
 勇は子どもの頃から優柔不断で、「選ぶ」という行為が何より苦手だった。
「優しくて」「柔らかくて」「断ったりしない」。優柔不断はその文字だけを見れば、とても「いいヤツ」に見える。けれど、実際は「情けなくて」「弱くて」「決められない」のが優柔不断な人物の特徴だ。「情弱不決」と文字にするとダメなヤツというのがよくわかる。
 勇は「どっちのアイスがいい?」と訊かれれば、溶けてしまうまで決められず、「海に行きたい? 山に行きたい?」の問いにも答えられないまま、旅行当日家でひとり留守番していたり、「あの子とわたし、どっちと付き合うの?」なんて幸せな悩みを抱えたりしたこともあったが、気づけばふたりとも別の彼氏ができていた。
 勇がいまこの大学にいるのも、受かったふたつのうちどちらに行くか、迷って悩んで決めきれず、もう一浪しそうになっていたところを、業を煮やした両親が勇に代わって入学手続きを済ませたからなのだ。
 ──変わらねば。
 勇は、きくらげの入っていない野菜炒めを前に強く思った。決められない男に未来はない。選べずに終わる。他人に選択を委ねる。そんな人生とはさよならしなくては。
 ──とはいえ、まず、何から変えよう。
 勇は自らを見つめ直した。文字どおり、自分の全身を足元から観察してみる。
 高校時代から履いている靴。ひざのところに擦り切れた痕があるジーンズ。ベルトの穴はすでにがばがば。チェックのシャツは母親に買ってもらったものだ。髪は入学式のときですら面倒くさくて切りに行っていない。
 ──見た目からか……。
 しかし、さきほどの定食問題のときにすでに発覚しているように、勇の財布の中には、もはやおつりの十円しか入っていない。家に帰ったとしても、とてもじゃないがイメチェンできるほどのおしゃれアイテムを揃えるお金はなかった。
 ──まずは軍資金だな。
 年の離れた妹にかかりっきりで、勇にほとんど関心を示さない両親からの仕送りはごくごく僅かだ。浪人してしまった手前、大きな声で文句は言えないが、本当にぎりぎりの額だと勇は思っていた。
 奨学金ももらっているが、それでも授業料のことなどを考えると、まずは先立つものがなければ、服を買うことはおろか、来月まで生き延びることも難しかった。
 ──バイトか。どうしよう?
 そう頭を悩ませているとき、勇はふと、学食の隅にある掲示板に目をやった。そこには、生協への質問や要望などを書いて目安箱に投函された「ひとことメモ」が、生協職員からの回答つきで貼り出されていた。
 ──ああ、あの白岩さんだったっけ、そんな名前の職員が有名になったやつ。
 勇がまだ小学生だった頃、学生の質問に対してウィットに富んだナイスな回答をする生協職員がいて、結構話題になっていたことを思い出す。
 勇は何とはなしにメモをひとつずつ見ていく。神社に行ったとき、絵馬に書いてある他人の願い事を無意識に読んでしまうのと同じ気分だ。
【教養英語 II Aの教科書が薄いのに高い! なんとかしてくれ!】
【いまどきコピー機がタッチパネルじゃないのはどういうことか】
【なんでか自動ドアがボクのときだけ反応しません】
 生協の売店に対する不満らしい。
 ──自動ドアは生協のせいか?
 勇は他のメモにも目を移していく。
【サバの味噌煮フライって斜め上いきすぎてるだろ】
【白身魚風フライの『風』が気になって夜も眠れない】
【フリッターとフライは別物ですか?】
 学食のメニューに対しての要望なども多い。ただ、やや内容に偏りがある気がする。
 ──フライに対してのこだわりが強いな、うちの学生は。
 勇も【きくらげは脇役じゃない】と書きたい気分だ。このひとことメモ、要は学生が好き勝手な「ひとこと」を綴っているだけである。ただ、少なくとも掲示されているものに対しては、生協職員がひとつひとつちゃんと回答していた。
 そして、それらのやりとりの中でいまの勇がもっとも興味をそそられるものがあった。
【同情するなら金をくれ】
【情けも金もあげないけど仕事ならあげる。わたしんとこにおいで】
 他の「ひとこと」に対する回答は丁寧なのに対し、このメモだけは職員の回答が明らかに上からで、かつ言葉遣いもやや乱暴だった。職員名の欄には【ルイーダ】と書いてある。あだ名で回答とは、これまたふざけている。
 ──少しは白岩さんを見習えよ。
 勇はそう思いながらも、【仕事はやる】の言葉に惹かれていた。
 ──仕事、ほしい。
 いつもなら「思い立ったらすぐ行動」というのは勇の流儀に反する。「あぶない橋は最後に渡る」が基本としている信条だ。しかし、今回ばかりは財布のおけらが激しく鳴いて、勇のおよび腰を強く非難する。
 ──ルイーダさんとやらを探してみるか。

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