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いのちの姿 完全版
宮本 輝
   兄

 大学を卒業して広告代理店に就職した私は、二週間の研修期間を終えると、企画制作部という部署に配属となった。デザイナーやカメラマンやコピーライターがいて、他の部署とは異なる雰囲気で、社内でもそこだけ治外法権といった趣きがあった。
 三日目にデザイナーが私を呼び、机の上に並べてある十数枚の写真のなかからいちばんいいと思えるものを選べと言った。ある不動産会社の売り出す分譲マンションのパンフレットに使う写真選びで悩んでいるのだという。
 私は、若い夫婦と幼い娘が高台からの風景を眺めている写真を選んだ。するとデザイナーは、みんなもこれがいいと言うので困っているのだと腕組みをしたまま大きく溜息をついた。そして、広告業界では、人のうしろ姿を使うのは一種のタブーなのだと教えてくれた。うしろ姿というものは、どのような使い方をしても寂しいのだ、と。
 私はなるほどと思い、うしろ姿にはどうしても「去って行く」という印象がつきまとうのであろうと納得した。しかし、いつのころからか、私は人のうしろ姿に惹かれるようになった。誰かを思い出すとき、私は決まってその人のうしろ姿を心に甦らせることから始める。

 母は二十歳のとき最初の結婚をして、すぐに男の子をもうけたが、その子がまだ乳呑み児のときに離婚した。夫の酒癖の悪さは並外れていて、それに耐えられなかったのだという。子は夫のもとに残していき、生涯二度と逢わないというのが嫁ぎ先の求める離婚の条件だった。
 母はそれから約十年後に再婚して、三十六歳のときに私を産んだ。だから私には十五、六歳上の種違いの兄がいるのだ。ひとりっ子の私にとってはたったひとりきりの血のつながる兄である。
 後年、年老いた母に、私は、先夫のもとに残してきた自分の子に逢いたくはないか、もし逢いたいなら、逢ってきてはどうかと訊いた。
 逢いたいと思ったことは一度もない。生涯逢わないと約束したし、またほんの少しでも逢いたいという心が生じたこともないと母は言った。
「ぼくに遠慮はいらんで」
 私の言葉に、どんなに自分のお腹を痛めて産んだ我が子であっても、自分で育てなければ親子にはなれないものなのであろうと母は微笑みながら決然と言った。その言い方には、この話題はこれで終わりだという含みがあった。
 母は平成三(一九九一)年に七十九歳で死んだ。その翌年、私は若いころにお世話になった方の重病をしらされ、入院中の神戸の病院に見舞った。
 見舞いを終え病院を出て、しばらく歩くうちに、そこが母の先夫の家があったところだと気づいた。私は母の口から、先夫の家の住所も先夫と子の名も聞かされていたのだ。私がそれを覚えていたのは、珍しい姓だったのと、そこが昭和二十(一九四五)年の神戸大空襲ですべて焼き尽くされた地であることを知っていたからだ。
 空襲で焼かれてしまっても、戦後に家を建て直して、ずっと住みつづけていることも考えられる。私はそう思い、いわばちょっとしたいたずら心を起こして、民家の表札を一軒一軒見て歩いた。すると十分も歩かないうちに、その滅多にない珍しい姓が書かれた表札に行き当たったのだ。
 古い二階屋で、小さな門扉と玄関までの二メートルほどの細道に幾つかの鉢植えの植物が並んでいた。
 私は妙にうろたえてしまって、いったんは足早にそこから去ったが、不意に私は、種違いの兄がいかなる容貌の持ち主であるのか、知りたくてたまらなくなった。私と似ているだろうか……。
 母の親戚筋の人々には、みな共通した特徴がある。細面で、日本人離れした細くて高い鼻梁と尖った鼻先。男も女もその点だけは奇妙なほどに似ているのだ。お前もそこが似ていたらかなりの美男子なのに、と子供のころ母方の親戚の人に言われたものだった。そこだけ父親に似てしまったなァ、と。
 私は、その家の前に戻り、怪しまれないように行き過ぎて、わざわざ病院の近くまで戻り、再び同じ道を引き返した。そんなことを五、六回繰り返した。
 そうしているうちに、私は自分が母の意に反したことをしていると感じた。もうやめようと決めて、その家の前を通り過ぎたとき、犬をつれた初老の男が出て来た。
 男の顔は見えなかった。待ちあぐねた散歩に歓ぶ犬に引っ張られて、男は私を小走りで追い越し、四つ角を山手のほうへと曲がって行ったのだ。
 住んでいる場所、珍しい姓、年格好、細身で長身……。私とは父を異にする兄に間違いないと考える以外なさそうであった。
 急な坂道を犬に引っ張られるようにしてのぼって行くその人は一度も振り返らなかったが、それは「去って行く人」のうしろ姿ではなかった。
 私はそのうしろ姿に何かひとこと声をかけたいという突然の衝動を抑えられなかった。私は大声でその人の名を呼んだ。○○ちゃーん、と。そしてその人が振り返ると同時に走って逃げた。
 私が再びその家の前に立つことは決してあるまい。

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