書籍試し読み
詳しくはBOOK NAVIへ
師父の遺言
松井今朝子

 はじめに

 反抗期の無い子供が現れたという話を聞いたのはもうずいぶん前になるが、それはそれで心配されていたりするから、人間の親子関係は実にやっかいだ。動物の子別れのように、親のスイッチが一瞬にして切り替わる感じにはどうしてもならないのだろうか。
 調べてみたら、日本で反抗期という言葉が一般に使われだしたのは、私がちょうど子供の頃のようである。「一生反抗期」という言葉も早くに生まれていて、自分はきっとそれなのだろうと思っていた。
 親子はあらゆる人間関係の基本だから、反抗期も広範囲に発揮される。学校の先生、会社の上司、あらゆる目上の人間を、私は素直に認めることができなかった。通りいっぺんの道徳や、権威や、規範や、体制を素直に信じる人びとが、どうも理解できないのである。
「あんたみたいな変わった子は知らん」
 というのが母親の口癖だった。
 しかし別に目立った反抗をした覚えはない。学校では概ね優等生で通っていた。テストでは出題者が何を答えさせたいのか想像して、その通りに書いておけば、そこそこの成績は収められる。学校の勉強は所詮その程度だと割り切った、嫌みな優等生の典型だったかもしれない。
 通りいっぺんの質問には、通りいっぺんの答えを書いておけばいいというふうに、世の中をずっと舐めて渡る生き方だって、人間しようと思えばできなくはないのだ。もしかしたら、そのほうが当たりさわりなく無事な一生を過ごせたりするかもしれない。それが面白いかどうかは別として。
 ところが私の場合は、順風航路に突如として入道雲が湧き立ったように、たまたま舐めては通れない相手と遭遇した。それが幸いだったかどうかは別として、がぜん人生がそこから面白く感じられるようになったのは確かである。
 私の前に立ちはだかった相手は武智鉄二という、変わりすぎるほど変わった人物だった。この人は私どころではなく、世の中を完全に舐めきっているようにも見えたが、それゆえに私が脱帽したというわけでは断じてない。
 通りいっぺんの道徳や、権威や、規範や、体制を蹴散らしながら歩き続けたこの人物を、私は一生の師と仰いだ。おかげでやっと世の中を本当の意味で受け入れられるようになった気がする。
 武智鉄二師の業績は、近年さまざまな方面で紹介や研究もなされているが、本書はあくまで私が身近に知って、多大な影響を受けた人物としての紹介に留まるはずだ。ただ一生反抗期を通したかもしれない私だからこそ見えた武智師の人となりや魅力も確かにある。それを語ろうとするなら、その前にまずは自己紹介をしておく必要があるかもしれない。

トップページへ戻る