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短編伝説 愛を語れば
集英社文庫編集部編

ごはん
               江國香織


 しばらく一人旅をしていない。
 そう思ったら、とても旅にでたくなった。
 私は、こういうときだけ行動がはやい。手帖をひらき、仕事のスケジュールを考えて、旅行は九月ということに決めた。パスポートが切れていたので、その日、散歩のとちゅうで写真をとり、区役所から書類をもらってきて、翌日には申請した。
 夜、会社から帰ってきた夫にまっさきに告げた。
「九月に旅行にいってくる」
 背広やネクタイ、ワイシャツやズボンや靴下をそこらじゅうに脱ぎすてていた夫は、服を脱ぐ手をとめ、ぽかんとした顔で私をみてこう言った。
「じゃあ、ごはんは?」
 今度は私が、ぽかんとする番だった。
 ごはん?
 何秒かのあいだ、どちらも黙っていたと思う。それからようやく私は言った。
「ごはん? 最初の言葉がそれなの?」
 きょうこれからでかけるというのならともかく、何カ月も先の旅行の予定をきいてでてくる言葉が、どこにいくの、でもなく、何日くらいいくの、でもなく、ごはんは、だなんて。
 私は、自分の存在の第一義がごはんであると言われたような気がしてかなしくなった。
 このてのことはしょっちゅうおこる。
 ごはん
 これはくせものだ。結婚して二、三カ月たつと、いやでもそのことに気がつく。会社から帰ってごはんを食べて眠る、という一連の行動にあまりにも無駄のない夫をみていると、あの、書くも陳腐な新妻の疑問──このひとは、ごはんのためだけに私と結婚したんじゃないかしら──を心のなかから追い払うのは至難の業だ。
 それで、ある日ごはんをつくらずにおいてみた。会社から帰った夫は、空っぽのテーブルや整然とした台所をみて不思議そうな顔をして、ごはんは? と訊いた。背広やネクタイ、ワイシャツやズボンや靴下を脱ぎ散らかしながら。
「ないの」
 私はこたえた。
「どうして?」
「つくらなかったから」
 私は夫の背広やズボンを拾いあつめながらこたえる。夫はしばらく黙ってから、妙に真剣な様子で、どうして、と、もう一度訊いた。
「つくりたくなかったから」
 私はこたえ、おそばでもとりましょう、と提案した。
「おそば!?」
 夫は変な声をだした。
「そば屋なんてもうやってないよ」
 十時半くらいだったと思う。結局、私たちはその日、夫の車でデニーズにいって夜ごはんを食べたのだった。
 そして、そのことが逆効果になってしまった。毎日ごはんがあるとは限らない、と知った夫は、あの忌まわしいセリフ、「ごはんは?」を、しばしば玄関で発するようになったのだ。不安に駆られるのだろう。ドアをあけるやいなや、ごはんは? と。
 いうまでもなく、これは私をほんとうにかなしくさせた。これを読んだ人の多くは夫に同情するのかもしれないが、ドアをあけ、ひとの顔をみて最初に言う言葉が「ごはんは?」だなんて、途方もなく失礼な話だと私は思う。
 もし私が、もう一生涯ごはんをつくらないと言ったら、あなた私と離婚する?
 一度そう訊いてみたことがある。お風呂のなかで新聞を読んでいた夫は、しないよ、とこたえる程度には私の質問に対する「傾向と対策」を学習していたが、その返事を鵜呑みにしない程度には、私も彼というひとを学習してしまっている。
 私は食べることが好きなので、料理そのものは苦にならない。でも、料理のために行動が制限されるというのは大いに苦になるのだ。
 一方で、私は勿論夫と食べるごはんが大好きだ。我が家の小さなダイニングテーブルで食べる日々のごはんだけじゃなく、競技場でサッカーをみながらほおばるおむすびも、公園で食べるサンドイッチも、夜遊びのあとで啜る立ち食いそばも。
 実際、私たちはかなりしばしば外食する。二人ともくいしんぼうであるせいと、私が良妻ではないせいだ。よく日のあたる近所の香港料理屋さんとか、私の脂身嫌いをなおしてしまったとんかつ屋さんとか、土の匂いのワイルドなマッシュルームサラダが食べられる、青いひさしのテラスレストランとか。
 気に入ったものは、ときどき真似をしてつくってみる。おいしくできるととても嬉しい。
 いつもおなじひととごはんを食べるというのは素敵なことだ。ごはんの数だけ生活が積み重なっていく。
「九月の旅行、私の我儘なのは知ってるわ」
 数日後に私は言った。ごく一般的にいって、結婚したら、みんなそうそう気軽に一人旅になどいかないものであるらしいことも知っていた。
「でも私はその我儘をなおすわけにはいかないの」
 ほかに言い様がなかった。
「そのこと、ほんとうはわかっているんでしょう?」
 夫はしぶしぶうなずいてそれを認めた。
「やっぱりね」
 私の声は、自分の耳にさえ嬉しそうに響く。
「旅行中は外食してね。上野さんやたくろうさんと飲みにいったら?」
 私は夫の友人の名前をあげた。
「旅行中、しょっちゅうあなたのことを考えるわ。約束する」
 私が言うと、夫は一瞬疑わしそうな顔をしたけれど、不承不承、うん、と言ってうなずく。
「あなたも私のことを考えてね」
 うん、と即座にこたえた夫の横顔をみながら、ほんとなの? ごはんじゃなく私をよ、と、釘をさしたくなるのを辛うじておさえた。


いとしのローラ
               森 絵都


「ああ、もうダメだ……」
 雪に埋もれた指先が氷柱のように凍てついている。乱れ舞う吹雪が体に厚く降りつもる。薄れゆく意識の中でトミーは死神の微笑を垣間見た。
 真冬の雪山登山。無謀なる挑戦。命がけでこの冒険をやりとげたら、少しは自分に自信をつけて故郷へ帰れそうな気がした。長い旅を終えるきっかけがほしかった。
 が、まさかの遭難──。
「ぼくはもうダメだ……ダメだ……。ああローラ、許してくれ」
 死神に愛された青年が最後に口にしたのは、故郷にいる恋人の名だった。
「ローラ、悪い……ぼくは帰れない……」
 かわいいローラ。丸顔の、青い目の、豊かなブロンドの。絶えずちゃかちゃかと表情を変える元気な女の子。こみあげるいとしさにトミーが胸をつまらせたそのとき、ふと耳もとでローラのささやきが聞こえた。
「何を言ってるの、トミー。あきらめないで。さあ、立ちあがって、歩くのよ」
 幻聴だ。が、それでもいい。トミーは最後の力をふりしぼって叫んだ。
「ああ、ローラ! いとしのローラ! 最後に君の声が聞けて嬉しいよ」
「最後だなんて、やめて。あなたはまだ生きられる。生きて私のもとに帰ってこなければならないのよ」
「すまない。でも、それはできそうにないよ」
「なぜ? なぜあなたはすぐにあきらめてしまうの」
「寒いんだ、ローラ。ここはとても。雪はまだまだやみそうにない」
「そんなグチをこぼしたってしかたないわ」
「体は弱りきっている。とても動けない」
「立つのよ、トミー!」
「力が入らない。もうぼくはおしまいだ。すまん……」
「すまんですむなら警察はいらないわ。約束したでしょう、帰ってきたら私と結婚するって。もうバカな旅はやめるって誓ったじゃない。それがなんてザマよ!」
「頼む、そうキンキンと怒鳴らないでくれ。その声を聞くとぼくはまたどこか遠くへ行きたくなるんだ」
「また逃げるわけね。あなたはいつもそうよ。人生、逃げっぱなし!」
「なんだと!」
 生気をなくしていたトミーの瞳が鋭い光を放った。
「今にも死にそうな恋人になんてことを……。君はあいかわらず思いやりのかけらもない女だな」
「あなたこそ勇敢さのかけらもない男ね」
「くそ、へらず口の強情女め」
 雪を払って立ちあがり、トミーはぶつぶつ言いながら歩きだした。
「だいたい君は小さい頃から出っ歯で……」
「あなたこそ水虫で……」
「それだけは言うなと言ってるだろう!」
 わめきつづけるトミーの頭上で、雪はちらちらと小降りに変わりつつあった。


あいびき
               吉行淳之介


 ホテルの部屋に入ると、女は両腕をうしろにまわして背中のファスナーを引下げながら、
「前にここにきたことあるの」
 と、男にたずねた、
「ないよ、仮にあったとしても、ないと言うのがエチケットだろう。でも、どうして」
「ホテル『あいびき』なんて、へんに凝っているとおもわなくって。入りにくい名前だし」
「そんな名前だったかな。レストランのところに、なにか横文字を見たようだったが」
 レストランの奥がホテルの建物につながっているスタイルが、当節しばしば見られる。
「レストランの奥からホテルヘ抜ける廊下の突当りのドアに、書いてあったわ」
「それは、気が付かなかったが……」
 ベッドに入って間もなく、女が高い声を上げた。
「あら」
「どうした」
「ひどく元気だわ」
「いつも、そうだろう」
「でも、今日は特別に」
「そういわれれば……」
「さっきの食事のせいかしら」
「さあ」
「それにしても、メンチボールしかメニューにないレストランて……」
「こういうホテルは、レストランは二の次だからね。手間をはぶいているんだろう。それより、一品だけしかないのに、わざわざメニューをつくってあることのほうが、へんな話さ」
「ほんと。でも、さっきのメンチボール、おいしかったわね」
「きみ」
 男は半ば笑いながら、
「メンチボールは、もうやめてほしいな。色気がないよ」
 と、唇で女の唇を塞ぎ、その裸の躯を両腕で抱いた。艶めかしい声が、女の口から洩れはじめた。
「あ」
 しばらくして、男の口から声が出た。これまでに味わったことのない強烈な快感に、男は襲われたからだ。子宮の入口の割れ目が大きく開いて、男根を吸い込んでゆくような感覚、それも具体的なものから与えられる濃密さである。
 女の快感が昂まり切ると、子宮はしだいに下降してゆく。その状態になった子宮が、男根を根もとまで咥え込み、さらに強烈な吸引力を加えてくる。万力で挟まれた男根が一気に引抜かれて、男の躯のその部分に開いた穴から数メートルの長さの腸が急速度で女の躯のなかに手繰りこまれ、さらに内臓がそっくり抜き取られてしまいそうだ。
 異様な感覚にまきこまれている男は、頭の片隅で考えている。女の膣と子宮からできている空間には、それだけの余地はない。赤ん坊という小さい塊が収められるくらいのものではないか。
 その瞬間、女は叫んだ。
「あ、どうしたの」
 あとは言葉のかたちを成さず、快感の叫びから、苦痛の絶叫に変ってゆく。太い金属の棒に突然変化した男根がドリルのように回転しはじめ、表面が鉄の鑢となって、女の内部を削ぎ取ってゆくところまで、二人は意識があった。
 女は内側からけずり取られて下腹部の空間がたちまち広がってゆくが、子宮は鉄製のポンプのようになってその吸引力は衰えず、しだいに男を狭い入口から引きずりこんでゆく。一方、男は全身が巨大な研磨機となり、女を内側から粉砕してゆく。
「死ぬ」
 という絶叫が建物の外までひびいた。丁度道路を下駄ばきで歩いていた一人の中年男は、一瞬立止って建物を見上げ、薄笑いを浮べて去って行った。
 十数分後、ベッドのシーツの上には、骨までこなごなになった男と女の躯の入り混った合挽きの肉塊が、堆く置かれていた。
 部屋のドアのところで、合鍵を使う硬い音がした。白い服を着たボーイが、無表情のままベッドの傍に立ち、シーツを手荒く剥がし取った。その下には、ビニールの布が敷かれてある。
「うっ」
 掛け声を立てて、ボーイはビニールとシーツで肉塊をくるみ、大きな袋にして背負うと部屋を出た。
 先刻、男と女が並んで歩いてきた通路を逆に戻ってゆき、「ホテル・あいびき」という文字のあるドアを押して通り抜ける。すぐに右に曲って、もう一つのガラス戸を押した。そのガラスには、
「レストランMINCE」という文字が書いてあり、その中は調理場である。
「できたよ」
 台の上に、鈍い音をたてて、相変らず無表情のままその袋を置いた。そのとき、客の注文を告げるべつのボーイの声が、レストランからひびいてきた。
「メンチ、二人前」


日系二世へのサム・クェスチョン
               景山民夫


 ジャクソン・ストリートは、フェリーの発着場のある埠頭から始って汽車の操車場をまたぐ形で東へ延び、急な坂道となってシアトル市街を見おろす山の上の貯水池まで続く長い通りである。
 鉄道の線路を二本越えて、登り坂にさしかかるあたりで、海の方をふりかえると駅舎の高い時計塔が見えた。十月のシアトルは、ロサンジェルスからやって来た僕にとっては、ずいぶんと寒い気候で、ツイードのジャケットの衿を立てて、少しでも寒気を防ごうとしてみる。
 山側を見上げると、そこには、あの本に描かれたとおりの、みすぼらしい寒々とした町があった。
 五階建て程度の煉瓦造りのビルが急勾配の道に並び、そのほとんどがここ十年来、清掃などしていないような汚れ方である。ビルの壁面にペンキで書かれた商店名も剥げかけたものが多く、かろうじて最近とりつけたばかりと思える中国語の看板のみが判読できる。
 ビルとビルの間の、人一人通るのがやっとのような狭い路地をのぞいてみると、お定まりの鉄製の非常階段が、見事に錆びついているのが見える。東洋系の顔立ちをした、手足のやたらとヒョロ長い十歳ぐらいの少年が、二階の窓から飛び出して、その非常階段に飛び移り、両手を一杯にのばしてぶら下がってから地上にピョンと着地し、そのままビルの裏へ駆けこんで姿を消す。次の瞬間に、さっきの窓から少年の母親らしい太った女が顔を突き出して、広東語で、姿の見えない少年にむかって罵声をあびせかけた。
 日系人の代りに中国系の人々が、多く住みつくようになっている点を除けば、ジャクソン・ストリートは、すべてが、あの本──ジョン・オカダの書いた『No‐No Boy』の中の、1945年9月そのままのたたずまいであり、僕はそのことに感動していた。
 一冊の小説に、ここまで入れこんで、その舞台となっている町を自分の目で見ようと、シアトルまで飛んだのは、小説の内容そのものは勿論のこと、この本が、アジア系アメリカ人の手になる、初めての刊行された小説であるという事実にもよるところが大きいだろう。
 著者のジョン・オカダは日系二世であって、1923年にシアトルに生れ、ワシントン州立大とコロンビア大に学んだ人物で、第二次大戦中はアメリカ陸軍に従軍し暗号解読などの任務についていたらしい。戦後通訳として日本にも数年間滞在している。この『No‐No Boy』の初版の発行が1957年だから、おそらくは、日本から帰国して数年後に書かれたものであろう。
 しかし、この、アメリカの国籍を持つアジア人にとって歴史的な作品である筈の小説は、その当時は、全く見むきもされなかった。いや、それどころか、戦争が終って十二年たって、やっと真珠湾の汚名から解放されかけていた日系アメリカ人にとっては、古傷をつつきかえす、あまりに過激な書物として排斥すべき対象とされてしまったのである。
 実際に、ジョン・オカダが書き上げたこの小説は、アメリカ国内の、どの出版社でも受け入れてもらえず、日本で英文の本を出版している、チャールズ・E・タトル商会によって出されているのだ。しかも、ハードカバーとペーパーバックが同時に出版されたこの初版は、数千部のみが印刷されただけで絶版になっている。
 その十三年後に、ワシントン州立大アジア系アメリカ人問題研究所の中国系アメリカ人、ジェフ・チャンが、サンフランシスコのJタウンにある古本屋を偶然のぞかなかったら……、ジェフが『No‐No Boy』という、戦時中の日系人強制収容所内で、アメリカ軍に従軍することを拒否した二世たちに冠せられた嘲りの呼び名を表題にしたペーパーバックに興味をひかれなかったら……、そしてアジア系アメリカ人問題研究所の、フランク・チン、ローソン・イナダ、デヴィッド・イシイといった人たちの再刊のための努力がなかったら、この本は永遠に埋もれ、忘れ去られたままであったろう。
 僕が、初めてこの『No‐No Boy』に出会ったのは1977年の夏で、ハワイ大学の東西文化研究センターの教授に「アメリカに住む日系人の精神構造に興味があるなら、是非、読みなさい」と勧められたからである。それは、1976年に、ワシントン州立大出版局から再発行されたペーパーバック版であったのだが、内容のあまりの凄さに、一晩眠らずに読破してしまったものだ。
 同じ年に晶文社から日本語訳『ノーノー・ボーイ』が出て、これも一気に読んだ。原文の英語版の中の、主人公イチローと一世である両親との日本語による会話が、日本語版の中でも日本語で交されているあたりに(それは当然のことなのだが)、奇異な感じをうけながらも、読み切り、日系二世にとっては、英語が母国語なのだという、今さらながらの感想と認識を噛みしめたものである。
 本の内容を、いま、ここで述べることはやめよう。ただ、日本からアメリカに渡って、アメリカ人になりきろうとしていた人たちが、ある日、戦争の影響で、土地も家も財産も、すべて奪い去られ、強制収容所に集められ、自分が一体アメリカ人であるのか日本人であるのかという選択をつきつけられたという事実があったことだけは忘れてはなるまい。
 アメリカ市民としての権利のすべてを剥奪された収容所の中で、「日本人の祖先を持つアメリカ市民の声明」と題する質問表を前にして、彼らは「NO-NO」という以外にどう答えればよかったというのだ。
「NO-NO」という、二度繰り返す否定の言葉は、次の二つの質問に対してであった。
 第二七問「あなたはアメリカの軍隊で、どこでも命じられた所での実戦任務によろこんでつきますか」
 第二八問「あなたはアメリカに無条件で忠誠を誓い、外国あるいは国内の力によるいかなる攻撃からもアメリカを忠実に守りますか。またいかなる形でも、日本の天皇、あるいは外国の政府、権力、組織に対する忠誠あるいは服従を、誓って否認しますか」
 一体、その当時の日系二世のうちの何人にとって、天皇が忠誠を尽すに値する対象だったというのだろう。
 抱いたこともない忠誠心を否認するというのは、あきらかにナンセンスであり、この質問をつきつけられた二世の中に、質問の意味が理解出来ないとして「NO」と答えた者たちがいた。そして、彼らが「No‐No Boy」なのである。
 彼らは、軍隊のかわりに、強制収容所ではなく刑務所に送られ(つまりアメリカ市民としての権利をすべて奪われたにもかかわらずアメリカ市民としての義務を遂行しなかったという理由によってである)1945年9月に釈放されたのである。そして「No‐No Boy」である主人公イチローが、刑務所からシアトルに戻ってきて、まず眺めたのが、このジャクソン・ストリートの日本人街というわけだ。
 一体、日本人というのは何なのだろう。夕暮れせまってきた坂道で僕は、たぶんイチローもそうしたであろうように、もう一度、時計塔とそのむこうに見える海を眺めてからタクシーを拾った。裕福になった日本人たちは、とうに、このジャクソン・ストリートを捨てて別な通りに移り住み、坂の町は夕食の買い出しでいそがしい中国人たちでごったがえし始めていた。
 僕は、市の中心部にあるパイオニア・スクェアの、デヴィッド・イシイの古本屋にむかった。ジョン・オカダと、ほぼ同年配である、この、日本語の全く喋れない日系二世とは、既に電話で何度か話をしていた。
 デヴィッドは、五分刈りにした頭をふりたてながら、分厚い近眼の眼鏡の奥から、人なつっこい光をたたえた目で僕を見つめ、ジョン・オカダ夫人のドロシーの家を訪れた時の話をしてくれた。
「ジョンが1970年に亡くなっていたというのを聞いた時は、ショックだった。ジェフがサンフランシスコで初版本を見つけ、すぐ消息をたずねて電話をしたら、一か月前に心臓病で死んだというのだからね。僕らはロサンジェルスのオカダの家まで車で飛ばした。そして、ドロシー夫人から、つい一週間前にジョンのライフワークだった、日系一世、二世に関するすべての資料と、ジョンの二作目の一世をテーマにした生原稿を燃やしたばかりだと告げられたんだからね。UCLAの馬鹿どもが、寄贈を拒否したので、燃やしてしまったんだそうだよ」
 僕は、棚に二冊だけ残っていた初版本の『No‐No Boy』を買い求め、デヴィッドを夕食にさそった。
「テレビが見られる店にしよう。今夜8時から、カリフォルニアの三世たちが作った、日系人強制収容所をテーマにしたドキュメンタリーが放送されるんだ」
 僕とデヴィッドは、ワシントン州立大近くの日本料理店で夕食をすませ、バーに陣どって、そのテレビを見た。
 スタッフは、すべて日系三世か四世であり、ナレーションを日本人俳優のマコ岩松が担当していて、内容は記録フィルムとインタビューを組み合わせた構成であった。
 カリフォルニア州中部にあった、一万人ほどの日系人を収容し、暴動があったことでも知られる、マンザナの強制収容所を中心にした取材内容であり、収容を前にして、鍋釜から土地までを、あきらめきった表情で投げ売りする日系人たちの表情までが、古いフィルムに映っていた。
 バーのカウンターの隅にいた、デヴィッドと同年配の日系二世らしい男が、番組の終了と同時に、グラスを持ったままの手で、ドン! とカウンターを叩いてつぶやいた。
「次にこういうことがあったら、俺は絶対に戦場へは行かんぞ!」
 デヴィッドが小声で僕に語りかけ、僕は、その男が第四四二部隊でいくつもの勲章をもらった兵士であることを知った。


理想の妻
               坂東眞砂子


 半円形のドームの下に広がるミラノ中央駅の構内に、ウィーンから来た列車が滑りこんでくるところだった。ホームをゆっくりと歩いていたわたしは、反対側の線路に止まっていた長い列車の車体に下がった表示板に気がついた。
 ──イスタンブール。
 その文字が目に飛びこんできて、わたしは思わず立ち止まった。『ロンドン、パリ、ジュネーブ、ミラノ、ベニス、ザグレブ、ベオグラード、ソフィア、イスタンブール』と、列車の経由地が記されている。
 イスタンブールに行くのか……。
 表示板を眺めながら、懐かしい気分に襲われたが、すぐに、おや、と思った。
 イスタンブールから旧ユーゴスラビア、イタリアを経由して、ロンドンまで行く国際特急は、ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦とともに廃止されたのではなかったか。
 内戦も終わり、それぞれの国に別れて独立した今、また復活したのだろうか。それでも、イスタンブールまで行くには、主要駅で乗り換えをして行かないといけない。以前のように、ひとつの列車で何日もかけて旅をするということはなくなったはずだ。
 わたしはホームに止まっている列車を眺めた。寝台車だ。窓が開いて、イギリス人が中心らしい青少年たちがふざけあったり、騒がしく話したりしている。中に、教師らしい大人も混じっている。修学旅行か何かのチャーター列車のようだった。
 それなら、納得がいく。特別編成の列車なのだ。
 ホームに立って、青少年たちが賑やかな声を上げている特別列車を眺めながら、わたしはもう二十年も前のことを思い出していた。

 間に合ったのは奇跡的だった。
 走りだした列車の戸口で、わたしは乱れた髪を整えた。この列車を逃して、また寒いローザンヌの安ホテルで一晩過ごしたくはなかった。
 一息つくと、空いている席を探しはじめた。イスタンブール発ロンドン行き国際特急はけっこう混んでいた。定員六人のコンパートメントは、どこも半分以上は埋まっている。わたしは先頭のほうの車両まで延々、バックパックを背負って歩いていった。
 若い女の一人旅だ。車内で寝ることを考えると、あまり混んでいたり、危険そうな相客のいるところは避けたかった。
 先頭の車両で、やっと客が二人だけのコンパートメントを見つけた。イスラム教徒の夫婦らしい。横に並んで座る二人とも、白くて丈の長い筒型の衣装を着ている。夫は頭にターバンを巻き、白い頭巾で頭をすっぽり覆った妻のほうは、顔の下半分も布で覆っていた。
 身振りで、空いているかと聞くと、窓側にいた夫が頷いた。頭上の網棚は夫婦の荷物らしいトランクやバッグでぎゅうぎゅうに詰まっていた。まるで、引っ越しでもするみたいだ。わたしはバックパックを座席に置くと、夫婦の向かいの窓側の席に座った。
 夫は三十歳くらいだろうか。濃い眉に濃い鬚を生やしている。大柄の男だ。妻は、目許しかわからないが、かなり若いようだった。衣装の裾から、運動靴の先が覗いているのはご愛敬だ。まだ二十歳前なのかもしれなかった。
 列車は、スイスの険しい山中を走っていく。眩しいほどに白い山頂の雪。外は寒々としていたが、コンパートメントの中は暖房がよく効いていて、コートを脱いでも暑いくらいだ。
 わたしは眠気に誘われて、目を閉じた。
 どのくらい経っただろう。ぼそぼそという話し声で目が覚めた。夫が妻に、耳慣れない言葉で話しかけていた。トルコ語なのだろう。夫の独壇場だった。妻は一言も口を挟まない。夫は流れる川のように、話しつづけている。
 コンパートメントの中は、むっとくるほど暑かった。わたしは二人に話しかけた。
「エクスキューズ・ミー」
「イエス?」
 夫がわたしに顔を向けた。よかった、英語が通じるらしい。
「窓、少し空けてもいいですか」
 夫は、どうぞ、といった。わたしは立ち上がって、窓を少しだけ引き上げた。冷たい風が吹きこんできて、妻の顔を隠している布地がはためいた。妻は慌てて布を抑えた。
 進行方向とは逆向きに座っているわたしは平気だが、二人に風は直接、吹きつけてくる。
「大丈夫ですか」
 わたしは、顔の下で布地をひっぱっている妻に聞いた。
「大丈夫です。わたしも少し暑かったところですし」
 夫が答えると、「どちらまでですか」と聞き返してきた。ロンドンまで、というと、夫は、自分たちもそうなのだといった。
「やっと、あと一晩になりましたよ。お尻が痛くなりそうだ。イスタンブールを出て、二日も列車に乗りつづけているんですから」
 夫婦は、ロンドンの親戚を頼って行くところだということだった。イギリスで新しい暮らしをするのだと、夫は目を輝かせて語ってから、わたしのバックパックに目を遣って、旅行かと聞いた。
「そうです。仕事を休んで、一ヶ月、一人旅をしているんです」
 仕事といっても、ただのバイトだ。大学を卒業してから、お金を貯めては、海外旅行をする日々を送っていた。
「お一人でですか」
 夫はあきれたように、世の中も変わったものだと呟いた。その咎めるような口調に、少しむっとして、わたしは言い返した。
「今時、女性の一人旅は珍しくもないですよ」
「まあ、そうでしょうけど」と、夫は妻を見遣った。
「彼女のような女性もいます」
 妻も英語がわかるのか、少し恥ずかし気にうつむいた。夫は目を細めて、そんな妻を眺めた。
「わたしの妻ならば、一人で旅に出るなどということはしませんよ。今はトルコでも、どんどん外に出ていく女性が増えていますが、妻は違います。それよりも家にいることが好きなんです」
「家で何をするんですか」
 わたしはぶっきらぼうに聞いた。
「もちろん、わたしを待っているんです。わたしが帰ると、身の回りの世話をして、わたしの話を聞く。わたしの愚痴や泣き言、すべてを黙って聞き続けることが、妻の喜びなんです。ほんとに理想的な妻です」
 男の都合のいい解釈だ。話を聞いているうちに、腹が立ってきた。しかし、妻のほうは目を伏せて、黙って座っているだけだ。布地の下の表情は計り知れない。
 なんとか、いってやったらどうなのよ。
 妻の肩を揺すって、そう怒鳴ってやりたい気がした。
 夫は得々として続けた。
「イスラム教では四人まで妻を持っていいことになっています。しかし他の妻たちが、新しい妻を承認しないといけないので、現代の考えにかぶれた女たちは、なかなか認めなくなっています。しかし、わたしの妻は違う。他の妻の存在も喜んで認めてくれるでしょう、なぁ」
 夫の呼びかけに、妻がこくりと頷いた。
「でも、そんなこと、納得できるのですか。嫉妬とかはないのかしら」
 わたしは妻のほうに聞いた。しかし、今度も夫が引き取った。
「夫にも暮らしにも、充分に満足している女は、他の女には嫉妬なぞしないものですよ。嫉妬というのは、欲求不満の女のすることですから」
 まるで、わたしもその一人だといいたげな口振りだった。
「それでも、夫だけ複数の妻を持てるのは不公平ではないですか」
「いえいえ、イスラム教というのは、驚くほど男女平等な宗教なのですよ。夫と死別した女性の財産権も、しっかりと保証されています。もともと、複数の妻というのも、昔、戦争で男性が大勢死んで、結婚できない女が大勢できたもので、その不均衡を正すために生まれたものなんですから」
 それは過去の話だろう。戦争で男ばかり死ぬ時代が終っても、男にとって特権的な婚姻制度を続けていることを、男女平等というのは解せなかった。
 わたしはぶすっとして、妻を見つめた。妻はただ黙ってうつむいているだけだ。
 こんな男の与太話を、よくおとなしく聞きつづけていられるものだと思った。まるで台所のスポンジだ。夫のつまらない自慢話や愚痴を吸いあげるだけ。そのうち、いっぱいいっぱいになって、汚穢のような自慢話や愚痴が、イスラムの衣装の裾からぽたぽたと滴り落ちるのではないかしら、と思った。
 突然、列車の警笛の音が響いた。ブーッ、ブーッ、ブーッ。けたたましい音が鳴り響いている。
 夫が窓をさらに少し引き上げて、身を乗り出して前方を見た。列車は両脇に崖の迫ったところを走っていた。
「おや、レールの上に何かあるぞ……岩みたいだ……」
 夫の言葉が終わらないうちに、ギイイイッ、と急ブレーキの音が轟いた。次の瞬間、車両中に大きな衝撃が走った。わたしの体は前に投げだされた。ガガガガタガタッという音が響いて、車両が傾き、頭上から荷物が雪崩のように落ちてきた。頭に激しい衝撃があり、わたしは意識を失ってしまった。

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