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雪 炎
馳 星周

   1

 昨日の午後から降りはじめた雪は一向にやむ気配がなかった。十二月初旬。この地域にしては例年よりかなり早い積雪だ。雪をかくそばから雪が降り積もる。徒労だ。だからといって雪かきを放り出せば、明日には大変なことになってしまう。
 除雪機を買うべきか否か──毎年雪かきのたびに頭に浮かび、雪が降りやむと却下する考えを弄びながら、わたしはスノーダンプを押し出した。外に出た当初は寒さに縮こまっていた身体も火照り、うっすらと汗を掻いている。十二月に降る雪は湿って重い。雪かきも重労働だった。
 車のヘッドランプが天から舞ってくるぼた雪を浮かび上がらせた。スノーダンプを押すのをやめ、わたしは袖口で額の汗を拭った。この時間にここまでやってくる車両は郵便局か宅配便のものと相場が決まっている。
 車が視界に入ってきて、わたしは自分の想像が間違っていたことを知った。ヘッドライトの主はレガシィのツーリングワゴンだった。ナンバーは地元のものだ。
 レガシィはわたしの敷地に入ったところで停まった。中から降りてきたのは頭髪が頼りなくなっている中年だ。わたしと同年配だが、ダウンジャケットではなく、ツイードのコートを羽織っていた。こんな田舎で実用性より見栄えを重んじる中年男はひとりしか知らない。
「精が出るな、伸」
 わたしの名前を呼び捨てにするのもこの田舎では限られている。武田昌弘は頭髪に絡みつく雪を気にしながらしっかりとした足取りで近づいてきた。足もともスノーシューズではなく革のブーツだった。手にはめているのも革のグローブだろう。伊達の薄着とはよく言ったものだ。気温はまだ氷点下のはずだった。
「帰れ」
 わたしは邪険に応じた。武田がここにやって来るのは一年ぶりだ。一年前も、そう言って追い出したのだ。
「今日はあの件で来たんじゃないんだよ、伸。そう怒るなって」
 愛想笑いを浮かべた顔はなんの痛痒も感じていなかった。
「雪かきの最中だ。茶も出せん。だから、帰れ」
 わたしはまたスノーダンプを押しはじめた。武田のレガシィのボンネットから湯気があがっていた。金回りがよかったころは、アウディのセダンに乗っていた。
「大事な話なんだって」
「雪かきより大事な話なんてない」
「まったく、おまえってやつは……大介がこの町に戻ってくるんだよ」
 わたしはぽかんと口をあけた。
「小島大介が帰郷するんだ。おまえに会いたいと言ってる」
「大介がどうして?」
 わたしは訊いた。武田の顔にいやらしい笑いが浮かんだ。
「知りたいだろう? 詳しく話すから中に入れてくれ。外はしばれてかなわんべ。ボロ屋でも中の方が暖かい」
 わたしは空を見上げた。雪がやむ気配はない。嘆息して、スノーダンプを脇に追いやった。

     *  *  *

「いつまでこのあばら屋で暮らすつもりだ」
 武田はわたしが淹れたコーヒーを飲みながら部屋の中を見渡した。築三十年を超える木造の家はあちこちにガタが来て、四方から隙間風が入り込んでくる。
「こんな家で一冬過ごしたら凍死するべ」
 武田はコートの襟を合わせた。わたしはダウンジャケットを脱ぎ、フリース姿で武田と向かい合っている。もちろん、登山用のちゃんとした下着を身につけているが、それで充分だった。道内の家は過暖房なことが多い。外にいるときは着ぶくれているくせに、家に戻れば半袖一枚。汗ばむほどに暖房を効かせるのだ。
 朝晩は確かにしばれるが、この家の寒さがわたしには心地よかった。
「まったく、あのとき売っておけばよかったのに……」
 武田が小声で呟いた。愚痴をこぼしたいが、わたしを刺激したくもない。そんな声だった。
 ちょうど一年前、この辺りに再開発計画が持ち上がった。区画を整理し、郊外型のショッピングモールを呼び込もうというものだった。計画を発案し、各企業に働きかけを行ったのは武田が部長を務める地元の商工会議所青年団だった。
 武田はその計画関連の分厚い書類を持ってわたしを訪れた。わたしの家とかつて牧場だった敷地がショッピングモール建設予定区画にすっぽり収まっていたのだ。武田が提示した金額はかなりのものだったが、わたしは断った。いや、正確に言えば、ろくに話も聞かずに追い出したのだ。
 それが一年前。その三ヶ月後に東日本大震災が起こって計画はうやむやになった。鵡川原発も停止され、道南市は真綿で首を絞められるようにじわじわと死につつある。原発で経済が成り立っていた町は、原発が停まると金がまわらなくなるのだ。
「大介が帰ってくるというのはどういうことだ?」
 わたしは訊いた。武田はその質問を待っていたとばかりに膝を叩いた。
「来年市長選があるべ? 大介、立候補するってよ」
 わたしはまた口をぽかんとあけた。
「冗談じゃねえんだぞ、伸。実は、夏のころから大介と連絡取って話し合ってたんだ。3・11の後でよ、いつまでも原発、原発って言ってらんねえべや」
「冗談だろう」
 わたしは言った。原発がなければこの町の経済はまわらない。市民ならだれもがそのことを知っている。だからこそ、原発の存在に不穏なものを感じながら三十年以上もの間、かつての鵡川町では保守系の候補がほぼ無風状態の選挙で勝ち続けてきたのだ。
 小島大介はわたしと武田の同級生で、今では札幌で事務所を構える有名弁護士だ。数年前、死刑判決が確定した裁判の再審請求を勝ち取り、人権派弁護士として一躍時の人になった。
 小島が政界に打って出るなら、それは革新としての立場だろうし、間違いなく原発再稼働には反対する。それでは、ハナから勝ち目がない。
「大介は本気だ。あいつのあの性格は昔からこれっぽっちも変わってない。覚えてるだろう」
 くそ真面目で頑固一徹。初めて会ったときから小島はそういう人間だった。
「勝ち目のない戦いに打って出るっていうなら、好きにすればいいさ」
 わたしは他人事のように言った。実際、他人事だった。
「その大介が、おまえに会いたいって言ってるんだわ」
 わたしは武田を見た。この男には珍しく、いたって生真面目な顔つきをしている。
「選対本部の裏方で働いて欲しいんだとさ。おまえの経歴ならぴったりだべや」
「大介が元公安警察官と手を組みたいなんて言い出すはずがない」わたしは言った。「おまえの入れ知恵か?」
 アカの弁護士と公安警察官は不倶戴天の敵だ。
「選対本部長だよ」
「それはだれだ」
「おれ」
 武田は得意げに微笑んだ。お調子者の見栄っ張り。小島が変わっていないなら、武田も見事に変わっていない。中学の入学式で出会ったときから、武田はそういう人間だったのだ。
 おそらく、わたしも変わっていないのだろう。武田や小島はわたしの性格をどう評するのだろう。
 いじけ者。はみ出し者。愚か者。
 いずれにせよ、その類の言葉が口から出てくるのだろう。
 わたしはカップに口をつけ、苦い液体を舌の上で転がした。
「大介は明後日、こっちに来る。どうせ雪かきしかやることないんだべ? 晩飯でも一緒に食おう」
「断る」
 わたしはコーヒーを飲み下した。
「碧も来る。おまえに会いたがってたぞ」
 武田は佐藤碧、いや、神戸碧の名前を口にした。
「嫌だったら大介に直接断ればいい。だから、同窓会のつもりで、飯だけでも食いに来いや。それでいいべ?」
 碧の名前を出されたらわたしにはうなずくしか術がない。それを知っていて、武田は最後にその名前を出したのだ。
「相変わらず、狡い男だな」
 わたしは言った。
「それがおれのいいとこだべ、伸」
 武田が笑った。

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