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2.43 清陰高校男子バレー部
代表決定戦編1
壁井ユカコ

 第一話 笑うキングと泣き虫ジャック

   1.VICTORY CEREMONY

 チームメイトとともに二階観戦席の一角に陣取り、越智光臣は下のフロアで行われている表彰式におざなりな拍手を送った。みんなもう帰り支度を済ませ、エナメルバッグを足もとに置いて気怠げに座っている。
 惜しかった──わけでもないので、あとすこし頑張れていたら今あの場所で表彰されているのは自分たちだったかもしれない、という類いの悔しさはなかった。県大会で三位に食い込み、初めてこの北信越大会への切符を手にしただけでもチームとしては快挙だった。北信越大会では結果は残せなかったが、それなりに満たされた三年間の部活生活だったと言えるだろう。まあ負けたあとはやっぱりちょっと泣いてしまったので、目
のまわりがひりついている。
 男女の優勝チームの代表者が賞状と優勝カップを授与されるところだ。それを最後まで見届ける前に、引きあげるぞーと声がかかった。復路のバスの都合があるらしい。
 荷物を担ぎ、仲間に続いて座席を離れたときだった。
 どっと館内を揺るがす歓声がわいた。少々ぎょっとして越智は表彰式に目を戻した。
 男子優勝チームの主将が受け取ったばかりの優勝カップを高々と頭上に突きあげたのだ。「スバルー!」「ありがとースバル!」「よっ大統領!」「ス・バ・ル!」「ス・バ・ル!」──殊勝な顔で整列していたチームメイトたちがやんやの喝采をあげる。
 ああ、チームメイトにもよく見えるように、ってことか……だから「ありがとう」……。
 女子の表彰がまだ終わっていないのに大騒ぎになり、大会委員長や役員勢は顔をしかめている。お偉方や保護者が大勢見守る堅っ苦しい場の真ん中でよくあんなパフォーマンスできるなあと無関係の越智がハラハラする。あとで怒られるかもしれないのに……まあお偉方は誰もあいつを怒れない、のかもしれない。
 福井県第一代表として北信越大会に乗り込み、そしてダントツの強さで北信越を制したチーム、進英中の三年主将、三村統。
 福井の中学生バレーボーラーで三村統を知らない者はいないと言っていいんじゃないだろうか。県内屈指のスパイカー。県の中体連の寵児。県内女子中学生のアイドル。目立ちたがり屋。男友だちも多い(らしい)──いろんな意味で有名人だ。
 司会進行の声も喝采に呑まれてほとんど聞こえず、代表者たちがばらばらに各々のチームの列に戻る。役員席に尻を向けるなり三村が自分のチームに向けて人差し指を立てた。
「いちばん!」
 ニカッと笑い、“いちばん”を掲げたままほとんどダッシュの勢いで走りだす。チームメイトも心得てるんだろう、みんなが腕で三村を受けとめる網を作って待ち構える。大柄ではない三村だが、長身の選手の頭を軽く跳び越えるくらいの伸びやかなジャンプをして、“みんなの真ん中”へと身体全部で飛び込んだ。
 体育館いっぱいに笑いがはじけた。
 ……もしもの話、だけど。
 自分が三村統のチームメイトで、あの網を織りあげる者の一人だったとしたら、どんな気分なんだろうと、遠い二階席の後方でその様子を眺めながらぼんやりと越智は考えていた。
 そのときは他人事の想像でしかなかったのだが──。

 翌年の四月。同じ高校の体育館で、越智は三村と肩を並べて立つことになる。
「松本一中出身、越智光臣です。よっ……よろしくお願いしますっ」
 緊張でうわずった越智の自己紹介がまばらな拍手で迎えられたのに対して、
「進英中出身、三村統です! よっしくおなしゃっす!」
 三村が舌っ足らずな自己紹介を屈託なくしたときには、先輩たちから待ってましたというような大きな拍手が起こった。「目標は全国優勝です!」調子のいい宣言を本気にした者がいたかどうかは別として「おおーっ」と歓声があがった。
 高校でもバレーを続けたいと思ったとき、志望校は自ずと決まった。福井県立福蜂工業高校──福蜂男子バレー部は全国大会最多出場を誇る、県内の中学生バレーボーラーにとって憧れのチームだ。バレー部以外の運動部も県内では強豪とされている。
 夏の高校総体と冬の春高バレー──三大全国大会のうち二大会において五年連続出場中。県の高校バレー、男子については現在間違いなく福蜂一強と言える。
 高校からバレーをはじめようという初心者が入部してくることはまずない。レベルの高いチームでプレーすることを望んで県内全域の中学から集まってきた経験者ばかりである。
 つまり三村統と同じ高校に進んだことは、奇跡的な出会いとかではまったくなくて、単なる必然だった。
 ただ、想像が実現してチームメイトになったとはいえ、表彰式でのあの一場面のように越智が三村を迎える網の一部になれたかというと、また別の話で。
 実力のある選手が集まってくるのだからレギュラーのハードルは当然高い。中学時代は県で三位に食い込むほどのチームでプレーしていた越智ですら、大会ではベンチ入りもできず、客席での応援にまわる“その他大勢”の一年生にすぎなかった。
 越智の想像は半分だけ現実になったところで宙ぶらりんのまま放置されることになった。

   2.SETBACK

 何本とめられたんだろう。手もとのスコアブックにすべて記録しているので見ればわかることだが、越智はもう数えるのも嫌だった。
「掛川、大丈夫や! とにかくおれんとこ持ってこい!」
 それでも三村は声をだしてトスを呼ぶ。速攻も時間差もことごとくブロックされ、いいレシーブがあがったとしてもセッターの掛川はもうコンビを使う勇気を挫かれていた。すがるような気持ちで三村にトスを送るしかない。
 立ちあがってコートサイドで指示をだしていた監督の畑がベンチに戻ってきた。
「先生……」
 どっかりと隣に腰をおろした畑の横顔を見て、越智は言わずにいられなかった。
「勝たしてやりたいです……」
「当たり前や」
 低い声で答えたものの、顎の無精ひげを撫でながら畑は苦虫を噛み潰したような顔でコートをただ睨んでいる。二回のタイムアウトももう使い切った。この段階で、どうしてベンチにできる最大の仕事が、コートの中の選手たちを信じることだけなんだ……。
 焦心を抱えて越智もコートに目を戻した。無意識に右手に力が入り、シャーペンの先をクリップボードに押しつけていた。
 高い山なりのトスが三村に託される。三村の目の前に三枚ブロックが揃う。固く高い壁に阻まれてスパイクが真下に叩き落とされる。が、あろうことか三村は自分が着地しないうちに足でそのボールを蹴りあげた。ボールがコート上にあがり、福蜂の首が繋がる。ひと続きの滞空時間中にスパイクからリバウンドまでやってのけるのは三村の驚異的な身体能力と反射神経ゆえだ。そしてなにより気持ちが強かった。自分で打って自分
でフォローしたボールを再び自分にあげるように呼ぶ。
 これほどのプレーヤーなのに、インターハイ決勝トーナメント三回戦で苦しんでいる。相手は全国ベスト8の中に毎年必ず二校以上を残してくる強豪、九州勢の一角。北陸の星、三村統をもってしても突き崩せない。
 もういい……。もう、やめろ……。内心で何度も越智は呟いた。こんなに連続で打っても自分のチームの得点として三村の背番号“1”をスコアブックに刻むことができない。
 仕切りなおしての福蜂の攻撃。しかし三村にしては珍しいミスで、スパイクをネットに引っかけた。普段の三村のジャンプ力であればものともしない二メートル四十三センチのネットが突然その高さを誇示しはじめて三村の前に立ち塞がった。いくらなんでも脚が限界だろう──一瞬、三村が見せた呆然とした表情に心臓を掴まれるような痛みを感じながら、越智は目を伏せ、スコアブックに福蜂の失点を書きつけた。ぱきんとシャーペンの芯が紙の上で折れた。
 インターハイ八年連続出場の福井県代表・福蜂工業高校だったが、結果は決勝トーナメント三回戦で敗退。ここで北陸に帰還することとなった。
 チームの調子は決して悪くなかった。しかし終始相手にペースを握られた。流れを掴み寄せる隙を全国ベスト8常連チームは与えてくれなかった。それでも三村を主将に戴く前の去年までの七年間は三回戦にすら届かず負けていたのだ。今年ようやくベスト16に食い込み、最終日が視野に入るところまで駒を進めたのは、監督の畑の地道な育成の成果だったには違いない。
 例年、真夏の七月末あるいは八月頭に開催されるインターハイの大会日程は、連続四日間と厳しい。一日目の予選グループ戦、二日目の決勝トーナメント一回戦・二回戦、三日目の三回戦・四回戦、四日目の準決勝を勝ち進み、決勝に残った二チームにのみ、センターコートでプレーする栄誉が与えられる。ばたばたと同時進行する多面コートの試合と違い、体育館の真ん中に設えられた、ただ一つのコートで今戦っているチームのみが、会場中の注目を浴び、声援を独占する。隣のコートのホイッスルが飛び込んでくることもない。自分たちの試合のためにのみホイッスルが高らかに鳴る。
 出場するどのチームもセンターコートに母校のプラカードを立てることを夢見ながら、しかし無論のこと、ほとんどのチームがそこに届かずして敗退する。
「統。忘れんなや、これ」
 三年前の中三の夏には“いちばん”を掲げて満面の笑みで仲間のところへと飛び込んでいった三村が、どこかふらっとした足取りで一人でコートから引きあげてきた。越智はプラカードを引き抜いて三村に差しだした。試合中はベンチに立てられているプラカードは整列の際に主将が持つことになっている。
「越智……」
 プラカードに手を伸ばす前に、ぽつりとした声で三村が言った。
 負けてすまん、とかいう台詞を三村の口から聞きたくなんてなかった。謝ってもらう資格が自分にあるわけがない。自分だけじゃない、チームの誰にもそんな資格はない。おまえが一番必死でやったんだ。おまえ以上に勝ちに執着した者がいただろうか。他の誰がおまえのかわりになれただろうか。
「次はいよいよ春高やな」
 先んじて越智から言うと、なにか言いかけた口を開いたまま三村が顔をあげた。たった今試合を終えたばかりの選手をねぎらうどころか、さっそく次の大会に向けて尻を叩くなんてひどい奴だと自分で思う。何十回と跳んで、着地して、今こいつの膝はぼろぼろだろうに。
「おれをセンターコートに連れてってくれるんやろ?」
 努めて軽い口調を繕った。軽口を言うのは普段は三村の役目であり、越智の得意とするところではないのだが。
 いつものようにニカッと笑うのを予想していた。しかし三村が、
「……簡単に言うなや」
 と愚痴るように呟いたので、軽口のやり場を失った。
「まあ連れてくけどな」
 思いなおしたように三村はすぐに笑った。さすがに疲労が濃い、力の抜けた笑いだった。
 ぞんざいな扱いで二人のあいだでプラカードが受け渡されたのは、気のせいかもしれないし、実際そうだったかもしれない。「福蜂工業」という校名の下に「福井」の文字が添えられた、母校と県を背負ったプラカードだ。
 自分たちの県の中では常勝校としての誇りと重みがのしかかる校名は、全国ではあまりに軽いものでしかないことを、この三年間で思い知らされ続けている。
 夏のインターハイが終わってもまだ三年は引退しない。九月末には春高バレーの県予選がはじまる。一月に東京で本戦が開催されるこの大会は、同じ全国大会でもインターハイとは別格の華やかさに溢れている。地方の公営体育館の板張りの床とは一線を画す、空色のシートに描かれたまばゆいオレンジコート──そのセンターコートに立つことは特別な意味を持つ。テレビで放映される国際大会で日本代表選手や世界の名だたる選手たちが立つ、あのセンターコートからの景色を見ることができるのだ。
 次の春高が二人にとってラストチャンスとなる。
 ピピッと主審から笛が鳴らされた。勝利チームのほうはプラカードを先頭にとっくに自コートのエンドライン上に整列していた。
「整列や!」
 三村が自分のチームを振り返って声を張った。決して人前で弱気を見せない、福蜂の主将の声に戻っていた。肩を落として嗚咽している二年の戸倉の背を叩いて「おまえは来年もあるやろ。ほら」と連れていく。コートの内外で打ちしおれていた他のチームメイトたちにも「カッコ悪ぃ面してんなって。最後ビシッと決めて帰るぞ」と明るい声で活を入れると、みんな走って三村のもとへ集まり、しっかりと顔をあげて整列した。
 あの列の末端に並ぶことはない自分の立場の歯痒さを越智は胸の奥で噛みしめた。
 自分には自分の仕事がある。コートに背を向け、ベンチの荷物を手早くまとめはじめた。
 この年のインターハイ、福蜂の主将は三年、三村統。監督は福蜂OBでもあり、福蜂を率いて八年目になる畑。
 越智光臣は──マネージャーとして登録されている。

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