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霊能動物館
加門七海

   エントランス

 私達は自然の中にいる。
 緑豊かな田舎はもちろん、大都会の中であっても、太陽が輝き、風が吹き、雨が降って虹が出るなら、それは人知の及ばない、確かな自然の働きだ。
 そういったものにただならぬ思いを抱いたとき、我々はそこに神を、あるいは妖怪や精霊の姿を見出す。
 天候もそう。海や山、川もそう。そして、そこに生きる植物や動物達も同様だ。
 彼ら動物達は創世神話の立役者となったり、崇高なガーディアンになったり、悪魔の化身や地獄の卒になったりと、八面六臂の活躍をしている。
 動物に神秘を感じない民族は、地球上にはいないかも……。
 そんなふうに思えるほどだ。
 もっとも、山や海が以前より遠くなってしまった現代、日常生活の中で、その感覚を保つことは難しい。
 しかし、人工物しか目に入らない都会でも、路地を覗けば、石の狐さんが前垂れを掛け、切れ長の目でこちらを見ている。
 普通の神社でも、私達がまず出会うのは狛犬だ。
 手水舎では竜や亀がその口から水を出し、拝殿を見上げれば、またまた竜や唐獅子、鶴亀など、多様な生き物の造形がある。
 お寺でも、それは同様だ。
 動物達は仏様の側に寄り添い、乗り物になり、御厨子を飾る。そこに紛れる人の形をしたものは、天女や仙人という超越的な存在であり、どんなに偉くて著名でも、普通の人間は描かれない。
 つまり、動物達は普通の人より神仏に近いということだ。
 ──なんで?
 おかしくはないか?
 人間は万物の霊長で、ほとんどの動物は人が捕らえたり、売買したり、様々な目的で命を奪って利用する、ちっぽけなもののはずなのに。
 もちろん、最近は動物達への意識も大分変わってきて、ペットと呼ばれる存在は共に生きるパートナーだし、野生動物の保護も熱心だ。
 人と動物の命の価値がここに至って少しだけ縮まってきたといったところか。
 しかし、それでも、日本における法律はまだまだ生き物の命を軽んじている。根本的に、私達は自分達よりも動物を低いものと捉えているのだ。
 なのに──にも拘わらず、人は彼らに畏怖を覚える。神に近いものと見る。
「だって、社寺の造形は故事に基づいた慣例として用いられているだけでしょう。装飾とかに使われているから尊いというのは、ちょっと違うんじゃないのかな?」
 そう言う人もいるだろう。
 確かに動物に神を見るのも、家畜とするのも、人の眼差しの方向ひとつだ。
 天神様の牛だって、我々は美味しくいただいている。
 だが、本当にそれだけなのか。
 彼らは神仏の尊さを表現するためのアイテムとして、添えられているだけなのだろうか。
 どうも、そうは思えない。
 少なくともこの私には、日本における彼らの魂、彼らと人との関係は、一筋縄ではいかない様相を呈しているように思えるのだが……。


   狼の部屋

   (一)

 十年以上前になる。
 友人から、こんな話を聞いた。
「知り合いの話なんだけど、彼の親戚の叔父さんが金属プレス業をやってるの。従業員数人の零細企業で、工場の奥と二階が住まいになっているような町工場ね。昭和の終わり、その工場でとんでもない話があったんだって。
 なんでも、当時、たびたび材料が盗まれるようになったんだって。狙われるのは、きまって真鍮ばかり。だから、ある程度、知識のある奴の犯行で、同一犯ではないのかというところまでは推測できたんだけど、どうしても犯人が捕まらない。真鍮というのは高価だからね、家族経営みたいな会社でそんなことが数度も続けば、当然、経営を圧迫してくる。叔父さんが困り果ててると、同業の人が『秩父の三峯神社からお犬様をお借りしてみたらどうだろう』って言ったんだって。叔父さんは、まあ、典型的な町工場のオッサンだったので、最初は神頼みなんて馬鹿馬鹿しいって相手にしなかったんだって。でも、たかが、お札一枚。あってもなくても、さして困りはしないわけだし、実際、効力がなくたって、泥棒に『わかっているんだぞ』とか『もう、やめてくれ』とか、メッセージを伝えることはできる。御利益がなくとも、損にはならないんではないのかと、結構、熱心に勧められてね、叔父さんはその気になったのね。
 三峯神社の神様は狼をお使い、つまり眷属にしていて、『お犬様のお札』というのは、泥棒除けに験があるので有名なんだって。中でも、ただのお札じゃなくて、御眷属様を借りる──見えないお犬様を神様からお借りするという札は、すごい効力があるという。叔父さんはその人から色々聞いて、休みの日に、山の中にある三峯神社に行ったのよ。そして、神主さんに『御眷属様をお借りしたい』って申し出た。そうしたら、神主さん、まあ、ある意味、失札なんだけど、叔父さんがまったく信心深い人には見えなかったんでしょうねえ、『意味がわかって、言っているんですか』みたいなことを言ったらしい。叔父さんはカチンときて、本当はその『意味』とやらを全然知りはしなかったのに『もちろんです』と胸を張った。そうしたら、次に神主さんは『表にしますか、裏にします
か』と尋ねてきた。これもまったく意味不明で、答えに詰まったんだけど、下町育ちの負けず嫌いな人だったから、知らないと言うのも悔しくて、表よりも裏のほうが、なんかシークレットみたいで貴重そうだって思ってね、『裏でお願いします』って。そう言ったら、神主さんがえっと詰まって『本当ですか?』と訊き返してきた。その態度を見て、叔父さんもさすがにドキッとしたんだけど、やっぱり後に引けない負けず嫌いだったんで、『本当です。裏でお願いします』って、言い切っちゃったそうなのよ。そうしたら、神主さんは『わかりました』と頷いて、準備をして、ご祈祷をして、叔父さんに数センチの厚みのある平たい木の箱を渡したの。そして、細々と注意を与えた。いわく、家に帰って、神棚にそれを納めるまで、絶対、振り返ってはならない。途中、どこにも寄らず、電車の中でも、絶対に箱を下に置いてはいけない。必ず、一年後には御眷属様をお返しに来なくてはならない……。物々しさに叔父さんはすっかり怖じ気づいたんだけど、もう借りちゃったものは仕方ないよね。彼は箱を両手で掲げて、長い参道を戻っていったの。
 既に夕方になっていて、木立に囲まれた参道は薄暗くて、誰もいない。そこをひとりで歩いていくと、なんだか視界の端をシュッ、シュッて、白い影が素早く過ぎる気がするんだって。振り向くなと言われているから、後ろは見られないんだけど、何か動物みたいなものが数匹ついてきているようで薄気味悪い。それのみならず、ときどき、箱そのものがごとごと音を立てるんだって。中で何かが動いているような気がして、叔父さんはもう怖くて怖くて。神主さんに注意されるまでもなく、寄り道もせずに大慌てで家に戻って、予め造っておいた工場内の神棚に、御眷属様の箱を置き、言われたとおりにお供えをあげた。
 そうして、数日経った日の真夜中、突然、一階の工場から、殺されるような絶叫が聞こえたんだって。びっくりして工場に入ると、暗がりの中、男がひとり、へたり込んでいる。さては例の泥棒かと電気を点けたら、なんと正体は自分の息子。それが顔面蒼白で、ガタガタガタガタ……腰を抜かして震えている。どうしたと訊いても、息子はろくに言葉も喋れないざまで、激しく首を横に振るばかり。そのうち、『なんでもない』というようなことをしどろもどろに呟くと、這うように自室に逃げてしまった。そして、その晩以来、材料泥棒は出なくなったんだってさ。
 多分、息子が犯人だったんでしょうねえ。だけど、やっぱり自分の息子だから、盗まれなくなったらそれでいいって、追及はしないで終えたみたい。気になるのは、息子は一体、何にそんなに怯えていたのかということよ。何度も訊いたらしいんだけど、首を横に振るだけで、絶対、喋らなかったんだって」
「それで、お札はどうしたの?」
「怖いから、一年待たずに、お返ししたって」
「表と裏って、どう違うの?」
「私も気になって訊いたんだけど、どうも、表というのは神社で頒布している普通のお札らしいのね。で、裏というのは、本物の、生の御眷属様を神様から借りることみたい」
「……なま?」
 ──生の御眷属様って、なんなんだ。

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