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質草の誓い
質屋藤十郎隠御用 六
小杉健治

   第一章 命の質草

       一

 晩秋の日は短く、もう辺りは薄暗くなっていた。風が冷んやりとしてきた。藤十郎は入谷田圃の外れにある『大和屋』を引き上げ、稲荷町に差しかかった。
 藤十郎は数日おきに実家である『大和屋』を訪れ、父藤右衛門と兄藤一郎と打ち合わせている。
『大和屋』は町人を装っているが、れっきとした幕臣である。したがって、藤十郎も武士であるが、ふだんは『万屋』の主人として質屋業を営んでいる。
 もう少し早く帰るつもりだったが、兄から呼び止められて、帰りはこの時間になってしまった。
 兄の話は思いがけないものだった。まだ、そのことが頭から離れない。少し憂鬱な気持ちで帰途についたのだ。
 藤十郎が田原町へと急ぎ、新堀川にかかる菊屋橋の前にやってきたとき、三人の男ががっしりした体つきの若い男を囲むようにして浅草田圃のほうに向かっていくのを見た。三人とも二十七、八ぐらい。若い男は二十過ぎぐらいか。険しい様子に、穏やかならざるものを感じ、藤十郎は思わずあとをつけた。
「仙太、きょうこそ大きな口を叩けねえようにしてやる」
 三人のうちのひとりが吠えるように言う。
「なに言っていやがるんだ。ひとりじゃ敵わないからって、こんな化け物のような男を連れてきやがって」
 若い男が落ち着いた口調で言い返す。
「化け物とは俺のことか」
 巨躯の男が喚いた。
「なんだ、自分でもわかっているじゃねえか」
「なにいっ。その減らず口も今だけだ」
「ちっ、てめえの顔を見ると胸くそが悪くなる」
 どうやら喧嘩のようだ。話の様子だと、以前からもめていた関係で、たまたま町中で出くわし、争うことになったというところだろう。
 寺の横にある雑木林に入っていく。人気のない場所で四人が立ちどまった。
「ここでいいだろう」
「ああ、結構だ」
 三人にひとりだ。若い男も体格はいいが、相手の三人も屈強な体をしている。万が一のときには出ていこうと藤十郎は樹木の陰で見守った。
 いきなり、三人のうちのひとりが若い男に殴り掛かった。若い男は避けきれずに拳が頬を掠めた。
「痛え、やりやがったな」
 若い男は頬をさすってから、相手に向かって突進した。相手は弾き飛ばされ、仰向けにひっくり返った。若い男が体勢を立て直す前に、別の小太りの男が背後から若い男の首に太い腕をまわし、絞め上げた。
 若い男は首を絞めつけられながらも体をひねって肘で背後の男の脾腹を激しく突いた。うぐっと奇妙な声を上げ、小太りの男は離れた。
 若い男はすかさず小太りの男に飛び蹴りを加えた。小太りの男は尻餅をついた。
「てめえ」
 巨躯の男が指をぽきぽき鳴らしながら若い男に迫る。
「待て」
 若い男が手で制する。
「てめえのようなでっかい相手にはまともに行ったら勝ち目はねえ。だから、奥の手を使わせてもらうぜ」
「奥の手とはなんだ?」
「卑怯な手だ」
 そう言うや否や、凄まじい勢いで若い男は体を丸めて巨躯の男の股ぐらに飛び込み、褌の中の逸物を掴んだ。
「てめえ、なにしやがる」
 巨躯の男があわてて、股ぐらにある若い男の頭を叩く。だが、若い男はぐっと握り締めたらしく、巨躯の男が悲鳴を上げた。
 その隙に素早く離れ、驚いて突っ立っている男を殴りつけ、もうひとりは胸倉を掴んで投げ飛ばした。
「きさま、卑怯な奴」
 巨躯の男がまだ痛いのかガニ股で迫った。
「喧嘩に卑怯もくそもあるか。おめえのような化け物にはこうでもしなきゃ勝てねえ。さっき、そう言ったはずだ」
 若い男はさらに、
「それより、ひとりに三人でかかってくるほうが卑怯じゃねえのか」
「いっちょまえの口を叩きやがって」
 巨躯の男の顔から湯気が出ているようだ。
「兄貴、こうなりゃ、やるしかねえ」
 小太りの男が懐から匕首を抜いた。

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