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戌亥の追風
山本一力

   序

 嘉永六(一八五三)年六月の江戸は、月の始まりから大騒動となった。
 五月が終わり、六月の声を聞くなり、凄まじい大雨と風とが徒党を組んで江戸に襲いかかった。
「野分が江戸を襲うにしては、まだ時季が早いだろうに」
「さようでございますが……この雨と風とは、秋の野分を上回る強さでございます」
 江戸のあちこちの商家では、当主と番頭とがひたいを寄せ合って風雨の強さを案じた。
 五月下旬に、すでに梅雨入りはしていた。ゆえに雨が降り続くことには、江戸の住人は慣れていた。
 ところが五月から六月へ月が替わるやいなや、しとしと降りだった梅雨が、いきなり野分を思わせる暴風雨に化けた。
「こんな時季に野分が吹くとは」
「なにか、よくないことが起きなければいいんだが」
 吹き荒れる風と雨を、多くの者は凶事の前触れではないかと怯えた。そしてその本能のささやきは図星だったと、二日後には思い知った。
 雨も風も、翌六月二日の午後早くには収まった。吹き荒れた風が、空のゴミをきれいに吹き飛ばした。
 六月二日の夕暮れどき。
「こんなにきれいな夕焼けは、生まれて初めて見たぜ」
 午後の雨上がり直後から、大工は仕事を始めていた。夕暮れが迫ったいまは、普請場の隅に立って燃え立つ西空に見とれていた。
「ちげえねえ、おれも初めて見るぜ」
 鏝を洗い終わった左官は、大工と並んで夕焼け空に見入った。群れをなしたカラスが、カアッ、カアッと鳴きながら夕日に向かって飛んでいた。
「あんな空を見てると、夕焼けのなかに吸い込まれそうな気がしてくるぜ」
「昨日の野分といい、今日の妖しい色味の夕焼けといい、なんだかこのところの様子は尋常じゃあねえぜ」
「せっかくのきれいな夕焼けに、縁起でもねえことを言うんじゃねえ」
 左官に向かって、大工は口を尖らせた。が、その大工当人も、胸騒ぎのようなものを覚えていた。
 六月三日の八ツ半(午後三時)過ぎ。
「あろうことか、四隻もの黒い船(軍艦)が番所前を通過いたしまして」
「なんと」
「なかの一隻は恐れ多くも、江戸湾の深くまで侵入を……」
 外国船四隻の侵入を止められなかった浦賀船番所の役人は、周章狼狽した。
 四隻の船は、いずれもアメリカの軍艦だった。旗艦サスケハナ号が、ミシシッピ号、サラトガ号、プリマス号の三隻を従えて、浦賀水道を通過。
 サスケハナ号、サラトガ号、プリマス号の三隻は、七ツ半(午後五時)過ぎに浦賀沖に投錨した。が、僚艦ミシシッピ号は公儀に対する威嚇行為として、そのまま江戸湾
深くまで進んだ。
 四隻のうち、サスケハナ号とミシシッピ号は、蒸気機関の軍艦である。燃料の石炭を燃やす二隻は、煙突から真っ黒な煙を吐き出していた。
 長崎に来航するオランダ商船は、どの船も帆船である。黒煙を吐き出す軍艦など、だれも見たことがなかった。
 サスケハナ号が投錨したのは、六月三日の七ツ半過ぎ。夏の夕日は、まだ西空に残っていた。前日同様、三日もまた夕暮れの空は、鮮やかなあかね色に染まっていた。
 黒煙を吐き出す黒船は、そんな美しい夕焼け空を背負って投錨した。
「いったいなんだろう、あの黒船が吐き出す真っ黒い煙は」
 浦賀の海岸は、黒船の威容に恐れをなした見物人で埋め尽くされた。
 江戸湾の奥に侵入した軍艦ミシシッピ号は、夜間には時砲と称する空砲をぶっ放した。
 ドオーーン……ドオーーン。
 蒸気機関の軍艦が、十門の空砲を順繰りに放ったのだ。轟音は、江戸市中の隅々にまで届いた。
 旗艦サスケハナ号も、ミシシッピ号に呼応して空砲を放った。
「なんだ、あの音は」
「黒船の連中が、はしけに乗り換えて浜に押し寄せてくるんでねえか」
 浦賀の浜に暮らす漁師たちは震え上がった。浦賀奉行所の役人も、腰を浮かせて驚いた。
 艦隊司令ペリー提督は、公儀役人を威嚇しようとして空砲を放った。その目的は、充分に達せられた。
 来航から一夜明けた六月四日。ペリーは浦賀奉行所与力香山栄左衛門および中島三郎助を相手に、来航目的を伝える交渉を始めた。
「我が亜墨利加(アメリカ)合衆国は、大西洋より太平洋に達する国である」
 アメリカの国土の広大さを誇ったのち、ペリーは、アメリカ西海岸と日本は太平洋を挟んで向き合う国であると力説した。
「我が国オレゴン州および角里伏爾尼亜(カリフォルニア)の地は、正に貴国と相対しておる。我が蒸気船で角里伏爾尼亜を発すれば、十八日を経て貴国に達する」
 ペリーは奉行所与力を相手に、この来航は両国の友好親善が目的であると強く訴えた。地図を示されて、日米両国が太平洋を挟んで向かい合っているといわれても、与力ふたりに理解できるはずもなかった。
 当時のアメリカは、蒸気機関船で大西洋・太平洋の横断を推進していた。新興国アメリカの国力を誇示するためである。
 大型軍艦や商船を投入し、精力的に諸外国との交易を展開していた。
 しかし船に積める石炭の量には限りがある。また長距離の航海には、水・食料などの補給も欠かせない。
「合衆国の相当数の船が、角里伏爾尼亜と支那との間を行き来している。また、捕鯨で出漁した合衆国の漁船が、貴国海岸に近づくことも少なくない。台風に遭遇したら、貴国近海にて破船することもある。そのようなときには、貴国において難民を撫恤し、その財物を保護していただきたい」
 救助してもらったのちには、アメリカより船を差し向け、その難民を引き取ると、ぺリーは続けた。
「日本に石炭や食料が大量にあることは、すでに我が国の知るところである」
 こう言い放ったペリーは、ぐいっとあごを突き出した。
「石炭・食料および飲料水を日本で補給したのちには、相応の対価を支払う用意がある。西海岸角里伏爾尼亜では、毎年数千万ドルの金を産出している。支払い能力をなんら案ずることはない」
 ペリーの右手には、大統領からの親書が携えられていた。しかし反対の左手では、交渉に応じなければ軍艦での攻撃もいとわないぞと、脅しのピストルをちらつかせた。
 ペリーが乗船してきた旗艦サスケハナ号は、積載量じつに二千四百五十トン。僚艦のミシシッピ号が千六百九十二トンである。
 途方もない大きさの軍艦二隻が、石炭を燃やして、ひっきりなしに黒煙を吐き出していた。そして夜間になると、空に向けて空砲をぶっ放すのだ。
 帆船軍艦サラトガ号とプリマス号も、ともに九百トン前後の積載量である。帆柱一本の二千石(約三百トン)積みの弁財船を最大の船だと思っていた日本人は、軍艦の巨艦ぶりに肝を潰した。
 帆船軍艦でも、千石船の数倍の巨艦だったからだ。
 公儀はペリー一行の江戸城入城は断固拒んだ。その代わりに浦賀および下田において、交渉の場を設けた。
 江戸から離れた場所に一行を留め置くことで、時間稼ぎを図ったということだ。
 嘉永六年六月十日。
 黒船が浦賀沖に姿をあらわしてから七日後に、公儀は諸大名に向けてひそかに触書を回した。
「築地・鉄砲洲・芝・高輪の上屋敷にあっては、すみやかに婦女子の避難を図られたい」
 公儀は交渉決裂による、アメリカ艦隊の襲撃を危惧していた。海岸地域の大名諸家に回した極秘通達は、公儀の狼狽ぶりを如実に物語っていた。
 日本橋北詰には、高札場がある。公儀発の、さまざまな触れを掲示する場所である。
 その翌日、六月十一日、明け六ツ(午前六時)。
 とっくに梅雨入りしたにもかかわらず、この日も大きな朝日が昇っていた。
 公儀は大名諸家に対しては、避難勧告を発令した。しかし庶民には、なにひとつ触れを出さなかった。
 まだ赤みの強い朝の光が、日本橋のたもとに届いている。高札場には、一枚の立て札も立っていなかった。
 昇る朝日は高札ではなく、橋のたもとの杉の看板を照らした。
『木更津河岸はこの先、江戸橋たもと』
 雨風にさらされた杉の看板は、太い筆文字で木更津河岸の場所を示していた。


   一

日本橋の下を流れるのは、御城につながる御堀である。その堀の北岸を、大川に向かって手代風の若い男が歩いていた。
 六月十一日の明け六ツ(午前六時)を、四半刻(三十分)ほど過ぎたころである。まだ早朝なのに堀沿いの道には、すでに多くのひとが行き交っていた。
 この河岸を逆方向に三町(約三百二十七メートル)も歩けば、日本橋の魚河岸である。往来しているのは、魚河岸に用のある者がほとんどだった。
 梅雨の谷間の晴れが続いており、今朝も明け六ツ直後から大きな朝日が昇っている。紺色の半纏を、朝の光が照らしていた。
「かけうどんをくんねえ」
「おれはキツネだ」
 うどんを注文する声が、堀沿いの道端にまで響いている。江戸橋に向かって足を急がせていた仙之助の足が、ふっと止まった。
 魚河岸に仕入れにくる棒手振と、魚屋・青物屋を相手にするうどん屋である。一杯十六文のうどん代は、担ぎ売りの夜鳴き蕎麦屋と同じ値だった。
 しかしここのうどん屋は、わずか二間(約三・六メートル)間口の狭さながらも、しっかりと店を構えていた。いい加減なモノを客に食わせて、行方をくらますことはできないのだ。
 担ぎ売りの蕎麦屋と同じ十六文で商いながらも、味のよさは図抜けていた。なにしろ、ここのうどんを食べたいばかりに、早起きをして日本橋まで出向いてくる客がいるほどだった。
 屋号は『さぬきや』。西国讃岐が在所のうどん屋で、腰の強いうどんの美味さと、鰹節と昆布のダシが合わさったつゆの美味さが大評判なのだ。
 商いは明け六ツから五ツ(午前八時)までの一刻(二時間)だけ。しかも五ツ前でも、売り切れとなったら店仕舞いをする。
「おれは今朝、さぬきやのかけうどんを二杯も食ったからよう」
「そいつあ、運がいいじゃねえか」
 さぬきやのかけうどんに刻みネギをたっぷりいれて、七色唐辛子をふりかける。
 朝からこのうどんを二杯食べられたら、その日一日、幸運がついて回る……。
 魚河岸に集まる魚の棒手振たちが広めた、さぬきやの評判である。棒手振が勝手に言い出したことだが、あながち的はずれとも言えなかった。
 常に客が押し寄せていて、しかもうどんの数に限りがあるさぬきやだ。もしも二杯続けて食べられたら、まさしくそれは幸運だった。
 仙之助の足が止まったのは、さぬきやの店先が意外にもすいていたからだ。
 うどんやの評判が高いことは、仙之助も先刻耳にしていた。
 仙之助の奉公している薪炭問屋『上総屋』は、目の前の堀と、楓川とがぶつかる根元に建っていた。五間間口の二階家で、店の前の楓川には海賊橋が架かっていた。
 間に堀があるが、上総屋とさぬきやとは目と鼻の先も同然である。
 上総屋が店の雨戸を開くのは、さぬきやの商い始めと同じ明け六ツだ。小僧が店先の掃除を始めるころには、さぬきやの二間間口の前は、すでに客で埋まっていた。
 風向きによっては、堀を渡ってうどんつゆの香りが、上総屋の店先にも流れてきた。
「おいしそうだね」
「一度でいいから、あのうどんを食べてみたいよね」
 小僧たちは鼻をひくひくさせて、美味そうなつゆの香りをかぎ、口のなかに唾をためた。
 そのさぬきやの店先が、意外なことにすいていたのだ。
 かけうどんを二杯続けて食べられたら、その日は一日ツキに恵まれる……。
 仙之助のあたまのなかを、何度も耳にしてきたさぬきやの評判が駆け巡った。
 今朝の仙之助は、ほかのだれよりもツキがほしかった。
 お仕着せのたもとに手をいれると、縞木綿の紙入れを取り出した。紐をゆるめて、紙入れのなかをまさぐった。
 十枚の一文銭と一緒に、一匁(約三・七五グラム)の小粒銀がふた粒入っていた。いまは小粒銀ひと粒で、銭八十三文が相場だ。
 かけうどん二杯で三十二文である。一刄の銀があれば、うどん二杯を食べてもたっぷりとつり銭がもらえる。
 素早く勘定を終えた仙之助は、さぬきやの店先に近寄った。
「かけうどんを二杯、いただけますか」
 遠慮気味の声で注文した。
 上背はあるがやせ気味でひ弱にすら見える。着ているものからひと目で、大店のお店者だと分かった。
 月代が真っ青な男である。そんな男が、身体つきに似合わぬ注文をした。
 狭い店先には、奥行き一尺(約三十センチ)、長さが一間半の杉板が渡されていた。うどんを立ち食いするときの、卓代わりの板である。
 店先はすいていると言っても、四人の先客がうどんを食べていた。仙之助がかけうどん二杯を注文すると、四人の客が一斉に目を向けた。
「二杯てえのは、おめえさんがひとりで食うのかい?」
 さぬきやの親爺が、ぞんざいな口調で問いかけてきた。担ぎ売り連中ばかりのなかに、お仕着せ姿の仙之助がひとりだけ交じっているのだ。目立つこと、おびただしかった。
「そうですが……ひとりで二杯頼んではいけませんので……」
「いけなかあねえさ。うちはうどんを拵えるのが商いだからよう」
 仙之助の相手をしながらも、親爺はうどんを茹でる手をとめなかった。
「だがよう、にいさん。うちのうどんは、腰の強さが命だ。いっぺんに二杯も誂えると、食わねえほうのうどんが伸びちまって、すっかりまずくなるんだ」
 一杯を食い終わってから、もういっぺん注文してくれ……親爺はぶっきら棒な物言いを仙之助にぶつけた。
 うどんをすすっている先客が、咎めるような目を仙之助に向けた。
「分かりました」
 消え入るような語尾で答えたとき、親爺はかけうどんを差し出した。熱々で、どんぶりから強い湯気が立ち上っている。
 鰹節の美味さに満ちた香りが、仙之助の鼻をくすぐった。
「いただきます」
 竹筒に突っ込まれた丸箸を手にした仙之助は、どんぶりを手に持とうとした。
「うちは前払いだ。十六文払ってから、どんぶりを持ってくんねえ」
 親爺の物言いは、相変わらず無愛想である。場違いなお店者の客が、親爺には気に入らないらしい。
「うっかりしました」
 仙之助は、大慌てで紙入れを取り出した。一文銭は十枚しかないのは、すでに確かめていた。
「すみませんが、これで」
 仙之助は小粒銀を差し出した。
「よしてくんねえ、朝っぱらからでけえつり銭なんぞは」
 親爺の物言いが、険しくなった。
「立ち食いの店で一杯十六文のうどんを食うのに、小粒銀を出すやつはいねえだろう」
「ですが……あいにく、銭の持ち合わせがないものですから」
「だったら、うちとは縁がねえんだ。すまねえが、うどんはけえしてもらうぜ」
 親爺は、どんぶりをさっさと引っ込めた。
 突き放された仙之助に、周りの客からまたもや刺すような視線が集まった。
「あいすみません」
 小声で詫びた仙之助は、逃げ出すようにしてさぬきやの店先を離れた。
 ツキはすっかり逃げていた。

   二

 六月十一日、六ツ半(午前七時)。
 一刻(二時間)前の七ツ半(午前五時)に房州木更津湊を出た一杯の船が、江戸湾を横切っていた。帆を大きく膨らませた五大力船、元五郎丸である。
「どうだい、ねえさん。ちっとは船に慣れたかい」
 水夫のひとりが、船端によりかかったおきょうに話しかけた。
 見た目の若さとは不釣り合いな、地味なひとえを着こなしたおきょうだ。そんな娘がだれの繋ぎもなくやって来たときには、居合わせた男たちは驚いた。
 ところが乗船したあとのおきょうは、水夫たちに気前よく祝儀をきった。木更津育ちらしい歯切れのいい物言いを好んだ船頭も水夫も、胸を開いて接していた。
「ありがとう……」
 応えたおきょうは、笑顔を拵えようとした。が、まだ船酔いの心地悪さが消えていない。顔は笑顔にはならなかった。
 身分を知られたくなくて、わざわざ馴染みの船頭がいない船を選んで乗ったおきょうである。
 気心の知れない水夫が扱う船だと、これほどに船酔いをするものなのか……。
 あれこれ悔やんでしまうおきょうに、笑顔を拵える気持ちのゆとりはなかったからだ。
「あと半刻(一時間)もしねえうちに、船は中川の船番所に着くでよう。そこまで行ったら、帆柱は畳んで棹になっから」
 棹を使うときには、元五郎丸は海船ではなしに川船になっている。そうなれば、もう揺れることはねえ……水夫はやさしい口調で話しかけて、おきょうを元気づけた。
「それによう、ねえさん」
 水夫は、おきょうと顔を見合わせられるようにしゃがみ込んだ。
「うちらの船は、好き勝手に海も川も走っていいと、御公儀からお許しをいただいてんだ。そんなお許しをもらった船は、ちっとやそっとのことじゃあ、沈んだりはしねっから。安心して、寄っかかってていいぜ」
「ありがとう……」
 おきょうは、か細い声で応えた。これ以上、水夫と話をするのが面倒だったからだ。
 水夫はおきょうの顔つきから、具合の悪さを察したらしい。
「邪魔したな」
 気分を害したそぶりも見せず、艫のほうに歩き去った。
 水夫が口にした通りである。
 五大力船は『江戸湾航海は勝手次第』の許しを、公儀より得ていた。これにより、いつなんどきでも船を走らせることができた。
 六月のいまは、夜明け前から昼過ぎまでの三刻(六時間)あまりにわたり、戌亥(北西)への風が強く吹いた。
 木更津から江戸までは、陸路を行けばおよそ十九里半(約七十八キロ)である。しかし江戸湾を横切る海路をとれば、十三里で結べた。
 陸路に比べて、海路は大きな近道となった。しかも戌亥への追風をうまく帆に捉えた五大力船は、わずか二刻(四時間)で江戸まで行き着くことができるのだ。
 通い大工が朝飯を摂るのが、おおむね明け六ツ(午前六時)過ぎ。腹ごしらえを終えた大工が、普請場で仕事を始めるのが五ツ(午前八時)どきの見当である。
 柱材にカンナをかけ、ノミで穴をうがっている間に四ツ(午前十時)の休みとなる。
 茶菓でひと息をいれたあと、三本の柱を仕上げた時分には昼となる。
 普請場で仕事を始めた大工が、四本の柱を仕上げる間に、追風に恵まれた五大力船なら、江戸湾を渡って中川船番所に行き着いていた。
「今朝の五ツに、木更津を船出しやした」
 六月の未明から昼までの三刻あまりは、五大力船にとってはなによりの航海日和だった。
 とはいえ波の立つ海を突っ走る船は、揺れも大きい。おきょうを安心させようと思った水夫は、五大力船は滅多なことでは転覆しないと請け合った。
 が、これは真っ赤な嘘だった。
 元五郎丸を始めとする木更津船(五大力船)は、横風や横波を受けて転覆することもめずらしくはなかった。
 水夫がおきょうに教えた通り、中川船番所に着くまでの元五郎丸は、帆を張って海を疾走した。つまりは海船である。
 しかし木更津から江戸までの十三里のうち、仕上げの二里は、海ではなしに川を走った。
 房州方面から江戸に向かう船は、小名木川に設けられた中川船番所で、役人の『船改め』を受けた。これは陸路の関所の吟味と同じである。
 江戸から出る船に女が乗船していると、吟味はことのほか厳しかった。『出女』のなかには、大名の内室が町人に扮装していることも少なからずあったからだ。
 江戸に入る船は、武器のたぐいが隠されていないかを役人は厳しく吟味した。が、乗船客については、男女ともにほとんど吟味はされなかった。
 小名木川は、行徳で拵えた塩を江戸城に運ぶために掘られた水路である。人力で拵えた運河ゆえに、川底まではせいぜいが三尋(約四・五メートル)の深さでしかなかった。
 五大力船は、水深の浅い小名木川を航行した。しかも木更津から江戸に向けて運ぶ米・炭・薪などの荷を満載して、である。
 元五郎丸は、二百石(約三十トン)積みの五大力船だ。
 船の全長は六十四尺(約十九・四メートル)、幅は十一尺あった。
 この船に、二百石の荷を積んだ。ところが水深の浅い小名木川を航行するために、船の深さは四尺四寸(約一・三メートル)しかなかった。
 しかも船底は平らなのだ。
 喫水が浅くて平らな船底の船に、大きな帆柱を立てて海を疾走するのだ。揺れもひどかったし、強い横波を浴びると転覆することも多々あった。
 乗組員は、船頭以下五人。二千石積みの弁財船でも、水夫は十人足らずである。それを思えば、五大力船の五人は多かった。
 水夫の多いわけは、帆を畳んだあとで丸太の棹を川にさして進むための、棹の使い手が入り用だったからだ。
 上方から江戸に物資を運ぶ樽廻船・菱垣廻船・弁財船などの大型船は、品川沖に投錨した。運んできた積荷は、そこではしけに積み替えられた。
 大型の海船では、大川を航行できなかったからだ。はしけの荷は永代橋近くの佐賀町河岸や、新川河岸に荷揚げされた。
 ところが五大力船は、海から川にそのまま乗り入れることができた。そして河岸に横付けをし、荷揚げもできた。
 この便利さが大受けした。
「どうせなら、木更津船(五大力船)が何杯でも横付けできる、しっかりとした河岸を拵えようじゃないか」
「それは妙案だ。さっそく五人組が顔をそろえて、御公儀に掛け合おう」
 日本橋本船町の肝煎たちは、河岸建造の許しを得た。石組も美しく仕上がった河岸は、船が出航する湊にちなんで『木更津河岸』と命名された。
 昼夜を問わず追風に押されている限り、五大力船は江戸湾を横切った。
 房州各所からと対岸・相模国の産物などは、ひとまず木更津に集められた。それらの物資やひとを満載した五大力船は、江戸の木更津河岸を目指して奔っていた。

「そろそろ、五ツの見当でねえかい」
 空を見上げた水夫が、陽の高さから時の見当を口にした。元五郎丸の前方には、中川船番所が見え始めていた。
「あれが見えてっから、確かに五ツが近いかもしれねえ」
 若い水夫は、仲間が口にした見当にうなずいた。
「帆をたためえ」
 船頭が大声で指図を下した。
「がってんだ」
 水夫のひとりが綱を操り、手早く帆を畳んだ。風に押される力が失せて、船足がいきなりのろくなった。
「帆柱、たおせえ」
 帆を畳み終わったのを見定めた船頭は、帆柱の横倒しを指図した。三人の水夫が敏捷に動き、帆柱を帆筒から抜き出しにかかった。
 松の角材でできた帆柱は、人力だけでは重くて動かせない。綱と滑車を巧みに使い、三人がかりで筒から抜いた。
 船は潮の流れに乗って、揺れもせず、ゆるゆると船番所のほうに走っている。筒から抜かれた帆柱は、きれいに横倒しにできた。
 船番所までは、およそ一町(約百九メートル)だ。潮の流れに乗っていれば、棹を使うまでもなく行き着ける。
 舵の長柄は、船頭が握っていた。艫は船頭に任せて、水夫四人は舳先に集まっていた。
「そういやあよう……」
 年長の水夫が、大声で話し始めた。
「浦賀に黒船がへえってからは、中川船番所の吟味がえらく面倒だというじゃねえか」
「いや、そんなことは聞いたこともねえ」
 おきょうに話しかけていた水夫が、強く首を振った。
「それは、おめえが知らねえだけだ」
 年長の水夫は、話し声を一段と大きくした。聞いたことがないと言われたことが、業腹に思えたのだろう。
「いままでは江戸から出る女の吟味がきつかったけんどよう。いまは江戸にへえる女も、すっ裸にされるらしいぜ」
 水夫の大声が、おきょうの耳に届いた。
 船酔いに苦しんでいるおきょうは、顔色が青白い。水夫の話を聞いて、さらに血の気がひいていた。
 船番所が次第に近づいてきた。
 番所で飼っている犬が、強い調子でワンワンッと吠えている。
「仙之助さん……」
 船端に背を押し付けたおきょうは、小さな声で男の名をつぶやいた。

  三

 中川船番所の庭には、幾種類もの花と野菜が植えられていた。
 今年で還暦を迎えた番所の下男元助は、近在砂村の出である。若いころから花と野菜を育ててきた元助は、土の目利きができた。
 船番所の庭は、およそ二百坪。土はよく肥えており、花と野菜を育てるにはうってつけの敷地だった。
「時季になったら、色味のきれいな花が咲きますもんで」
 番所の庶務役に掛け合い、花と野菜を植える許しをいただきたいと願い出た。庶務役は、与力に元助の願い出を伝えた。
 季節ごとに咲く花は、男所帯の番所に潤いをもたらすだろう。実った野菜は、賄いの膳を賑やかにする実利をも伴う。
「二百坪ぐれえの土地なら、世話するのはわしひとりで充分でやす」
 船番所には、大きなかわやが設けられていた。吟味待ちの船客たちが用足しをするかわやである。
 野菜や花を育てる下肥には事欠かない。
「よろしい。二百坪の庭の手入れはそのほうに一任いたす」
 与力の許しを得た元助は、土を耕し、野菜作りのための畝を拵えた。番所の下男を務め始めてから、今年で四年が過ぎた。
 つるを拵える花や野菜には、元助は生垣を造作した。竹の調達から細工まで、すべて元助ひとりの仕事である。
 六月のいま、番所の畑にはナスの花が咲き乱れていた。
『親の意見となすびの花は
 千にひとつも仇はない』
 ことわざ通り、紫色の花を咲かせたナスは、かならず艶やかな紺色の実を結んだ。
 ナスの葉は深い緑色の地に、紺色の筋が走っている。六月の夏日を浴びた大きなナスの葉は、紫色の花と色味を比べあっているかのようだ。
 畑の端に立った元助は、花の咲き具合を確かめていた。まだ五ツ(午前八時)過ぎだというのに、陽差しはすでに強かった。
「元助さんよう……」
 賄い場の戸口から、包丁を手にした男が元助に呼びかけた。背丈が五尺七寸(約百七十三センチ)もある船番所の賄い料理人、常吉である。
 ひたいに手をかざして畑を見ていた元助は、常吉のほうに振り返った。
「今日の昼には、また与力様が寄合を持たれるそうだからよう」
 右腕をぐるぐる回しながら、常吉は元助のそばに近寄った。
「できのよさそうなナスを二十個、昼飯用に取り込んでくんねえな」
 元助に呼びかけた用向きは、ナスの取り入れだった。
「二十個なら、形のそろったものが取り込めるだろうさ」
 おろした手を腰にあてて、元助は背を伸ばした。
 与力が主宰する寄合に集うのは、部署ごとの役付同心十二人である。与力を合む十三人には、別誂えの昼餉が供された。
 六月は、旬を迎えた畑のナスが献立に加えられている。今日の昼には、常吉は焼きナスを考えていた。
「今日は大きめのナスがほしいんだが、でえじょうぶかい?」
「わしが手入れをしているナスだぜ」
 元助の言い分に、常吉は神妙な顔つきでうなずいた。
 年を重ねるごとに、元助は短気になっていた。うっかりヘソを曲げられると、ナスの取り込みが厄介になる。それを常吉は案じたのだろう。
「このところ、なにかてえと与力様は寄合を持たれてるんじゃねえか?」
「確かにそうだ」
 常吉は、何度もうなずいた。が、これは元助に追従しているわけではなかった。
 六月に入ってから今日の昼で、はやくも四度も与力主宰の寄合が持たれていた。
「なにか物騒なことでも起きてるのかい?」
「おれは包丁を使うのが仕事だ、番所のなかでなにが起きているかは分からねえが……」
 大柄な常吉が、背をかがめて元助の耳元に口を寄せた。
「つい今し方も、賄い場で茶を呑んでたおせいさんが呼び出されたところだ」
 おせいは、女の船客の吟味を受け持つ『吟味婆』である。
「こんな時分に江戸発ちの船があったってか」
「いや、そうじゃねえ」
 常吉は、身体を起こして首を左右に振った。
「木更津から江戸に向かってる船に、女が乗ってたらしい」
「そいつあ、妙な話じゃねえか」
 元助が口を尖らせた。
「女の吟味は、江戸から出て行く船の客に限られてたんじゃねえのか」
 常吉に向けた元助の目つきがきつい。
「とっつあんよう……おれをそんな目で見ねえでくんねえ」
 いわれのない尖った目を向けられて、常吉の口調が強くなった。
「おおきに、そうだった」
 元助は素直に詫びて、目つきを元に戻した。
「それにしても、なんだって江戸に入る船の女を吟味したりするんでえ」
 問われた常吉は、思案顔を拵えた。
 元助は浦賀奉行所のある方角に向けて、右手の人差し指を突き出した。
「ついこの前の黒船騒ぎが、ここの番所にも影を落としているんだと思うぜ」
「確かにそうかもしれねえ」
 常吉は余計なことを言わなかった。
 吟味婆のことよりも、形の揃った二十個のナスを早く取り込みたがっているかのようだった。

   四

 おきょうが押し込まれた吟味部屋は、なにひとつ調度品のない三畳間だった。部屋の三面は漆喰塗りの白壁で、残る一面は二枚のふすまがはまった出入り口だった。
 ふすまは無地の黄色である。白壁に囲まれた部屋に、黄色無地のふすま。色の取り合わせが、おきょうを落ち着かなくさせた。
 漆喰壁の高いところには、明かり取りの窓が造作されていた。畳から七尺(約二・一メートル)の高みにある窓である。五尺一寸(約百五十五センチ)のおきょうには、到底、手が届かなかった。
 窓は障子戸で、きちんと閉じられている。が、窓の外からだれかに見張られている気がしてならない。
 白壁と黄色無地のふすま。
 七尺の高さにあって、開け閉めもできない障子戸の窓。
 そのどちらもが、部屋に押し込まれた者を落ち着かなくさせる仕掛けだった。
 江戸から外に出る女が、関所で厳しい吟味を受けるということを、何度も江戸に出向いたことがあるおきょうはよく知っていた。
 が、江戸に向かう女がきつい吟味を受けるなどとは、聞いたこともなかった。
 いったい、なにが起きているのかしら……。
 ふすまを前にして座っているおきょうは、過ぎた七日間のことを思い返していた。

 おきょうの生家は、木更津で名の通った『波切屋』という屋号の薪炭問屋である。波切屋は房州のみならず、江戸湾を挟んだ対岸の相州各所からも、薪作りの元になる松や杉を仕入れていた。
 建材とは異なり、薪に使う材木は形を問わない。普請場から出る丸太の切れっぱしや、浜に流れ着いた流木も薪材である。
 木更津の対岸、未申(南西)の方角に当たる相州観音崎周辺の浜には、強い潮流が多くの流木を運んできた。
 波切屋は観音崎の漁師や網元と話をつけて、毎月一回、流木を買いつけに出向いた。
 波切屋が観音崎一帯の浜から仕入れを始めたのは、すでに百年も昔、宝暦年間(一七五一〜一七六四)の初期である。以来、嘉永六(一八五三)年のいまも、浜に流れ着く流木は、波切屋が一手に仕入れていた。
 百年が過ぎる間には、他所や他国の薪問屋が、波切屋よりも高値で買い取るという話を、何度も持ちかけた。
「何べん来ても、話を聞く気はねえ」
 浜の住民は、だれもが海に命をかける男たちである。宝暦二(一七五二)年に観音崎をおとずれた波切屋当主は、木更津八幡宮の御札を持参していた。
「わしらもあんたら同様に、海のありがたさも怖さも、よう知っとります」
 木更津八幡宮の御札は、海難事故から船を守ってくれます……波切屋当主は、気持ちを込めて一枚一枚、御札を漁師や網元に配って回った。
 この波切屋の振舞いを、漁師の女房連中が心底から喜んだ。
「とうちゃんの命を守ってくれる御札だもの。大事にいただくべさ」
 木更津八幡宮の御札は、まことに霊験あらたかだった。御札を帆柱に貼りつけていた漁船が、時化の海で何杯も助かった。
「波切屋さんのおかげだがね」
 波切屋当主が観音崎を初めておとずれた二年後の、宝暦四(一七五四)年五月。
「この先は、なにがあっても波切屋のほかとはかかわりを持たない」
 浜の漁師たちは、こぞって起請文(誓約書)を差し入れた。
 紀州と尾張は、杉と檜の特産地である。江戸の材木商は、この両国から丸太を仕入れて、江戸まで廻漕した。
 しかし途中には、遠州灘を始めとする海の難所が幾つも待ち構えていた。廻漕途中で荒天に遭遇した船は、丸太を切り離した。
 そうしない限り、沈没が避けられなかったからだ。
 荒海を漂い始めた丸太は、潮に乗って伊豆半島に向かった。途中の浜に漂着しない丸太は、伊豆半島の先端を回り、江戸湾のなかへと流れて行った。
 浜に打ち上げられた丸太は、拾った者勝ちである。が、海水を芯まで吸い込んだ丸太は、建材に使うことはできなかった。
 波切屋が買い集めたのは、この種の流木である。普請には使えなくても、乾かせば薪にはなった。
 宝暦二年から始まった、波切屋と観音崎周辺の漁村との付き合い。その結び目には、嘉永六年の今年になっても、いささかのゆるみも生じていなかった。
 波切屋が江戸湾を渡って観音崎に出向くのは、毎月十五日と決まっていた。月の真ん中は、夜空に満月がある。もしも観音崎からの帰途が夜に差しかかったとしても、満月なら夜の海を照らしてくれたからだ。
 ところが今月は、いささか様子が違った。六月二日に観音崎の漁師ふたりが、江戸湾を渡って波切屋をたずねてきた。
「でっけえ杉の丸太が、いきなり七本も浜に流れ着いたからよう。おらたちと一緒に、観音崎の浜まできてくれや」
 漁師の頼みを、波切屋はこころよく受け入れた。前月、五月十五日の仕入れが、大してなかったからだ。
「今夜は木更津に泊まっていただこう」
 木更津には大きな色里がある。二日の夜は、波切屋の手代が漁師たちを遊郭に案内した。一夜明けた三日朝、波切屋が仕立てた船が漁船とともに観音崎に向かった。
「これはまた……」
 流木を見た波切屋の手代たちは、獲物の大きさに驚き、目を見開いた。
 流木の数は七本に間違いなかった。が、漁師は、大きさを正しく伝えてはいなかった。
 一本の長さが四間(約七・二メートル)で、差し渡し(直径)が三尺もある杉の大木である。七本とも、長さも太さも同じ形に揃っていた。
 波切屋の手代は、だれもが材木の吟味ができた。
「この杉は、海に浸かってからまだ日が浅いようだ」
「薪にするのは、なんとももったいない」
 杉は紀州の熊野杉に間違いないと、手代たちは判じた。
「吉野屋に買い取らせよう」
 手代たちの思惑はぴたりと一致した。
 吉野屋は、木更津で一番所帯の大きい材木問屋である。長さ四間、差し渡し三尺の見事な杉が、廻漕無用で手に入るのだ。
「一本十両の値をつけても、吉野屋なら喜んで買い取るだろうよ」
 手代ふたりはうなずき合い、丸太の持ち帰りの段取りの思案を始めた。
「ひとたび木更津に帰ります」
 手代は漁師町の肝煎に前金を渡し、引取りに戻るまでの数日、浜で見張っていてほしいと頼んだ。
 薪にするなら、浜で手ごろな大きさに挽けばいい。波切屋が仕立てた船には、大鋸挽き職人も乗っていた。
 しかし七本すべて、建材として使うのだ。四間もの長さのある杉丸太は、ただの一本でも船蔵には入らない。重さ・長さともに、船には積み切れなかった。
「この杉は、丸太のまま木更津に持ち帰りますので……」
 波切屋の手代は、杉一本につき一両で買い取ると肝煎に伝えた。七本で七両である。
「そりゃあまた、豪気なことだ」
 肝煎も漁師たちも、手を叩いて大喜びをした。百年を超える長い付き合いのなかでも、流木が七両の実入りをもたらしたのは初めてだった。
「浜のみんなが交替で見張るからよう。安心して任せてくれ」
 木更津に帰る船を、漁師たちは船着き場まで見送りにきた。ところが船が帆を張ろうとしたとき、観音崎代官所の役人が血相を変えて船着き場に駆け寄ってきた。
「一杯たりとも、船着き場を離れることはまかりならぬ」
 役人は船止めのわけは言わなかった。が、日暮れ前には観音崎の漁師全員が、役人の慌てているわけを察していた。
 浦賀沖に、途方もなく大きい黒船が四杯も停泊していたからだ。船は大きいだけではなかった。
「なんだね、あの真っ黒な煙はよう」
「せっかくの夕焼けが、煙で黒く塗り潰されそうだがね」
 二杯の船は、煙突から煙を吐き出し続けている。煙突から出る煙は、観音崎の浜からでもはっきりと見えた。
 手代の足止めは、翌日も続いた。
「旦那様は、さぞかし案じていなさることだろう」
 手代たちは、顔つきを曇らせた。
「心配することはねえって」
 漁師は威勢のいい声とともに、手代の肩をバシッと叩いた。
「あの黒船騒ぎは、向こう岸の木更津にも間違いなく伝わってっからよう。おめえさんたちが帰れない事情も、しっかり察してるにちげえねえって」
 漁師の見当は図星をさしていた。
 足止めが解けたのは、六月五日の昼過ぎである。
「それでは、取り急ぎ木更津に戻りまして」
 肝煎と漁師にあいさつをしているさなかに、木更津の五大力船が江戸湾を渡ってきた。
「なにごともなくてよかった」
 乗船していたのは、波切屋の手代頭である。
 杉丸太七本の次第を聞き取った手代頭は、あらためて肝煎と漁師に礼を伝えた。
 木更津の丸太曳航船が江戸湾を渡ったのは、六月七日である。木更津と観音崎は、わずか五里(約二十キロ)の隔たりでしかない。
 風にも恵まれて、丸太は七日夕刻には木更津湊に陸揚げされた。
「これは見事な熊野杉だ」
 丸太をひと目見るなり、吉野屋の手代は目元をゆるめた。
「この杉ならば、指し値通りの一本十両で引き取らせていただきましょう」
 商談はその場で成立した。
 観音崎漁師からの仕入れ値は、一本一両。江戸湾を行き来する曳航船代が十両。しめて十七両の費えである。
 吉野屋に七十両で引き渡せば、じつに五十三両の大儲けだ。
「おまえたちのお手柄だ」
 番頭のみならず、波切屋当主からも手代ふたりは大いに褒められた。
 ところが翌八日の朝には、その大喜びは、ぬか喜びと化した。
 急ぎの呼び出しを受けて、手代ふたりが吉野屋に駆けつけた。
「あの丸太は七本とも、江戸深川の木柾さんの持ち物です」
 吉野屋の手代は、こわばった顔のまま、手代たちを材木置き場に案内した。
「これを見てください」
 吉野屋の手代が指し示した箇所には、三寸(約九センチ)角の二種類の焼印が押してあった。杉の皮が分厚くて、うかつにも焼印を見落としていた。
『深川木柾』
『御公儀御用』
 焼印のひとつは、江戸深川の材木問屋の屋号である。しかしたとえ持ち主の焼印があっても、流木は焼こうが挽こうが、拾った者の自由だった。
 ところがもうひとつの『御公儀御用』の焼印は、厄介な代物だった。この焼印が押された丸太は、公儀が作事する橋や寺社などの建材として用いられるのだ。
「公儀御用の焼印ある流木を拾得せし者は、すみやかに扱い材木問屋に申し出るべし」
 公儀の触れは、江戸近隣諸国の材木問屋にあまねく行き渡っていた。
 とはいえ知らぬ顔を決め込んで丸太を使ったとしても、格別の咎めは受けなかった。
『流木は拾った者勝ち』
 この慣わしのほうが、公儀発布の触書を上回っていたからだ。
 しかし吉野屋は、木更津で公儀作事御用を務める材木商である。
「木柾さんと掛け合っていただき、杉を譲るとの一判をもらっていただきたい」
 吉野屋の手代は、一歩も譲る気配は示さなかった。
 どうしたものかと、波切屋であれこれ思案を繰り返していたとき。
「あたしが木柾さんに出向きます」
 言い出したのが、ひとり娘のおきょうである。
 おきょうは十歳から十五歳までの五年間、日本橋の上総屋で暮らしていた。上総屋と波切屋は、遠いながらも縁戚の間柄だった。
 また薪炭の商いにおいては互いに品物を融通しあうほどに、相手を信頼していた。
 波切屋当主の源右衛門は、おきょうにはまことに甘かった。三十五になって授かった子だったし、こども時分から源右衛門の気性をそっくり受け継いでいたからだ。
 上総屋で暮らしていた当時、おきょうは深川の師匠に踊りと三味線を習った。そのときの弟子仲間のひとりが、木柾の三女ゆかりである。おきょうとゆかりは、同い年だった。
 二十歳になったいまも、ともに嫁いでいない。一年に一度おきょうは江戸に出て、ゆかりと数日をともに過ごしていた。
「木柾さんなら、お前が適任だろう」
 源右衛門は渋い顔で、娘の申し出を受け入れた。
 とはいえ心配事は幾つもあった。
 江戸は黒船騒動の真っ直中である。
 逗留先は信頼できる上総屋である。そうは言っても愛娘をひとりで差し向けることに、源右衛門は不安な思いを拭えなかった。
 にもかかわらず、おきょうのひとり旅を許していた。
「物見遊山で出張るなら、女中のお供もありでしょうが、これは木柾さんとのきつい談判に出向くんです」
 供がいなければ心配などと甘いことを言っていては、談判に勝ちなど見込めない。
「わたしはかならず木柾さんから、丸太譲り渡しの認め印形をいただいてきます」
 そのためには、みずから退路を断って談判に臨む肚のくくりが入り用ですと、おきょうは父親に迫った。
「いい縁起を呼び込むために、ツキのある船頭を選んで乗ります」
 おきょうの言い分には筋が通っていた。
 源右衛門が密かに、跡取りにと決めている娘が言い出したことだ。
 木柾との大きな談判を上首尾にまとめてくれれば、奉公人にも得意先にも、おきょうに代を譲ることを納得させられるだろう。
 源右衛門は渋い顔を拵えつつも、娘の言い分を呑んだ。

 廊下を歩いてくる足音が、黄色いふすまの向こうに聞こえた。
 吟味役が……。
 おきょうが身体を硬くしたとき、ふすまが開かれた。
 ふすまと同色の黄色無地を着た年配の女が、おきょうにきつい目を向けた。

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