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封神演義 前編
八木原一恵 編訳

   一 紂王、女か宮を詣でる

 混沌を巨人の盤古が切り開いて、太極は両儀となり四象をかたどり
 はじめに天、つぎなる地、そして人が生まれ、賢者有巣獣害を除く
 燧人が火を取り煮炊きがはじまり、伏羲は八卦を画し陰陽を示した
 神農は草をなめて薬をつくり、軒轅は礼儀と音楽と婚姻をさだめた
 少昊ら五人の帝は民を豊かにし、禹王は水を治めて洪水をなくした

 太古の昔、世界には上下も左右もなく、ただ混沌だけが存在した。やがて、その混沌の中から盤古という巨人が生まれた。盤古の背が一丈(大人の身長くらい)伸びれば一丈、また一丈伸びればもう一丈と、天は上に、地は下に分けられてゆき、ついに天地が生まれたのである。
 こうして混沌は天と地の二つに分かれた。混沌のことを、すべての始まりという意味で太極とも言い、二つに分かれたものを、陰陽とも両儀とも呼ぶ。
 分かれた二つが、さらに二つに分かれれば四つになる。こうしてできたものを四象という。身近な例を挙げれば、春夏秋冬がまさにこの四象である。そして四つは八つに、八つは十六にと、分かれ分かれて、この世のありとあらゆるものが生まれていった。
 しかし、ものごとがすべて二でわりきれるかといえば、これも間違いである。天が生まれ、地が生まれ、人が生まれた。ゆえに、世界は天、地、人の三つの要素から成り立っているという言い方もでき、この三つを三才と呼ぶ。
 女神の女かによって天と地の間に生みだされた人間は、無力な生き物であった。やがて、有巣氏という人物があらわれ、木の上に住まいを作って、獣から身を守ることをみなに教えた。代を重ねるごとに、新たな発見が続く。燧人氏は火を作りだす方法を見いだして、人々は煮炊きすることを覚えた。つづいて伏羲が、易の卦である八卦をつくり、陰陽は流転することを人々に教えた。
 神農のことは聞きおぼえがあるのではないだろうか。炎帝とも呼ばれる神農は、ありとあらゆる草をなめて薬草を探し出し、みなに教えた。また、軒轅は、礼楽と婚姻を定めて人と獣の区別をつけた。軒轅は、またの名を黄帝という。伏羲、神農、黄帝の三人は三皇と呼ばれ、神に等しい。
 次に人々の帝となったのは、少昊・せん頊・帝こく・唐尭・虞舜という五人の帝王で、五帝という。五帝は、身のまわりのものから祭器に至るまで、さまざまなものを作り、民を増やし、豊かにしていった。いよいよ人間の歴史の始まりである。
 五帝の中で、とりわけ有名なのは尭と舜である。尭、舜の治めていたころは、まことに天下おだやかで、人々は治められているとわからないほどであったという。そして、尭は、位を自分の不肖の息子ではなく、徳の高い舜にゆずり、舜は同様に、位を徳の高い禹にゆずった。
 禹王は、治水を行って水害をなくしたが、息子に位をゆずったため、王朝というものが生まれた。この禹王の子孫たちが治めたのが、夏と呼ばれる国である。
 夏の国は、四百年あまり続いた。だが、桀王という無道な王があらわれて人々を苦しめたため、成湯が武力をもちいて桀王を倒し、殷(商)と呼ばれる国を建てた。そして成湯王の子孫が代々、天子として国を治めて六百年あまりがすぎ、三十一代めの紂王の時代にいたる。
 それは、今から、三千年あまり昔のことである。

 紂王は、三人兄弟の末子で、幼名を寿王といった。生まれつき力が強く、御苑で牡丹を鑑賞していた折に、飛雲閣の柱が折れて倒れかかるのを、柱に換わって梁をささえて父の帝乙を救ったことから、首相の商容、上大夫の梅伯、趙啓らのすすめによって皇太子とされた。帝乙が、太師(天子の補佐役の最高位)の聞仲に寿王の後々のことを託して在位三十年にして崩御すると、寿王は天子の位にのぼり、紂王と名のり、朝歌を都とした。
 太師の聞仲、鎮国武成王の黄飛虎が文武で紂王を助け、殷の天下はおだやかであった。また、紂王の皇后の姜氏、西宮妃の黄氏、馨慶宮妃の楊氏の三人の后妃はみなおだやかで徳高く、聡明で貞淑であった。
 天下には東伯侯の姜桓楚、南伯侯の鄂崇禹、西伯侯の姫昌、北伯侯の崇侯虎という四大諸侯があり、おのおの二百の小諸侯をおさえている。天子の紂王はその上にたち、天下八百の諸侯を治めていた。

 紂王七年二月、北海の七十二諸侯が反乱を起こしたため、太師の聞仲が征伐にむかった。そして、しばらくののち、紂王は輦に乗り、大臣たちを引きつれて、朝歌の南にある女か宮に詣でた。三千の騎兵、八百の近衛兵に守られ、五色神牛にまたがった武成王の黄飛虎に護衛されて、朝歌の南門を出れば、家々は飾りつけられ、香が焚かれている。今日は、三月十五日。女神・女かの誕生日である。女かは、その昔、泥をこねて鳥や獣、人間をつくりあげた女神であり、神々が戦った折、共工氏の頭が不周山にぶつかって天が西北に高く、地が東南に低く傾いたのを、五色石を煉って、つくろったことでも有名である。
 若くたくましい紂王は、自分をたより、参拝など思いつきもしなかった。今日だって、商容にすすめられなければ、女か宮を訪れることはなかったであろう。
 国の安泰を祈り終えた紂王は、ものめずらしそうにあたりを見まわした。
 女か宮は五色と金に彩られ、色あざやかな絵や像のならぶ、きらびやかなところだった。両側には、幡をかかげた金童や玉の枝をささげる玉女が、ずらりとならんでほほえんでいる。天井からは、あざやかに彩られた鳳凰のえがかれた華やかなとばりがさがり、風にゆれている。金の炉からは紫の煙がたちのぼり、ろうそくが輝いている。そして、ひときわあでやかなとばりの下から、竜や鳳凰をあしらった沈香の宝座が、見え隠れし
ていた。
 宝座の上には何があるのかと、紂王が見つめていたとき、突然、どっと強い風がふきこんだ。
 とばりが大きくひるがえる。紂王は、はっと息をのんだ。
 宝座の上で、女かの聖像が、あでやかにほほえんでいた。整った顔かたち、目もくらむような絶世の美女である。まるで生きているよう、いや、生きている以上になまめかしい。花の精があらわれたか、月の女神の嫦娥がおりてきたかと思われるばかりであった。
 紂王は魂をうばわれ、思わず淫らな心を起こした。
(天子として四海の富をおさめ、六院三宮のきさきたちはいるが、これほどの美女は一人としておらぬ)
 そして、筆とすずりを持ってこさせると、色あざやかな壁に、詩を一首、くっきりと書きあげた。

  宝のとばりに隠された、汝の姿のあでやかさ
  遠山の翡翠の色、ひらひら舞う袖は霞を映す
  雨に濡れる梨の花も、けぶる芍薬も色あせる
  生あらば長楽宮に連れ帰り、侍らせるものを

 これを見て、老宰相の商容が紂王をとがめた。商容は七十五歳、殷の三代の王にわたってつかえてきた重臣だ。
「女か娘娘〈ニヤンニヤン〉(女神や仙女や皇后など、高貴な女性への敬称)は、民にうやまわれる古の正神、都の福をつかさどる神様ですぞ。それを、侍らせたいだなどと言っては、辱めることとなります。天子としての礼儀にかなっておりません。民の目に触れればどうなるでしょう。ただちに詩をお消しください」
「何が悪い。朕は、女か娘娘の美しさをほめたたえただけだ。もう言うな。この詩によって女か娘娘の美しさとともに、万乗の位にある朕の筆をみなに見せてやるのだ」
 紂王は、そう言って、さっと輦に乗りこんだ。そして、再び行列を連れて朝歌に帰っていった。

 一方、誕生日を迎えた女かは、火雲宮の伏羲・神農・黄帝の三人にあいさつをして、女か宮に戻った。
 青鸞を降りて宝殿に座して玉女・金童のあいさつを受けた女かは、たちまち、紂王の残した詩を見つけ、怒りをあらわにした。
「なんということを! 殷受(紂王の姓と名)め、天子にまつりあげられていい気になり、していいことと悪いことの区別もつかなくなったか。天をおそれぬふるまいがどんな結果を生むか、思い知らせてやる! たしかそろそろ、殷の国運がつきるはず。紂王の命もあとわずかであろうよ」
 ところが、女かが調べると、紂王の命は、まだ二十八年も残っていた。たとえ女神でも、人間の寿命を勝手に縮めることは許されていない。女かは、腹が立ってしかたがなかった。
 女かは、そばづかえの彩雲童子に金色のひょうたんを取ってこさせた。庭におりる階段の下にひょうたんをおき、そのふたを取り、
「いでよ、招妖幡!」
 右手の人さし指で指さした。
 すると、ひょうたんから、糸のようなひとすじの白い光が、さっとさした。
 光は、みるみるうちに四、五丈ほどの高さになる。そして、光のてっぺんから、するするっと幡がおりてきた。五色に輝くこの幡は、名前を「招妖幡」という宝物で、地上の妖怪を呼びあつめることができる。たちまちあやしい風が吹き、霧があたりをつつみ、黒い雲がわいた。風がぐるぐるとかけまわるうちに、たくさんの妖怪たちが庭に姿をあらわした。
 女かは、命令を待つ妖怪たちをながめわたすと、彩雲童子に言いつけ、軒轅古墳に住みついている三匹を残してすみかにもどらせた。
「娘娘(ニヤンニヤン)のとこしえのご幸福をお祈り申し上げます!」
 残された千年の狐の精、九首の雉の精、玉石の琵琶の精の三匹が、階段の下にひれふす。
「おまえたちに密命をあたえます。
 夏の国が滅び殷の国ができて、六百年あまりたちました。そろそろ、また、国が交代するきざしがあらわれています。殷の国運がつきて、新しい国が興ろうとしているのです。西のほうに新しい王になる人間が生まれているようです。おまえたち、人間に姿を変えて後宮に入りこみ、紂王の心を迷わせなさい。旗揚げを待ち、紂王を倒すのを助けるのです。人々を苦しめてはなりません。事がなったあかつきには、ほうびをとらせましょう」
 三匹の妖怪たちは、叩頭(地面に頭を打ちつけること)して感謝の意をしめし、風となって去っていった。

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