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田園発 港行き自転車 下
宮本 輝

   第五章

「九州がこんなに寒いとは思いませんでしたねェ」
 福岡空港から羽田行きの飛行機に乗ってからひとことも喋らず、自分のノート型パソコンで見積書の手直しをつづけていた平松純市は、最終着陸態勢に入ったというアナウンスでパソコンの電源を切ると、そう言った。
「北九州は寒いんだよ。東京より寒い日もあるよ」
 川辺康平は笑みを浮かべて言い、平松の肩を軽く叩いた。機嫌の悪さを顔に出すなと無言で伝えたつもりだった。
 それを察したらしく、
「どんな立派な大学をご卒業あそばしたのか知りませんけど、『川辺さん、人事を尽くして天命を待つ、という言葉をご存知でしょう? でもうちは、人事だけ尽くしてくれたらいいんですよ。川辺さんに天命を待ってもらわなくてもいいんです』って、くそ生意気なこと言いやがって。あいつ、大学を出て会社に入ってまだ四年目ですよ。大手ゼネコンの社員ってのは、新入社員に毛がはえた程度でも、出入り業者にあんなにえらそうにするんですねェ」
 と早口で言い、平松はシートベルトを強く締め、パソコンを鞄にしまった。
「うちなんかまだましなほうだよ。下請けの下請けの、そのまた下請けの建設会社や土木工事会社は、血も涙もないような値引きをさせられても仕事を貰わなきゃ資金繰りにたちまち窮するんだ。その下請け会社と取引してる資材関係の業者は、もっと大変だ」
 その川辺康平の言葉に、
「でも、人事だけ尽くしてくれたらいいんだなんて、こっちの要求どおりに値引きだけしてたら取引させてやるよってことでしょう。だから日本て国は土台から崩れていったんですよ」
 と平松は溜まりきった鬱憤をぶつけるように言った。
「松の廊下で刀を抜かなかっただけ、お前は成長したよ。羽田空港のすぐ近くまで、なんにも言わずに見積りのやり直しに頭を絞ってたんだからな」
 康平は笑顔で言い、もういちど平松の肩を優しく叩いた。
 羽田空港からモノレールで浜松町へ出ると、得意先を二軒廻って行くという平松と別れて、康平は西新宿の社へ帰った。
 お疲れさまでした、という営業部員たちに、
「うん、福岡は寒くて震えあがったよ」
 と言い、康平は自分の机に置かれている郵便物を見た。
 セミナーの招待状が二通。葬儀参列への礼状が一通。料理屋の請求書が二通。そのなかに脇田千春からの手紙もあった。
 康平は背広の上着をロッカーに入れ、ネクタイをゆるめて、自分の椅子に腰を降ろすと千春からの手紙を読み始めた。二月の中旬に千春は富山湾で獲れた何種類かの魚の干物を送ってくれたので、康平はすぐに礼状を書いて家の近くのポストに投函したのだが、あの礼状に対しての礼状なのだろうかと思った。脇田千春ならやりかねないので、礼状への礼状は必要ないと葉書で伝えようと思いながら読み進めた。
 ──私は三月十五日付でタヤマ土石を退社することになった。四月から富山市内にある美容専門学校に入学して美容師をめざして勉強すると決めたからだ。願書の受付にぎりぎり間に合って入学することができた。昼間は学校に通い、授業が終わったあと、叔母の経営する美容院で働くことも決まった。
 きょう、タヤマ土石の社長から、小野建設機械リースヘの就職をお願いした脇田千春が御社を辞めて富山へ帰ったあと、タヤマ土石に就職を希望していることを川辺部長に電話で伝えたと聞いた。その際、川辺部長は、そんなことは不義理でもなんでもない、どうか気になさらないでくれ、あの子はとても真面目によく働く子だ。どうかよろしくお願いすると言ってくれたことも知った。
 そんな経緯も知らず、たったの半年でタヤマ土石を退社することを心からお詫びする。
 何年かかるかわからないが、高い技量を持つ美容師めざして努力するつもりだ。
 三月に入ったが、寒さはまだつづくので、どうかお体に気をつけて元気にすごされるよう祈っている。──
 もどかしい書き方だったが、要約すればそんな内容だった。
「へえ、美容師になるのか……。よく決心したなァ」
 川辺康平はそうつぶやき、脇田千春の、どこかのんびりとしていながらも几帳面な性格をよくあらわしている字体を見つめた。
 それから、前の席の大谷雅俊という課長に、去年の五月の社内ソフトボール大会のときの記念写真を、ちょっと大きめにプリントしてくれないか、時間があいたときでいいからと頼んだ。
「あのときのどの写真ですか?」
 そう訊きながら、大谷は机の抽斗からSDカードを出し、パソコンにセットした。
「試合が始まる前に、うちの部だけでホームベースのところに集まって写しただろう?」
「ああ、これですね。この写真、どうするんです?」
 康平は、先日、脇田千春がたくさんの干物を送ってくれたので、何かお返しをと思ったがどんなものがいいのか考えつかないので妻に相談したら、お菓子なんかよりも、なにか着るものとか身につけるものがいいのではないかとのことだった。妻は脇田千春を見たことがないので、どんなのが似合うかを選択する目安として写真を見せようといま思いついたのだと説明した。
「干物のお返しにセーターか何かをですか? 高くつくお返しですねェ」
「お前、あの干物を見たら、そんなことは言わないと思うよ」
 と笑みを向け、指を一本ずつ折りながら、干物の種類と数を大谷に教えた。
「大きなアジが五尾、これまた大きな赤カレイが三尾、体長二十センチくらいのノドグロが三尾、スルメイカの一夜干しが五尾。それから、聞いたことも見たこともない名前の、金目鯛の黒いようなのが三尾だ。赤カレイなんか、一尾の大きさはひとりじゃ到底食い切れないよ。女房に言わせると、このサイズのノドグロの一夜干しを東京のデパートで買ったら一尾三千円は下らないって。富山湾に面した魚市場は安いって言ったって、総額で二万円はすると思うんだ」
「赤カレイなんて初めて聞きました。赤いんですか?」
「うん、皮がほんのり赤いんだ。これがまたうまいんだよ」
「ぼくたち家族に、ノドグロの一夜干しを恵んでやろうって気になりませんか? ぼくと女房と、不登校になりかけてる娘と、女房の母親とに」
「あした、冷凍したのを送るよ」
 康平はそう約束して、福岡出張の報告書を作成するために自分のパソコンの電源を入れた。営業本部長に提出するためだったが、今回の事案は社全体に及ぶものなので、いちおう先に報告書を作成しておいて、本部長には口頭で詳しく伝えなければならないと思った。
 大谷がプリントした写真を持って来てくれた。ソフトボール大会の営業一部の選抜メンバー九人が並んでカメラに向かって笑っていて、脇田千春は右から三番目にいた。
 小野建設機械リース伝統のソフトボール大会は、社長が考案した独特のルールに則らなくてはならない。出場メンバーも、打順も守備位置も、すべてクジ引きで決めて、それに逆らうことはできないのだ。
 せっかくの休日に社内ソフトボール大会に参加するなんて絶対にいやだ。やりたい者だけ行けばいいではないかと若い社員のなかには抗議する者もいるが、いちど参加すると来年を楽しみに待つようになる。
 とにかく何もかもがクジ引きで決められるので、思いもかけない番狂わせが起こるし、テレビドラマでもこうはいかないだろうと涙を流して笑い転げるほどの珍プレーが続出する。
 球技なんかやったことがないという初老の女性社員が「四番ピッチャー」と書かれた札を引いたりしたら、もはや絶望的なのだが、そんな場合はバッターの五メートル前から投げてもいいし、バッターはワンバウンドでホームベースに届いたボールを打ってもいいのだ。
 去年の営業一部は、これ以上のクジ運の悪いチームはかつてなかったという布陣になった。脇田千春が「四番サード」、メイド喫茶のウェイトレスのような渡瀬友美が「三番ファースト」だったのだ。
 三回裏で終わるトーナメント方式で、敗者復活戦もある。一回戦で負けたチーム同士で行われ、その勝ちチームは二回戦で負けたチーム同士での敗者復活戦に勝ち残ったチームと対戦する。
 そんなルールなので、一回戦で大敗したチームが優勝したりもする。
「去年はずっこけましたね」
 と康平のうしろに立って写真に見入りながら大谷雅俊は言った。
「一回戦の相手のピッチャーは社長だったからなァ、『脇田ァ、バントでピッチャーを走らせろ』って俺が耳打ちしたら、バントって何ですかってなさけなさそうに訊くんだよ。『ちょこんと当てるだけでいいんだ』って、俺はバッターボックスでバントのやり方を教えたんだよ。そしたらピッチャーの社長からクレームがついちゃって。試合中にバッターボックスでバントの練習をするなんて違反だ、反則だって。あれは本気の抗議だったよ。目が血走ってたもん」
 康平の言葉に、大谷はそのときの社長の表情を思いだしたのか、いつまでも笑いつづけ、
「しかし、どうして絶好のチャンス、一打逆転てときに、脇田に打順が廻ってくるんですかねェ。それも決まってツーアウトで」
 と言った。
 康平も笑いながら、
「驚いたのは渡瀬友美だなァ。あんな強打者だなんて誰が想像する。打ったボールがセンターの定位置のところでもうひと伸びするんだから。女がセンターの定位置まで飛ばせるだけでもたいしたもんなのに。あの子は、ことしの我がチームの期待の一番星だぜ」
 と言った。声が聞こえたのか、渡瀬友美がパソコンで自分の顔を半分隠すようにして康平を見ていた。
 目と目が合ってしまったので、康平は渡瀬友美に笑みを送り、
「去年のソフトボール大会のときの渡瀬の大活躍を話題にしてたんだ」
 と言った。友美の近くの席で仕事をしていた者たちが笑った。
「ことしも頼むぜ。コンディションを整えといてくれよ。社長がキャプテンの総務部チームだけは、立ち直れないほどにやっつけようぜ」
 康平の言葉に、
「でも、クジ引きで外れたら出場できないんだもん」
 と渡瀬友美は言った。
 もうそろそろ終業時間だが、出張報告書を作成していたら七時を廻りそうだなと思いながら、康平は、きのうの昼前に届いた息子からのメールを見た。大学の入学試験に合格したことをしらせるもので、すでに第一志望校には落ちてしまったので、第二志望のこの大学に決めていいかという内容だった。
 息子の第一志望校も第二志望校も東京の私大だったし、さして差があるとは思えなかったので、
 ──浪人するよりも、そこに決めたらいいと思うよ。おめでとう。嬉しいよ。今夜は博多の鶏の水炊きで乾杯するよ。──
 と康平はメールを返したのだ。
 そして、博多ではここがいちばんだと康平が評価している専門店に行き、平松とふたりで祝杯をあげたのだ。
 小野建設機械リースは九時始業で、夕方の五時終業だったが、得意先のほとんどは八時には仕事を始めるところが多いので、営業部では当番制で男子社員の誰かが八時前に出社する決まりになっている。
 康平は、きょうは誰が早出だったのかと大谷に訊いた。
「順番では平松なんです。でも出張だから、代わりにぼくが出ました」
 と大谷は言った。
 終業時間をしらせるチャイムが鳴ると同時に、浜松町駅の近くにある取引先から平松が帰って来た。新規の仕事の発注があったという。
 その打ち合わせのために、平松と課長の大谷は、五、六人用の会議室へ入って行った。
 我が家は、ひとつの山を越えたかなと思い、康平は、椅子の背凭れに身を預けて、左手で右の肩を揉んだ。
 康平が「ルーシェ」の日吉京介に、麻裕と妻子持ちの男との関係を話したのは去年の十月十日だ。その前日の夜、麻裕のほうから、男との関係を清算したいと切り出したのだ。
 あれだけ頑なに男を待ちつづけたのに、どういう心変わりか。何があったのか。
 気にならないではなかったが、康平も幾代も、そのことにはあえて触れずに男には相応の責任を取らせるべきだと麻裕に言った。
 三年間もつきあって、妻と離婚して、きみと結婚すると約束し、やっぱり別れよう、はい、さようならというほど世の中は甘くはない。
 ここから先は、世間での経験豊富な者にまかせろ。慰謝料が欲しくて男と対峙するのではない。しかし、金以外にどんな償わせ方があるのか。
 あしたにでもお父さんがその男のところに乗り込んで交渉する。もうこうなったら、親の言うとおりにしろ。話がまとまるまでは、男からの電話やメールは無視しろ。お前からも連絡を取ってはならない。
 麻裕は顔色を変え、目に怒りの色をたたえて、もしお金の要求なんかしたら、私はこの家を出て、二度とお父さんとは逢わないと言った。
 康平は、頭ごなしではなく、さとすように穏やかな口調で、俺は金が欲しいのではないと言った。
 お前と男とは合意のうえで男女の関係となった。その点ではお互いさまだ。
 もし相手の妻が知っているならば、精神的に痛手を負ったのは、男の妻のほうだ。妻がその気になれば、お前を訴えることができる。
 だが、俺は男も責任を取るべきだと思う。彼はしがない安月給の平社員ではない。二十人もの社員をかかえる一国一城の主なのだ。妻子がいることを隠して若い女と三年間も深い関係をつづけたことへの責任を取ってもらう。
 まともな社会人が責任を取るというのは、言葉で謝罪するだけではなく、具体的な形で示すことをいう。責任を取るというのは、そういうことなのだ。
 麻裕は康平の言葉を聞き終えると、康平を睨みつけてから階段を駆け上がり、自分の部屋にこもってしまったが、翌朝、お父さんにまかせると聞こえるか聞こえないかの声で力なく言った。
 その日、あえて事前にしらせないまま、康平は男の経営する会社を訪ねた。
「アポイントのないお客さまとはお逢いしないことになっております」
 青山の真新しい十階建てのテナントビルの五階フロアすべてが、男の会社のオフィスで、エレベーターを降りたところにある受付で女事務員にそう断られたので、
「アポイントを取ったら、必ず逃げるに決まってるので、こうやって乗り込んで来たのだとお伝え下さい」
 と康平は大声で言った。
 さらに、もっと大きな声で、
「警察を呼んで私をここから放り出しても、恥をかくのはそちらだともお伝え下さい」
 とつけくわえた。
 最初の大声で、五、六人の若い社員が何事かとドアをあけてオフィスから出て来ていた。
 康平の名刺を持ち、顔をこわばらせて受付の女はオフィスヘと入って行った。二、三分たつと男はやって来て、地下に喫茶店があるので、そこで話をお聞きすると言い、ネクタイの歪みを直した。
 金を払ってサロンで日焼けして、どこかのジムで、いざとなれば何の役にもたたない筋肉だけ鍛えているこんな「すかし野郎」に、俺の娘は人生を賭けたのかと康平は思った。
 男は喫茶店の椅子に坐るなり、きのうの昼にお嬢さんから電話があり、意思を伝えられたと言った。当方の予期せぬ事情によって、結果的に約束を果たせなくなったことを申し訳なく思っている、と。
「申し訳ないで済みますか? 私の娘が、あなたとの結婚を前提に男と女のつきあいを始めたのは二十歳のときですよ。娘は、最近まであなたに妻子がいることも知らず、きみと結婚するというあなたの言葉を信じつづけて二十三歳になったんです。五月には二十四になる。あなたのやったことは社会的にも決して許されないことなんです」
 その康平の言葉を遮るように、私の妻は川辺さんのお嬢さんを訴えることができると男は言った。妻は夫の不倫相手と法的に争うことが可能なのだ、と。
「望むところですね。訴えてもらいましょう。私どもはあなたを訴えます。こうなってしまったんだから、娘も泥をかぶるべきでしょう。あなたとあなたの奥さんと、私たち家族で泥沼の戦いが始まるわけです。私はその宣戦布告のためにお訪ねしたんですから、用件はこれで終わりです。近いうちに、私どもの弁護士からあなたに連絡があると思います。一歩も退きませんから、そのつもりで」
 註文したコーヒーがまだ運ばれてこないうちに康平は席を立ち、ビルから大通りへと出た。
 このような男女問題についての法律をよく知らなかったし、会社の顧問弁護士に相談するわけにはいかず、康平は誰に相談したらいいだろうと考えて、歩きながら携帯電話のアドレス帳を見た。
 日吉京介の店と家の電話番号があった。日吉は法学部を卒業していて、司法試験を三回受験している。最後の受験では一次試験に合格したが、二次試験で落ちたのだ。
 日吉は、卒業しても五年間は挑戦しつづける気でいたが、大学卒業を目前にして父親を亡くし、そのあと急性肝炎で半年間の入院生活を余儀なくされたために、進路を変更するしかなかったのだ。祖母と母、弟がふたりで、いつ合格するかわからない司法試験の勉強をつづけるわけにはいかなかった。
 康平は、日吉京介には麻裕のことは話したくなかった。日吉は麻裕が生まれたときから知っている。麻裕は日吉夫婦にディズニーランドにつれて行ってもらったり、家に泊まりに行ったりもした。
 麻裕のほうこそ、日吉のおじさんとおばさんには、自分のこの三年間のことは知られたくはないだろう。
 そう思ったが、康平は携帯電話のディスプレイに表示されている番号を押していた。
 事情を聞いた日吉は、
「相手の女房は訴えないよ。そんなの脅しだ。女房だってもうこれ以上恥をかきたくないはずだ。亭主と別れる覚悟がなきゃあ、訴えられないね。それだったら、もうとっくに離婚してるさ。いい弁護士がいるよ。俺の二年先輩だ。五百万だな」
 と言った。
 周りの音でよく聞こえなくて、
「五百万? 冗談言うなよ。弁護士にそんなに払えるはずないだろう」
 と康平は大声で言った。
「男に請求する慰謝料だよ。相手の経済力にもよるけどな。IT関連の事業をやってて、社員が二十人近いっていったって、台所事情は表からは見えないからなァ。案外、火の車だってことが多いんだよ。そんなのも全部弁護士がしらべるよ。いまから電話して、都合を訊いとくから、また折り返し電話するよ」
「麻裕にも女房にも、日吉に紹介された弁護士だってことは言わないからな。頼むぜ」
「ああ。俺は一生知らんふりしとくよ」
 折り返しといっても、弁護士とすぐに連絡が取れるとはかぎらなかったので、いったん社に帰ることにして、康平は地下鉄の駅へと降りたが、虚勢を張ってどこか上から物を言うような男の表情が甦ってきて、気持を鎮めるためにコーヒーを飲みたくなり、再び大通りへと出た。
 狭い通りを入ったところに喫茶店があったので、そこでコーヒーを飲んでいると、弁護士から直接電話がかかってきた。
 いまちょうどうまい具合に時間があいているので、逢ってお話を聞きたいと言い、千代田区のホテルのラウンジを指定された。
 弁護士の事務所はそこから二筋ほど南へ行ったところだが、道に迷いそうな場所なのでホテルで待ち合わせるほうがいいとのことだった。
 弁護士のほうが先にラウンジに来て待っていてくれた。康平はさっき貰って、ろくに見ないまま背広のポケットに突っ込んだ男の名刺を弁護士に渡した。
 なんだかどこかの町役場の太った実直な課長のような風采で、切れ者という印象は受けなかったが、弁護士は麻裕と男との経緯をノートに書き、
「じゃあ、いまからちょっと男に逢って来ますよ」
 と事もなげに言って、男の名刺を持ってラウンジから出て、ロビーで携帯電話を出した。
「お時間もお手間も取らせますが、それは仕方がないでしょう。そちらも弁護士をお立てになるにしても、時間がたつことで話が縺れたら、こじれるばっかりです。こっちはいくら長引いたっていいんですよ。そのぶん、あなたのご負担は大きく膨らんでいきます」
 という弁護士の声が聞こえた。
 男と逢うより先に、麻裕から話を聞かなくていいのだろうか……。
 そう思って、康平はホテルから出て行きかけた弁護士を追った。
「これからの話次第では、お嬢さんからお話をうかがうこともあるかもしれませんが、だいたいきょうで片がつくでしょう」
 笑顔で言って、弁護士はタクシーに乗った。
 その言葉どおり、たった一回の話し合いで決着したのだ。男は、自分の会社の内情を弁護士に説明し、五百万円は無理だ、ない袖は振れないと懇願し、三百万円を三回に分けて支払わせてくれと頼んだ。
 金額のことで争いが長引くと、お嬢さんの心の傷も尾を引くだろう。それに、私の勘では、男は嘘を言っていない。慰謝料として五百万円をいちどに支払える能力はないと思う。会社の業績や男の資産を詳しく調べたわけではないが、オフィスの沈滞した空気で、だいたいの見当はついた。弁護士の勘というやつだ。
 康平は、その弁護士の言葉に納得し、おまかせしますと答えた。
 三回目の支払い分百万円が麻裕の口座に振り込まれたのは二月最後の金曜日だった。
 康平は、弁護士と初めて逢った日のことを思い出し、プロというのは凄いものだなとあらためて畏怖の感情を抱いた。
 出張報告書の作成を終えたころには、営業一部の社員の大半は帰ってしまっていた。課長の大谷と若い社員がふたり、パソコンの画面に映し出された工事現場の見取り図を見ながら、必要な機材と台数を割り出している。
「まだかかるのか?」
 康平は、自分の机の上を整理しながら訊いた。
「つづきはあしたにします。もう帰ります」
 と大谷は答えて、グラスのなかの酒を飲む格好をした。
 帰りに一杯どうですかと誘っているのだが、康平は息子の合格祝いを買いたかったし、二泊の出張を終えた日は、どこにも寄り道せずに家に帰りたかった。
 机の上を片づけながら、今夜は家でゆっくりしたいと大谷に言い、康平はエレベーターを使わずに階段で一階に降りた。社長室のある五階にエレベーターが止まったままだったからだ。
「小野ビル」は八階建てで、土地も建物も小野建設機械リースが所有しているが、六階から八階までは半導体を製造する会社に貸している。
 バブル期以前に土地だけ買っていて、バブル崩壊の三年後にビルを建てたのだ。土地の価格は年々下がってはいても、西新宿の中心部にあるので、社にとっては大きな資産となっている。
 地上げ屋の甘い口車に乗らず、バブル全盛期に常識外れの値段がついた土地を手放さなかった社長の判断のお陰だと思いながらビルの玄関から出ると、社長の車が停まっていて、運転手が慌ててドアをあけた。
 振り返ると、エレベーターから出てきた社長が歩いて来ていた。
 康平が一礼すると、ことし七十歳になった社長は、
「まだいたのか。ちょうどよかったよ。俺の車に乗れよ。話があるんだ」
 と言った。
 助手席に乗ろうとした康平に、後部座席に坐るようにと身振りで促し、社長の峰山は、
「このへんをしばらくぐるぐる廻ってくれ」
 と運転手に言った。
 都庁の近くまで来たとき、社長は背広の内ポケットからメモ帳を出し、
 ──丸田の肝臓にガンが見つかった。──
 とボールペンで書いた。
 営業本部長が? 康平は無言で社長を見つめた。それで、俺と平松が出張に出かける日、丸田本部長は会社を休んでいたし、きょうも姿を見かけなかったのかと康平は思った。
 ──今朝、奥さんから電話があった。かなり進行してて、状況は深刻だ。病巣を取れるかどうか、腹をあけてみないとわからんそうだ。──
 運転手に聞かれたくないのだと察知して、康平も自分の手帳に、
 ──手術はいつですか?──
 と書いた。
 ──手術の日取りは、二、三日中に決めるらしい。──
 メモ帳にそう書いてから、
「一ヵ月や二ヵ月じゃあ復帰は無理だろう」
 と社長は言い、
 ──お前があしたから営業本部次長として丸田の代わりを務めてくれ。あしたの役員会で正式に発令する。よろしく頼む。──
 と再びメモ帳に走り書きした。
 俺が? それはまずいだろう。五つある営業部の各部長のうち、三人は俺の先輩だ。みんな一長一短はあるものの、仕事のできる人たちなのだ。
 康平は、新入社員のころに手取り足取り仕事を教えてくれた三人の先輩の顔を脳裏に描きながら、そう思った。
「よし、駅のほうへ戻ってくれ」
 社長は運転手に言い、メモ帳を胸ポケットにしまった。
 ええっと、ここはどこだ? 康平は周囲を見廻し、新宿中央公園の北側の道を東へ向かっているのに気づくと、
「社長、私はここで降ります。駅に戻るより、ここから歩いたほうが家に近いんです」
 と言った。
 康平の言葉で、運転手は速度を落とした。
「えっ? お前の家、この近くなのか?」
「ええ、京王新線の初台駅から歩いて七、八分です。ここからなら十二、三分ですね」
「便利なとこに住んでるんだなァ」
「便利は便利ですが、通勤には中途半端な距離で、朝はバスを使います。電車なら一駅なんですが、渋谷区なんです。新宿駅から社まではかなり歩かなきゃいけなくて」
 運転手は車を停め、走って後部座席のところへ来るとドアをあけてくれた。社長の運転手を務めてもう二十五年になる寡黙な初老の男に礼を言い、康平は社長にお辞儀をした。そして、公園のなかを通って近廻りをして、家へと歩きだした。
 曲がりくねった幾つかの道には、新しいマンションや古い民家が混在していて、銭湯もあり、昔ながらの八百屋や魚屋や精肉店もある。コンビニもある。溶接や板金の町工場もあり、細い路地では日暮れまで子供たちが遊んでいる。
 新宿駅から電車で一駅西へ行ったところに、こんな下町の典型のような場所がまだ残っていたのかと、康平の知り合いたちは一様に驚くらしい。
 康平が借りている家は鉄筋コンクリートの三階建てだが、敷地は二十五坪しかない。
 持ち主の、当時六十半ばだった夫婦は、縦に長い家は階段が急で洗濯物を屋上に干しに行くのも難儀になってしまって、近くの平屋の家に引っ越すことにしたのだが、祖父が苦労して買った土地を手放すのは申し訳ないと考え、十五年前に康平一家に貸してくれたのだ。

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