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救命センター「カルテの真実」
浜辺祐一

   孤独死

「『孤独死』って、そんなに不幸なことなのかな」
 朝刊に目を通していた部長が、広げていた新聞を、そのまま医局のテーブルの上に置いた。
 前夜の当直勤務の報告を受けるいつもの朝の申し送りと、病棟の回診が終わり、医局で一息、コーヒー・ブレイクというわけである。
「どうしたんですか、先生」
 当直明けで少々疲れ気味の若い医者が、紙面を横目でのぞき込んできた。
 そこには、「都会の悲劇」というタイトルの記事が書かれている。

 一人暮らしの初老の男性が、自宅で遺体となって発見されたが、死後一ヶ月近くが経過している模様で、周囲の状況から、急病による死亡と判断され……。

「もともと、どうだったんですか、何か持病でもあったんですかね」
「さあて、そのあたりのことは、あんまり詳しくは書かれていないが……近しい係累も、いなかったようだな」
「だったら、どうして見つかったんですか」
「うん、月に一度、家賃を受け取りに来る家主が発見したらしい」
「そうですか、そりゃよかった」
「よかったって、何が?」
 だって、自分のところは、家賃、銀行の引き落としですからねえ、だから、大家さんが定期的にきてくれるなんてことは絶対ないですから、見つかった時は、そりゃきっと、白骨死体になってますよ……。
 若い医者は、くっくと笑った。
「そんな、つまんない話じゃないさ、いいかい、この記事の続きはこうだ」

 ……最近、都市部での住民同士の「絆」が希薄になってきている。このような死に方はいかにも「孤独死」と呼ぶべきものであって、そうした不幸な事態を招いたのは、まさしく地域や行政の責任に他ならない……

「こんな風に書かれてるんだけど、これって、そんなに不届きな死に方なのかなあ」
 部長は、ここんところだと指で示しながら、テーブルの上に広げていた朝刊を、若い医者の方に押しやった。
「だって、そりゃやっぱり、さみしい話だからじゃないんですかね、先生」
「そうかい? 俺なんかは、ずいぶんといい死に方だと思うんだけどな」
 記事の字面を追っている若い医者を横目に、そう独りごちながら、部長は、冷めかけているコーヒーを口に運んだ。
「私だったら、最後は、こう、手なんか握られて、家族に見守られて逝きたいものですけどねえ」
 若い医者は、さもそれが当然でしょうと言わんばかりに、紙面から顔を上げた。
「だからさ、そんなことをしてくれる家族がいないから、こんなことになってんだろ?」
 手にしていたコーヒー・カップをテーブルの上に置きながら、部長が少しばかり苛ついた声を上げた。
「え、ええ……ま、確かにそうですよね、家族がいるにもかかわらず、一ヶ月もの間発見されないっていうことの方が、本人にしてみりゃ、よっぽどつらいですからね」
 なんで部長が怒っているのか、訳がわからないといった風情で、若い医者が視線を横に逸らしながら応えた。
「いやいや、そうじゃなくてさ、おまえさんもわからん奴だな、ほんとに」
「はあ?」
「ほら、一昨日担ぎ込まれた、あの三号室の患者さんのことだよ」

       *

「えーと、次の患者さんは、六十代後半の男性、意識障害の方です」
 前日に救命救急センターヘ運びこまれてきた新人患者の情報を、その日の勤務者に申し送る、毎朝恒例のカンファレンスである。
 昨日の当直医が、プロジェクターでスクリーン上に映し出されている電子カルテを、マウスで操りながらプレゼンテーションを続けた。
「一一九番の内容は、男性の居住者が、自宅のベッド脇で、俯せの状態で倒れているというものです」
「自宅は一軒家?」
「二階建てのアパートの一室ですね」
「同居人は?」
「一人暮らしのようです」
「じゃあ、いったい誰が発見したんだよ」
 プレゼンテーションに耳を傾けていた部長の問いかけに、メールボックスから新聞が溢れているのに、部屋の灯りが点いたままになっていたとかで、さすがに新聞配達の人が不審に思い、近くの交番に届けたところ、警察官が大家と一緒に室内に入って、患者が倒れているのを発見したということのようだ、と、当直医が応えた。

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