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無戸籍の日本人
井戸まさえ

 無戸籍の日本人 目次

   はじめに

第1章 戸籍上「存在しない」人たち
 消えた“母たち”──雅樹の場合 I
 自分の子どもが「無戸籍児」に……?──私の場合

第2章 「無戸籍者」が生まれる背景
 裏切り──冬美の場合 I
 日本人の証明──雅樹の場合 II
 幻の出生証明書──百合の場合 I

第3章 「無戸籍」に翻弄される家族
 影に帰った無戸籍者──明の場合 I 
 「無戸籍」と傷だらけの家族──ヒロミの場合
 きょうだいの運命──冬美の場合 II
 手がかりを探して──雅樹の場合 III

第4章 動きだした無戸籍者たち
 個人の問題から社会問題へ
 姿を現す無戸籍者たち
 「善意の」加害者
 日の当たる場所へ

第5章 政治の場で起きたこと
 国会の動きとつぶされた改正案
 私が政治家になった理由
 我妻榮の宿題──託された民法改正

第6章 「その後」を生きる無戸籍者たち
 つながる無戸籍者たち
 立ちはだかる「さらなる壁」──春香の場合
 スーツに袖を通して──冬美の場合 III
 交差する生と死──百合の場合 II
 突然のショートメール──明の場合 II
 灯り続けるロウソクの火──ヒロミの姉・京子の場合
 「僕」が消える前に──雅樹の場合 IV

終章 「さらには……」のその先に
 星のない空を見上げて

   おわりに
   文庫化にあたって
   特別対談 是枝裕和×井戸まさえ
   《無戸籍問題に強い専門家連絡先一覧》
   参考文献

 

無戸籍の日本人

 

民法第772条(嫡出の推定)
1.妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
2.婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。

 

   はじめに

 東京・巣鴨駅を通るたびに、この風景を「彼ら」も見たのだろうか、と思う。

「彼ら」とは1988年に「巣鴨子ども置き去り事件」としてその存在が明らかになるまで、西巣鴨のマンションの一室で身を潜めて生きてきた、4人の子どもたちのことである。

「彼ら」は出生届が出されないままの無戸籍児だった。母親が子どもの数を偽って部屋を借りていたため、外出することも禁止されていた。
 母親の失踪後、子どもたちだけで暮らしていることを知った大家が警察に通報。その調査の中で2歳の三女が14歳の長男の友だちに折檻されて死亡、遺体が雑木林に捨てられていたことが発覚する。
 2004年、この事件をもとに是枝裕和監督は『誰も知らない』という映画を製作した。

 行政の手も、近所の人の目も入らない、まさに「誰も知らない」状態で育つ無戸籍児たちの過酷な状況を問いかけた作品は社会に大きな衝撃を与えた。
 この作品は第57回カンヌ国際映画祭ほか、国内外の映画賞を多数獲得しているので、観たことのある人も多いのではないだろうか。

 社会を揺るがすようなこれだけの事件が発生し、また映画となって多くの人の目に触れたはずなのに、30年近く経った今もなお「無戸籍者」たちの存在は、日本社会において驚くほどリアリティを持たない。
 多くの人々にとって「戸籍がある」のは当たり前のこと。
 それが「ない」人たちがいて、その人たちがどんな暮らしを送っているかなど、想像もつかないのだろう。

 私もそうだった。自分の子どもが無戸籍になるなんて考えたこともなかった。
 そして、私のもとに相談に来る多くの人々も「そうだった」という。
「まさか、自分が」なのである。

 無戸籍になる理由はさまざまだが、そこに陥るのは突然で実に簡単だと、自分が体験をしてみてつくづく思う。

 自分の子どもが無戸籍になったことをきっかけに、私は13年間、無戸籍児の問題と関わり続けてきた。この間、気づけば1000人以上の無戸籍者の相談を受けてきた。中でも深刻なのが「成年無戸籍者」という存在だ。出生時に親が届けを出さず、「生まれなかったこと」にされたまま、20歳を過ぎた人をそう呼ぶ。
 彼らの生きる道は過酷だ。義務教育すら満足に受けていない場合が少なくない。成人しても身分証明書がないために働く場所も限られ、給料も低く、常に貧困や暴力と隣り合わせで生きざるをえない。
 そうでなくとも、悪いことをしているわけでもないのに、彼らはいつも「後ろめたさ」を抱えている。
「隠れている」「隠されている」という不安は常に「誰かに追われている」という恐怖となって彼らを追い詰めていく。

 新聞、テレビ、雑誌……、取材協力してきた番組(NHK『クローズアップ現代』ほか)や記事が話題になったせいか、このところ私のもとには、さまざまなメディアからの取材依頼が続いている。
 無戸籍で生きる過酷さや法の不備・不足を「一刻も早く」「より多くの人々に伝える」ために最も効果的であるのはメディアに取り上げてもらうことだと思うから、一つ一つ誠意を持って対応してきた。幸いそれらの機会のおかげで、少しずつ無戸籍者の現実が世に知られるようになってきたと思う。
 しかし、メディアを通じて語られる彼らの姿に確かに「間違い」はないのだが、何かこざっぱりまとまりすぎていたり、極端に一部分が強調されていたりで、彼らがようやく吐き出した言葉の重みとの差を感じることもしばしばだ。
 取材の現場では、よくこんな声が出る。
「ここは放送できないですね」
「説明がややこしくなるので、読者が混乱するかも。背景はなるべくシンプルに描きましょう」
 背景の複雑さはもちろんのこと、「自分を証明できない人々」を報道することは、事実誤認を招く恐れがある。また、万一でも法に抵触する可能性を考えると、取材する側にもリスクが伴う。
 取材される側としても、当事者の身元が割れてしまうことだけは避けなければならない。
 だから、立ち合っている私も口を挟まざるをえない。
「今の部分はカットしてもらってもいいですか? 確実に身元がわかっちゃうので」
「ここは少し設定を変えてもらっていいですか?」
 必然的にある地点から先には踏み込めないのだ。
 彼らの現実は置かれている状況だけで十分にドラマチックだ。戸籍を持たないという事実、親きょうだいの事情、直面する問題。さらには……。
「さらには……」
 その先にはメディアでは決して語られない、そして思いもよらない、彼らの生活のリアルがある。

 たとえば、煩雑な手続きや葛藤を乗り越えて戸籍を手にするまでをテレビで紹介された当時32歳の無戸籍女性、「ヒロミ」。その無戸籍女性は実は今、「男性」として生きている。「彼女」は、性同一性障がいなのだ。そして、「彼女」にはたまたま、「逆の立場」の甥がいた。
 甥は、それまでの自分を捨て、戸籍上は男性のまま、女性として生きることを選んでいた。そこには使われない「戸籍」と使われていない「住民票」があった。「彼女」としてはそれは喉から手が出るほど欲しいものではあるが、さすがに手出しはできない。
 唯一、姉から渡された甥名義の健康保険証を握りしめて、「彼女」は甥の名前を名乗って生きるようになった。そうせざるをえなかったのだ。私のところに相談に来るまでは。
 見た目も、心も、実は「男性」。性別も超えて、他人の名前で生きている「彼女」。
 こんな無戸籍者の現実は、番組や記事の短い「尺」の中では描けない。
 でも、「彼」と「彼女」の間を行き来する揺らぎを抱えたこの当事者のように、想像を超える複雑さにこそ、私が間近に見てきた無戸籍者の真実がある。
 彼らは貧困や暴力、病気などの困難にさらされても、どこにも登録されていないためにどこからも支援を受けられず、それでも必死に生き延びてきているのである。
 私ですら、その先を伝えることをこれまで避けてきた。
 人はなぜその「さらには……」の先を描くことを躊躇するのだろうか。
 何を畏れているのだろうか。

 無戸籍者は本人に責任がないにもかかわらず、社会から批判を浴びやすい。
 メディアにさらされることでバッシングを受け、それらが不当であっても、本来なされるべき法改正の妨げになってしまう恐れもある。
 そこに気を使うならば、彼らの現実の生きる姿から生々しさをそぎ落とし、ベールに包んでいくしかない。

 だが、13年にわたって彼らの支援活動を行ってきた今、思うことがある。
「さらには……」の先、当事者も、支援者も、メディアも伝えることを躊躇するこの部分にこそ、この問題が引き起こされ、解決に至らない主因があるのではないかと……。
 そしてその「語られずにきた部分」は、無戸籍問題に限らず、自ら声を上げることができない子どもたちを巻き込んださまざまな事件や問題に共通する「横串」となっているのではないか。
 いや、子どもたちだけではない。私たちの社会で誰もが感じる「生きにくさ」にもそれは突き刺さっている。

 私はほんの偶然から巣鴨に事務所を置くことになった。
 駅に降り立ちこの地名を目にすると、あの切ない事件と、家族のその後の人生を思う。
「巣鴨子ども置き去り事件」のきょうだいは、1973年頃から1986年頃の間に生まれている。「彼ら」は今、29歳から42歳となっているはずだ。
 くしくも本書に登場する成人無戸籍者たちと同世代だ。
 彼らの存在がわかっていながら、なぜ誰も対策を打たず、手を差し伸べなかったのだろうか。

 そして今日も新たな無戸籍児が生まれ続けている。この現実は重い。
 前へ前へと進んできた日本社会は、彼らの状況を見て見ぬふりで、放置している。

 少なくとも「無戸籍」という同じ体験をした者の役目として、私はこの問題の深刻さを社会に問い続けていかなければならないと思っている。

 そのためには無戸籍者のあまりにも厳しい現実を明るみに出し、「さらには……」のその先を語らなければならない。
 誰もが口を閉ざすタブーなのかもしれない、社会の陰の部分。でも私はあえてそこに切り込んでいこうと思う。

 あのとき巣鴨にいた「彼ら」が歩んだかもしれない「今」が、そこにあるのだから。

 

   第1章 戸籍上「存在しない」人たち

   消えた“母たち”──雅樹の場合 I

    27歳・無戸籍・男性
「では、JR新宿駅東口改札を出てすぐ左に『サマンサタバサ』があるのはご存じですか? その隣の喫茶店でお待ちしています」
「近藤雅樹」と名乗る男性から電話があったのは2014年8月の終わりだった。
 その年の5月に、取材協力をしたNHK『クローズアップ現代』で、32歳の成人無戸籍女性「ヒロミ」のケースが取り上げられたことをきっかけに、私が開設している電話相談はパンク気味となっていた。誰かと話している最中に電話が入り、切った瞬間にまた次の相談が来る、という状態だった。
「僕が……、無戸籍なんです。27歳です。母親は亡くなっています。そういう場合はもう戸籍は取れませんよね?」
「父親は?」と聞くと「わかりません。最初からいないので」と言う。
「大丈夫ですよ。できますよ。むしろ………こういう言い方はなんですけど、親が生きているより、手続きはスムーズにいくかもしれませんよ」
 これはもう何人もの成人無戸籍者の戸籍取得を手伝った末の実感だった。
「ともかく会いましょう。いつだったらいいですか?」
「明日でもいいですか?」
 雅樹は早速、日程を言ってきた。
「じゃあ、2時頃でも大丈夫ですか?」
 場所は彼に指定してもらい、電話を切る。
 初めて会う場所は基本的には相手に決めてもらう。
 どこを選ぶか……雑踏なのか、自宅なのか、それもその人の人生を知る上で重要な手がかりとなるのだ。
 近藤雅樹が選んだのは新宿駅構内にある喫茶店だった。

    「無戸籍」になってしまう事情
「無戸籍の日本人がいる」
 江戸時代の話でも、戦後の混乱期の話でもない。もちろん外国の離島に取り残されているわけでもない。この平成の時代に、北海道から沖縄まで、至る所に「無戸籍の日本人」が存在し、その数は決して少なくない。そう聞いて、驚かない人がいるだろうか。
 日本では通常、父母、もしくは父と母のうちどちらかが日本人であれば、その子どもも日本人としてその親の戸籍に記載される。
 登録の仕方は簡単だ。「出生届を役所に提出する」、それだけだ。
 出生届の左側には子の名前と出生場所、住民登録をする住所や父と母の名前を書く欄がある。右側は「出生証明書」。出産した病院、もしくは取り上げた助産師が何年何月何日何時何分に何グラムで生まれたかなどを記載し、署名・押印する。
 これを提出したら、役所は記載に漏れや誤りがないかを確認して、父と母が婚姻していた場合はその父母の「嫡出子」として登録。母が未婚で産んだ場合は父親を空欄とし「非嫡出子」として母の戸籍に入れる。
 ただし、子どもの名前が常用漢字表や人名用漢字に記載されていない漢字だった場合などは受理されない。その場合は、別の使える漢字を選んで出し直すことになる。
 出生届の提出期限は出生から14日以内と決まっている。子どもが生まれたらなるべく早くに戸籍を作り、養育義務者である父母を決めて「身分を安定」させることが子の福祉にかなうとの判断からだ。
 しかし、である。
 何らかの事情で出生届が出されず、その存在が行政に登録されないまま、もしくは把握されないまま「無戸籍」で生きている人がいるのである。
 彼らを「無戸籍児」「無戸籍者」と呼ぶ。

「戸籍がない」
 これによってその人がどのような人生を送らなければならないのか、普通に戸籍を持って生きる人には、想像することさえ難しいだろう。
 戸籍がなければ基本的に住民票ができない。住民票がないということは生きる上で致命的な困難をもたらす。
 まず義務教育を受けるのが難しい。住民票がないため、役所から「就学通知」が来るはずもない。
 それから健康保険証もないので病院にかかったときの医療費はすべて自己負担となる。もちろん健康診断、予防注射といった行政サービスも受けられない。
 年を重ねて成人になっても選挙権もない。
 銀行口座を作ることもできないし、携帯電話の契約すらできない。
 何より身分証明書が一切ないから、就労は困難を極める。
 パスポートが作れないので、海外旅行など考えるべくもない。
 結婚、出産にも支障をきたす。
 つまりは生きていく上でのありとあらゆる不都合や不安と直面するのだ。
 ここ数年は社会問題として認知されてきたことにより、無戸籍者が希望すれば、これらの行政サービスを受けられるようにはなってきた。しかしそれでも、たびたび役所に出向いて説明し、掛け合わなくてはならない。管轄する行政によって対応が違ったり、さまざまに理不尽な理由をつけて断られるケースも多い。
 普通の人にとっては「なんでもないこと、当たり前のこと」。でも、彼らにはとんでもなく高いハードルがいくつもあって行く手を阻むのだ。

    闇に埋もれる実態
 こうした無戸籍児・無戸籍者は、全国でどれくらいいるのだろうか。それは完全には把握されていない。
 法務省は2014年7月から基礎自治体(市町村・特別区)、児童養護施設などを対象に無戸籍者の実態調査を始め、ひと月後の8月段階ではその数を200人と発表した。
 しかし、その数は月を経るごとに増え、2015年11月現在では680人(うち成人無戸籍者125人)となっている。ただ、回答率は全体の約20%と低く、8割の自治体は「把握せず」として回答していない。
 一方、住民票を所轄する総務省が公表している「無戸籍のまま手続きによって住民票を交付されている数」は毎年500〜700件に上る。
 また出生後、「推定される法的父親」と「事実上の父親」が違うため無戸籍になった人の場合、事実に即した戸籍に登録されるためには、調停・裁判を起こす必要があるのだが(後述)、最高裁が発表する司法統計によれば、こうした事案の調停・裁判は毎年3000件前後あり、一般的には解決するまで出生届は出さない。
 つまりは一時的にでも「無戸籍状態」となる人が年間約3000人はいるということになる。
 調停・裁判をしたものの決着がつかず、不成立や取り下げをする人はこのうち年間約500人。こうした人たちはほぼ無戸籍状態が固定化すると考えられる。直近20年間を考えても、1万人は積み上がっているということだ。
 法務省の総数700人弱、総務省の年間700人、裁判所の年間3000人、そして1万人。いったいどの数字がこの国の「無戸籍者」の実態を表すのだろうか?
 いや、まったく数字に表れない人々もいる。
 無戸籍当事者の中で、役所や裁判所にアプローチできる人はひと握りにすぎない。ほとんどの人は声も上げられず、不自由をすべてその身に背負い込んで、社会の隅に縮こまって生きている。その実態は闇に埋もれるばかりだ。

     戸籍をあきらめるために
 雅樹と電話で話した翌日、約束の時間の10分前に新宿駅に着いた。
 目印だという「サマンサタバサ」はすぐに見つかったが、周りには喫茶店が数軒あり、どれなのかわからず、しばしうろうろする。
 たぶんここだろうと思ったのは昭和の薫りがする純喫茶だった。地方都市なら今もまだ多く残るテイストの店……。そう思ったときに、ちょうどドアを開けて中に入っていく男性の後ろ姿が見えた。
 彼が「近藤雅樹」であることはすぐわかった。タンクトップ姿は店の雰囲気から明らかに浮いていたし、周囲をうかがってから中に入ったからだ。
 ひと呼吸置いて、私も扉を押した。
「近藤さん? 井戸です」
 席に着いたばかりの彼に背中から声をかける形となった。彼はビクリとして振り返り、慌てたように立ち上がった。
「電話をくれてありがとう」
 それが私のいつもの最初の挨拶だ。本当にそういう気持ちでいるから、この言葉が出る。
「いえ、こちらこそ。すぐにお会いできるなんて思ってもいなかったので、ありがとうございます」
「年齢は27歳でしたね」
「そうです」
 雅樹の実際の声は、電話の印象よりもずいぶんと嗄れていた。
「声、ハスキーね。もしかしてお酒?」
「よく言われますが、声はもともとなんです。酒は好きですけどね。飲む仕事ですし……。あ、電話で話しましたっけ? 僕、ホストなんです」
 店員が注文を聞きにくる。
 雅樹はアイスコーヒーを、私はホットコーヒーを頼んだ。
「電話では飲食店で働いているって聞いたけど。無戸籍の人は水商売が多いのよね。働ける場所が限られるから」
「はい」
「成人無戸籍者」たちが身を寄せる場となりがちなのは、水商売、ラブホテル、パチンコ業界、風俗業など。それはもちろん限られた、ごくごく狭い場所だ。
「昨日の電話であなたの状況をざっと聞いて、『戸籍、できますよ』と言ったら、すごく驚いてたでしょ? 私、それにちょっとびっくりしたのよ。戸籍はできないと思っていたの?」
「はい。親が無戸籍だから僕も無戸籍だと聞いてましたし、手がかりがまったくないから」
「親がいるより、いないほうが有利なこともあるのよ」
 私は電話での話と同じことを繰り返した。
「それがびっくりでした。実は電話したのは『あきらめるため』だったんです。ここに電話して、それでもダメと言われたらそれを最後に、戸籍のない人生を生き切ろうって。『もしかしたら』という希望を持っているから苦しい。戸籍ができるかもしれないなんて本当に思ってもみなかったから……。もっと早くに相談すればよかったです」

    二人の「オカン」
 親が不明という無戸籍者の場合は、「就籍」という手続きがある。
 いわゆる「捨て子」などのケースでは、その自治体の長がその子に名前をつけて戸籍を作っている。「就籍」はもともとは終戦後、旧樺太及び千島列島に本籍地を置けなくなって、戸籍が消滅してしまったことから作られた規定だったが、今ではこうしたケースにおいて応用されているのだ。
 アイスコーヒーのグラスとコーヒーカップが運ばれた。
「早速だけど本題に入っていい? まず、どこから話を聞こうか。お母さんが無戸籍って言ったよね?」
「はい。母が無戸籍だったから、僕も無戸籍で……、そう聞かされています」
「あ、まずは生年月日から教えてね」
「生年月日は昭和62年2月2日です」
「お母さんはいつ亡くなったの?」
「僕を産んですぐだったそうです」
「そう、それは大変だったわね。お母さんの名前は?」
「近藤順子。『じゅん』は『順番』の『順』です。そう聞いています」
「それは誰から聞いたの? おじいちゃん、おばあちゃんが育ててくれたの?」
「育ててくれたのは……、養母です。杉原知子といいます。『ともこ』は『知る』に『子どもの子』だったと思うんですが、漢字はもしかしたら違うかもしれません」
 一瞬、メモを取る手が止まる。単純な「無戸籍」の相談とは事情が違うようだ。
「その知子さんという人はお母さんとはどんな関係だったの?」
「知人だったと聞いてます」
「そう……。でもなんだか不思議よね。『知人』というだけであなたを預かって、育てるなんて」
「そうなんですよね。何回か聞こうと思って話題を振ると、明らかに嫌がっているのがわかったんです。気まずい雰囲気、というのか。で、聞くのをやめてしまったんですが。でも……、今思えば……」
 雅樹は一瞬視線を手元に移して、また顔を上げた。
「今思えば、聞いておけばよかったです。あ、こんなふうに話していても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫よ。順番が逆になったり、話が飛んでも気にしないで。いずれにせよ、まず輪郭を描いてみて。なぞったり、色を塗ったりはあとでいいので」
「はい。でも、正直言って怖いんです。27年間信じてきたものが全部違ったとしたら、僕はどうしたらいいんでしょうか。自分が思っている自分と違ったら、と考えると知らないほうがいいのかも、とも思うんです」
「知らないでいるほうがいいかもしれない人生もあるよね。そういう選択ができるとしてだけど。でも、戸籍がない人が戸籍を取ろうと思ったらその選択はないのよ。それで大丈夫?」
 雅樹はすぐには答えなかった。
 すっかり氷が解けて水の層ができたアイスコーヒーをゆっくりと混ぜて、ひと口すすると言った。
「ずっと……、自分が誰か、なんて考えないできたんです。考えないようにしていたと言ったほうが正確かもしれません。
 親は誰なんだろうという葛藤とか、そういうことも昔はあったんです。でも、あるときからそういう感情もなくなって、平気になったんです。
 ただ昨日、『戸籍が取れる』と聞いた瞬間から、急にドキドキし始めて。覚悟を決めた以上は、何が出てきても驚かないようにと言い聞かせてきたんですけど、でもやっぱり『どうしよう』と思う自分がいるんです。
 昔はいろいろ考えました。杉原が聞かせてくれた話は全部嘘で、実は親はスパイで、自分を英才教育しようとしていたのに失敗したんじゃないか、とか。
 笑っちゃいますが、本気でそんな心配をしていたときもあったんです。
 そういう封印してきた不安が昨日から一気に出てきてしまったんです。嫌な過去は見ないで、自分に都合よく、都合よくと生きてきたツケですかね」
「自分に都合よく、なんて考えるのは誰でもそうだから。そこは戸籍があっても、なくても同じよ」
 彼を励ますように私は言った。
「そうなんですかね。戸籍を持ったことがないから、それすらわからないです。でも、昨日、最初に電話したときは、ともかくなんでもいいから、極端な話をすれば住民票だけでも取れればいいと思っていたんです。『自分がどこかに登録される』というのが大事で、杉原や母が何をしていた人なのかなんて、ある意味、二の次だったんです。
 でも、今、ちょっと自分でも驚きなんですけど、こんなに短い間に気持ちが変わったんです。本当に今、この瞬間なんですけど、杉原にも、母にも『会ってみたい』と思ったんです。いろいろ聞きたいって。聞いて自分が誰なのか知りたいって」
「知りたいよね。わかるよ」
 私は短く、でも本心からの言葉を挟んだ。
「実は今日が初めてなんです。こうやって母や杉原の話を改まって人にするのは。自分のことを人にちゃんと説明できないことに改めてびっくりします。まあでも、避けてきたんですから当たり前ですよね。
 ずっと『知りたくない』と思ってきたのは、自分の今までが全否定されてしまったら、どうしようと……。土台が違ったら、自分が生まれている意味も変わってしまいそうで怖かったんだと思います」
 長台詞を息継ぎなしでまくしたてるように、雅樹は一気に話した。
「そうね、まずは養母さん、杉原さんとお話しするのが一番早いと思うのだけど、連絡つくかしら?」
「養母は、杉原は……、亡くなりました。火事に巻き込まれて」
「えっ」
 思わず息を呑んだ。
 雅樹が語ったのはにわかには信じがたい、こんな話だった。

    二人だけの暮らし
 最初の記憶は大阪の雑居ビルに挟まれたアパートの一室だ。
 いったいあれは何歳のことなのだろうか。
 浮かんでくるのは本屋で買ったドリルを部屋で一人やっている自分だ。それはあっという間に終わってしまい、「次は何をしようか」と思案している。
 朝、流れているテレビがニュースからワイドショーに変わる時間になると、「オカン」と呼んでいた「杉原知子」は仕事に出る。日が暮れると一旦夕食に戻ってくるが、もっと暗くなるとまた出かけていく。
 お昼は昨夜の残りだったり、焼きそばだったり、カップ麺のときもあった。「オカン」がお金を置いていくこともあった。
 そんなときは公園の先にあるスーパーに買いに行った。「オカン」は個人商店で買い物をするのを極端に避けていた。「高いから」というのがその理由だったが、本当は誰か特定の人と関わることが面倒だったのではないかと思う。
 スーパーのレジなら余計なことをしゃべらなくていいから楽。
 でも値段も安かったし、まあ、確かに「オカン」の言っていることは正しいのだと当時は思っていた。

    2日だけの「小学生」
 道ですれ違う同じような年頃の子どもたちがランドセルを背負って学校に行き始めたとき、自分が行かないことを「不思議」とは、まったく思わなかった。
 勉強は家でやるものだと思っていたのだ。家でできない人たちが学校に行く。
 つまり子どもたちにはふた通りのグループがあって、一つは「学校で勉強するグループ」、もう一つが「家で勉強するグループ」。保護者たちはそのいずれかの選択ができる。自分は「家で勉強するグループ」なんだと信じていた。
 それでも「オカン」は自分を2度ほど学校に連れていったことがあった。
 1校目は大きい小学校で、たくさんの人がいてびっくりした。一度にそんなにたくさんの子どもを見ることなんてなかったから。
 そこで1日だけみんなに交ざって授業を受けた。何を勉強したかなんて、ほとんど記憶にないが、教室の机の感触だけは覚えている。
「ダメやねんて。次行ってみよか」
 授業が終わって迎えに来た「オカン」は言った。
 何がダメで次に行くことになったのかはよくわからないが、日をあけずまた違う小学校に行って、同じように「小学生のまねごと」をした。
 でも、その後二度と学校に通うことはなかった。
 国には「義務教育」という制度があり、自分以外の人はみんな学校に行っているらしいことを知ったのはずいぶんあとになってからだ。
 単調な日々だったが、勉強は嫌いではなかった。わからないところは「オカン」が教えてくれた。
 15歳のときには数学や理科は高3の課程までほぼ終わっていた。
 今考えると本当に不思議だが、「オカン」はどんな人物だったのだろう?
 なぜ高3までの勉強を教えられたのであろうか?
「オカン」のことを思うと、頭の中は疑問だらけになる。
「杉原知子」という名前は本名だったのだろうか? 職業はなんだったのだろうか?
 どんな人生を歩いてきて、どんないきさつで自分を育てることになったのだろうか?
 家族がいたかどうかすらわからない。なにしろ「オカン」の両親もきょうだいも、親族と思われる人には誰にも会ったことがないのだから。

    突然の「告白」
 小さい頃の思い出といっても、365日変わらない風景だ。曜日の感覚も、下手したら月が替わったことすら気づかない。
 学校に行っていれば、運動会や音楽会の行事、家族がいれば端午の節句や七夕、お盆やクリスマスが次々とやってきて、カレンダーをめくる。そうしたイベントが生活を回し、単調な毎日に「生きている」という刻印を押していくのかもしれない。
 そういうことも一切ない、「何も起こらない毎日」を過ごす不思議な感覚は体験者でなければわからないだろう。ただそれが苦痛だったとは思わない。一人遊びの時間は、それはそれで心地よいものだった。
 そんな日々が突然終わった。
 14歳だった。
「うちはあんたの本当のオカンやない。あんたのオカンはあんたを産んで間もなく死んだんや。あんたのオカンの名前は『近藤順子』。だから雅樹の名前は『近藤雅樹』。『杉原』やないねん。順子ちゃんは無戸籍だったの。だからあんたにも戸籍がない。いろいろ不便かもだけど、とりあえずこれで生きていこ。漢字も読めるし、計算もまあまあや。大丈夫、大丈夫!」
「オカン」はさばさばした様子でこう言った。それはあたかも「オカン」自身を励ますような言い方だった。
 なぜ突然、「オカン」がそんなことを言ったのか、どんな状況だったのかもまったく覚えていない。それまで「オカン」が母親だと信じ切って、疑ったことも一切ないから、いったい何が起こったのか、理解するには時間がかかった。「無戸籍」ということも。
「戸籍」は見たことも触ったこともないから、それによって不都合があることを実感できなかったということもある。
 今の今まで、その存在を知らなかった母・近藤順子については、どんな人なのか想像すらできなかった。
 しかし、言われてみれば、である。
 自分が歩いてきたのはいかにも「特殊な人生」ではないか。
 昼間に公園に行っても、自分と同じ年頃の子は誰も遊んでいない。
「家で勉強するグループ」などなく、自分以外は全員「学校で勉強するグループ」なのだ。
「学校に行けなかったのは戸籍がなかったから」と「オカン」は言った。
「それと、あんたは知りたいと思うからゆうとくけど、あんたのオトンが誰かはうちも知らんねん」
「別に知りたくないから大丈夫」
 そう答えた。本心だった。
 父親のことを知りたくなかったのは、その男がどうせろくな人生を送っていないと思ったからだ。
 女を捨て、子どもができているのも知ってか知らずか逃げ出した、最低の男なのだろう。
「カミングアウト」の日からそう間を置かず、「オカン」は「秘書検定」の本を買ってきた。「これで最低限のマナーは覚えられるやろ」と。
 告知の時期がなぜ14歳だったのかはわからないが、もしかしたら「オカン」は「オカン」なりに、自分を社会に出していくために準備をさせようとしていたのかもしれない。

 それから2年が経った。
「16歳だし、そろそろ働かんとあかんねんなあ」
「オカン」は「さあ、行くよ」と言うと、ミナミで幅広く飲食店を経営しているという「ダイさん」のところに連れていった。その翌日からダイさんが経営するキャバクラで働くことになった。風営法ギリギリのサービスを安価で楽しめるキャバクラは当時、大阪・ミナミの街でも増えてきており、その時流に乗ってダイさんは事業を広げていた。
 しかし、16歳では接客に出ることができない。できる仕事といったら厨房での下働きや、キャバクラ嬢たちの使い走り。酔っぱらった彼女たちに理不尽なことを言われたり、客とのトラブルは日常茶飯事。初めて見た「社会」は醜い女性たちばかりに感じられた。
 あの頃のことを思うと嫌悪感しかわいてこない。思い出したくない。そこまで思うのは、初めてふれ合った社会が、いきなり人間関係のドロドロを知った現場だったからだと思う。
 ダイさんの店で働き始めて1年半が過ぎた頃、知り合いになった友人の紹介で別の店で働くことになった。
 それが年齢も名前も偽って働く生活の始まりだった。ダイさんに挨拶に行くと「元気でがんばり」と言われた。
 その職場は近くに社員寮があって、「オカン」の家から通うより便利だった。家に戻るのは月に1回から3カ月に1回、半年に1回と間があくようになった。
 そして1年後、また別の友人に誘われるままに違う店で働くことになる。今度はホストクラブだった。
 キャバクラ嬢の使い走りをするよりも、仕事はずっと楽だった。客は素直で優しく、無理難題も言ってこない。楽になれたと思った。
 そこから1年か、1年半ぐらい経った頃だろうか、ミナミでダイさんにバッタリ会った。
「おい、お前、大変だったなあ」
「はい? 大変? 元気にしてましたよ。何かありました?」
「『オカン』のこと、だよ」
「『オカン』?」
「火事で死んだんだろ?」
「えっ? どこで? 『オカン』が? 本当ですか?」
「出先が火事になって、死んだって聞いたよ。知らなかったのか? 吹田やったかな、そう吹田や。ボヤみたいな小さな火事やったのに巻き込まれて。運が悪かったな」
 嘘だ! タクシーを拾い、急いでアパートに戻ってみる。鍵がかかっていた。
 少し前にバッグを盗られ、家の鍵はなくしたばかりだった。合鍵を作り直さなくとも、アパートに行けば「オカン」がいると思ったからそのままにしていた。
 大家さんに聞こうと思い、はっとした。
 自分と「オカン」の関係を証明するものは何一つないのだ。
 葬式も何もないまま、突然「オカン」は消えた。

    選択肢のない人生
「僕の話、本当かどうか、わからないですよね。僕も実は自信がないんです。誕生日もそう。杉原知子は『私はあんたの実の母じゃない』と言ったけど、実は彼女が本当の母だったんじゃないか、とか。でもそれだったら、なぜ『本当の母は別にいる』なんて嘘を言ったんだろうか。
 どの話が本当で、どの話が違うのか、誰も証明する人がいないからわからないんです」
「こんなこと言ったらなんだけど……、ミステリーだよね」
「僕にとってはミステリー以上です。最後に種明かしがないから……」
 雅樹は続けた。
「まあ、ある意味、ホストは偽りの世界だから慣れてはいるんですけどね。名前も違えば、出身地や学校だってみんな偽っている。あ、今どきは採用も結構厳しくなっていて、写真入りの身分証、たとえば免許証を出さないといけないんです。でも僕、持っていないじゃないですか」
「そういうときはどうしているの?」
「友だちのを借ります」
「顔、違うでしょ?」
「整形したって言います。『いやー、失敗しちゃって』って。厳しいって割にはそれで通っちゃうのがこの世界なんですよ」
 住民票がないということは、銀行口座も作れない。
「現金でいただいて、大部分は店に預けて貯金してもらっているんです。そのへんもほかの仕事では通用しないですよね」
「それって、大丈夫なの?」
「まあ、大丈夫だと信じるしかないですよね。ここでしか生きられないから」
「戸籍ができたら、ほかの仕事もできるよね。どんな仕事したい?」
「ほかの仕事……。たぶん一生この仕事、ホストをやっていくと思います。この仕事、好きなんです」
 私は「そうなんだ」と答えながらも、雅樹が言った「大丈夫」というのは本心ではないな、と思った。「偽りの自分」の人生を生きることが、彼にとってもう限界に来ているのではないか、と感じたからだ。
 今の彼の人生には「選択肢」というものがない。「ここでしか生きられない」人生だ。でもそれを「あそこでも生きられるけど、ここで生きる」に変えなければならないのだ。
 そのためには「戸籍」を取らなければならないと本心では思っているからこそ、彼は行動を起こしたのだ。
 しかし、何の手がかりも残っていない雅樹の「就籍」は、当初思ったより難しいだろうな、という不安が胸をよぎる。でも、それを心配していても前に進めない。雅樹は前に進むと決めたのだ。
 雅樹とは翌々日にまた会い、一緒に裁判所と区役所に行くことにする。待ち合わせ時間と場所を確認して、その日は別れた。
 面談時間は3時間を越していた。

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