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夫婦で行く東南アジアの国々
清水義範

 第一章 ミャンマー

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 イタリアヘも行った。バルカン半島の国々へも行った。そしてそれぞれ旅行記を書いた。
 さて、次はどこへ行ったものか、と考えることになる。年に一度か二度の海外旅行は、私たち夫婦にとって大きな楽しみであり、貴重な息抜きなのだ。どこか地域を決めてシリーズ風に何か国かを回り、旅行記にまとめるという仕事にもつながる。
「どこか面白い地域はないかな」
 と私が言うと、妻は思いがけない返答をした。
「東南アジアの国々はどうかしら」
 そこか、と私は言葉につまる。
「東南アジアだと、大体インドシナ半島の国でしょう。半島って歴史的に入り組んでいて面白いと思うの」
「だけど、東南アジアだと食事があんまり口に合わないんだよな。一度タイ料理店へ行って食べられなかったことがあるんだ」
「食事は我慢しなくちゃ。食べられるものだけ食べて、あとはビールを飲んでりゃいいんだから」
 どの国へ行っても、そうしているわけだしなあと、私が納得しかけた時、妻はこう言った。
「東南アジアって、日本人がよく行くところだからいいのよ。バルカン半島の国々もいいところだったけど、日本人があまり行かないところだから、旅行記がそんなに売れなかったでしょう。東南アジアの旅行記のほうが売れると思うわ」
 そう言われて私は決心した。よし、今度は東南アジアシリーズだと。
 そこで、旅行会社のパンフレットを集めてまずはどこへ行こうかと考えていくうち、日程がちょうどよいツアーとして、思いがけない国が候補にあがった。その国とは、ミャンマーである。
「観光で行ける国なのかな」
「ツアーがあるってことは行けるのよ」
 しかし、ミャンマーである。かつてビルマという国名だったが、軍事政権の独裁のようになって国名をミャンマーに変えた国だ。
 ただし、二〇一一年以降民主化政策が急速に進み、長らく自宅軟禁させられていたアウン・サン・スー・チー女史も自由になっているそうだ。その民主化って、どこまで本当のことなんだろう、という興味もわく。
 ミャンマーヘ行ってみよう、という気に私はなった。二〇一三年の三月下旬から四月頭にかけての旅である。民主化後二年目のミャンマーをこの目で見ることにしよう。
 さて三月二十四日に出発だが、羽田空港から深夜に出発というのが珍しい。タイ航空機でまずタイのバンコクヘ飛ぶと早朝の五時頃だ。空港で三時間待って、乗り継ぎ便に乗り、八時四十分にミャンマーのヤンゴンの空港に着くのだ。バンコクまでの便でなるべく眠るようにした。
 そんなわけで、旅の二日目はいきなりヤンゴンの観光から始まった。ヤンゴンの空港でミャンマーの現地通貨であるチャットに両替したのだ。この旅行の時点で、一ドルが八百七十チャットであった。
 さて、バスに乗ろうとすると、車体に豊橋鉄道と書いてある。それがミャンマーならではの面白さなのだ。走っている車やトラック、バスなどは日本から輸入された中古車が多いのだが、その車体には元の日本の会社名などが消されずにそのまま残っているのだ。豊橋鉄道のバスは一昔前の日本の観光バスのままだった。
 ヤンゴンの空は晴れているのに青くなく、空気が悪い感じがした。年々車が増え、渋滞がひどくなっているのだそうだ。
 町並みは埃っぽく、くすんだ感じである。あまり高い建物はなく、五〜六階建てで、一階が店になっていて上階はアパートというような建物が多い。
 チャウッタージー・パゴダに着いた。パゴダとは仏塔のことで仏舎利を納める場所である。比較的新しい仏塔で、全長七十メートル、高さ十七メートルの巨大な寝仏が祀られている。
 寝仏は涅槃仏とは異なり頭が北ではない。涅槃仏は釈迦が入滅する時の姿だが、寝仏は横になって休んでいる姿なのだ。ここの寝仏は頭が南にあり、手で頭を支えて休息している姿であり、涅槃仏と違って足の裏をきっちりそろえていない。
 一九〇七年にインド人によって作られた寝仏があったが、姿勢や顔つきが悪かったので、一九六六年に現在のものに作り替えられたのだそうだ。とても美しく優美な仏像で、色白で、銀で縁取りされた金色の衣をまとっている。どこか優しく女性的な感じがした。
 アイシャドーや口紅、マニキュアがほどこされているのは、血色がよい、すなわち生きていることを表現するためだ。足の裏には百八の仏教宇宙観図が描かれていてとても見事だった。
 寝仏の裏側に曜日の神様が祀られている。ミャンマーでは、誕生日によってその人の八曜(水曜日を午前と午後に分けるので八曜となる)が決まっていて、その神を信仰しているのだ。曜日ごとに、星や、方位や、守りの動物なども決まっている。調べたら私は火曜で、守りの動物はライオンだった。妻は木曜で、守りの動物はネズミ。そういう神様に賽銭をあげて拝んでいる人がたくさんいた。信仰が篤いという印象を受けた。
 寝仏の周囲には多くの金色の仏像や、このパゴダを作った人の像や写真などがあった。座禅を組んで修行している僧侶の姿も見られた。ミャンマーは上座部仏教(昔は小乗仏教といった)の国だなあ、ということを強く感じさせるパゴダであった。
 寺を出て街中を走り、インヤー湖のある地域へやってきた。そのあたりは高級住宅街なのだ。広い敷地を持つコロニアルスタイルの家が並んでいる。車も何台もあって、使用人が仕事をしている。
 そこにアウン・サン・スー・チー女史の家があった。彼女が門の外に向かって演説しているのをニュース映像で見たあの門がある。そこで写真ストップをした。
 スー・チーさんが軟禁状態だった頃には、家の前を軍が見張り、観光客はおろか一般の人も家の前を通ることが禁じられていたそうだ。スー・チーさんは一九八九〜一九九五年、二〇〇〇〜二〇〇二年、二〇〇三〜二〇一〇年十一月十三日と、繰り返し自宅軟禁を受けていた。その間の一九九一年にはノーベル平和賞を受けたわけだ。しかし、今はスー・チーさんは自由だそうである。
 さて、バスは湖の近くにあるヤンゴン大学のそばを通る。言い忘れていたが、このツアーの現地ガイドはカインカイン・スウェーさんという中年の女性で、その人が大学事情を説明してくれた。ヤンゴン大学はミャンマーの最高学府である。地方の大学で三年学び、最後の一年をヤンゴン大学で学ぶこともできる。
 軍事政権当時は、大学生が集結しデモなどの反政府活動を行うとまずいので、ヤンゴン大学を閉鎖し、大学を郊外や地方に分散させていた。しかし、二〇一一年にテイン・セイン大統領が民主化を進め、ヤンゴン大学も二十五年ぶりに復活することになった。ただしこの旅行の時点では、学者と大学院生が戻っただけだそうだ(二〇一三年の十二月に学部教育が再開された)。やはり、少しずつは民主化が進んでいるのだ。
 さて、ヤンゴンの観光はここで一度中断となる。帰りの最後の日にまたいくつか観光することにして、この日はここから空港へ向かうのだ。
 飛ぶ前に空港のレストランで昼食をとった。料理は野菜の炒めもの、揚げ餃子、ビーフン、チャーハンなど中華料理系だが、コクがない感じだった。フルーツとお茶がついた。数名に一皿の料理が盛られて出され、自分の皿に取り分けて食べる方式。中華料理風なので食べやすかった。ビールはミャンマービールという銘柄だった。

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