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ラメルノエリキサ
渡辺 優

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 復讐など無益だと、人は言う。
 人と言っても別に私が直接具体的な誰かにそんなことを言われた訳じゃなくて、たとえば本や映画の中では、そんな風に書いてあった。
 誰かとてもとても大切な人を殺された復讐をもくろむ人には、そんなことをしても亡くなった人は喜ばないとか。誰かとてもとても大切な人に裏切られた復讐をもくろむ人には、君が幸せになることが一番の復讐になるのさとか。
 私は小さいころからそういった反復讐論的なお話にはなかなかピンとこなくって、そんな的外れな説得でおよよと泣き崩れてしまうような復讐者にはもやっとした反感を抱いていた。
 私にとって、復讐とはどこまでも自分だけのために行うものだ。自分がすっきりするためのもの。すっきりするっていうのは、人が生きていく上でとても大切で重要な事だと私は思う。たまった澱を洗い流し、擦り付けられた泥を落とし、歪められた軸をまっすぐに伸ばす。すっきりしないままでいたら、人はどんどん重く汚くぐにゃぐにゃになって、私はそうはなりたくない。
 私は自分が好きだから、大切な自分のためにいつでもすっきりしていたい。復讐とは誰かのためじゃない。大切な自分のすっきりのためのもの。
 私はずっと幼いころから復讐というものに対しぼんやりとそんなイメージを持っていて、だから、私が六歳のときに七歳の女の子の腕を折ったのも、別にミーナのためじゃなかった。

 ミーナは四歳のオスだった。オスなのにミーナ。そこは猫だからしょうがない。
 私と、二つ年上のお姉ちゃんと、完璧なママと普通のパパに可愛がられて、ミーナは甘えん坊で人なつこい完璧な愛玩動物に育った。庭の隅っこでピーピー鳴いてたとこを拾ったときは、灰色の猫だと思ったんだけどねえ、今はこんなに真っ白ねえ、と、完璧なママが完璧な猫を膝に乗せて撫でる光景は、それはもう完璧だった。
 そんな完璧なママのピアノ教室に通ってきていたのが、あのクソガキだ。
 ミーナの足を折るのは簡単だったに違いない。ミーナはおまえは犬かよと思うくらいに誰にでもすり寄っていってはなでなでを要求する猫だったから。目撃したお姉ちゃんの話によると、そのクソガキはピアノの椅子に座ってミーナを膝に乗せ、ミーナの右前足を鍵盤の上に置いた状態で、わざとピアノの蓋を閉めたらしい。大声で泣きわめくお姉ちゃんの声を聞いた完璧なママがピアノ部屋に駆けつけると、ミーナの真っ白な身体は足からの出血で所々赤く染まっていた。骨折で、全治一ヶ月。かわいそうなミーナは怪我が治ってからも、家族以外の人間には近づかない恐がりな猫になってしまった。
 そのクソガキがどうしてミーナにそんなことをしたのかはわからない。七歳の女の子が大人しい猫の足を折るなんて、よく考えれば異常かも。子供特有の残酷さがたまたまミーナに向いたのか、それとも何か、心の闇的なものを抱えていたのか。
 完璧なママは可愛いミーナの足を折られたにもかかわらず、完璧な慈悲深さでそのクソガキを許し、その心を案じた。警察に突き出せ、なんなら殺せ、という私の意見はすっかり無視して、クソガキを穏やかに諭し、クソガキのクソ親にはミーナの治療費の請求をする代わりに医師へのカウンセリングなんか勧めたりして、挙げ句の果てに、「もしあなたがイヤじゃなかったら、これからもピアノを習いにきてもいいのよ」なんて、クソガキに対して徹底した寛容さで対応した。
 完璧なママ。私はママが大好きだった。ママは誰よりも美しく、そして誰よりも優しい。確かに、七歳の女の子の罪はそうやって許されるべきなのかもしれない。断罪よりもケアを優先させるのが、正しい大人の対応なのかも。
 もちろん完璧なママは、ミーナの怪我に悲しむ私とお姉ちゃんのケアだって怠らなかった。私たちを優しく慰め、世の中の不幸と不条理を説き、それでも人を許すことの尊さを教えた。
 ママの言うことは正しいと思った。子供心に、ママはなんて立派な大人なのかしら、と感心もした。けれど私は、当時六歳の女の子。年上のクソガキがどんなメンタル的トラブルを抱えていようが、同情も哀れみも感じなかった。
 ママは完璧で正しいけれど、それってちょっと、私の感覚とは違うみたい。
 ミーナは我が家の猫。つまり、私の猫でもある。私の猫が害された。これは私が害されたのと同じ事だ。今、私は害された状態にある。ミーナが傷を治すのと同じように、私もそれを治さなければいけない。だいたいそんな考えで、私の復讐スイッチが入った。
 ママに許されたクソガキがのうのうとピアノ教室に再び通いだしたのは、私にとってチャンスだった。私はそのクソガキを殺そうと考えた。
 それに真っ先に気がついたのが、お姉ちゃんだ。おっとりとした性格のお姉ちゃんは、それでいて人の機微には敏感なところがあった。お姉ちゃんは私の復讐計画を大人たちには黙っていてくれた。告げ口も私の復讐対象になると知っていたからだ。私は身内であろうと容赦しなかった。歳も近くとても仲良しだったお姉ちゃんは、その立場上私に復讐される事も多かった。私は、プリンを横取りされた復讐にケーキに虫を混入し、人形の髪を切られた復讐に人形の四肢を切断し、足を蹴られた復讐に顔面にパンチをお見舞いし、お姉ちゃんの乳歯を折ったこともあった。
 その頃には、お姉ちゃんは私の復讐傾向を理解して、私を怒らせることは慎重に避けていた。だから、お姉ちゃんは私を無理に止めたりせず、代わりにひとつアドバイスをくれた。
「りなちゃん、あのね、ハンムラビ法典って知ってる?」
 知らない、なあにそれ、と首を傾げる私に、お姉ちゃんは続けた。
「あのね、すごく昔の法律に、そういうのがあるの。その中にね、目には目を、歯には歯をっていう、有名な文章があるんだけどね。それはね、やられたらやりかえせっていう、野蛮な意味に誤解されがちなんだけど、本当はそんな意味じゃなくってね、やられたらやりかえすにしても、限度をわきまえましょうっていう意味なの。目をやられた仕
返しに頭ごともっていったりね、歯を折られた仕返しに首の骨を折ったりしちゃダメだよってこと。私、りなちゃんは、ちょっとやりすぎなところがあると思うな」
 お姉ちゃんは完璧なママに似た穏やかな口調で、諭すように言った。
「あのね、しおりちゃんはミーナの足を折ったけど、ミーナを殺したわけじゃないでしょう。だからね、その仕返しにしおりちゃんを殺すのは、やりすぎじゃあないかな。お姉ちゃんは、腕を折るくらいにしておいたほうがいいと思うの」
 賢いお姉ちゃん。当時八歳のくせに、ハンムラビ法典なんてどこで知ったのかしら。私はお姉ちゃんを年長者として敬う気持ちもそれなりに持っていた。だからこのときも、お姉ちゃんの話を聞いて、素直に、なるほど、そういう考え方もあるのね、と思った。けれど、納得いかないところがひとつ。
「やりすぎちゃダメっていうのはわかったよ。でも、しおちゃんはなにも悪くないミーナの足を折ったんだよ。それに、私、ミーナが足を折られて悲しいの。みんな悲しいでしょ。私たちだってなんにも悪くないのに、悲しい気持ちにさせられたんだよ。ミーナが悪くない分と、みんなが悲しい分と全部あわせたら、しおちゃんの腕一本じゃ足りないわ」
「うーん、じゃあ、両腕を折るくらいにしたら? とにかく、殺しちゃダメだよ」
「うん!」
 話のわかるお姉ちゃん。大好き。
 まあ実際は、私の立てていた復讐計画とは、クソガキしおちゃんをピアノ部屋のある二階の階段からつき落とすというシンプルなもので、腕の一本二本なんて精密な損害を計算できるものではなかった。結果としてしおちゃんは左腕を骨折し、額を切ってなかなかの流血を見せたので、私の溜飲は下がり、私は不当に与えられた歪みから解放された。すっきり。
 そうやってすっきりしたことははっきり覚えているのだけれど、その後どうなったのかは記憶が曖昧だ。私は特に何のおしかりも受けなかったと思う。事件は事故として処理された。よくある子供の転落事故。私は後ろからしおちゃんを押したから、しおちゃん自身もそれが私の犯行だったとは気がつかなかったのかもしれない。
 しかし実を言うと、私はそのしおちゃんの背中を押した瞬間の記憶すら、曖昧なのだ。今思い返すことのできる、小さな背中を小さな手が押すそのビジョンは、私がなんとなくこうだったんじゃないかしらと描く想像によってほとんどが補われたもので、実際のところ、私はどんなふうに彼女をつき落としたのか、忘れてしまった。六歳の頃の記憶なんて、そんなものだろう。私ももう十六歳。十年も前の話なのだから。私が覚えているのは、復讐をやり遂げたときの、快感、達成感、安心感。私にとって、復讐とは結果が全てなのだ。物心つく前からの小さな復讐、そしてこの人生初の比較的大きな復讐を皮切りに、私は今日まで大小さまざまな復讐を行ってきた。そのひとつひとつの復讐を、全てはっきり覚えているわけではない。大切なのは、結果。私が、大切な自分が害された出来事を全てきっちり清算してきたという結果。
 お姉ちゃんは私に、復讐の申し子というあだ名を付けた。私はそれを気に入っている。私は不当に歪められることなく、とてもすっきり生きている。
 そんな私は先日、夜道で背中を刺された。

     1

 六月の事だった。時刻は二十時前後といったところ。私は月に一度開かれる、学校の委員会の集まりを終えて、ひとり家に帰る途中だった。
 暗がりの住宅地の中を、街灯と緑道沿いの家から漏れる明かりを頼りに歩く。バス停から家まで、ほんの五分の道のりだった。
 私は音楽を聴いていた。数世代前のウォークマン。その中には、様々なジャンルの曲たちが、16GBの容量ぎりぎりまでいっぱいに詰め込まれている。
 私は音楽ならなんでも聴いた。本当に何でも。ポップスやロックなら国内外問わず、ヒットチャート常連からインディーズまで幅広くチェックしたし、アイドルなら何十万というファンをもつ巨大グループから、ネットでしか音源を拾えないような駆け出しの地下アイドルまで手広く追いかけた。メタル、ラップ、V系なんかは、地元のCDショップでおすすめコーナーに並んだものや、バンギャの友人が勧めるものから雑に手を出して、クラシックなら時代も楽派も作曲家も演奏者も楽器も問わず、CDの安さにかこつけて大量に揃えた。
 どのジャンルについても、詳しい専門知識があるわけじゃない。私は音楽ならなんでも好きで、特別素晴らしい耳をもっているわけでもなかったので、よし悪しもわからずこだわりもなくただひたすら気に入ったものを聴くことができた。私はそれらの曲が無秩序に詰め込まれたウォークマンを、全曲シャッフルモードにして聴くのが好きだった。私がパソコンにコレクションしているおよそ七万曲の中から、ウォークマンの薄い基盤に詰め込めるぎりぎりまで厳選した四千曲。全曲シャッフルは、そこからランダムに選んだ一曲を次々再生してくれるモードで、その日私はバスの中で、ボブ・マーリーの「ノーウーマンノークライ」の後にとなりのトトロのサントラから「風のとおり道」を聴き、ドビュッシーの「月の光」の後にAKB48劇場公演曲の「ハート型ウイルス」を聴いた。
 バスを降りたとき、ちょうど次の曲のイントロが始まった。低いバイオリンの音。音量が物足りなくて、少しだけボリュームを上げた。バイオリンが重なる。ヴィヴァルディの「四季」から「冬」だとわかった。どこかの室内楽団の公開録音。
 クラシックをイヤホンで聴くのは難しい。音の強弱の幅が広すぎるからだ。メゾピアノの音量に合わせてボリュームを上げていくと、急なメゾフォルテで耳をやられる。難聴を恐れる私は快適に聞けるぎりぎりのラインを狙ってボリュームボタンに神経を集中させながら、歩き出した。
 夜道ではイヤホンを付けながら歩いちゃダメよ。
 完璧なママは私にそう言った。イヤホンを付けていたり携帯をいじったりしながら歩いていると、痴漢やひったくりなんかの被害に遭いやすいと統計が出ているらしい。周囲への注意が散漫になるから、と。ママは私を心配してくれている。
 わかったわ、ママ。
 私は優しいママにそう答えた。けれど私は、夜道の楽しい音楽ライフを止める気なんてさらさらなかった。
 痴漢やひったくりを恐れて音楽を聴くのを我慢するということは、痴漢やひったくりに音楽を聴く楽しい時間を奪われるということだ。それは痴漢やひったくりに遭わずして、痴漢やひったくりに害されているのと同じ事。
 私は自分の考えは正しいと自信を持っていたけれど、そんな持論をママにぶつけてみようという気はなかった。私は正しい。けれど、ママだっていつも正しい。そしてより現実に即しているのは、いつだってママの正しさの方なのだ。
 りなちゃんは理想が高すぎる、と、お姉ちゃんに言われたことがある。自分でもそれはわかっている。だから私は、ママの言葉に素直に頷く。私は完璧なママが大好きで、そんなママに馬鹿な娘だと思われるのは嫌だった。そして裏では、優しいママの優しい気持ちを平気で裏切る。私は自分の理想的な正しさを一歩も譲る気はなかったし、それに私は、ママを裏切るのが好きだった。たぶんこれは、一過性の反抗期。物心ついたときからだから、ちょっと長すぎる気もするけれど。
 バイオリンは最初の主題に差し掛かり、更にボリュームを上げていく。私は「四季」の中で、この「冬」が一番好きだった。作曲者の意図なんて知らない。ただ激しくてかっこいいから。音はどんどん劇的になり、主題を繰り返す。そしてフェードアウト。静かな旋律が残る。
 そして訪れた静寂の向こう。ソニーのウォークマン専用イヤホンのノイズキャンセリング機能の向こうに、私はすぐ背後まで迫った足音を聞いた。

     2

 背中の、右側。強い衝撃を受けた。右肩に掛けた鞄が滑り落ちる。勢いで、両耳のイヤホンが外れた。
 誰かがぶつかってきた。そう認識した瞬間、頭にカッと血が上った。
 許せない。
 我ながら短気すぎ。
 振り返り、ぶつかってきた人影を睨み付けながら、私は取り落としそうになった鞄を掴もうとぐっと手に力を込める。そのとき、右腰で痛みが跳ねた。
 怒りで満たされていた頭の中に、驚きと混乱が混じる。
 どうして、急に、そんなところが痛むのか。
 それは今までに感じたことのない種類の痛みだった。鮮やかというか、煌びやかというか。そして、鋭くて速い。色にたとえるならビビッドピンク。とにかく、スパークルな感じ。
 痛みの元を確かめようと首をひねったとき、人影がぐっと私にフードに隠れた顔を寄せ、そして、呟いた。
「                     」

 唐突な言葉の意味が飲み込めず、私は一瞬フリーズする。
 人影はそんな私の反応を見もせずに、言葉の終わりと共にすぐさま背を向け走り出した。逃げる気だ、とわかった。
 とっさに追いかけようと踏み出した足を、右腰の痛みが引き留める。痛い。痛すぎ。驚きで遠のきかけていた怒りが戻ってくる。
 人影のその背中がどんどん遠ざかり、闇にまぎれて小さくなる。でも、痛い。追えない。逃げられる。
「お前絶対ぶっ殺すからな!」
 お腹の底からそう叫んだ。もう背中も見えないその人にも、きっと届いたはず。今追いかけるのは無理でも、どうしてもそれだけは伝えておきたかった。
 叫んだせいで、更に腰の痛みが跳ねた。私はもう立っていられず、その場にぺたんとお尻をついた。太ももに直に触れる滑らかなアスファルトが冷たい。対照的に、腰は燃えるような熱をもち始めていた。熱の中心に痛みがある。その痛みは今や、色でたとえるなら、きっとカーマインレッド。
 私は恐る恐る、痛みの元に手を伸ばす。ワイシャツの上からそっと触れると、じっとりと濡れた感触が伝わった。
 ああ、やっぱり。なんとなくそんな気がしていた。
 濡れた手を目の前に翳すと、その指先はカーマインレッドに染まっていた。出血。そう認めると、漂い始めた血の匂いにも気が付いた。なかなか、馬鹿にできない量みたい。
 私は地面に落ちた鞄を引きずり寄せて、携帯を探した。持ち手に絡まっていたウォークマンのボタンが押されて、画面がぼんやり光る。まだ、「冬」の演奏は続いているようだった。無視して、外側のポケットの中から携帯を取り出す。たったそれだけの動作で、息が上がって仕方ない。痛みのせいで、うまく呼吸ができないのだ。心臓もどくどくいっている。これは出血のせいかしら。そしてなにより、パニックと。
 震える手でアドレス帳を開き、私は、ママの番号を選んだ。そして、発信、を押すぎりぎりで、指を止める。
 ママに怒られるかもしれない。
 とっさに浮かんだ考えに、私は、心底呆れてがっかりした。私のまだまだ子供な部分に。まったくもう、止めて欲しい。ママに怒られる? そんな発想が出てくること自体情けない。ガキじゃねえんだから。
 そう思いながらも私はママの番号の浮かんだ画面を消して、緊急通報のボタンを押した。大人な私は救急車くらい自分で呼べると思い出したのだ。
 ワンコールでつながった電話口から女の人の声がする。
 火事ですか? 救急ですか?
 私の記憶はここまでだ。

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