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ジャッカ・ドフニ
海の記憶の物語 上
津島佑子

 二〇一一年 オホーツク海

 明るい灰色の空はとりとめなくひろがり、灰色の海も静かに平坦にひろがっていた。バスの窓からは、雲に隠された太陽の淡い光がひろびろした空と海に溶けこみ、浜辺や人家の壁にまで、その光が染みいっているように見える。
 バスは右側にオホーツク海を見ながら、ほぼまっすぐにつづく車道を進みつづけた。途中、道は海から少し離れるけれど、やがてまた、海岸線に寄り添う。ときどき強い風に吹き寄せられた雨のつぶが、ぱらぱらとバスの窓にぶつかってきた。わたし以外に乗客はひとりもいないし、同じ車道を走る車の姿もめったに見ない。バスの向かうさきには、南からはるばる北上してきた低気圧の渦が待ちかまえている。それでも、海は奇妙なほど静かだった。

  ノックルンカ 今年という年は
  ノックルンカ ひどい山津波と
  ノックルンカ はげしい沖津波とが
  ノックルンカ 両方から襲来
  ノックルンカ するであろう。……

 ゆえに村人よ、今から崖上の村に移住して、津波から逃がれ生き延びよ、という内容のカムイ・ユカラが、バスのなかのわたしの体によみがえってくる。
 神の歌という意味のカムイ・ユカラにはひとつひとつ決まったサケヘ、つまりリフレインがついていて、この津波のカムイ・ユカラのサケヘは「ノックルンカ」だった。意味はすでにわからなくなっていて、このように予言したのは、通常のひとの六倍は生きてきた老巫女だったという。でも、これは太平洋側に住むアイヌに伝えられた歌で、オホーツク海の波が陸に押し寄せ、ひとびとを呑みこんだという話は、まったくというほど語られていないらしい。
 ほんとにそうなんでしょうか。東京から訪れたわたしは宿のひとや、ノックルンカのカムイ・ユカラを教えてくれたエコツアーのガイドのアイヌ青年にもしつこく聞いてみたが、答は同じだった。
 ──こっちは地震も少ないし、放射能も関係ないし。ああ、台風? 台風もここまでは来ません、だいじょうぶ。それより温暖化のほうが心配ですよ。流氷がもし、なくなったら、観光客が来てくれなくなりますからね。
 前日のそのころ、大型台風が関東地方に迫っていた。そして夜、東京を直撃した。強力なまま、台風は北上して、もしかしたら、北海道にまで達するのではないか、と深夜になって、テレビのニュースで報じられるのを聞き、翌日、東京に飛行機で戻る予定でいたわたしは旅館の部屋でひとり不安に駆られることになった。
 そして朝を迎えると、予想にたがわず、きのうは透明な青にかがやいていた空と海が灰色に変わり、風が強くなり、雨までが降りはじめていた。たしかに、北海道に達してから台風は温帯低気圧の渦に変わってしまっていたが、その低気圧の渦がシレトコ半島ではなく、アバシリのほうに進んでいるという。わたしはそのアバシリに向かおうとしていた。

  ノックルンカ 本当に
  ノックルンカ その年に
  ノックルンカ ひどい山津波と
  ノックルンカ はげしい沖津波とが
  ノックルンカ 両方から襲来
  ノックルンカ したのだった。……

 ここは東京からなんて遠いんだろう。
 ゆうべ、旧式のテレビの小さな画面に映る新宿駅を見たときも、あるいは夕方、観光船に乗って、クナシリ島の島影を見たときも、驚くというより、ただ呆気に取られていた。テレビのなかの新宿駅では台風で電車が動かなくなり、そのため構内から溢れた大勢のひとたちがひしめいている。あんなところに、日ごろ、わたしは住みつづけてきたというのか。あんなところに、わたしは明日、帰ろうというのか。東京を発ってからまだ四日しか経っていないというのに、帰る、という言葉が、自分で受け入れられなかった。
 ほぼ六ヶ月前に起きた大きな地震と津波に、東京に住むわたしはまずびっくりさせられ、津波というもののおそろしさと、その後も頻繁に起こる余震におびえつづけ、さらに福島県の海岸に建つ原子力発電所の建物がつぎつぎ爆発し、そこから発生した放射性物質の雲が東京をもおそったと知らされて以来、ひどい頭痛を引きずりながら、原子力に関するさまざまな本を読んだり、ネットの情報をチェックする毎日を送っていた。放射能汚染から逃れるために、北海道、九州、関西に移り住むひとたちが、東京のわたしのまわりにもいた。この北海道にもわかっているだけで、三千人以上のひとたちが汚染地帯から移住したらしい。
 どうして、こんなひどい事態になってしまったんだろう、という問いが、嘆きと自責の思いをともない、わたしの体にひしめいていた。津波で失われた多くの子どもたちの命から、わたし自身が引きずりつづけている個人的な経験が呼び起こされた。とつぜん、水の暴力で奪い去られてしまった子どもたちの命。あのとき、なぜ救えなかったのか。無数の後悔に、あとに残されたひとたちはどれだけ苦しみつづけなければならないのだろう。一瞬の迷い、一瞬の楽観。その結果の、生と死との、あまりにあからさまな境界。何年経っても、その境界を受け入れることがわたしにもできなかった。
 もう一度大きな地震が起きて、福島の原発がもっとおそろしい事態になった場合に備え、わたしなりの避難計画を立てて、そのための荷物もまとめ、玄関さきに置いた。風呂に入る前には、どうぞ今だけは地震が起きませんように、そう祈らずにいられない毎日でもあった。ところがここウトロまで来ると、それはどこの国の騒ぎですか、と言いたげなのんびりした反応しか見られなくて、拍子抜けした。そうか、そもそもここは日本ではなく、アイヌの国、アイヌ・モシリだったんだものね。そんな感慨が自分でも思いがけず湧いてきた。
 けれどその後、東京での生活に戻り、何日か経って、どうやら原発事故の放射能雲はいったん太平洋に出たあと、シレトコ半島の一部をかすめたらしいと聞き知り、ああ、なんということだろう、とわたしは思わず涙ぐんだのだった。
 雨が降らなかったのなら、放射能汚染はあまり心配しなくてもいいのだろう。でも、安心しきっていることもできない。人間も、動物たちも、鳥たちも、植物も、土も、どんな拍子で眼に見えない放射性物質を吸いこんでしまうか、わからない。シレトコに住むひとたちはその危険をどれだけ意識しているのだろうか。そして意識したところで、現実にはどうする手立てもない。かつての核実験のときの汚染を、ほんの少し、上塗りしたていどだと推測できるのかもしれない。とはいえ、だからこそ、眼で見ることができない放射能汚染には、津波とちがったおそろしさがある。ほとんど人間の手を寄せつけないまま今も残されているシレトコの貴重な森と海、そして動物たちの営みに、東京から訪れたわたしは、大震災以来はじめて、ほっとさせられていたのだ。なのに、そこもまた、今度の放射能汚染と無縁ではなかっただなんて。

 バスがアバシリに近づくにつれ、風と雨がしだいに強くなりはじめた。ひとりきりの客だというだけでも心細いうえに、天候の変化も不安だった。運転手に話しかけてみようかと一度ならず思ったけれど、うしろのほうの席に坐ってしまったので、動きが取りにくく、押し黙っているしかない。「エアポートライナー」などととてもスマートな名前がつけられた、でも、車体はごくふつうの特急バスで、シレトコ半島のウトロ温泉から二時間以上をかけて、メマンベツ空港にたどり着くことになっている。
 空港からウトロに向かったときにも、わたしは同じ特急バスに乗ってきた。空港のカウンターでバスの発車時間を確かめ、時刻が近づいたころを見計らってバスの発着所に行っても、他に乗客らしいひとはいないし、バスの運転手の姿も見えず、首をかしげながら、いったん空港の建物に戻って、トイレに行ったりして、ふたたび発着所に行ってもまだ、だれもいなかった。発車時間ぴったりになって、運転手がどこかから現れ、さらに十分ほど経ってから、釣り客らしい男ふたりがやってくると、バスはようやく発車した。
 観光シーズンが終わってしまったせいだったのだろう、特急バスを利用する客がほとんどいなくなっている。空港から来たとき、すでにそう気がつかされたのに、ウトロ温泉の旅館前にある停留所で帰りのバスを待つあいだも、あいかわらず心細さがつきまとっていた。旅館には観光客が大勢宿泊していた。アジア系の外国人が多かった。団体客は観光バスに乗ってくるし、個人客はレンタカーを利用して、ウトロまで来るようだった。とはいっても、わたしのほかにひとりやふたりぐらい、同じバスを待つひとはいるだろう、そう勝手に期待していた。本当にたくさんのひとたちが、旅館に泊まっていたのだから。
 停留所にぽつんと立っていると、風に乗せられた小さな雨つぶが容赦なく体を打ち、濡らしていく。まわりには、旅館の建物以外に大きな建築物がなく、灰色のひろい空ばかりが眼に映る。九月の下旬にさしかかった時期なので、風はかなり冷たい。停留所は、旅館の建物から少し離れた場所にあった。できることなら、雨を避けて建物のなかでバスを待ちたいと思ったけれど、そうするとせっかくやって来たバスが乗客はいないものとかんちがいして、走り過ぎて行ってしまうかもしれない。それが心配で、停留所から動けない。一日に一度だけ、バスはこの旅館の客を拾いに来てくれる。旅館の玄関を恨めしげに見つめながら、雨混じりの風に吹かれてたたずみつづける、すでに六十歳を過ぎ、しょんぼりと疲れた風情の女の姿が、二年後のわたしの脳裡に遠く浮かぶ。どうして、こうも遠く感じてしまうのだろう、ごく最近の記憶だというのに。
 前の日の同じ時間、わたしはガイドの若いアイヌ青年とふたりで、エコツアーと称するトレッキングを楽しんでいた。その姿は、さらに今のわたしから遠い。距離の遠さもあるけれど、シレトコとアバシリでの時間はもっとむかしの記憶の大波にさらわれてしまっている。だから、なのだろうか。いくつもの記憶の領域があって、なかには、自分からできるだけ近づきたくない領域がある。その領域が向こうから迫ってくる。大きな波のように。
 近づきたくなかった記憶の大波のなかにたたずむわたしは、なにを見届けたというのだろう。あなたは、いったい、なにを見たの? 二年後のわたしは、そう問いかけずにいられない。

 前の日、理想的にシレトコの空は青く晴れ渡り、内陸の森は静まりかえっていた。およそ半年前に、シレトコの上空を放射能雲が通りすぎていった事実をまだ知らずにいたあなたは、サッポロに住む知り合いの紹介で、青年にガイドを頼んだ。サッポロでの「脱原発デモ」に参加しはじめているその知り合いは、以前、シレトコのエコツアーをアイヌのひとたちとともに企画したとのことで、これが評判いいんですよ、機会があったらぜひ参加してやってください、とあなたに勧めつづけていた。用事でサッポロまで行ったついでに、あなたは思い立って、メマンベツ空港へ飛ぶ飛行機に乗った。
 青年も前はサッポロに住んでいたが、知り合いに声をかけられ、試しにウトロでエコツアーのガイドをはじめてみた。するともう、都会生活に戻る気がしなくなって、兄と妹、そして母をも呼び寄せ、ウトロに定住した。ガイド業のほかに、家族みんなで彫刻や刺繍もするし、それまでほとんど知らないままでいたカムイ・ユカラをも取り戻そうとしている。
 ──我流ですけどね。アイヌ語はぼくの母ですら断片的にしかわからないという始末だから、簡単なことではないです。彫刻にしろ、刺繍にしろ、アジアのどこかで作らせた安物が出まわって、ちっとも売れません。でも、ここでは生活費はあまりかかりませんから。
 静かな性格らしい青年はひとりごとのようにつぶやいた。あなたの年齢を思いやったのか、まあ、ゆっくり行きましょう、足もとがわるいから、気をつけて歩いてくださいよ、疲れたらそう言ってください、むりしないで、と森に入る前、青年は何度もあなたに言い聞かせた。森での振る舞いについてのレクチャーと、嗅覚がすぐれているヒグマを寄せつけないため、飴など甘いものを持っていないかどうかの荷物検査も受けたあなたは神妙にうなずき返した。
 エゾシカが、そんなあなたたちのそばをたくさん歩きまわっていた。ときに、うるさくて追い払わずにいられなくなるほど。増えすぎたエゾシカが森をだめにするので、困った挙げ句、人間の手であるていど駆除して、その肉をみんなで食べることにした、という。
 ──けっこうおいしいです。せめて、ぼくたちがおいしく食べてあげなくちゃね。
 自分の携帯に保存したヒグマの子どもの写真も、青年はあなたに見せた。
 ──ひょっこり顔を突きあわせることになって、こっちもびっくり、あっちもびっくり、でたがいに動けなくなりました。でも、ぼくがふと思いついて携帯で写真を撮ってやったら、大あわてで逃げていきました。これが証拠写真、というわけです。おびえさせないかぎり、ヒグマは決して攻撃的な動物じゃないですよ。ほら、かわいいでしょう?
 青年はそれから、ノックルンカのカムイ・ユカラを、ちょっといい加減なところがあるかもしれないけど、と弁解してから、歌詞を日本語に直しつつ、あなたに教えた。津波が来るからとにかく早く逃げなさい、という内容のカムイ・ユカラは、ほかにもいくつか伝えられているらしい。青年のカムイ・ユカラは流暢とはとても言えず、棒読みに近かったものの、柔らかい静かな声は森の静寂に溶けこみ、あなたはノックルンカの話にすっかり引きこまれた。

  ノックルンカ 崖のうえの村にも
  ノックルンカ 波が打ちつけ破壊し、
  ノックルンカ 崖の下の村は
  ノックルンカ 沖に流された、……
  ノックルンカ あの老いた巫女は
  ノックルンカ 家の屋根に乗って
  ノックルンカ 夜も
  ノックルンカ 昼も
  ノックルンカ 泣いてばかりいて、
  ノックルンカ はるかな海面を
  ノックルンカ 遠い海上を
  ノックルンカ 漂流していたが、
  ノックルンカ 死にもしない……

 三時間以上かけて森を歩き通せるのかどうか、内心あまり自信がなかったけれど、たいした疲労もなく、あなたはぶじ、エコツアーを終えることができた。森のなかでは始終きょろきょろしつづけていたにもかかわらず、ヒグマをどこにも見つけられなかった。
 旅館まで青年が車であなたを送ってくれた。あなたは青年に、エコツアー、とてもすばらしかったです、充分に楽しませてもらいました、と感謝の思いを告げた。青年は微笑を浮かべ、それじゃ、良い旅を、と言い、あっさりと車で去っていった。東京から気まぐれに訪れた和人の観光客のひとりであるあなたと、そのあなたをエコツアーに案内するガイドである青年とのあいだで、その立場を超える話を交わせるはずもなかった。ノックルンカの歌を和人のあなたに教えたことが、せめてもの青年の好意だったと受けとめるべきなのかもしれない。サッポロに住む共通の知り合いから、和人のあなたがカムイ・ユカラに関心があると聞かされていたのだろうから。けれど、和人のあなたにとってのカムイ・ユカラは、青年にとってのカムイ・ユカラと、おそらく、まったくちがうひびきを伝えるものだったろう。

 旅館近くの店であなたはラーメンを食べ、部屋で少し休んだあと、今度は歩いて観光船の乗り場に向かった。陸路ではシレトコ半島の突端に行くことができないと言われ、せめて船から突端を見届けておきたいと、あなたは願った。学生のころ、登山用のリュックを背負った春さきのひとり旅でアバシリまで行きながら、交通の便がわるすぎて、シレトコ半島に近づくのはあきらめるしかなかった、その心残りを、あなたはまだ忘れられずにいた。
 バス停とちがって、船の乗り場には、観光客がそれなりに集まっていた。乗船する前に、あなたは酔い止めの薬を飲んでおいた。いよいよ船に乗ってみると、陸地から離れてしまうおびえに身がすくむ一方、海のひろがりへの期待に胸が躍る。観光船はあなたが思っていたよりも大きく、そして揺れた。船着き場が遠ざかると、風が強くなった。海風の冷たさに、ほとんどの客が青ざめた顔で甲板から船室に入ってしまった。船酔いで苦しみはじめるひとたちもいた。船室に閉じこもっていると、海がよく見えなくなってしまうので、寒いのをがまんして、ときどき甲板に出ては、またあわてて船室に戻って体温を取り戻すことを、あなたはくり返した。
 波は大きくうねり、あくまでも澄んだ藍色に海はかがやいていた。黒い体のイルカたちが船から離れた場所で跳ね遊び、岸辺では、数頭の子連れのヒグマがサケを探しているのが見えた。以前は、ここに数えきれないほどのアザラシやアシカが戯れていたのかもしれない。あるいは、クジラだって、シャチだって、セイウチだって、ラッコだっていたのかもしれない。
 寒さにかじかみながら、あなたはさまざまな海獣と海鳥でにぎわう藍色の海を思い描いた。サケは今も海から川を遡上してくるらしいが、むかしはもっとたくさん、あきれるほどの量のサケが泳いでいたのだろう。陸地には、今は絶滅してしまったエゾオオカミもうろついていたはず。森では人間の村を守護する神とあがめられるシマフクロウが金色の眼をひからせ、空には、オオワシやオジロワシが悠然と滑空し、早春の時期ともなれば、オオハクチョウとかタンチョウヅルもあちらこちらの湿地帯に飛んできて、にぎやかにその鳴き声をひびかせていたのだろうか。

  ノックルンカ (老巫女の)泣く声が
  ノックルンカ 神々ことごとく
  ノックルンカ うるさくてたまらず、
  ノックルンカ そのゆえに
  ノックルンカ 神々は会議を開き
  ノックルンカ つぎのように決めた、……

 あなたひとりを客として乗せた特急バスは、真横に降りつけてくる雨のなかを進みつづけた。灰色の空は明るいままなので、雨つぶが金属のように白くひかって見える。
 アバシリ駅が近づいていた。あなたはメマンベツ空港まで行くつもりで、バスに乗った。天候もわるいので、時間はまだだいぶ早いけれどまっすぐ空港に行ってしまい、キャンセルが出ている便があれば、それに乗れるだろうし、そうはいかなくても、空港内の小さなレストランで食事をしたり、居眠りをしたりして時間をつぶせばいい。そう、思っていた。けれどいよいよアバシリ駅が近くなってくると、体が落ち着かなくなった。アバシリ駅でこのバスを降りたら、なにが起こるんだろう。なにも起こりはしない。駅からだと、空港までタクシーに乗ってもたいした金額にはならない。最悪の場合でも、飛行機のチケットは捨てて、駅から列車に乗ることもできる。でもたぶん、そんなことにはならずに済む。
 迷いつづけていたあなたは、思いきって降車ボタンを押した。ナイロンのボストンバッグを抱え、バスの前のほうに移動する。駅の周辺は車の数が多く、レインコートを着たひと、傘で自分の頭を守るようにしてあわてて走るひとの姿も見える。あなたはなにがなし、ひとの姿にほっとして、バスを降りた。とたんに、雨混じりの風に打たれる。小さな折りたたみの傘など役に立ちそうにないので、横なぐりの雨に打たれながら大急ぎで走った。まず、幅の広い階段を登らなければならなかった。雨をさえぎるものはなにもない。それから、駅構内を目ざして走る。バス停から、駅舎は遠かった。
 駅舎内に走りこんだとき、すでにずぶ濡れになっていた。一息ついてから、さて、どうしようか、とあなたはとまどった。トイレに行き、雨に濡れた頭や体を大ざっぱに拭いてから、構内をひとまわり歩いてみた。りっぱな建物ではあるけれど、さほど広くない。列車の利用客で、構内は案外にぎわっていた。地元のひとたちばかりのようで、旅行客は見当たらない。改札口の脇にある喫茶店に入り、カレーライスを注文する。メニューに書かれたご飯ものはそれしかなく、サンドイッチはまだ用意できていない、と店のひとに言われた。時計を見ると、まだ、昼の十二時前の時刻だった。
 構内に置いてあった観光案内のパンフレットを見ながら、ゆっくりとあなたはカレーライスを食べ、食後のコーヒーも飲んだ。いくらゆっくり過ごすつもりでも、狭い喫茶店で一時間以上ひとりで居すわりつづけることはむずかしい。外の風雨はかえって激しくなっている。といっても、本物の台風ほどの勢いがあるわけではない。タクシーに乗って、観光案内のパンフレットで知った北方民族博物館を時間つぶしに訪れてみよう。あなたは思いつき、喫茶店を出て、タクシー乗り場に向かった。さいわい、バス停とちがって、タクシー乗り場は駅舎に寄り添う場所にあった。

 アバシリという土地は、あなたにとって二十六年ぶりで、当時、北方民族博物館はまだ存在しなかった。二十六年という年月は、ひとりの人間が生きる時間から考えても充分に長い。そういえば、アバシリヘの入り口であるメマンベツ空港の建物も建て替わっていた。新しい建物になっても、ごくつつましいたたずまいであることには変わりがなかったけれど。
 二十六年前のあなたはまだ若く、八歳になったばかりの、ダアと呼んでいた子どもを連れて、アバシリを訪れた。東京での年上の知り合いがメマンベツに別荘を建てた、と聞いていたのが、二十六年前の夏、どんなきっかけがあったのか、あなたはアバシリにダアを連れていきたくなり、知り合いに頼んで、その別荘に泊まらせてもらうことになった。「別荘」というから、少しはおしゃれな建物なのかと期待していたのに、実際に行ってみると、広大なビート畑のはじっこに建てられたあまりに簡素な小屋だったので、あなたは落胆させられた。ビート畑が広かったので、よけいに小屋を小さく感じたのかもしれない。
 そうだったっけ。雨のなかを走りだしたタクシーのなかで、あなたは思い当たった。今まで忘れたままでいた。忘れたいと願って、忘れたふりをしてきた。あなたが自分の子どもと出かけた最後の夏休みの旅行だったから。その旅行を、ダアはとても楽しんでいたから。
 時間が流れるとよくひとは言うけれど、生きている人間がそのような流れを実際に見届けることはできない。現在がどこまでもつづき、現在しか見えず、背中のうしろには、いつもなにかがうごめいているのを感じつづけ、けれど振り返れば、そんなものはすっと消えてしまう。なにひとつ、現在のあなたの手もとに取り戻せない。
 それでも折りに触れ、思いがけないところから、たとえば頭上から、あるいは足もとから、あなたを窒息させようとする記憶の波が押し寄せてくる。あなたは身動きできなくなり、一瞬、現在を見失う。その波はあなたにとって苦痛でありながら、喜びでもあった。喜びが大きければ大きいほど、苦痛の波も大きくなる。その大波に圧倒されて、悲しみという感情がいつまでも見つからない。あなたは三月の津波の報道から、そんな記憶の大波を感じつづけていた。
 ──あのう、ジャッカ・ドフニが去年、閉館になったそうですね。
 窓を叩く雨に見とれているうち、ふと思いついて、あなたはタクシーの運転手に話しかけた。前の年、新聞でその記事を見つけたとき、ああ、またひとつ、消えていくものがある、とあなたは東京で肩を落とした。
 ──ああ、ジャッカ・ドフニですか。お客さん、よく知ってるね。
 運転手はうしろのシートに坐るあなたをちらっと振り向き、いかにも残念だという声を出した。それで、あなたは話をつづけるつもりになった。
 ──ずっと前に、行ったことがあるんです。小さいけど、とてもすてきな資料館だった。どうしてもつづけられなかったのかしらねえ。ゲンダーヌさんとも、そのとき、お会いして、親切につきあってくださいました。
 ──お、ゲンちゃんかあ。なつかしいね。いや、いつもあのひとをゲンちゃんって呼んでたから。ゲンちゃんが死んじゃって、さびしくなったよ。おれたち、友だちだったからね。ジャッカ・ドフニに行っちゃあ、よくいっしょに時間つぶしをしてたんだ。
 あなたはびっくりして、運転手に問い返した。
 ──まあ、そんなに親しかったんですか。
 運転手は前を向いたまま、何度もうなずいた。
 ──日本名は北川源太郎さんでしたよね。ウィルタ名はゲンダーヌさんだから、どっちにしても、ゲンちゃんになるんですね。子どもに優しくて、すてきなひとでした。
 サハリン少数民族のウィルタであるゲンダーヌさんが、あなたの子どもにほほえみかける顔を、脳裡にたぐり寄せながら、あなたは答えた。と同時に、ジャッカ・ドフニの前庭に建つ、トドマツの樹皮で作られた円錐形の「カウラ(夏の家)」の入り口に顔をのぞかせて笑うあなたとダアの写真も浮かびあがってくる。あなたが選んで、ダアの遺骨をおさめた納骨堂に置いた写真だった。ダアひとりが写っている写真ではさびしすぎると感じ、母親のあなたもいっしょの写真を選んだ。
 納骨堂に行き、コインロッカーそっくりな扉を鍵で開けると、その写真がいつもあなたを見つめ返す。べつの写真に替えることは簡単なはずなのに、いったん、そこに置いてしまうと、納骨堂の一部になってしまったようで、取り替えようと思いつきもしないまま、三十年近く経ってしまった。その写真を撮ってくれたひとが、ジャッカ・ドフニの主ゲンダーヌさんだった。それから七ヶ月後に、ダアはあなたの時間から消え去った。
「ジャッカ・ドフニ」は、トナカイ遊牧民ウィルタの言葉で、「大切なものを収める家」という意味になる。その前庭に建つカウラで撮られたあなたたちの写真がダアの遺骨を守りつづけてくれている、だから、東京湾が見える丘のうえにあるその納骨堂もまた、「ジャッカ・ドフニ」と呼べるんじゃないか、そう、あなたは考えたくなる。
 今から二十六年前の夏、あなたたちが訪れたとき、まだ新しいトドマツ材のにおいがしていた。「アウンダウ(冬の家)」を模した建物がジャッカ・ドフニの本館で、といっても、拍子抜けするほどつつましい広さで、部屋の真ん中にはウィルタ式──それはアイヌの形式とも共通しているけれど──の大きな囲炉裏が切ってあった。壁際には、木彫りの守り神や木幣、満州族の服に似た民族衣装、楽器、トナカイたちに曳かせるソリ、手作りの生活用品などが、一見無造作に置かれていて、ダアはおもちゃの家に迷いこんだとでもかんちがいしたのか、すっかりはしゃいで、貴重な陳列物に手を伸ばそうとしたり、囲炉裏のまわりをぐるぐる走ろうともする。あなたはダアの体を必死で抱えて、だめよ、静かにしてなさい、と小声で叱りつづけなければならなかった。
 いいんですよ。
 男性の声が不意に耳に入った。見知らぬ中年の男性がいつの間にか、あなたたちのすぐ近くに立っていた。
 そこら辺に置いてあるものには、どんどん触ってください。ここは、そういう方針なんです。……ねえ、触りたかったら触りなさいね。
 男性はダアにも語りかけた。低い声で、そっとささやきかけるように。ダアはとまどって、その顔を見あげた。ダアの頭を撫でるようなことは、男性はしなかったし、それ以上のことも言わなかった。
 あ、ありがとうございます。すみません、この子、そそっかしいもので。あのう、失礼ですが、ゲンダーヌさんですよね。ジャッカ・ドフニにこうして来られて、うれしいです。それにゲンダーヌさんともお目にかかれて。
 こんな言葉を、あなたは思わず口走ったのだったろうか。正確には思いだせない。あなたはなにかを語りかけ、それで男性がゲンダーヌさんだと確認できた、という記憶だけは残されているのだけれども。ゲンダーヌさんはごくふつうのシャツにズボンの姿だったと思う。小柄なひとだったのか大柄なひとだったのかも、あなたにはわからなくなっている。それでもゲンダーヌさんの寡黙で、やわらかな表情に、あなたがほっとさせられたのは、はっきり思いだせる。
 ゲンダーヌさんの日焼けした顔を、あなたは何年も前、ウィルタの文化資料館「ジャッカ・ドフニ」の完成を告げる新聞記事で見知っていた。その後、ゲンダーヌさんについて書かれた本を見つけ、それも読んだ。本を作る仕事をあなたはしていたので、日々手にする本の数だけは多かった。その夏たまたま、ダアの夏休み旅行としてアバシリまで行くことになったので、あなたはジャッカ・ドフニを思いだし、それから本を読んだのかもしれない。
 サハリン島の南部が日本領だった時代に生まれたゲンダーヌさんは、日本の特務機関によって現地召集され、ソビエトとの国境付近の偵察などに従事し、戦後、スパイ幇助の戦犯としてシベリアのラーゲリに計十年近くも収容された。正式に釈放されてから、先に兄が日本に引き揚げていた事情もあり、ふるさとのサハリンには戻らず、日本への引き揚げ船に乗り、「日本人」の北川源太郎となって、アバシリに住んだ。それから、日本政府に軍人恩給の請求をつづけたけれど、正式の軍人ではなかったという理由で受け入れられなかった。ゲンダーヌさんの存在は、そのことでも知られていた。
 以前、日本人が樺太と呼んでいたサハリンの少数民族がさんざん戦争に利用されたあげく、正式な日本兵とは認められないままでいる、との事実を知り、戦後に生まれた世代のあなたは驚かされたし、国っていい加減なものだなあ、とあきれていた。ゲンダーヌさんによれば、当時の南樺太では六十名ほどの少数民族が「召集」され、うち五十名がシベリアで命を落としたが、その名前は抑留死亡者名簿に記されてすらいないという。ウィルタの女性たちは輸送用に編成された「トナカイ部隊」の飼育係として駆りだされた。
「キリシエ」とウィルタのことばで呼ばれる少数民族戦没者慰霊碑にも行ったことを、あなたは不意に思いだす。キリシエについては、ジャッカ・ドフニに行ってからはじめて知った。おそらく、今あなたが向かっている北方民族博物館が建つ丘のどこかに、それはあったのではないだろうか。ついでに見届けておきたいと思うけれど、横なぐりの雨のなか、あなたはキリシエについてまで運転手に切りだす気になれない。
 その日、夏休みだったにもかかわらず、見物客はあなたたちしかいなくて、ジャッカ・ドフニのなかは静かだった。展示室の隅、あるいはべつの小部屋にだれかがいるのは、はじめからぼんやりとわかっていたものの、まさかそれがジャッカ・ドフニを作った当のゲンダーヌさんだとは思いつきもしなかった。不意を突かれ、あなたも、ダアもすっかり恐縮し、遠慮する気持がかえって強くなってしまった。ダアは忍び足で神妙に歩きはじめ、ときどき、これでいいの、と問いかける顔で、ゲンダーヌさんを振り向いた。そのたびに、ゲンダーヌさんは微笑とともにうなずき返す。すると、ダアは安心したようににっこり笑う。展示品に触ってもいいとせっかく言われたのに、ダアがこわごわ手を伸ばしたのは、柄の長い弦楽器、そして木の皿ぐらいだった。
 ゲンダーヌさんは黙って、あなたたちを見守っていた。壁の写真とか地図の前に立ったとき、なにか説明をしてくれるかな、とあなたはちょっと期待したけれど、あいかわらずゲンダーヌさんはにこにこ笑っているだけだった。
 そしてあなたたちは靴を履き、外に出て、前庭に建つカウラに入ってみた。そこにはなにも展示品はなく、そのぶん、あなたには気楽だった。外から見るよりもなかはひろくて、涼しかった。緊張から解放されたダアは弾んだ声で言った。この家に住みたいな、住めたらいいね。そして、外に出たがらなかった。あなたが先に出ると、暇をもてあましている風情のゲンダーヌさんがそこに立っていた。子どもが気に入っちゃって、なかなか出てこないんですよ。あなたは弁解じみた口ぶりで言い、カウラの入り口からなかをのぞいて、ダアを呼んだ。
 さあ、もう行かないと。
 ダアは入り口まで来て、あなたにせがんだ。
 じゃあ、ここがぼくたちの家って見えるように写真を撮って。ぼくたち、ここに住んでいるんだって、ショウコにするんだ。お母さんもここに来てよ。お客さんが来て、こんにちはって、ぼくたちが挨拶してる写真にしようよ。
 それを聞いてあなたは笑い、バッグから小さなカメラを取りだし、そしてとまどった。だれかほかのひとに頼まなければ、ダアが期待するような写真は撮れない。
 わたしが撮ってあげましょう。
 あなたが持つカメラに手を差しだし、ゲンダーヌさんが笑いを含んだ声を出した。
 え、でも……。
 ためらうあなたの手からなかば強引にカメラを奪い取り、ゲンダーヌさんは左手であなたをカウラのほうに追いやるしぐさをした。あなたは、すみません、すみません、と言いつつ、カウラの入り口に戻り、待ちかまえていたダアと並んで、外のゲンダーヌさんに向かって笑いかけた。ダアは右の手で、Vサインを作る。
 はい、撮りますよ。いいですか。
 ええ、お願いします。
 そして、カメラのシャッターが押された。

  ノックルンカ (老巫女は)あまりにも
  ノックルンカ 人間の国を
  ノックルンカ 離れがたく
  ノックルンカ 思えるようなので、
  ノックルンカ つぎのごとく我ら取り計らって
  ノックルンカ セミに身を変えてやり……

 タクシーの運転手はのんびりした大きな声でしゃべりつづける。車の外では雨つぶが激しく跳ね飛び、窓からはほとんどなにも見えない。それでも、目的地の北方民族博物館にはまもなく到着するのだろう、とあなたは予想する。手描き風の地図が載っている観光用パンフレットには、北方民族博物館は天都山という名前の丘のうえに建っていて、駅から路線バスで約十分と書いてあった。パンフレットには、キリシエについても書かれていたのだろうか。あなたは確認することを忘れていたし、パンフレットは喫茶店に置いてきてしまった。
 ──ほんと、ゲンちゃんが死んだとき、あんまりあっけなかったもんだから、びっくりしちゃったよ。せっかく、念願のジャッカ・ドフニができて、いいひとと結婚もできたばっかりだったのにね。
 ──ええ、たしか脳溢血でしたっけ。早く死ぬひとはそれだけ神さまに愛されていたっていうけど、……そう言われても、納得なんかできませんよね。
 あなたは言いながら、運転手の頭やうなじを注意深く見つめ直した。ゲンダーヌさんは昭和のはじめごろに生まれたというから、もし生き長らえていれば八十代なかばの年齢になっているはずなのに、このひとはせいぜい、あなたと同じぐらいの年ごろにしか見えない。二十歳も年が離れていたって友だちになれるのだろうし、ここは東京ではなくアバシリなので、人間関係が濃密なのかもしれない。あなたは自分を納得させようとした。アバシリでタクシーを運転していれば、観光客を案内する機会が多く、それでジャッカ・ドフニの館長であるゲンダーヌさんと親しくなった、ということなのだろうか。
 二十六年前のあなたはゲンダーヌさんとほんの少しだけ接し、あなたの子どもに向けられたそのまなざしに、感謝したい思いに駆られていた。父親は存在するけれどいっしょに暮らせないという事情の子どもをひとりで育ててきたあなたは、やはり、孤立感をいつも引きずっていて、周囲に対してひがみが強くなっていたのかもしれない。自分の子どもを見るひとびとの視線、とりわけ男性の視線に敏感に反応してしまうところがあった。子どもを心から受け入れ、愛しがってくれている、と感じとれば、行きずりのひとであれ、それだけで深い安堵に包まれ、ありがたく感じていた。あなたにとって、ゲンダーヌさんもそのひとりなのだった。
 寡黙なゲンダーヌさんがこの二十歳も年下の男性とおしゃべりを楽しむ姿なんて、なんだか想像しにくい。あなたは怪訝な思いを残しつつも、ひとりごとのように話をつづけた。
 ──わたしたちが以前、ここに来たとき、田川さんというタクシーの運転手さんにずいぶんお世話になったんですけど、ひょっとして、そのひともご存じですか? 下の名前は思いだせない。でも亡くなったのかもしれないですね。あのころでもう、いいお年になっていたんですから。
 ──いや、田川さんなら知ってるよ。うん、あのひとはまだ生きている。肝臓の病気で入院してる。だいぶ、わるいらしいけど。病院も知ってる。ときたま、見舞いに行くからね。
 ──ほんとですか?
 自分から聞いておいて、あなたは思わず、疑いの声をあげてしまった。
 ──ほんと、ほんと。入院してからもう、かなりになるねえ。あのひとはおれらの大先輩だから、ここじゃ、けっこう有名なんだ。
 ──今じゃ相当なお年ですよね。
 ──うん、もちろんおじいさんだけど、いったい、いくつになるんだろう。
 ──もう九十歳を越えているのかも。だって以前、お世話になったとき、田川さん、すでに六十代になっていたはずですから。
 あなたが言うと、運転手はうなずいた。
 ──そうかね、九十過ぎまで生きればりっぱなもんだ。あのひとがタクシーの運転をはじめたころはまだ、乗用車もあんまり見かけない時代で、大いばりだったっていうんだから、今じゃ信じられないね。そうか、するとお客さんが以前、アバシリに来たっていうのは、三十年近くも前のことなんですか。それにしちゃ、いろいろよくおぼえてるもんですね。ゲンちゃんが死んでからだって、ずいぶん経つもんねえ。ジャッカ・ドフニができたのは、たしかおれが結婚した年だったよ。遅めの結婚で、おれはちょうど三十歳だった。えーと、そうすっと七八年だったんだね。それからたった六年でゲンちゃん、死んじゃって、さぞ心残りだったろうね。でも、田川さんはまだ生きてるんだから、お客さん、会いたければ、連れていきますよ。
 ──ええ、……いえ、でも……。
 頭の整埋がつかないまま、あなたが口ごもっているうちに、タクシーは急な坂をのぼりはじめ、そして唐突な感じで停車した。窓の外が白い雨で包まれていて、車がどんな場所を走っているのか、あなたにはほとんどわからないままだった。
 ──さあ、博物館に着きましたよ。ここで待ってるから、あとで病院に行きましょう。なに、すぐ、そこだから。
 あなたはうろたえて、ショルダーバッグから財布を取りだしながら、運転手に言った。
 ──でも、ご迷惑でしょうし……。
 ──そんなことない、田川さん、喜ぶよ。お客さんだってうれしいでしょ。
 ──まあ、そりゃ……、でも、あまり時間の余裕もないし……、やめときます、やっぱり。
 運転手にむりやりお金を押しつけ、ドアを開けてもらって、逃げるような思いであなたはタクシーから荷物を持って降りた。さっそく、真横に走る雨つぶに打たれる。
 運転手のほがらかな声が聞こえた。
 ──ここで待ってますよ。いいですね!
 振り向く暇もなく、あなたは大急ぎで、博物館のなかに駆けこんだ。
 タガワさあん! タガワさあん!
 ダアのうたうような高い声が、館内の天井のほうから聞こえてくる。あなたは思わず、天井を見あげた。尖った形に高く伸びるガラスの天井に、もちろん、ダアの姿など見えない。あなたは息をつき、チケット売り場でチケットを買うついでに、荷物を預かってもらった。予想以上に本格的な博物館で、チケット売り場がある入り口のホールでは高すぎる天井のせいか、威圧感さえおぼえた。
 あのタクシーはあきらめて帰ってくれるだろうか。あなたの頭は混乱しつづけていた。田川さんと再会できるなんて、そんな貴重な機会を逃してもいいんだろうか。今さら後悔しても、タクシーはもういなくなっているだろう。いや、きっと待っている。運転手には、病院行きをあきらめる理由はないのだから。そもそも、田川さんを知っているというのは本当なのだろうか。あまりに偶然が重なりすぎないだろうか。実際には同業者同士のうわさでちょっと知っているだけで、ゲンダーヌさんについても、かなりの誇張があるのかもしれない。それに、ああ、そうだ、運転手が言っているのはべつの田川さんだという可能性だってある。苗字しかわからないのだ。うっかり見舞いに行って、べつの田川さんだったら、どれほど困った事態になるだろう。
 六、七人の女性と子どもたちのグループが、入り口の広いホールに作られた小さなスペースで、にぎやかに笑いながら、なにかを作っていて、完成したその品でさっそく遊びはじめる子どももいた。ヨーヨーのような玩具だった。どこかの少数民族に伝わる玩具なのかな、とその一隅を横目で見やりながら、展示室に通じる湾曲した廊下を進んだ。青い光に通路は照らされていて、あなたの体はふらふらする。さっきのひとたち以外には、来館者がいないようだった。ここまでわざわざタクシーで訪れたのだから、展示をちゃんと観ないわけにはいかない。あなたは進路にしたがって、歩きつづけた。
 よく磨かれたガラスのケースのなかに整然と展示されているさまざまな「北方民族」の衣装、手袋、靴、それに民具、楽器、祈りの道具、弓矢、銛、ソリ、木製のスキー、オホーツク文化の土器。すべてが静かにガラスのケースにおさまっていた。ほかの部屋には、雪を模した白いもののなかに作られた竪穴住居が再現され、アメリカ大陸の大きなトーテムポールも立っている。いろいろなタイプの舟もあった。あちこちで白黒のビデオの映像がひっそりと流されている。シベリアのツンドラで見つかったというマンモスの複製もあった。
 あなたはビデオから聞こえてくる歌声を聞き、どこかのシャーマンらしきひとの踊りを見た。トナカイの群れが雪原を走る風景も見た。雪煙が舞いあがり、トナカイたちの大小の角がそのなかで、濃い灰色、薄い灰色にかすんで見える。本当は、角なのかどうかもわからない。ただ、濃淡のある灰色の影が雪煙のなかを見え隠れし、波打つのが見えるだけで、それがなにかのまぼろしのように美しい。犬ゾリに乗ったひとびとも映像に現れる。ああ、これはビデオの小さな四角い画面なんかで見るべき風景じゃない。あなたはうろたえ、めまいをともなう疲労を感じながら、画面をのぞきつづけた。
 ゲンダーヌさんはトナカイ遊牧民のウィルタではあるけれど、昔ながらのトナカイの遊牧を経験することはできなかったのではないか。疲れたあなたはベンチを探し、腰をおろした。色鮮やかないくつもの民族衣装や生活用品などとともに、巨大な墓場の底に閉じこめられてしまった、という息苦しさに、あなたの背中は自然に深く曲がっていく。きのうのエコツアーでの元気はすっかり消え失せていた。この博物館がどんなにりっぱでも、ジャッカ・ドフニをもはや取り戻すことはできない。
 幼いころ、ゲンダーヌさんは家族とともに、丸木舟で川を渡って、日本人が用意した少数民族のための居留地「オタスの杜」に移り住んだ。日本の役所が決めたことだった。日本語を教える「土人教育所」に、子どもたちは通わされた。その学校では、北川源太郎なる日本名が待ちかまえていた。それでも、トナカイは飼われつづけていたし、ゲンダーヌ少年は春さきのアザラシ猟を、養父となった伯父から教わった。おとなの男たちは、冬には山に入って、テンやクマを捕り、夏場には川のサケ、マスを捕っていた。そうした生活のなかで、ゲンダーヌ少年はウィルタ語を使いつづけ、ウィルタとしての生き方も身につけていった。一方で日本語を使う「軍国少年」になってはいたけれど。
 オタスの杜にはウィルタのほかにも、アイヌなどの少数民族が集められた。ことばにしろ、生活様式、宗教観にしろ、それぞれのちがいをたがいに尊重しながら、オタスの杜に住んでいた。でも、トナカイ遊牧民はウィルタだけで、それはきっと、ウィルタのひとたちにとって大きな誇りだったにちがいない。ツンドラに生えるトナカイ苔などの地衣類を食糧とするトナカイは、ウィルタの命を守ってくれる天からの授けものだったし、トナカイとはツンドラそのものであり、ウィルタであり、すべて自然界に循環する生命だった。
 それにしても、和人のあなたには、民族とはどういうものなのか、よくわからないままだった。意識しなくても困った羽目にはならないから、だったのだろう。気がつけば日本語を使っていて、日本列島に住んでいて、日本の習慣をいつの間にか教えこまれ、日本の名前を名乗り、両親も祖父母も同じように日本に生まれ、日本語を使ってきた。いなかの山里に生まれ育ったから、都会のひとにそのいなかことばを笑われ、「山猿」呼ばわりされることはあったにしても、「土人」とまでは呼ばれなかった。たぶん。家族のだれもまったく知らなかったことばを学校で教えこまれることも、異質な生活習慣を押しつけられることもなかった。日本に住んでいるから日本人なんだと、あなたは愚かにも思いこんでいた。
 戦後、アバシリに住むようになってから、ゲンダーヌさんは「土人」ということばになによりもおびえつづけたという。「土人」だと知られたくなくて身を縮めていた。「土人」だから結婚できない、と長いこと、悩んでいた。そんなおびえを、和人のあなたはどのていど想像できただろう。でも、ダアがどこかに消えてしまってから、ほんの少しは、そのおびえに自分が近づけたような気がした。
 母子家庭の子どもは死亡率が高いだなんてひどいことを、まことしやかに新聞で書くひとがいるのよ。
 ダアがいなくなったあと、あなたはダアの父親に言ったことがある。ひどいよね、そんなはずないのに。あなたはつづけて訴え、同意してもらいたかった。けれど、ダアの父親はあなたのことばを最後まで聞かずに、なにげなくつぶやき返した。
 母子家庭の子は、そりゃ、そうなんだろうね。
 あなたはそのなにげなさに、どれだけ傷つき、痛みを引きずりつづけただろう。
「土人」ということばは、原発の事故で古い過去からふたたび噴き出てきた「ヒバクシャ」ということばをも、あなたに連想させる。あなたが中学生のころ、このことばが得体の知れないおびえとともに、まわりでどれだけささやかれていたことか。原爆による「ヒバク」で実際に苦しむひとびとを置き去りにした身勝手なおびえ。被害を受けたひとたちがさらに、心理的に追いつめられてきた日本の社会だった。「ヒバクシャ」は、「ツナミ」ということばとともに日本の枠を乗り越え、そのまま国際語になっている、と聞かされ、びっくりしたこともある。日本の広い地域が「ヒバク」したいま、「ヒバクシャ」であることを自分で認められず、その事実から逃げつづけようとするひとたちが、今後増えていくのだろうか。あるいは、これから以前のような漠然としたおびえだけがはびこるようになるのだろうか。
 おいらたち和人だって、駆け落ちもんとか、うしろぐらい連中とか、食いつめもんばっかりでさ。
 田川さんがあなたに言ったことばがよみがえってくる。
 こんなとこまで逃げてきたのはいいけど、なんもわからんさ。同情したアイヌたちがあれこれ教えてくれなかったら、きっと一冬もまともに過ごせなかったね。だから、小屋も、食べもんも、なんもかも、おいらたち、アイヌそっくりに生きてたんだ。
 メマンベツからさらに山深く入った土地で生まれ育った田川さんは、そのように言った。両親は内地からの「駆け落ちもん」で、戻れるところもなし、なにがなんでも、この場所で生き延びるしかなかった。太陽が見えない原生林を自分たちでわずかばかり伐り拓き、小屋を作り、でも最初は失敗し、アイヌに教わってようやく、寒い冬にも凍えずにすむ小屋を作ることができた。いつもキツネやフクロウ、コウモリに取り囲まれていた。
 こったらもんが、そんなにうれしいのかねえ。
 真っ黒な顔で、みごとなほどの乱杭歯を見せて田川さんが珍しくにやりと笑って、ダアにプラスティックの籠を渡した。なかには、アマガエルが十匹以上もひしめいていた。
 前の日の夜、ダアがビート畑に入ってアマガエルを懸命に探しているのを見て、そんじゃ、あした来るとき、その籠に集めといてやるべ、と田川さんが言い、ダアの昆虫用の籠を持ち帰ったのだった。田川さんは早起きして、まだ寝ぼけているアマガエルを片っ端から捕まえてくれたのだろうか。ダアはそのアマガエルで田川さんを尊敬し、タガワさん、タガワさん、とつきまとうようになった。田川さんもそれで気をよくして、カブトムシやらトンボ、バッタなども集めてくれた。
 あれだけたくさんのアマガエルや虫たちは、そのあと、どうしたのだったろう。東京に持ち帰ったという記憶はないから、飛行機に乗る前に、どこかの田んぼか野っ原に放ったにちがいない。

 あなたはベンチから立ちあがって、博物館の入り口に向かった。あの田川さんと会いたい。いや、会えるはずがない。あなたの気持は揺れつづけていた。
 あなたたちがメマンベツで泊まらせてもらった「別荘」の持ち主はおいらの友だちだと言い、田川さんはあなたたちの前に現れた。実際、別荘は空港から遠く、路線バスのルートからもはずれていて、どこへ行くのにもタクシーを使うしかなかった。
 タクシーと言っても、それはどう見ても「白タク」で、田川さんはビート畑の別荘に関するかぎり、専属の運転手だと自負しているようだった。そして幼少のときの話を、客に聞かせる。大げさに言いたてている部分もあるだろうし、田川さん自身が知らない両親の事情もあっただろう。いくら「駆け落ちもん」でも、道庁か、町役場に届けなければ、土地を開拓することはできなかったにちがいない。開拓が許されたら、いくばくかの準備金がもらえたのだろうか。だとしても、生活に必要なものほとんどすべてを自分で工夫して作り、食糧を探し、原生林のなかで孤独に生き延びなければならなかった。気がつけば、アイヌのひとに教えられ、父親はクマ撃ちの名人になっていたし、子どもたちもウサギやキツネなどを捕まえる罠の作り方をおぼえていった。
 とはいえ田川さん一家は和人だったので、アイヌのように動物を殺すとき、いちいち祈りを捧げるようなことはしなかったし、アイヌのひとたちと話すとき、当たり前のように日本語を使っていた。母親は子どもたちにアイヌのおとぎ話ではなく、日本のおとぎ話を語り聞かせた。六歳になって、田川さんも地区の小学校に通いはじめたけれど、十人ぐらいしか生徒がいないその学校では日本語を教えられるだけで、田川さんにとってことばの面で困ったことは起こらなかった。校舎は田川さんが生まれてはじめて見る木造の建物だった。そこには、アイヌの子どもはいなかった。家の手伝いが忙しくて、田川さんは結局、たった二年間で学校をやめてしまった。
 昭和十年ごろになって、一キロ離れた地区に団体入植のひとたちが入ってきて、豆景気でにぎわいはじめたメマンベツの町には寺が建ち、田川さんの家でもようやくコメを作れるようになった。そして戦争になり、田川さんはアサヒカワに召集されてから、千島列島のどこかの島に送りこまれた。島の名前など、使い捨ての兵士のひとりにすぎない田川さんにはわからなかった。
 そういえば、ジャッカ・ドフニを訪れたときも、田川さんの車を使ったのだったろうか。あなたにははっきり思いだせない。田川さんとは、その日、すでに別れていたような気がする。メマンベツの別荘を離れる最後の日、あなたとダアは荷物をまとめて、まずアバシリ駅まで田川さんの車で送ってもらい、それからべつの「本物のタクシー」を使って、駅に近い郷土博物館やジャッカ・ドフニ、そしてキリシエを訪れたのではなかっただろうか。
 博物館の入り口のガラス戸は、雨つぶで白くけむり、外が見えなかった。しかも、入り口から屋根のついたアプローチが長く前に延びているので、そのさきに車が停まっているとしても、ドアを開けてみなければ、なにも見えない。
 あなたが博物館に入ってから、二時間も経っていなかった。さっきのタクシーがもし、まだ待っていたら、もう逃げることはできない。それにもし本当に、田川さんと会えるのなら、どうして逃げる必要があるだろう。あの運転手だって、わざわざウソをついてまで、田川さんが入院しているという病院まで自分から行くつもりになるわけがない。でも、とあなたは入り口ホールで迷いつづけた。本当にそのような再会があり得るなんて、やっぱり信じられない。
 今は、だれもいなくなったホールは静まりかえっていて、受付の女性たちの眼が気になった。外の風雨は強くなる一方で、新しく来館するひともいないらしい。あなたはカウンターの横にあるみやげ物コーナーをながめ、あれかこれかと悩むふりをして、それからカウンターの向こうにいる若い女性のひとりに声をかけ、預けておいたボストンバッグを引き取った。
 とにかく、博物館の外に出てみるしかない。あなたは滑稽なほど大仰に覚悟を決め、胸をどきどきさせながら、正面玄関の自動ドアを開け、外に出た。田川さんにふたたび会えるというのなら、会いに行こう。そして二十六年前の夏、ダアにアマガエルや虫たちをプレゼントしてくれたことにお礼を言おう。一歩、二歩、アプローチを進む。屋根があっても、横から白くひかる雨がさっそく飛んできて、体が濡れていく。アプローチのまわりは広場になっている。横に吹き飛ばされる雨の幕に隠され、広場を囲む緑の色がぼんやり見えるだけで、建物もひとの姿もみごとになにひとつ見当たらない。五歩、六歩。車らしい影も見えなかった。何色のタクシーだったのか、あなたはそれすらおぼえていない。
 あなたは立ち止まった。どうしてこうも緑以外なにも見えないんだろう。博物館が丘のうえに建っているため、ふだんでもここからは空しか見えないのか。遠くには、もしかしたら海も見えるのかもしれない。それとも、アバシリ湖が。
 薄い灰色の空間に、白い雨だけが風に流され、勢いよく吹き飛んでいく。白い雨のなか、キリシエがどこにあるのか、見当がつかない。車はいなくなっていた。あなたは念入りに、何度も左右を見渡す。あきらめきれず、さらにまわりを見る。そして、車がどこかからあらわれるのを待ちかまえる。本当に、あのタクシーがいなくなってしまったとは考えたくなかった。どうして、あの運転手にちゃんと待っていてくれるよう頼まなかったんだろう。田川さんに本当に会えるとはどうしても信じられなかった自分を忘れて、悔やまずにいられなかった。
 あなたは眉をひそめ、風に飛ばされる雨を見つめつづける。全身に雨つぶが当たり、メガネもくもっていく。タクシーがいないとなると、路線バスに乗るしかない。雨に濡れた顔をとりあえず片手で拭ってからようやく、現実の問題に思い当たった。バスの停留所はどこにあるのか、いったん館内に戻って、係員の女性に聞かなければならない。それとも、いっそタクシーを呼んでもらおうか。
 あなたは入り口のガラス戸を振り返った。そして、思わず、あ、と声を洩らした。運転手の言っていたことばが、一瞬の鳥のようなかたまりになって、あなたの頭をよぎった。
 ジャッカ・ドフニが完成したのは一九七八年で、ゲンダーヌさんはその六年後に亡くなったと、運転手は言った。つまり、それは二十七年前のこと。あなたたちがジャッカ・ドフニを訪れたのは、二十六年前。そんなはずはない。あわてて計算し直す。結果は変わらない。それじゃ、あれはゲンダーヌさんの幽霊だったのか。あなたは思わず、呻き声を洩らした。幽霊だなんて、あり得ない。あのときのゲンダーヌさんはごくふつうにあなたたちに近づいて、写真まで撮ってくれたのに。それとも、だれかべつのひとをゲンダーヌさんだと思いこんでいたのだろうか。でも、新聞記事や本で見おぼえのあった顔に気がつき、失礼ですがゲンダーヌさんですね、とあの場で確かめた。それすらも記憶ちがいなんだろうか。
 あえぐように、あなたは考える。あの日、ゲンダーヌさんはもう、亡くなっていた。けれど自分の作ったジャッカ・ドフニが心残りで、死んだあとも離れられずにいた。とても子どもが好きだったから、子どもが来ると、ゲンダーヌさんは姿をあらわした。できれば、そう思いたい。思わせて欲しい。
 急に寒気を感じ、あなたは身を縮めて、あとずさった。そのあなたの胸からは、さっきのタクシーが水しぶきを飛ばして、目前に現れてくれるのを期待する思いが消えていなかった。

  ノックルンカ 夏になれば
  ノックルンカ 人間の村に
  ノックルンカ 交わり暮らし、
  ノックルンカ 冬が来れば、
  ノックルンカ 神々の村に
  ノックルンカ 神々とともに棲む
  ノックルンカ べきようにしてやればよかろう。……

 大津波のあと、ひとりだけ生き残り、いつまでも泣き声をあげながら、海を漂流しつづけていた老巫女は、こうしてその身をセミに変えられ、夏のあいだだけ、なつかしい人間の村に現れ、泣き声をあげることになった。
 さて、おまえは自分の由来を知りたくて、まだ、春にさえなっていないというのに、人間の村を恋しく思うあまりに姿をあらわしてしまったのだね。でもこれで、自分がセミになったわけがよくわかっただろうから、早く天上の神々の村に戻りなさい。そして定めにしたがって、夏になるのを待ちなさい。
 ノックルンカのカムイ・ユカラは、このように閉じられる。

 九月のシレトコ、そしてアバシリで、あなたはセミの鳴き声を聞かなかった。セミはすでに、神々の村に戻っていたようだ。

 

 本作品には、一部不適切と思われる表現や用語が含まれておりますが、故人である作家の世界観や、描かれている時代性を重視し、原文のままといたしました。(集英社 文庫編集部)

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