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牛と土 福島、3.11その後。
眞並恭介

    序章 安楽死という名の殺処分

 帰還困難区域に指定された福島県双葉郡浪江町小丸の美しい牧場に、双子の兄弟牛がいる。通常なら、肉牛としての役目を果たすため、とっくに肥育農家に引き取られ、屠畜場へ送られているころだ。ところが、兄弟ははからずも生き延びて、東日本大震災発生から四年目の春をふるさとで迎えようとしている。
 周りには、毎年のように子牛を産み育て、春から秋にかけては山の放牧場、冬は里の牛舎で過ごし、これから先五年、一〇年と生きるはずの雌牛たちもいる。そのなかには双子の兄弟の母親も交じっている。彼女たちも生き延びたのだ。国が命じた安楽死処分を免れて──。
 東京電力福島第一原子力発電所の事故により、二〇一一年五月一二日、原子力災害対策本部長である内閣総理大臣・菅直人から福島県知事に指示が出た。
「(略)警戒区域内において生存している家畜については、当該家畜の所有者の同意を得て、当該家畜に苦痛を与えない方法(安楽死)によって処分すること。」
 以後、原発から半径二〇キロ圏内の警戒区域に残された家畜たちの生存の道はほとんど閉ざされた。人の立ち入りが禁止された警戒区域は、飼い主が餌やりに通うこともできない。畜舎につながれた牛たちは餓死を待つだけだったが、それでも放たれていれば自ら草を食べて生き延びられる可能性もあった。
 原発事故が発生した当初、福島県農林水産部畜産課によると警戒区域内には約三五〇〇頭の牛がいた。それが二〇一五年一月二〇日現在、安楽死処分が一七四七頭、処分に不同意の所有者による飼養継続が五五〇頭、安楽死処分と畜舎内で死亡した牛を合わせた一時埋却処分が三五〇九頭となっている。単純計算で、飼養されている牛と埋却された牛を合わせると四〇〇〇頭を超え、元の頭数よりはるかに多くなってしまうが、これはあくまでも県の畜産課が把握している数であり、事故後に自然交配で多数の子牛も生まれているため、餓死・病死などの死亡頭数が不明なことによる。
 原発事故で出現した放れ牛(野良牛)に対して行政は、二〇一四年一月二九日、最後の捕獲・安楽死処分を行った。この一年ほど前までは、警戒区域内に入ると放れ牛の姿をよく見かけた。雪が積もればいたるところに動物の足跡がつき、なかには牛らしきものもあった。その牛の姿や足跡がだんだん少なくなってきたのを感じていたが、とうとうゼロになってしまった。
 しかし、牧場の柵の内側では、今もまだ多数の牛が生き延びている。警戒区域から帰還困難区域へと呼び名は変わっても、そこが人の住めない国土、立ち入り許可証がなければ入ることもできない場所であることに変わりはない。いったい牛たちはどのようにして生きているのか。
 双子の兄弟がいる小丸の牧場は、原発の北西約一〇キロの位置にある。この牧場では冬季以外、餌として野山に自然に繁茂している草を食べさせている。鮎が棲む清流の谷間から木立の間を上っていくと、なだらかなスロープの牧場が広がり、高台の放牧場を囲む遠景の山の切れ目が、草原の地平線となって空に接している。牧場はたいてい美しいものだが、ここは自然にとびきり祝福された別天地の観がある。
 人の姿は地を掃うように絶え、辺りを支配しているのは静寂である。二〇一一年の春以降、牛たちは人間の働く声を聞いていない。土を鋤き、田を植え、稲を刈り、稲を扱く、あの機械の音も聞いていない。以前は、放牧場の丘の下や山の向こうから、人と機械の騒がしい音がしたものだ。堆肥が土と溶け合う甘やかな匂いも漂ってきた。
 かわりに、目に見えない何かがある。美しい風景とは相いれない何かが。
 見たところ、何も変わりはない。春には枯れ草の下から牧草が芽生えてきて、緑の絨緞が丘を覆う。その緑を牛が食べ尽くしても、山には雑草や樹木が十分茂っている。
 だが、何かが過剰にある。人間に歓迎されない何かが。それがどれくらいあるのかは、線量計が示している。毎時三〇マイクロシーベルト。毎時三〇マイクロシーベルトといえば、そこに一日半滞在すれば、国が一般人に対して定めている被曝線量限度の年間一ミリシーベルトを超える値だ。
 二〇一一年三月一一日から数日のうちに広大な沃野は変わってしまった。人を恐れさせるまでに放射能を帯びた大地が広がっている。そこに牛たちは生きている。双子の牛もそこにいた。
 双子の兄弟の名は、「安糸丸」と「安糸丸二号」。二頭とも、つやつやと黒光りした毛につつまれた肩や背、腰が見るからにどっしりとしている。強い足腰としっかりした肩つきで、大地につながっている。駆けだすと、丈夫そうな骨に支えられた肉が躍る。がっちりした体躯が、ふんだんに日光を浴びて十分に運動した牛であることを示している。
「安糸丸」兄弟の特徴は、堂々たる体つきだけではない。妙に愛嬌があるのだ。私が近づいていっても逃げない。おまえは何者なんだといぶかりながら、興味深そうに見ている。
 ここにいる牛たちが餌のない厳しい冬を、元気よく乗りきってこられたことには理由がある。高線量下にかかわらず、週に二回、餌やりに通ってきてくれる人間がいたからである。彼は牛たちにとって最も信頼できる、最も親しい男だ。彼がやってくると、牛たちは“お出迎え”に寄っていく。彼は「安糸丸」と「安糸丸二号」の名づけ親でもある。ひときわ大きな二頭は子牛だったころと同じように、首や背中を撫でられると心地よさそうにしている。自分が飼っていた牛二〇頭を含め、今ではこの地区の牛、約八〇頭の面倒を見なければならない男には、牛とゆっくり過ごしている時間はないのであるが──。

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