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周防 柳

   Sマート高校通り店 2014/5/5 5:00p.m.

     1

 ガラス窓の向こうが、薄青い夕闇に染まりはじめている。
 乱れた雑誌の顔を揃えながら、時計を見る。
 五時五分。
 いつもなら学校帰りの高校生や中学生が押し寄せて混みあう時間だが、ゴールデンウィーク中とあって、つねのはんぶんの入りもない。それでも部活動のために登校したらしき子や、塾に行く途中の小学生などがちょいちょい立ち寄って、菓子パンやおにぎり、から揚げなど、片手で立ち食いできるファストフードを買っていく。
 ドアが開くたびに、「らっしゃいませい」という、頭の一文字を呑んだ啓太の独得の声が響く。それにやや内気なアルバイトたちがでこぼこに応じて、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、とやまびこのごとくになる。
 店外の駐輪場には運動部らしき三人組がいて、ときおり鋭い歓声があがる。腕をこづいたり背中を叩いたりして、いかにも元気が余っている。みな坊主頭で大きなスポーツバッグを持っている。野球部かなにかか。公衆電話の脇には二人の女子高生がしゃがんで、支柱につながれた柴犬をかわいがっている。
 歩道には点々とレンガのプランターが並んでいて、白いマーガレットの花が満開だ。その手ごろな高さに座っているのは、ベビーカーに幼児を乗せた母親二人。買いもの帰りに出会って無駄話に花を咲かせているといったていである。
 通りには街路樹のカエデがきれいに葉を繁らせて、「カエデ通り」の名がある。しかし、看板に表示されたその名のとおりに呼ぶ人はおらず、みな「高校通り」と呼ぶ。

     2

 東京都の三多摩のまん中の、Kという街である。人口は七万四千人。中央線の特快の止まらぬ小さな市だが、国立大学や進学校が集まっている学園都市だから規模のわりには有名だ。長くシンボルだった三角屋根の駅舎は建て替えでなくなってしまったけれど、駅から南にまっすぐ延びる桜並木は健在で、五百メートルほど下った両側にH大学のキャンパスがある。ゆえにこの通りを「大学通り」という。
 キャンパスが尽きると直交の交差点となり、左手に交番がある。その東西の通りが高校通りで、駅を背にして左向こうに都立のK高校、右向こうに私立のT学園がある。すなわち、「高校通り」とは「大学通り」に比したあだ名なのである。
 ここコンビニSマート高校通り店は交番を左に折れ、時計店、整体院、文具店、和菓子店と続く小さな商店街の並びにある。
 メインの大通りからはずれた立地だが、大学や高校が近くにあるため安定した来客がある。駅前ではないので通りがかりのお客は少ない。学生と地元住民がほとんどだ。毎日来る子も少なくない。いまも店内店外に見覚えのある顔がいくつもある。

     3

 お客が少なければレジは一番しか開けないが、待ちの人がたまると、すかさず二番、三番と増やしていく。
 一番の増田と並んで、二番のレジに立つ。
 このとき並びをちゃんと見ていないと失敗する。お客は順番に敏感だ。抜かされると例外なく機嫌を悪くする。
「次の方、こちらへどうぞ」
 確認してから二人目の女性客をうながし、目の前に置かれたかごに目を落とす。あまり出ないドッグフードのジャーキーが入っている。ああ、表の柴犬の飼い主さんか──、と思ったとたん、ミャウのごはん、とハッとした。流し台にのぼって開いていない猫缶のまわりをぐるぐるまわっている愛猫の姿を思い描く。頭のてっぺんと口の脇にぶちのある丸顔が、不満そうにうーと鳴いている。今日は家を出るときあわてていたから、餌を置いてくるのを忘れてしまった。ごめんね待ってて、と心の中で手を合わせる。
 その次は常連の男性で、カップ酒二個と、するめゲソ一袋。毎度同じ買い物だ。それに、今日は三個入りの柏餅。
 あら珍しいと思うと同時に、ああやっと一つはけた、と思う。
 暦の上の行事や新発売の企画などがあるとき、入口に近いところにワゴンを設けて特別に商品を置く。今日は五月五日のこどもの日なので、柏餅を積んである。が、売れないまま山になって残っている。すぐ隣に有名な和菓子店があり、さっき見たら女の子たちが店頭に出て道行く人にさかんに声をかけていた。専門店のほうがおいしいし値段はたいして変わらぬのだから、こちらでわざわざ買う人はいないだろうと思ったが、案の定だ。商品に敏感な啓太ではなく、ときどき読み違える店長が発注したのだろう。そういえば、親父は雛祭りのときも失敗してた、と啓太が渋い顔をしていたことがあった。日付が変わるまでに売れるとよいが、よくてもあと一つかそこらだろう。ぜんぶ廃棄か。もったいない。
 お客が切れて隣のレジを見ると、増田もそちらを向いていて、同じことを考えていたらしい。顔を見合わせて、なんとなくうなずきあった。
 そのポジションのまま、増田に「坂井さん、具合はもういいんですか」と訊かれた。
 このところ不眠症になっていて、生活のバランスが崩れている。がんばってなんとかもたせていたが、先週末の金曜日、ついに直前に電話して休んでしまった。薬を飲んで無理やり寝て、そのまま土曜も日曜もこんこんと眠りつづけた。コンビニは計画的なシフトで成り立っているから、とつぜん穴があくと補充もできずてんてこまいになる。
「ご迷惑をおかけしました」
 頭を下げた。
 人のよい増田はさして迷惑をかけられたとも思っていないらしく、いやいやと顔の前で手を振った。
 もう一度、頭を下げた。
「ほんとに、すみません」
 今日もさっきまで寝ていて飛び起き、あわてて着替えてやってきた。三日も誰とも会わず、テレビも見ず、食事もせず眠りつづけていたら、浮世離れして浦島太郎になる。

     4

 私がK市に移り住み、このSマート高校通り店に勤めはじめたのは三カ月前のことだ。いらい週五日勤めている。
 勤務時間はおおむね夕方から深夜零時までで、六時間、もしくは七時間である。遅い時間帯を選んだのは、夜の勤務希望者が少ないから。それと、じゃっかん時給が高いため。ときにはもっと早くあがることもある。逆に、零時以降まで残ることもある。世のコンビニでは深夜の女性勤務を不可としているところもあるが、この店では働く側が希望すれば必ずしもNGではない。
 駅から離れた立地なので、十時ごろを境に人気はぱったりと絶える。だが危険はあまり感じない。治安のよい街だし、借りているマンションまで三分だ。店の数軒先の文具店と整体院の間の路地を左に入り、その次の路地をまた左に折れる。まるでここに勤めるために借りたような部屋──。
 私はKというこの街が子供のときから好きだった。実家の八王子から電車で二十分とかからない。父親がH大学の出身だったからひいきにして、誕生日や、クリスマスや、知人の集まりのときにはわざわざここのレストランに食べにきた。春は薄紅の桜、秋はまっ黄のイチョウ。その樹々の下に広々としたサイクリングロードがあって、歩道の脇の緑地帯はどの季節も花でいっぱいだ。パンジー、チューリップ、ユキヤナギ、コデマリ、ツツジ、アジサイ、ヒマワリ、コスモス。路地を入れば骨董の店がある。雑貨の店がある。本を読みたくなる喫茶店がある。
 駅から大学通りをまん中に挟んで、南西にF通り、南東にA通りが延びている。きっちりとした左右対称形になっており、ロータリーに立つたびに几帳面な私は気分がよかった。F通りは真正面に富士山が見える。A通りを進むと歌で有名な多摩蘭坂がある。大人になったら住んでみたいと思っていた。
 もしここに家族とともに越してきたのだったら、どんなに楽しかったろう。家まで建てずとも、こぎれいな賃貸マンションでも探して新しい生活をスタートさせたのだったら、どんなによかったろう。
 だが、そうではない。私は一人ぼっちだ。親も子も夫も友人もぜんぶ失って、うち捨てられて錆びたまち針。
 大学と高校に挟まれた、小さなコンビニエンスストア。ここで働きはじめた理由は楽しいものではない。楽しいどころか吐き気のするような──。
 最低のなりゆきによって好きな土地に住まねばならなくなったことを、いまさらのように悲しく思う。

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