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手のひらの幻獣
三崎亜記

   研究所

 ここは、檻に囲まれた場所だ。
 こうして鉄格子の中から外の世界を眺めるようになって、もう十年以上が経つ。
 人々が檻の外から向ける好奇の眼差しを、晴れがましくもあり、後ろめたくもある思いを抱えて、私は受け止め続けた。
 今日の檻は特別に頑丈だ。外の表示板には、「雄ライオンのエルフ 6さい」と書かれている。
 ここは百獣の王、ライオンの檻なのだ。
 もちろん、猛獣の檻に生身の人間が入り込んで、無事でいられるはずがない。ライオンはここにはいない。私が、ライオンを「出現させる」のだ。

──ライオンハ、食肉目ネコ科ノ動物デ、体長ハ約2・5メートル。体重ハ150キログラムカラ250キログラム。「百獣ノ王」トシテ知ラレ、オスハ勇マシイタテガミヲ持ツ。群レデ生息シ……

「表出マニュアル」のライオンの項を閉じ、腕時計に眼をやる。
「開園まで、あと四十分……」
 動物園側が用意してくれたパイプ椅子に座り、ライオンを「表出」する準備を開始した。動物のイメージを「表出」するには、マニュアル上、四つのプロセスがある。
 まず第一段階として、ライオンの像を私の中にしっかりと形作らなければならない。誰しもが真っ先に思い浮かべる、勇ましいたてがみ。そのイメージを皮切りに、雄ライオンの全体像を、パーツごとに明確化する。
 しなやかさと獰猛さを兼ね備えた前肢。獲物に向けての瞬発力を秘めた後ろ肢。ネコ科の動物特有の強靭さとしなやかさとを併せ持つ体躯。そして、それら一切とは無関係とばかりに、自ら意思を持ったかのように揺れ動く尻尾……。次々にイメージを心の中で具現化していった。
 全体のパーツが出そろった所で、イメージを一つに組み合わせる。まずはライオンの輪郭を「下書き」し、その上にそれぞれのパーツを上乗せしてゆく。形、バランス、体色の微調整を繰り返し、私の中で、ライオンの「イメージ化」が定まった。
 第二段階の「融合」は、四つの手順の中でも中核を成すプロセスだ。表出したライオンを思いのままに制御するには、私自身の意識としっかりと結びつける必要がある。マニュアルでは、「内なる自己と、表現対象との特徴をかみ合わせ、一体化させる」行為として定められている。
 表出者だけが認識できる、意識の「内側」にある融合受容突起の凹凸と、ライオンの個性を司る受容突起の凹凸とを組み合わせてゆく。順序良く、根気良く、私にライオンを嵌め込み、ライオンに私が嵌まり込む。ジグソーパズルの隣り合ったピースのように、隙間なく。
 受容突起の凹凸が、すべて噛み合うわけではない。どうしても嵌まらない場合は、「私」の内側か、「ライオン」の突起のどちらかを一時的に「削り」、表出を解く時まで、意識の中の「保管庫」にしまっておく。
 しかる後、二つの境界を「溶かす」。二つの意識の境界が意味をなさなくなる。私の意識がライオンに、ライオンの個性が私に流れ込み、分かちがたく結びつく。
 ライオンの躍動が私の制御の下におかれる。融合の具合を確認するため、ライオンを一通り動かしてみる。しっかりと結びつけておかないと、表出者である私の意図を離れて勝手に動き出してしまう。
 ライオンは大儀そうに狭い檻の中を歩き、次の瞬間、ネコ科特有の体重を感じさせない敏捷さで、岩の上に飛び乗った。
「問題無し……」
 この段階で、私自身の姿は、周囲からは見えなくなっている。一つの意識で二つの存在であるという矛盾に順応するための、人間の自己防衛反応であるとされている。
 第三段階は、「対流域確定」だ。かつては「拡散」とも呼ばれていたこのプロセスは、表出したライオンを観客に観せる影響範囲を確定する作業となる。「表出」の影響範囲は、無限に拡がるわけではない。私の表出力では、せいぜい半径百二十メートルほどだ。その外から見られたら、ライオンではなく私が座っている姿が露見してしまう。幸いこの檻は高台に位置しているので、遠くから見られる心配はない。一つだけ、北側に新しく建った高層マンションがネックだったが、事前の下見で動物園側に伝えていたので、その方角は予め板で塞いである。
 私は「対流域」の範囲をおよそ五十メートルと見積もり、一気に「拡げた」。
 そして最終段階、「固定」を行う。表出したライオンを、観客に対して観せる上での仕上げのプロセスだ。
「固定」という言葉の印象とは違い、それは表出した対象を、限定された自由へと「解き放つ」ための最終調整となる。私はライオンを手綱一本で操る調教師となるべく、ライオンに「自由」を与える。
「準備完了……」
 開園まであと十分。私はいつも通り、バッグから読みかけの文庫本を取り出した。職務怠慢に思えるかもしれないが、表出中はむしろ、気負うことなくリラックスしていた方がいい。いったん動き出せば、細かい動きの指示を与えずとも、私のイメージする行動パターンに従って、ライオンは自由に檻の中で過ごしている。
 とはいえ、リラックスしすぎてうたた寝でもしてしまうと、制御が利かなくなる。ライオンの大きさが二倍になったり、檻から飛び出してしまう恐れもある。読書でもしているのが一番だ。
 私の仕事は、動物園の檻の中で、実際にそこにはいない動物をイメージの力で出現させ、観客に「観せる」ことだ。それは「表出」と呼ばれる技術であり、心の中の生き物のイメージを具象化する力を持った「表出者」は、十万人に一人しか存在しないとも言われている。
 十時ちょうどに開園のチャイムが鳴り、檻の前に見物客が訪れ始めた。
「ママ、ライオンさんだよ!」
「そうだね、立派なたてがみだね」
 五歳くらいの女の子と母親が、仲睦まじく顔を寄せ合って、ライオンの雄姿に眼を輝かせている。そんな姿を見るたびに、自分の仕事に微かな後ろめたさを覚えてしまう。誰にも見破られず完璧な動物の姿を観せる誇りと、純真な子どもたちを騙す罪悪感とがない交ぜとなる。
 表出された動物の動きには、私自身の意識が色濃く反映される。
 若い頃は、自らの「力」を発揮できる場所を得て、サービス精神旺盛に、動物を動かし続けたものだ。三十歳という年齢の節目が近づく頃には、檻の外の人々の幸せから、殊更に眼を逸らしていた。
 そんな時代を過ぎ、三十四歳の私の表出するライオンは、恬淡として、狭い檻の中を巡回するようにゆっくりと歩き回っている。遮られることのない世界に恋い焦がれて、空を見上げることもない。
 それは諦めだろうか。順応だろうか。
 私は姿を消したまま、檻に囲まれる見慣れた光景を、ぐるりと見渡す。

──私を囲む、「檻」……


 かつては、一日の業務を終えて檻の外に出ても、何かが私を取り囲み、見えない束縛となって縛りつけているような気がしていた。今はその姿は消えてしまった。皮膚の奥深くに入り込んでしまった棘のように。だけど、ふとした拍子に身体の奥の深い場所で痛みが生じることがある。

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