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お迎えに上がりました。
国土交通省国土政策局幽冥推進課2
竹林七草

 一章 おんぶに抱っこは、ほどほどに

     1

 幽冥推進課の臨時職員たる私──朝霧夕霞の朝は、眠い。
 ……なんて格好良くキリッと言ってはみたものの、眠いのは過重残業だの深夜勤務だのという今流行りのブラックな職場環境とかのせいではなく、単に私の起き抜けはいつだってすこぶる眠いのです。
 まあ元気で健康な証拠なのだろうとは思っているのだけれども、毎朝目覚ましとして設定しているスマホのアラームが記憶なく止まっているのを見る度に、「子供かっ!」と自分に突っ込みをいれてしまう。
 ここまで綺麗さっぱり起きることができないと、これは先月からやたら身近になった妖怪様の仕業じゃないかと疑いたくもなるが、私の上長にして喋る三白眼な猫たる火車先輩に相談でもしたら「おまえのズボラを同胞のせいにするな」と肉球でひっぱたかれるのがオチのため、私の胸のうちにそっと留めることにしておきます。
 とまあ一応目を覚ましてはいるものの、私の心に跋扈する胎内回帰ならぬ布団回帰への欲求に負け、丸くなり続けること実に三〇分。
 なんとか寝ぼけまなこをこすってむくりと上半身を起こし、スマホの時計を見るなり「ギャー!」と叫ぶまでが毎朝のテンプレート。
 これというのも、せっかく朝霧なんて朝に強そうな名字で生まれてきたのに、夕霞なんぞとそれを帳消しにするような名前をつけられたせいだ──と、親を恨んだりしそうになるけれど、よく考えたら妹の夜露なんて朝からうるさいぐらいにはしゃいでいたので、やっぱり私の朝の弱さと名前は関係ないのだと思います。お母さん、ごめんなさい。
 奥歯をガシガシと、ぼぉーとした頭でそんなくだらないことを考えつつ念入りに歯磨きをしていたら、いよいよ出勤までの時間が本格的にやばくなってきた。
 おかしい……きっと私の朝の時間は、五分ぐらい魔物に盗まれている。
 とにもかくにも寝間着代わりのジャージを大慌てで脱ぎ捨て、四畳半の中央にでんと敷いた煎餅布団を万年床にはならぬようつま先で半分に折りたたみ、一方で腕は天袋の桟に吊したリクルートスーツヘと伸ばす。
 幽冥推進課に勤め始めて一ヶ月──未だに就活の相棒たるリクルートスーツで出勤しているのはいかがなものかと思うけど、毎月の家賃と奨学金の返済を抱える身としては、もうちょっとだけ余裕ができるまでなんとかこの一張羅で乗り切りたいのです。
 伝線していないことを祈りつつ穿き古したストッキングに足を通し、ブラシで髪を梳るのもほどほどに、私はいつものリュックを背負って玄関を飛び出した。
 最寄りの有楽町線要町駅まで徒歩五分なのが、私のアパートの唯一の自慢だ。早足で裏路地を歩き抜け大通りに出たら、地下鉄への階段を一段飛ばしで駆け下りる。
 満員電車はちょっと苦手。それならもっと早く家を出たらいいのにと自分で思わないことはないのだけれど、むぎゅっと押しつぶされようが、どうしても二度寝を貪る快感にはあらがえないのです。
 電車に揺られること約二〇分。国土交通省の中心たる、合同庁舎3号館からほど近い桜田門駅に到着したと車内アナウンスが流れるが──でも私の向かう先はそこからもう一駅、ついでにJR山手線に乗り換えてさらにもう一声。
 臨時とはいえ一応は国土交通省の職員たる私が降り立ったのは、庁舎ではなく雑居ビル群がひしめく日本有数の飲み屋街を目の前に抱えた新橋駅だ。
 とりあえずは満員電車から解放されたことで、大きく深呼吸。繁華街特有のなかなかに生活臭あふれた匂いが鼻孔を満たすが、そこはもう慣れたもの。
 裏通りをしばし進み、その先に見えてきたのが、国の公式HPにもネット上の地図にも載っていないにも関わらず『国土交通省 新橋分庁舎』なんて、大層な銘を打たれたオンボロ雑居ビルだ。
 甲子園球場なんぞ目じゃないほどもっさり蔦の絡まったこのビルは、私の中の「廃墟っぽいけど、廃墟じゃないビル」ランキングにおいて、ぶっちぎりの堂々第一位だ。
 以前は途中で一休みするだけだった入り口の自動ドアも、最近は最後まで開くことを断念したらしく、一人分の肩幅さえも開かずに止まる不親切設計になっている……ほんと、いい加減に業者呼びましょうよ。
 とにかく遅刻の瀬戸際な私は身体を横にし蟹のように中に入ると──まあなんということでしょう。そこで私を迎えてくれたのは薄闇がじんわりと凝り、湿ったホコリの臭いが漂う、お化け屋敷顔負けのエントランスでした。パチリパチリと思い出したように瞬く蛍光灯が、朝からいい仕事をしてやがります。
 これでおもてなしをしている気になっているのだから、さっぱり理解できない妖怪様の感性に辟易しつつも、奥にある重い鉄扉を開けて私は地下へと降りる。
 陰気でじめじめした地下の廊下を早足で進み、突き当たりのドアを開け──それでようやくのご到着。
 フリーアドレスもサテライトオフィスも「なにそれおいしいの」と言いたくなる、デスクを対面に繋げただけの昭和風味なこの職場こそ、私の勤める『国土交通省 国土政策局 幽冥推進課』のオフィスだ。
「おはようございます!」
 なんとか遅刻寸前で間に合っている時間をタイムカードに打刻しつつ、開口一番で挨拶すると、
「おはようございます、朝霧さん。今日もがんばってくださいね」
 即座に挨拶を返してくれたのは、珍しく個室の外に出ていた、幽冥推進課の責任者である辻神課長だ。
 スラッとした体型にシュッとしたスーツを着こなし、壁沿いのキャビネットの前で分厚いパイプ式ファイルを片手に、優しげな微笑でもって私を迎えてくれる。
 言われなければ辻で人に悪さをするらしい妖怪だなんて誰も思わない、黒縁眼鏡がよく似合った知的なイケメン様に朝から微笑まれ、ほくほく気分で席に着く。
 すると次に私に声をかけてくれたのは、隣の席に座ってもう仕事を始めていた、経理担当の百々目鬼さんだった。
「おはよう。今日もぎりぎりだね、夕霞ちゃん」
 きっちり手入れのされたゆるふわヘアに、ほんのりナチュラルメイク。女子力高めな外見にほんわりしかけるが、ここで機嫌を損ねると大変なことになってしまう。
 具体的には、一年通してノースリーブらしいその腕に浮かび上がった無数の目玉にうなされそうなほど睨まれる。最近ちょっと思うのですよ……百々目鬼さんの女子力って実は妖力の一種なんじゃないかつて。
 でもまあ、そんなことは口が裂けても言えない私としては、
「これでも毎朝、頑張っているつもりなんですけどねぇ」
 適当にお茶を濁しながら「たはは」と、苦笑を返した。
 とにもかくにも出勤という大仕事を終え、私は自席の背もたれによりかかってさっそく一息つく。
 だがそんな私の態度が気にくわなかったのか、対面のデスクの上で丸くなっていた虎縞柄の猫がむっくりと顔を上げた。
「なんで出勤するなり早くも一仕事終えた感を出しておるのだ、おまえは。おまけに新人のくせにいつも一番遅くに出勤しおって……ちゃんと新人の自覚があるのか?」
 このヤブ睨みがトレードマークな上に、やたら小うるさいイヤミな口調の喋る毛玉こそが、私の直属の上長にして教育担当でもある火車先輩だ。
「ちゃんと自覚はありますよ。私が遅いのは、単純に朝が眠いからです」
「……当たり前のことを、ない胸を張って言うな」
 人が微妙に気にしていることを無造作に言われ、カチンとくる。
「火車先輩が毛玉じゃなかったら、今の絶対にセクハラですからね。──というか、火車先輩が新人の私をコキ使ってくれるから、毎日へとへとなんですよ」
「ふん……コキ使われるのがいやなら、早く一人前になればいいのだ」
「最近、人のリュックに潜りっぱなしの横着な先輩には言われたくないですね」
 立場が悪くなったからなのか「フン」と鼻を鳴らし、再び火車先輩が机の上で丸くなる。そんな様を薄目で眺めながら、私も心の中でべっと舌を出してやった。
 でもまあ……これでも、いざとなると本当に頼りになる先輩なんだよねぇ。

 ──国土交通省設置法第三条。
『国土交通省は、国土の総合的かつ体系的な利用、開発及び保全、そのための社会資本の整合的な整備、交通政策の推進、気象業務の健全な発達並びに海上の安全及び治安の確保を図ることを任務とする』
 すなわち安全で健全で利便性の良い国土を国民様へと提供することが国土交通省に属する組織にとっての最大の責務となるのだけれど、まれにその対象から外れる方々が不当に国土を占拠してしまうことがある。
 つまりかつては人であった死者、地縛霊と呼ばれる元国民様たちだ。
 生前は国民であったそんな方々と交渉し、国土に縛られる原因となっている問題を解決、排除することで、幽冥界へのすみやかなるご移住をご案内していく。
 それこそが『国土交通省 国土政策局 幽冥推進課』の業務だ。
 ゆえに働く職員は年齢不問、資格不問、経験不問──加えて、生死さえもが不問。
 おかげで見た目はどうあれ、同僚は全員が全員とも妖怪。
 私がこれまで対処してきた案件は、採用試験代わりだった屋上の元アイドル様や、家族の元に帰りたくても帰れなかった山田さん。それから今や私の後輩になった、人柱になってまで橋を守り続けてきた現地出向職員の橋姫ちゃんの件。
 どれもこれもぎりぎりで解決できた案件で、右を見ても左を見ても私しか人間のいない職場の中、はたして私はどこまでやっていけるのやら。
 でもまあ臨時とはいえ公務員ですし、やっと見つけた定職ですし、家賃の払いと奨学金の返済もありますから、できるところまでは頑張りますとも。
 と、なんやかんやとあるけれども、幽冥推進課の臨時職員たる私の一日が、こうしてまた今日も始まるのです。

     2

「夕暮れ時のことです。山間にあるその小径を通ろうとすると、ふと誰かに呼び止められたような、そんな気になるんだそうですよ。それで気になって足を止めて耳をすましてみると、確かに聞こえてくるんです。
 シクシク、シクシク──と、さめざめと哀しそうにすすり泣く声がね。
 あれ、迷子でもいるのかなと思って周囲を見渡してみれば、道の左右はどこまでも続いている背の高い石積みの壁で、前にも後ろにも人影はない。
 それで背筋が寒くなって立ち去ろうとするんですが、でもどこからか視線を感じるんだそうですよ。誰かに見られている──その得体の知れない恐怖にあらがえず、気配を感じていた頭上を見上げると、
 ──石積み壁の上からじっとこちらを見ている老婆と、目が合うんだそうです」
「なんですか、怖い!」
 話がありますから個室にまで来てください、と言われたので訪ねてみれば、辻神課長から聞かされた話は話でも、よりにもよって怪談噺だった。
 というか本物の妖怪から怪談を聞かされるとか、どんな罰ゲームなのかと心底思う。
「いやいや、朝霧さんもそろそろ幽冥推進課のお仕事に慣れてきた頃でしょ? 新鮮さを失わないように、ここらでサプライズ感を演出してみようかと思いまして」
「怪談で醸し出される無駄なサプライズ感は、業務にはいらないのではないかと」
 と、小さくため息を吐いてみる。
 最近身にしみてわかってきたけれども、辻神課長はちょっと性格が悪い。
 いや基本的にすごくいい人で、すこぶる信頼に足る上司ではあるのだけれども、でもそこはかとなく、やっぱり少しだけ意地が悪い。
 私が怖がりなことは知っているくせにあえて青ざめさせるような話をしておいて、本人は心もち肌はツヤツヤとし、常からの微笑もニヤニヤ度が三割ぐらい増している。
 さすがは、辻を通った人間に禍事を為す、とされた妖怪だけのことはある。
 イケズなイケメン様とか、ほんとフィクションの中だけにしておいてください。
「まあ、夕霞の怖がりはさておいてだな……それで今回の案件は、その老婆が絡んでいるということなのだな?」
 そう横から割って入ったのは、私の隣に座っていた火車先輩だった。
 辻神課長の個室にある打ち合わせ用の椅子の上で、両の後ろ足をV字に広げて背もたれによりかかり、ちょこんという形容が似合う姿勢で座っている。
 ……喋りさえしなければ可愛いのになあ、この化け猫先輩。
「ええ、火車の言う通りです。今回は外局の観光庁からの依頼でしてね──」
 という前置きから始まった、怪談口調が混じらない辻神課長の話はこうだ。
 さっきの話に出てきた小径というのは、地元では知る人ぞ知る絶景スポットなのだという。小さな山並みの尾根に通った遊歩道だそうで、海沿いにもほど近く、まっすぐ延びた道の先の海原へ綺麗に夕日が沈んでいくのだそうな。
 それに目をつけたのが、市の観光協会だ。もともとは海岸沿い側を中心に観光客にアピールしていたのだけれども、この際だから町全体の活性化のためにも、その小径も観光名所に仕立ててしまおうと考えたらしい。
 とはいえ、もとは山間の農村と海側の漁村の流通をつなぐだけの道だ。明治頃に造られたらしいその道は何しろ古く、これまで整備もほとんどされてきていない。
 おまけに小径を挟む左右の石積み壁は、年月を経た風情はあるものの現代の建築基準を満たしておらず、大々的に観光客を招くには安全面で不安があるということで、県に申請して道路の補修予算をとったらしい。
 それでもって誰が来ても恥ずかしくない、むしろテレビが取材にでも来ないかなという観光道に仕立て直し、市の観光パンフレットも刷新し先週に配布を始めたところ、急にさきの老婆の霊が出るという噂が広まり出した──ということのようだった。
「その補修の予算を認可した県のお偉方の一人に、外局の観光庁ご出身の方がいたようでしてね。それで、変な噂が出回って見込める観光客が減る前になんとかしてもらえないかと、巡り巡って『幽冥推進課』にまで話が降りてきたというわけです」
 一通り辻神課長の話を聞き終えた私は、知らぬうちに「ふむ」と唸っていた。
「つまり今回は、その泣いているお婆さんが小径に居座っている理由を解き明かし、すみやかに幽冥界にまでご案内しろと──そういうわけですか?」
「……本当に慣れてきましたねぇ、朝霧さん」
 私も幽冥推進課で働くようになってもう一ヶ月ちょっとですから──そう得意顔で返そうとして、けれども妙な違和感を感じ喉で言葉を押しとどめた。
 辻神課長の笑みがなんだかいつもと違って、含みのある苦笑いになっていた。
 ──えっ? 私なにか間違えたかなと焦っていると、
「たわけ。幽冥推進課の業務を遂行していく上において、そういう決めつけが一番怖いのだ。新人は固定観念にとらわれないことこそ最大の取り柄だ、おまえはもっとフラットに考えろ。そんなだからいつも迂闊で、早とちりばかりするのだ」
 横の火車先輩から仕事の心構えを諭され、少しだけ口をへの字に曲げる私。
 そりゃまあ、確かに私は迂闊で、粗忽な自覚はありますが……。
「いえ、火車の言う通りですよ、朝霧さん。思い込みをすると、足元を掬われます。
 ──実はさっきの怪談には妙なオチがありましてね。すすり泣く声が聞こえているにも関わらず、こちらを見ている老婆の顔はにっこり笑っていたらしいんです」
「「はぁ?」」
 これには思わず火車先輩とハモってしまった。
「寂しそうな泣き声が聞こえているのに、なんだか困ったように、でも少しだけ嬉しそうに笑っていた──という体験がワンダーフォーゲルが趣味らしい方のブログに書いてあって、どうもそれが噂の元のようなんですよ」
 泣きながら笑うとか……なんとも器用な地縛霊ですこと。
 並んだ私と火車先輩が、互いに怪訝そうな表情で同じ方向に首を傾げる。
「……まあ、毎度ながら現場に行ってみなければ、よくわからんということか」
「そういうことです。仮に地縛霊であっても、元は国民様。今回もまた粗相のないように丁重にご対応をお願いしますよ」

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