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ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
東京バンドワゴン
小路幸也

 花は根に鳥は古巣に、などという言葉がありましたね。
 美しく咲いた花もやがて花びらが散りその根元に落ちて、また次の花への栄養になる。鳥はどんなに遠くまで飛んでいったとしても、必ず自分の古巣に帰ってくる。
 物事は全てその元になるところに戻るものなのだと言っているのでしょう。自分の心の根っことなっているものはそれほどまでに大切で、決して消えてしまわないものなのだ、とも解釈できるでしょうか。
 わたしが住んでおります東京のこの辺りも、まさに古巣と言うに相応しいところでして、長い年月に耐えて今もなお、たくさんの人の営みを育む家々が建ち並びます。車が一台ようやく通れるのは広い方で、通れないのがあたりまえ。猫が尻尾を振れば両脇の家に触れるような路地にまで、人々の暮らしの香りが満ちています。
 周りにはやたらと古いお寺も多く、石塀や土塀の向こうの境内には緑滴る木々が背高く伸び、色鮮やかな花々が季節ごとにその美しさを競い、苔生した石や歴史を刻む石畳が雨に濡れて風情を醸し出します。
 帰ってくるところが、いつまでも変わらないでいてくれるとほっとしますよね。変わらないでいてくれると信じているからこそ、人は遠くまで足を運んでいけるというものなのでしょう。
 朝はお陽様に露がゆらりと気を立ち上らせ、昼は賑やかな人波に町が騒めき、夕に鼻をくすぐる夕餉の支度の匂いが流れます。陽溜まりの石段の上では猫が気持ち良さそうに眠り、細い路地には子供たちがチョークで描いた丸や三角が並びます。釣り忍に風鈴、簾に格子戸に板塀。昔ながらの風物がそこかしこに見られ、今も暮らしの中にあたりまえのように溶け込んでいます。
 そういう下町で、築八十年近くになる今にも朽ち果てそうな風情の日本家屋で、古本屋を営んでいるのが我が堀田家です。
〈東亰バンドワゴン〉というのが屋号なんですよ。
 わたしの義理の祖父である先々代、堀田達吉が明治十八年という昔に、この場所に土地を買い家屋や蔵を建てて創業したと聞いています。
 古本屋にしては少し、いえ、かなり奇妙な名前だと思うでしょう。
 わたしも初めて聞いたときにはそう思いましたが、実はかの坪内逍遥先生に名付け親になっていただいたのだとか。その当時からしてもとんでもなく珍妙な名前だったそうでして、通りすがりに看板を見た人たちが何度も見直して首を捻っていたそうですよ。時代を超えて今も通りすがる人がその名前に首を傾げるのですから、ある意味では坪内先生、さすがの慧眼だったということでしょうね。商売ものというのは人の目に留まってこそですから。
 瓦屋根の庇に今も鎮座まします黒塗り金文字の看板は、長い年月にすっかり色褪せてしまいました。何かの折りに塗り直そうかという話は幾度も出るものの、結局は古いものはそのままにしておけということに落ち着きます。
 明治の世から大正、昭和と時代が変わっても商いを続けてこられて、平成の世も早や四半世紀が過ぎましたね。時代の流れというわけではありませんが、今は古本屋の隣にカフェも営んでいます。家族の名前を元にした〈かふぇ あさん〉という名前が一応登記上はあるのですが、同じ家で呼び名が二つあっても紛らわしかろうと、普段はどちらも〈東亰バンドワゴン〉で通しています。

 あぁ、いけません。またやってしまいましたね。
 ご挨拶も済まさないうちから長々と話をしてしまうのが、本当に癖のようになってしまいました。
 ふわふわと漂いどなたの目にも映らないこの姿になって随分と長い時が経っていますから、お行儀も悪くなっていますね。相済みません。
 お初にお目に掛かる方もいらっしゃいますでしょうね。すっかりお馴染みの方は相変わらずだねと苦笑いされているでしょうか。皆さん大変失礼いたしました。
 わたしは堀田サチと申します。
 この堀田家に嫁いできたのは、もう大昔の昭和二十年、一九四五年の終戦の年のことです。今思えばとんでもないような大騒動に出会し巻き込まれ、すったもんだの末に皆に祝福されて嫁入りした顛末は、以前にも詳しくお話しさせていただきましたよね。
 それから長い年月、家族に囲まれて、騒がしくも幸せな毎日を過ごしていくことができました。

 どうも他所様のところより騒動が多めに巻き起こってしまう我が家ですが、その話をお聞かせするようになってからどれぐらい経ちましたでしょう。十年一昔と言いますが、それぐらいは経ったのではないでしょうか。
 その間に我が堀田家には人の出入りも家族も増え、その分だけたくさんの笑い声が響くようになっています。改めて、わたしの家族を順にご紹介させていただきますね。
〈東亰バンドワゴン〉の正面には三つ入口がありまして、初めての方を少し戸惑わせてしまいますよね。真ん中の扉は普段あまり使われることはありませんので、まずは左側のガラス戸から中へどうぞ。
 金文字で〈東亰バンドワゴン〉と書かれているそこが、創業当時から一切変わらない古本屋の入口になっています。
 開けると土鈴が鳴って、これも創業時から並ぶ特別製の本棚がずらりと並びます。奥へ進んでいただくと、三畳分の畳が敷かれた帳場で文机に頬杖して煙草を吹かしていますのがわたしの夫であり、〈東亰バンドワゴン〉三代目店主の堀田勘一です。
 ごま塩頭で地顔が顰め面で大柄。見た目は少し怖そうに思えてしまいますが、愛想は決して悪くありませんので安心してお声掛けください。特にお子さんや女性には優しいですよ。
 次の誕生日が来れば八十六歳になりますが、四人いる曽孫が全員晴れて結婚するまでは絶対に死なねぇと常日頃言っています。そうなると、あと十四、五年は元気でいてくれるのでしょう。実際のところ、毎日しっかりご飯を食べて、お酒も煙草も嗜み、頭の回転も足腰もしっかりとしています。孫に言われて始めた散歩も、一日五キロも六キロも歩いてけろりとしています。お若いですねと言えばおべんちゃらは結構だと少し怒りますが、内心はかなり喜んでいますから、古書を購入するときに言えばきっと少しおまけしてくれますよ。
 勘一の後ろ、帳場の壁の墨文字が気になりますよね。
〈文化文明に関する些事諸問題なら、如何なる事でも万事解決〉
 これは、我が堀田家の家訓なのです。
 創業者である堀田達吉の息子、つまりわたしの義父であります堀田草平は、大正から昭和に移り行く世に善き民衆の羅針盤に成らんと、志も高く新聞社を興そうとしたそうですが、生憎様々な事情がそれを許さず道半ばとなりました。一時は隠遁も考えたそうですが、家業である古本屋もまた地に根を張る羅針盤に成り得ると心機一転、お店を継いだそうです。「世の森羅万象は書物の中にある」というのが持論だったことから、これを家訓にと書き留めたそうですよ。
 書き留めたはいいものの、〈万事解決〉の文字が余程心強かったのでしょうか。ご近所さんから大小様々な揉め事や事件の相談事が日々持ち込まれて、義父は古本を売るどころかあちこちを駆けずり回って解決に当たり、勘一の話ではまるで私立探偵のような日々だったそうです。その辺りの顛末は義父がしっかりと書き留めていますので、いつか皆さんにお話しすることもあるでしょう。
 そうなのです。実は家訓は他にもたくさんありまして、そこの壁に貼られた古いポスターや、カレンダーを捲りますとそこここに現れます。
 曰く。
〈本は収まるところに収まる〉
〈煙草の火は一時でも目を離すべからず〉
〈食事は家族揃って賑やかに行うべし〉
〈人を立てて戸は開けて万事朗らかに行うべし〉等々。
 トイレの壁には〈急がず騒がず手洗励行〉、台所の壁には〈掌に愛を〉。そして二階の壁には〈女の笑顔は菩薩である〉、という具合です。
 家訓などという言葉も今は使われなくなって久しいでしょうが、我が家の皆は老いも若きもできるだけそれを守って、日々を暮らしていこうとしているのですよ。
 帳場の脇で持ち込まれた古本の整理をしているのが、孫の青のお嫁さんのすずみさんです。初めて我が家に来たときにはまだ大学を卒業したばかりの可愛らしい、けれども古本屋に勤めるのが夢だったという奇特なお嬢さんでしたよ。今は一児のお母さんでもあり、古本の買い取りから整理に至るまで何でもこなし、勘一に代わり我が家の所蔵品の生き字引と呼ばれるほどですよ。そろそろ三十路を迎えるころですが、その愛らしい笑顔に変わりはなく、古本屋の看板娘として毎日お店に出ています。
 さ、どうぞご遠慮なく家の中へ。帳場の横を通り抜けて、居間に上がってくださいな。
 そこの柱に凭れてギターを掻き鳴らしている、通行に邪魔な金髪の男は放っておいて結構ですので。足も放り出したままお行儀が悪くてすみません。それはわたしと勘一の一人息子、我南人といいます。
 ご存じでしたか。もう六十半ばで高齢者と呼ばれてもおかしくない年齢ですが、金髪長髪も相変わらずで、ロックミュージシャンというものをやっています。
 何でも音楽ファンの皆さんの間では、〈伝説のロッカー〉とか〈ゴッド・オブ・ロック〉などと呼ばれてもいるようでして、昔と変わらずにたくさんの方が我南人目当てにお店にやってきてくれます。近頃はSNSというもので自分の近況を発信したり、皆さんとの交流を深めているとか。隣のカフェでお仲間のミュージシャンを集めてアコースティックライブをやるときにはいつも満員御礼になりますから、本当にありがたいことですよね。
 若い頃からいつもツアーだ何だと出歩いていて、どこにいるのかさっぱりわからない男だったのですが、近頃は孫の相手をするのが楽しいらしく、家にいる時間の方が増えています。あれですね、昔は子供の藍子や紺や青の相手をすることが少なかったので、その時間を今になって埋め合わせているのかもしれません。このまま落ち着いてくれるのがいちばんだと思うのですが、どうなのでしょうか。
 ちらかしていてすみません。居間の座卓にたくさんの資料とノートパソコンを置きキーボードを叩いているのは、その我南人の長男でわたしの孫の紺です。
 以前には大学講師の傍らお店の番頭めいた役割を担っていたのですが、今はこうして物書きとして生計を立てています。もちろん自分の部屋はありますからそこで執筆すればいいといつも思うのですが、長年の習慣からか、こうして皆の声が聞こえる居間でなければ仕事が捗らないとか。個性が強すぎる堀田家の男性陣の中にあって、顔も性格も地味すぎてつまらないという声もありますが、唯一の常識人で堅実なのですよね。常に沈着冷静で勘の良さも併せ持ち、どたばたしたときには実に頼りになる存在です。
 その向かい側で同じようにノートパソコンのキーボードを叩いているのは、紺の弟の青です。我南人の次男になりますね。今は我が家の所蔵品のデータベースを整理しているのでしょう。
 ご覧の通り、そこらのモデルさんも俳優さんも裸足で逃げ出すと小さい頃から言われるほどの美しい顔とスタイルでして、ただ座っているだけなのに絵になりますよね。大学を卒業して旅行添乗員をしていた時期もありましたが、今は執筆に忙しい紺に代わって、こうして古本屋を妻のすずみさんと一緒に支えてくれています。本人も実はそれがいちばん落ち着くとは言っていますが、何せ妻帯者で子供もいるとはいえこの美貌ですからね。放っておくのはもったいないと俳優をやったこともありますし、カフェに出れば年齢に関係なく女性たちのうっとりした視線を一身に浴びます。実は本人もそれを楽しんでいますよね。
 カフェの方もどうぞご覧になってくださいな。コーヒーでも飲みながらお話ししましょうか。
 そうなのです。こちらの壁には家訓などはなく、版画や日本画、水彩画に油絵がたくさん並べられていて、ちょっとしたギャラリーですよね。あれは、今、カウンターの中で仲睦まじく洗い物をしている、孫で我南人の長女の藍子と、その夫となったマードックさんが描いたものです。版画と日本画がマードックさんの作品ですよ。
 藍子は、芸術家肌と言うのでしょうかね。普段は見た目通りの優しくおっとりとした性格なのに、その心の内に何か熱いものを秘めているのでしょう。大学在学中に、教授であり、家庭のあるすずみさんのお父さんと恋に落ち、わたしの曽孫になる花陽を授かりました。そしてそれを誰にも言わずに育てる決意をして、いわゆるシングルマザーとして生きてきたのですよ。すずみさんも加えてその件で騒動が巻き起こったのは以前にお話ししましたね。
 そうしていろいろあった末に藍子の夫になったのが、イギリス人で日本画家のマードック・グレアム・スミス・モンゴメリーさんです。浮世絵など日本の美術と古いものに魅了され日本にやってきて、それからずっと我が家のご近所さんとして過ごし、藍子を見つめてきたのですよね。マードックさんもまた見た目は柔らかく人懐こい笑顔をお持ちの方なのですが、アーティストとしては一流で、母国や日本でもその実力を認められ、今は美術系の大学に講師として勤めています。二人は結婚して我が家の隣の〈藤島ハウ
ス〉というアパートで暮らしていますが、朝から晩までほぼ我が家で過ごしていますから生活に変わりはありません。
 今、花柄の可愛らしいエプロン姿でお客様にコーヒーをお出ししているのが、紺のお嫁さんの亜美さんです。元は国際線のスチュワーデスでして、才色兼備という言葉がこれほど似合う女性もいません。またそのお顔が、怒らせると怖いほど美しいと近所の評判になるほどでして、その美しさを見るためにわざと怒らせるお客さんがいたぐらいですよ。
 このカフェを造ったのも実は亜美さんです。以前に訪れた我が家存亡の危機に敢然と立ち向かい皆の心を奮い立たせ、今の穏やかな日々をもたらした功労者なのです。皆は面と向かっては言いませんが、本当に亜美さんが紺のお嫁さんに来てくれて良かったと心から思っているのですよ。けれども、あの地味な紺にどうしてこんなに素敵な亜美さんが惚れたのかは、堀田家最大の謎と言われていますけどね。
 あら、すみません。お客様の前でどたばたと騒がしいですね。
 二階からギターケースを抱えて駆け下りてきた髪の毛がくるくるの男の子は、紺と亜美さんの長男で今年の春から高校生になった研人です。受験勉強から解放されたとはいえ勉強が本分の学生なのに、ああしてギターを抱えて音楽三昧の毎日を送っています。祖父の我南人の血なのでしょうかね。単なる学生の趣味の域を超えて、既に作曲家としてもそれなりの実績を残しているのですが、学校の勉強もちゃんとしてほしいお母さんの亜美さんにしてみれば痛し痒しといったところなのですよ。でも、小さい頃と変わらずに優しい心と快活さを備えた男の子ですから、いいですよね。
 ああ、今塾から帰ってきて、カウンターの前に陣取った研人の隣に座ったのが、藍子の娘の花陽です。お医者様になるという目標を自分で決めて、今年高校三年生。つまりいよいよ医大受験の本番を控えて猛勉強を続ける毎日です。昨年から掛け始めた眼鏡がとても似合うと家庭内では評判ですよ。花陽はお話ししたように、青のお嫁さんのすずみさんとは異母姉妹でありながら、義理の叔母と姪という複雑な間柄です。でも、それを乗り越えて今では本当に仲良く毎日を過ごしています。
 この花陽と研人はいとこ同士なのですが、生まれたときから同じ家でずっと一緒に育ってきましたから、もう姉と弟みたいなものですね。本人たちもそう思っているのですが、人に説明しなきゃならないときはちょっと面倒臭いと笑っていますよ。
 研人と花陽の後ろのテーブルに座り、二人と笑顔で会話している和装のご婦人二人をご紹介しましょうか。一人は有名な方ですので、紹介する必要もないでしょうか。青の産みの母親であり、その美しさは年を重ねても変わることがない、日本を代表する女優の池沢百合枝さんです。もっとも今は女優業は休業中で、近所の小料理居酒屋〈はる〉さんをお手伝いしています。
 もう一人はわたしと勘一にとっては妹同然の大山かずみちゃん。終戦当時に戦災孤児となり堀田家の一員となりました。医者であったお父さんの遺志を継ぎ、それはもう苦労を重ねて女医となり長年地域診療に貢献してきましたが、七十を超えた今は引退して我が家で子供たちの面倒や家事一切を取り仕切ってくれています。花陽がお医者様を志したのも、かずみちゃんの影響ですよね。
 賑やかな声が聞こえてきました。お友達の家で遊んで帰ってきて、カフェに駆け込んできたおしゃまな女の子二人。紺の長女のかんなちゃんと、青の一人娘の鈴花ちゃんです。偶然にも同じ日に生まれて次の誕生日で五歳になるいとこ同士ですね。あぁそうですね。池沢さんが鈴花ちゃんのおばあちゃんになりますよ。
 生まれてしばらくは双子のようにそっくりでしたが、大きくなって個性が出てきまして、その表情もそれぞれのお母さんに似てきました。元気一杯で活発で瞳が大きくくりんとしているのがかんなちゃん。少しおっとりさんですが目元は涼しく甘えん坊で、すぐにかんなちゃんの後ろにくっつくのが鈴花ちゃんです。
 花陽と研人と同じようにこの二人もいとこ同士ですが、こうして生まれたときからずっと一緒にいますから、自分たちを姉妹と思っています。もう少し大きくなったらいとこ同士だと理解できますかね。
 いつものことながら一通り紹介するだけでも一苦労ですね。すずみさんと花陽のような複雑な関係もありますから頭が混乱するでしょう。
 それでも、皆が同じ屋根の下で集う家族なのです。そうそう、家族と言えば忘れていました。我が家の家族の一員である犬と猫たちもいますね。猫の玉三郎にノラにポコにベンジャミン、そして犬のアキとサチです。実は玉三郎とノラというのは、我が家の猫に代々付けられていく名前でして、ついこの間も代替わりしています。ですから、その二匹はまだ一歳にならない若い猫なのでいちばん元気に家の中を跳び回っていますよ。

 最後に、わたし堀田サチは、七十六歳で皆さんの世を去りました。
 大きなご縁があって、終戦の年にこの堀田家に嫁いできたのですが、それから長い年月、思えば本当に賑やかで楽しい毎日を過ごさせてもらいました。
 振り返れば幸せで満ち足りた人生だったと何の心残りもなく、たくさんの皆さんに感謝しながら生の終わりを迎えたのです。
 ですが、何故なのでしょうね、今もこうしてこの家に留まっています。
 思い残すことなどなかったのですが、きっと孫や曽孫の成長の様子をもう少し楽しみなさいという、どなたかの粋な計らいなのだろうと思うことにしました。いずれは、父母や義父母の草平さんや美稲さん、我南人のお嫁さんの秋実さん、その他にも遠い昔に共に過ごしたジョーさんやマリアさん、十郎さんたちとまた出会うときが来るのでしょう。
 その日がやって来るまではせいぜいお土産話を増やすために楽しませてもらいます、と、こうして家族の皆を見守っております。
 そうなのです。幼い頃から人一倍勘の鋭かった孫の紺は、わたしがこうしてうろうろしているのがわかりまして、いつもほんのひとときなのですが、仏壇の前で話をすることもあるのです。血筋なのでしょうか、紺の息子の研人もわたしが見えることがあります。そのときにはいつも皆に気づかれないように微笑んでくれますよ。そして、研人の妹のかんなちゃんにも何かが受け継がれたようで、この間はわたしを見つめて「おおばあちゃん?」と微笑んでくれました。どうやらかんなちゃんはわたしが見える上に話もできるようです。この先普通にお話しできることになったらと、楽しみでしょうがありません。

 またご挨拶が長くなってしまいました。
 こうして、まだしばらくは堀田家の、そして〈東亰バンドワゴン〉の行く末を見つめていきたいと思います。
 よろしければ、どうぞご一緒に。

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