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伊勢路(ルート)殺人事件
西村京太郎

   第一章 犬の伊勢参り

     1

 警視庁捜査一課の十津川警部は、結婚したものの、なかなか、子供ができないから、しばらくの間、二人住まいである。
 そこに、同居人が、一人増えた。いや、正確にいえば、増えたのは一匹、生後一年六カ月の、ゴールデンレトリーバーである。
 妻の直子が、よく買い物に行くスーパーの屋上には、犬や猫などのペットを売るコーナーがあって、一年前に、直子が買い物に行った時、そこで、生後六カ月のゴールデンレトリーバーのメスを見た。
「その時、たまたま、その犬と目が合っちゃったのよ。そうしたら、その目が、私に飼ってくれといっていたので、つい、欲しくなっちゃって」
 と、直子は、いったが、それは、よくある犬や猫を飼う時の合言葉のようなものである。
 とにかく、その結果、ゴールデンレトリーバーのメスが、十津川家の一員になった。
 現在一歳六カ月、まだ、二歳に満たないが、犬の世界では、すでに成犬である。体高も五十センチ近くなり、体重も三十キロ近くなっている。
 ゴールデンレトリーバーは、もともと、狩猟犬だから、毎日の散歩は、欠かせない。十津川も、非番の時には、妻の直子と一緒に、近くの公園まで、愛犬を、散歩させることになってしまった。
 そんなある日、散歩をしながら、直子が、こんなことをいった。
「ゴールデンレトリーバーを飼った時から、サークルに入ってくださいといわれていて、今、東京にある『東京ゴールデンレトリーバーの会』という会に入ったの。会長は、小原サービスの社長さんで、副会長は、社長夫人の、小原絵理香さんが、やっている会なんだけど」
「小原サービスなら、名前を知っているよ」
 と、十津川が、いった。
 小原サービスというのは、今流行りのレンタルサービス業で、ここ数年、急激に業績を伸ばし、年々、大きくなった会社である。今や一部上場企業で、日本全域で不動産の売買なども、やっている。
「そういう会を、やっているのなら、小原さんも、ゴールデンレトリーバーを飼っているんだろうね?」
「もちろんよ。現在十一頭もいるそうよ。そのほか、小原さんは、盲導犬の飼育もしていて、すでに、三頭の盲導犬が、育ったといっていたわ」
「じゃあ、その世界でも、かなりの有名人なんだな」
「それで、今度、ちょっと面白い実験をするんですって」
 歩きながら、直子が、いった。
「どんな実験なんだ?」
 十津川も、興味を感じて、きいた。
「小原さんが生まれたのは、三重県の伊勢市なんですって」
「伊勢といえば、伊勢神宮のあるところだろう?」
「ええ。子供の時から、小原さんは、伊勢の外宮の近くの宮川という川で、遊んでいたそうよ。今、本社が東京にあるので、東京に、住んでいるんだけど、毎年一回は、夫婦揃って、お伊勢参りをするんですって」
「それで?」
「小原さんがいっていたんだけど、研究したところによると、江戸時代、約六十年ごとの、御蔭参りのときには、一年間で、三百六十万人もの人が、お伊勢参りをしたという記録が、残っているそうなの。その頃は、人間だけじゃなくて、犬が、お伊勢参りをしたという記録もあるんですって」
「犬が伊勢参りをしたって、犬が勝手に行ったの? それとも、人間と一緒に、行ったの?」
「それが、犬だけで、行ったらしいのよ。これは、記録にもちゃんと残っているそうなんだけど、特に有名なのは、徳島から、お伊勢参りをした、おさんという犬がいて、その犬には、『お伊勢参りをするので、道中よろしくお願いします』という札がつけられていた。おさんは、お伊勢参りを済ませてから、無事に徳島に、帰ったんですって。そのほか、山城国というから、今の京都府なんだけど、そこの犬が、お伊勢参りをして、お伊勢さんの近くの茶店では、感心な犬だといわれて、握り飯をもらったり、お参りした内宮や外宮の神主さんにも、立派な犬だといわれて、首に、お札をつけてもらって、無事に京都まで帰ったということが、記録された本もあるそうなの」
「そうか、分かったよ。小原さんも、自分の育てたゴールデンレトリーバーに、犬だけで、伊勢参りをさせようとしているのか」
「そうなの。伊勢で有名な赤福が、世間を騒がせたことがあったでしょう? また復活したみたいだけど、伊勢育ちの社長さんにしてみると、そのせいで、お伊勢参りをする人が少なくなるんじゃないかと、心配しているの。そこで、何か、面白いイベントをやってみようと思って、犬が一匹で、お伊勢参りをできるかどうか、試してみようということになったらしいのね」
「しかし、小原さんの犬は、全部、東京で飼っているんだろう? 勝手に放したからといって、伊勢参りに行くかどうか、分からないじゃないか?」
「その心配があるので、小原さんの話によると、こういうことにしたらしいの。今、東京の自宅で育てている、十一頭のゴールデンレトリーバーの中で、いちばん頭が良くて、行動力のある犬を、車に乗せて、小原さん夫妻が、伊勢神宮まで連れていく。そして、小原さんの奥さんが、伊勢で降りた後、今度は、その犬を連れて、車で東京に戻ってしまう。その後で、犬を、放すんですって。何でもその犬は、ご主人の、小原さんよりも、奥さんの絵理香さんに、なついているから、車で往復した伊勢まで、奥さんを探しに行くんじゃないだろうかと、そんなふうに、小原さんは、いっていたわ」

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