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おいしい旅
錦市場の木の葉丼とは何か
太田和彦

   京 都

     修学旅行生と親子丼

 仕事で京都に来ており、昼間はホテルにカンヅメで原稿書き。楽しみは抜け出してとるお昼だ。京都の人は親子丼をよく食べる。今日はそれでいこう。
 明治に祇園で創業、昭和二十年に西陣に移った鳥料理の老舗「鳥岩楼」は上京区五辻通智恵光院西入ル五辻町。「智恵光院」とは有り難い名前だ。交通の便はあまりよくない所だが昼十二時から二時までの親子丼が人気でいつも満員だ。
 開店にまだ早く、前の寺「本隆寺」へ入ってみた。
 冬の京都。広い境内は人影なく、鐘撞き堂に寄り添って立つ大銀杏も丸裸のシルエットを見せる。京都は年中いろんな行事のある観光都市だが、正月の過ぎた一、二月はこれといったものはなく日常にかえる。そこが好きで、仕事を持ってやってきた。
 還暦を過ぎて時間が自由になると、足は京都に向くことが多くなった。観光地ではなく、町中を楽しむ。京都はやはり寺の町で、有名寺よりもさりげない寺がいい。
 この本隆寺は法華宗真門流の総本山、法華宗京都八本山の一つとある。開山長享二(一四八八)年。享保、天明の二度の大火は西陣一帯を焼け野原にしたが、本堂、祖師堂は鬼子母神の霊験で焼失を免れ、以降「不焼寺」と呼ばれるようになった。境内には西陣五井の一つ「千代野井」や、松葉を枕の下に敷くと子供の夜泣きがやむといわれる「夜泣止松」がある。
 端正な本堂脇の小さな満開の紅梅が大きな松の緑に映える。立派な石灯籠の彫り文字は〈寄進者 若州小濱組屋武中左衛門〉〈天和元辛酉十月吉祥〉。いつからかこういうものをウンウン解読するようになった。
 若い頃は新しいものにとびついた。しかし今は昔からあるものに気持ちがゆくのは、老いたわが身をそこに見て、自分の生きてきた人生を肯定したいのだろう。
 おっとそろそろ行かないと行列が長くなっているころだ。
          *
 その列十数名。タクシー運転手に案内されてきた制服の女子高生四人組もいる。ちょっと話してみようかな。
「修学旅行?」
「そうです」
「どこから?」
「群馬」
 そのくらいのお子さんがいるのか話したそうにしていた一人のご婦人がこれをきっかけに「何年生?」と声をかけて話がはずみ、おじさんの私はいらなくなったのは仕方がない。
 白い暖簾が上がり、列は中へ。百年以上という家の奥まった玄関は打ち水され、上七軒舞妓のうちわが立ちならぶ。履物を脱ぎ「親子丼の方はお二階へ」と、中庭をまわる渡り廊下から案内された二階は古い畳座敷に入れ込みだ。「何人さん?」と席を振り分けられ、一人の私はなんと、さきほどの修学旅行女子四人の座る卓の、床柱を背にした席を指示された。まるで引率の先生だ。女子高生は静かにしているが、オヤジ然とすぐ話しかけてはいけない。といって黙っていても重苦しい。
 戸を外した三つの座敷は、幅広い網代の舟天井、壁を瓢箪や富士に刳り貫いて竹垣をはめるなど、元の家主の遊び心ある粋を存分に見せる。取材メモ帳を出してスケッチしていると女子高生がのぞき込んできた。
「何描いてるんですか?」
「あそこの装飾が面白いだろ」
 一同そちらを見る。
「建築関係の方ですか?」
「いや……」
「わかった職人さん」
 類推は私を喜ばせたがこういう時は本当を言う方がいい。「雑誌の連載のメモなんだ」「へえ」「わるい、ぼくにお茶いれて」「はい」と大きな急須から注いでくれる。
「この唐金の急須はいいものだよ」
「へえどこがですか」
 いつの間にか引率の先生だ。届いた親子丼に「わあ」と箸をとるのを止め「ちょっとカメラ貸して、みんな丼持って」「はーい」パシャ「いただきまーす」。
 小丼の真ん中にうずらの黄身ひとつ。もも肉と玉子だけのシンプルな丼は、濃いめの出汁と固まりきれない玉子。この出汁と玉子のふるふるが東京の親子丼とはちがう。値段九〇〇円。女子四人もきれいに完食でした。
 外の通りに「西陣織物産地問屋協同組合」の建物がある。このあたりは西陣織で栄えたところだ。向かいの西陣中央小学校で若いお母さんが幼子のよちよち歩きを見守っている。観光地ではない京都のおちつきは、ここに住んでみたいと思わせる。
 石畳で入る小さな「首途八幡宮」は金売吉次の屋敷跡で、源義経奥州出立の際、安全を祈願した。「首途」は「出発」の意で旅の守りという。「おいしい旅」の旅立ち。引いたおみくじは「小吉」でした。

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