書籍試し読み
詳しくはBOOK NAVIへ
ラブ×ドック
山ア宇子

プロローグ 【Love×Doc】

 嘘くさい。
 訪れたクリニックの診察室で、剛田飛鳥は白い革張りのチェアに腰かけてから、おそらく二分に一度はこう呟いている。今のところは心の中で。
 白い壁に薄いピンクの間接照明が施された診察室は、どことなく近未来的で宇宙船内を連想させる。ヒーリング音楽のBGMに、ぽこぽこぽこと水の湧き出る音が重なり、来院した者を癒そうとしているようだ。
 ぽこぽこと水の湧く音は、ここで唯一のオブジェであるドーム型の水槽から聞こえてくる。なかでは朱色や赤白の金魚たちが、リボンのような尾びれを揺らしながら泳いでいる。まるで柔らかなドレスの裾をこれ見よがしにひらつかせ、すれ違うオスを引き付けてはかわして、優雅に恋を楽しんでいるかのような泳ぎ姿だ。金魚って、艶っぽい。
 ここは、『ラブ×ドック』という恋愛クリニック。恋愛にまつわるデータを集め、分析し、研究しているクリニックだ。
 恋愛クリニックというと、患者の恋愛相談にひたすら傾聴するタイプの心理カウンセリングを連想しがちだが、ここは違う。患者の遺伝子を分析し、遺伝子プログラムから恋愛体質を割り出すことで診断を行っている。医学的要素が強い、人間ドックならぬ、恋愛ドックなのである。
 飛鳥は数日前の夜、風呂あがりに目じりの皺取りパックをしながらネットサーフィンをしていて、ここの広告に目をとめた。

   《遺伝子を知ることで本当の恋が始まる ラブ×ドック》

 怪しい! と、ツッコみながらも、やはり宣伝文句にそそられたのだと思う。遺伝子といえば、犯罪から親子関係から、患う可能性の高い疾患までも解明できる万能データバンクだ。かのアンジェリーナ・ジョリーだって、遺伝子から導き出されたデータをもとに、乳がんの予防手術に踏み切ったのではなかったか。
 もしも遺伝子から、自分独自の恋愛データと攻略法が導き出せたら、そこらへんの占いとは比べものにならない信憑性があるはずだ。
 剛田飛鳥、三十六歳、独身。気づいたら「予約」をクリックしていた。

 そうして飛鳥の目の前では、院長の冬木玲子と、冬木から「ミッキー」と呼ばれている助手の男が、さっきからクリニックの趣旨を説明している。飛鳥のすぐ横にあるモニターには、個人データが映しだされている。

   氏名/剛田飛鳥
   年齢/36歳
   血液型/O型
   職業/パティシエ

 基本データのほかに遺伝子情報という項目があり、らせん構造や結合体らしきものが描かれている。これが自分の遺伝子だろうか。嘘くさい。が、気になる。
「怪しくてごめんなさいね」
 心の呟きを察したのか、冬木がわざと余裕ありげな微笑を見せた。冬木の傍らに突っ立っている綺麗な顔立ちをした助手のミッキーも、冬木とほとんど同じタイミングで口角をあげた。
 冬木玲子は、いかにも恋愛上級者といった容姿をしている。三十代前半だろうか、胸まである髪を片側にたらし、もう片側の耳や首筋を引き立たせている。白衣の中はショッキングピンクのトップス。足元のヒールは八センチはあるだろう、歩くたびに床が痛がっているような高めの音を響かせている。
 飛鳥には、冬木のような分かりやすい〈オンナ度〉はない。パティシエという職業柄、髪は常にひっつめているし、スカートよりもパンツ派だ。今日だって黄色のブラウスにデニムである。とはいえ、飛鳥はオシャレは好きだ。ひっつめ髪にはスカーフで華やかさを足し、フェイスラインがすっきりする分、揺れるピアスはデザイン性の高いもので遊んでいる。ビビッドな色合わせにもトライするし、旬のアイテムも取り入れる。最近はサッシュベルトが気に入っている。
 そもそもお色気やぶりっ子の類は、自分には似合わないと自覚している。幼いころから、ままごとよりも泥んこ遊びが好きだった。男の子と相撲もとったしプロレスもした。おかげで「ライオネス飛鳥」というあだ名をつけられた、消し去りたい過去もある。根がガテン系なのだ。だから分かりやすくフェミニンにしようとすると、自分にツッコむ客観的な自分が顔を出し、こっぱずかしくなってしまうのだ。
 あ! と、飛鳥は合点がいった。そうだ、冬木が着ているピンクと白衣の組み合わせが、どこぞの美容皮膚科の広告塔の女医みたいで嘘くささを助長している。そういえば、「ミッキー」と呼ばれている助手の男の服は、むかし映画かテレビで観た、宇宙船にいる人の服に似ているではないか。サンダーバード? 2001年宇宙の旅? スター・ウォーズだっけ? いや銀河鉄道999だったかも!
 嘘くささの謎が少し解けた気がして達成感をかみしめると、冬木が腕を組み、上から目線で聞き覚えのない単語を投げてきた。
「ジョホルガオ」
「じょ、じょほるがお?」
「そう、女ホル顔。あなた、恋に振り回されそうな顔してる!」
 女ホル顔?
 そんなものがこの世にあるとは。
 聞けば、「女ホル顔」とは冬木が考案した造語であり、女性ホルモンが活発になりすぎていることがうかがえる人相ということらしい。
 女性ホルモンといえば、エストロゲンだ。エストロゲンは、肌や髪を艶やかにしたりウエストのくびれを作ったりと、女性らしさを底上げする働きがあると、ネットか雑誌で読んだことがある。しかし、冬木のいう「女ホル」は、エストロゲンだけを指すのではない。フェニルエチルアミンやドーパミンといった、女性が恋をするときに体内で放出される多種多様なホルモンを総称して、「女ホル」と命名したという。
 それらは良い効果ももたらすが、制御できないと面倒なことにもなるというのが冬木の持論だ。過ぎたるは及ばざるがごとし、ということらしい。
「あなたに送っていただいた髪の毛から遺伝子を分析。恋愛体質を調べたの」
 デジタル画面に、飛鳥の〈女ホル〉が映し出された。
 ピンクの粒が、ぷるぷるしながら、ウヨウヨしている。
「これは、抑制できていた時の女性ホルモン。そして今の状態がこちら」
 ピンクの粒が、ぶるぶるしながら、ゴツゴツぶつかり合っている。
 なんだか、激しすぎて怖い。
「あなたは今まで小器用に計算して生きてきたことから本能を抑制してきた」
 え?
「それが三十代後半の失恋により、本能を抑制できなくなる」
 えっ?
「これからは今までのような計算は効かなくなるわ」
 えーっ? 計算が効かない!? 嘘だ、嘘に決まってる!
 飛鳥は心のなかで毒づきながら、心臓が一まわり縮むような緊張を覚えた。
 そしてその縮んだ心臓が、必要以上に大きな鼓動を立てはじめたことも感じた。本当のことをいえば、ここへ来たのは、恋に翻弄されたからにほかならないのだ。実をいうと、十日前に飛鳥は失恋したのである。

トップページへ戻る