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オーバーキル
バッドカンパニーII
深町秋生

     1

「そいつはおれにやらせてくれ!」
 有道了慈は携帯端末に向かって吠えた。野宮綾子は困ったような声で答える。
〈えー、どうしよう。他にやりたがっている社員も多いし……正直言って、あなたが出てくるほどの仕事じゃないもの。どうせ沖縄の田舎にいるんでしょう? 波の音がするんだけど〉
 携帯端末を肩に挟みながら、釣り用具を片づけて、SUVの荷台にクーラーボックスを放り投げた。
「頼むからやらせろ! 他のやつに任せたら承知しねえぞ!」
 太陽はだいぶ傾いており、那覇空港の最終便に間に合うかは微妙なところだ。空席があるかもわからない。しかし、それはいつものことだった。
 綾子が冷やかす。
〈こわーい。いつも登校を嫌がる子供みたいにグズるくせに〉
「そっちこそ、無理やり修羅場に連れていく鬼ママだろうが」
 有道は、沖縄本部町の海で、釣りをゆったりと愉しんでいた。綾子は、人がくつろいでいるときを見計らったかのように、東京汐留から呼び出しをかけては、いつ死んでもおかしくない危険な仕事を押しつける。
 綾子が経営している『NASヒューマンサービス』は、人材派遣の看板を掲げている。契約先に送りこむ人材は、有道のような元自衛官や元軍人、元警官といった腕自慢や鼻の利く人間たちだ。人材教育や要人警護を行っているが、裏では犯罪絡みの仕事をも引き受ける。ちなみに、『NAS』とは、ノミヤ・オールウェイズ・セキュリティの略称だ。
 有道自身も、アウトロー相手にドンパチを幾度も繰り広げ、殺し屋との対決までさせられた。綾子には億単位の借金があるため、しぶしぶ汚れ仕事を引き受けているが、一秒でも早く退職届を叩きつけてやりたいのが本音ではある。
 しかし、なんにでも例外はあった。綾子が訊いてくる。
〈依頼人は今夜から始めてほしいと言ってるけど、遠い南国からじゃ間に合うかしらね。飛行機も空いてるかどうか〉
「行くさ。なにがあってもな。座席は、乗客の頬っぺた札束で叩いてでも譲ってもらう。いいか、その仕事はおれのだぞ!」
 念を押して通話を切った。
 麦わら帽子にサンダル履きだったが、SUVに乗りこむと、アクセルをベタ踏みにして、国道を猛スピードで走り出す。
「クソ女め」
 綾子は最初から、有道がふたつ返事で引き受けるのを知っていたはずだ。なにしろ彼は、今度の依頼人の大ファンだ。高校時代から約二十年も応援してきた。
 SUVのエンジンが激しくうなり、カーラジオの音がかき消された。ボリュームをあげると、アナウンサーによる実況と吹奏楽の演奏が耳に届いた。夏の甲子園。金属バットが硬球を打つかん高い音がする。
 約二十年前、高校生の“不死鳥(フェニックス)”が甲子園でホームランを打った姿が、脳裏をよぎる。レフトスタンドの最上段まで、ボールを弾丸のようにすっ飛ばすのを、テレビで目撃して以来、有道にとって“不死鳥”はずっと英雄であり続けた。
 その英雄が困っているという。自分以外に誰がやれる。有道は、観光客が運転するレンタカーを、時速百二十キロで追い越した。

     2

 有道は釈然としなかった。瞬きを繰り返す。
 目の前にいるのが、本当にあの“不死鳥”こと白鐘政輝なのか。納得がいかない。
 腕自慢の有道をも超える百九十センチの身長。武士の裃を思わせる広い肩幅とごつい骨格。大臀筋が異様に発達したケツは、いかにも元プロ野球選手を思わせる。
「どうしたい。突っ立ってねえで座ったらどうだ」
 白鐘はソファに座り、ウイスキーグラスを持ちながら、リビングのドアの前に立つ有道に声をかけた。粘つくような声色だ。
 白鐘のマネージャーを務める小野瀬香予も、手を伸ばして、白鐘の対面の席を勧める。
 有道は香予を恨めしげに見やった。彼女は目を合わせようとはしなかった──なにが“海外の興奮剤に少し溺れた”だ。
 ほとんど手ぶらのまま、SUVで道をすっ飛ばし、那覇空港で職員に尻を叩かれながら空港内を駆けまわった。滑りこみで羽田行き最終便の飛行機に乗りこんだのだ。
 汐留のオフィスで香予と会ったが、ロクに説明をされることもなく、この女とともに那須に行くよう指示された。ヒーロー会いたさに、今度は東北道を飛ばしてきたが、実物は有道の知る白鐘とはだいぶ異なっていた。
 現役時代とは比較にならないほど痩せ、まともに食事を摂っていないのか、ブルドッグにも似た肉厚だったツラが一変し、今は頬骨が浮き出している。
 身体を小麦色に焼いているが、顔色が悪いために青黒く見えた。肌はカサカサに乾いており、目の下には不健康そうな隈がある。
 大リーグから日本球界に復帰し、二年前のシーズンで二十本ものホームランを記録したが、肩や膝が限界を迎えて現役引退を表明。日米通算五百本本塁打と二千本安打という華々しい記録を打ち立てた名選手として、野球解説やバラエティー番組に引っぱりだこ……となっていたはずだが、ここ最近はさっぱり見かけなくなっていた。
 その理由が今になってわかった。こんなわかりやすいシャブ中を、テレビが起用するはずがない。
 アスリートは現役から退くことで、厳しい節制や訓練から解き放たれ、多かれ少なかれ体型を変えるものだ。引退後は何度かテレビで見かけたが、とくに気に留めてはいなかった。おそらく、メイクでごまかしていたのだろう。こうして実物を目撃すると、気まぐれに手を出した程度には見えない。
 彼らがいる那須のバンガローは、高原に立地しているだけあって、夜は寒く感じるほど冷える。有道はブルゾンを着ており、香予もスーツを着用していたが、白鐘はといえば、Tシャツにハーフパンツ姿で、汗をダラダラと滴らせていた。
 上等なスコッチなんか飲ってはいるが、酒の味などわかっていないはずだ。覚せい剤がキレて、禁断症状の苦痛を酒で紛らわせている。
 テーブルのうえはスコッチや焼酎の瓶が林立し、空になったミネラルウォーターのペットボトルが周りに散乱していた。灰皿にはタバコの吸い殼が山をなし、室内はタバコの臭いが淀んでいた。
 白鐘は、スコッチをチビチビやったかと思えば、チェイサーの水をガブガブと飲んだ。グラスを握る手も小刻みに震えている。ソファに座っているだけでもしんどいだろうに、虚勢を張ってふんぞり返っていた。
「なんだ。プロと聞いてたが、恐くて近寄れねえのか?」
 白鐘は二の腕に力をこめた。
 メジャーリーグ時代に入れた不死鳥の刺青がうごめく。未だに贈答用のハムみたいな太い腕をしていたが、全盛期を知る者にとっては迫力不足だ。当時は生ハムの原木みたいな筋肉をしていて、その腕でホームランを量産したのだ。露になっている左膝には、メスを入れた痕がいくつも見られた。
 ケガは白鐘の代名詞でもあった。甲子園の怪物新人としてドラフト一位に指名され、鳴り物入りで一軍登録。スタメンとして起用され、レフトを守っていたが、バッターが打ったフライを追った末に、同じくボールを捕球しようとしていたセンターと激突した。
 白鐘の肋骨三本が砕け、左膝の靭帯も損傷するなど、主治医が“交通事故レベル”と呼ぶほどの大ケガを負い、一年目のシーズンを棒に振った。
 もはや甲子園時代のような活躍はできないだろうと、世間が将来を絶望視するなか、血のにじむようなリハビリ生活を送った末、驚異的なスピードで回復を果たした。二年目には二軍でホームラン王となり、三年目で再び一軍に昇格。レギュラーの地位を獲得し、怪物的な実力を開花させた。
 左膝の古傷を中心として、ケガは何度も彼の活躍を阻んだが、復帰するたびに大きくなって戻ってくる。それゆえ“不死鳥”なる仇名がついた。
 有道がずっとファンであり続けたのは、その不屈の精神にあったのだが……まさか覚せい剤の泥沼に嵌まっていたとは。
 深々とため息をついて、ソファにどっかり腰かけた。衣類などを詰めこんだスポーツバッグを脇に置く。なかには文房具店で買い求めたサイン用の色紙とフェルトペンが入っていたが、とてもねだれるような雰囲気ではなさそうだった。ねだる気にもなれない。
「シャブ中のクズなんかにビビるかよ」
「ああ?」
 白鐘は歯を剥いて怒りの形相を見せた。
 有道はそれとなく彼の歯に目をやった。前歯がだいぶ蝕まれている──典型的なメタンフェタミン(メス)マウスだ。
 覚せい剤の乱用者は、何日もハイになって風呂も入らず、歯も磨かないことが多い。覚せい剤の作用で唾液が減少し、口内は菌が繁殖しやすくなる。
 今はメディアで顔を売るのが仕事だろうに、自分の歯の調子も確かめられないほど、クスリの虜になっていたということだ。
「誰がクズだと、てめえ」
 白鐘は、ヤクザのごとく巻き舌でうなった。
 彼の声を無視し、ブルゾンのポケットに手を突っこんだ。十円玉を取り出すと、人差し指と親指でつまむ。
 気合の声とともに、奥歯を噛みしめて指に力を集中させた。十円玉がぐにゃりと二つに折れた。
 白鐘は唖然とした顔つきで、銅の塊と化した十円玉と、肩で息をする有道を交互に見やる。
 有道は、スコッチのグラスに十円玉を放りこんだ。
「あんたのシャブ抜きを手伝う有道了慈だ。どんなデカブツもツネって黙らせるプロだ。なんなら、力いっぱい暴れ回ってくれても構わないぜ」
 隙をついて、白鐘の左手首を掴んだ。外側にひねって、彼の前腕を確かめる。
「なにしやがる」
「うるせえ」
 有道は舌打ちした。前腕の内側には注射の痕があり、ひんぱんに打ち過ぎたせいか、赤黒いカサブタができている。
 どっぷり覚せい剤に溺れていた証拠だ。炙りで愉しんでいたのならともかく、静脈注射までしていたとなれば、身体をクリーンにするには最低でも二週間はかかる。
『NAS』にはしばしばシャブ抜きの依頼が舞いこんでくる。うっかりクスリの味を覚えたアイドルや芸能人。親分がドラッグを憎悪しているのに、覚せい剤に手を出してしまったヤクザ。疲れをまぎらわせるために使っているうちに、自分をコントロールできなくなった会社経営者など。
 シャブ抜きを手伝うには、それなりの腕力と度胸が求められる。禁断症状に陥った中毒者の、覚せい剤への渇望はすさまじいものがある。外に出るためなら、ごついテーブルを監視者に投げつけ、ソファを振り回し、あるいは失神したフリをして奇襲を仕かける。喧嘩師もまっ青の攻撃を放ち、あるいは知恵を絞りに絞って、脱走しようと試みる。
 攻撃が通じなければ、自傷行為に走る。テーブルの角に頭を打ちつけ、破壊した液晶テレビの破片で自分の腹をブスブスと刺しまくる。クスリを得るためなら手段を選ばず、覚せい剤がもたらす魔力の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。
 摂取してきた時期が長く、量が多ければ、それだけ禁断症状もひどくなり、覚せい剤への渇望も強くなる。前腕の注射疸を見るかぎり、白鐘はかなりの重症者といえた。
「気安く触るな!」
 白鐘が有道の手を振り払った。注射痕が恥ずかしいのか、左腕を後ろに回した。
「だいたい……大袈裟なんだよ。あんなもんは止めようと思えば、いつでも止められる。おれは“不死鳥”と呼ばれた男だ。靭帯だのアキレス腱がぶっち切れても、医者から匙を投げられても、そのたびに球場に戻って打ちに打ちまくったんだ」
「そういや、少しは名の売れた野球選手だったんだっけな」
「お前……おれを知らないのか?」
 白鐘は頬でもぶたれたような、切なげな表情を見せる。
「知らねえよ。注射を打ちに打ちまくったウドの大木しか」
「てめえ……」
「それと変な嘘はつくんじゃねえ。うちみたいな会社を頼ってくるくらいだ。ちっとも止められねえうえに、女房子供に出てかれて、たっぷり野球で稼いだカネも、シャブやキメセク用の女に使っちまって土壇場なんだろうが。違うか?」
 白鐘の頬が怒りで痙攣した。
 ただし図星だったのか、ウイスキーグラスを握りしめたまま、黙って有道を睨むだけだった。
 有道は彼の視線を黙って受け止めた。マネージャーの香予は、ドアの前に立ったまま、ふたりのやり取りをハラハラしながら見つめている。
 有道もまた嘘をついていた。白鐘のことならよく知っている。名古屋から東京の球団に移り、メジャーリーグではボストンとアリゾナのチームでプレイしたのも。毎年の本塁打数や打率も頭に染みついている。プロ五年目にシーズンMVPに輝き、二十八歳のときに、民放テレビ局の美人アナウンサーと結婚し、ふたりの子供に恵まれたことも。
 有道もかつては高校球児だった。校内のワルと大喧嘩を繰り広げ、停学処分を喰らい、野球部からも放逐された。自室で腐っていたころ、甲子園の夏空に天高くボールをかっ飛ばした白鐘の本塁打に心を奪われた。
 彼のプレイに魅了されたのは一度や二度ではない。有道は二十代後半から焼肉チェーンを経営している。食中毒を起こしたのがきっかけで、売上は急速に悪化し、不眠不休で金策に駆けずりまわることになった。そのころも、ケガから復帰した白鐘の存在が頭にあった。
 しかし、重度のシャブ中を相手にするからには、妙な情けはミスにつながる。鬼に徹しなければ、白鐘のためにもならない。
 有道は、テーブル上の酒瓶を取り上げた。すべてのボトルを両腕で抱えた。白鐘が血相を変える。
「お、おい! おれが抜くのはクスリのほうだぞ」
 無視してキッチンヘと運んだ。
 酒瓶を逆さに振って、中身をドボドボと流しに捨てた。白鐘は立ち上がると、我慢ならないとばかりに肩をいからせ、有道の後を追ってくる。
「何様のつもりだ!」
「お前こそ身のほどを知れ」
 スコッチのボトルを、システムキッチンのカウンターの角に叩きつけた。派手な音が鳴り、ボトルの欠片が散乱する。即席の刃物と化したボトルを、白鐘の喉元に突きつける。
 目を白黒させる彼に告げる。
「酒なんぞかっ喰らっていたら、肝臓が悲鳴をあげて、いつまで経ってもシャブが抜けねえだろ。飲むのは水か栄養ドリンクにしろ。酒の代わりにメシを食え。食欲なんかありゃしねえだろうが、無理にでも胃につめこんでもらうぞ。お前は自分だけじゃどうにもならねえ非力なシャブ中だ。おれ様に従ってもらう」
 冷ややかに白鐘を見つめた。たとえ不死鳥であっても身体で教えるしかないと、腹をくくる。
 覚悟が伝わったのか、白鐘は低くうなって引き下がった。寝室のドアを開けながら香予に毒づく。
「胸糞悪い野郎を連れてきやがって。もっとマシなやつはいなかったのか!」
「す、すみません」
 香予は膝を震わせながら頭を下げた。白鐘は、ドアを叩きつけるように閉めた。

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